園田渚と嶋村侑季の話
園田渚の日々は自宅で完結する。特別なことは何もない。適当にゲームをして、たまに勉強をして、それでも暇だったら外で体を動かしてみる。
高校生だというのに、スケジュール表は一つも埋まっていない。わたしは将来ニートになるんだろうか、と渚はいつも思う。小学生のときはこんな自分じゃなかったのにとも思う。
部屋に飾ってある写真、そこに写る昔の自分を直視できない。眩しい。今の渚には、遠すぎる存在だった。
そんな彼女につきあいのある人は少ない。ましてや休日に構ってくれる人など、一人しかない。
ピンポーンと、来訪者を告げる音が鳴る。空いてるから入っていいよ、とインターホン越しに言う。お邪魔しまーすと入ってきたのは、よく知ったメガネ姿の少女だ。
「今日練習ないの?」
「休み」
リビングに入り、二人は腰を下ろす。嶋村侑季は、渚と同じ洛総高校の二年生だった。切れ長な目元をメガネで覆い、理知的な雰囲気を湛えている。渚が夏休みに入って会話をした同級生は、侑季だけだった。
「ゲームしてたの? 私もやりたい」
こんな風に侑季が家に押し掛けてくることは、渚の唯一の世間との接点だった。彼女といることはそれなりに楽しかった。
「はあ、負けた。やっぱりゲームしかしてない人には勝てないわ」
二人でゲームをしていると、侑季は言った。彼女との縁は、高校入学と同時に始まった。それはある意味、ストーカーじみたモノだった。侑季が渚に近づいたことには、ある目的があった。
「ねえ、毎日毎日暇にならない? たまには野球でも――」
「やらないよ」
侑季は、ことあるごとに渚を女子野球部に勧誘してきた。
一年の時、渚はいろんな部活に勧誘され体験入部してみたけど、どれもしっくりこなくて続かなかった。数ヶ月のうちに寄ってくる者はほとんどいなくなった。
渚の近くに唯一残った侑季だけは、今でもこうして誘ってくる。ただ、渚はもう彼女の言うことを本気にはしてなかった。
「渚なら、全国区のピッチャーになれるのに。今からでも遅くないよ」
「無理よ。もう、四年以上やってないもの。何度も言うけど、わたしはもう野球は嫌い……やりたくないから」
侑季はこの夏から洛総高校女子硬式野球部の主将になったそうだ。彼女は立ち上がると、部屋に飾られていた写真に指を指し、言った。
「この、青見桜希って子と、末広って子、この前見てきたよ」
「桜希……末広……?」
彼女の人差し指の先には、渚の小学校のときの写真があった。少年野球をやっていたころ県大会で優勝したときの記念写真だった。そこにいる昔の自分を見たくなくて、母親には片づけてと言ったけども、聞く耳を持たれなかった。
「この前兵庫まで行って、女子高校野球の全国選手権を見てきたの。そこにあなたの友達が出てた」
「な、なんで」
中学生になって以降、彼女とは会っていない。渚は、桜希のことを思い出したくなかった。
「ほら、見たいかと思って、撮ってきてあげたよ」
侑季は、渚にスマホの画面を見せる。動画だった。画質は荒かったけど、そこには左打席に立つ桜希が写っていた。
打席での構えでわかった。右足を開いて、小刻みに揺れてタイミングを計る。投球に合わせ、大きく右足を上げ、踏みしめ、一気に力を解放する。
桜希のバッティングフォームは、小学生のころからほとんど変わっていなかった。ヒットで球場が湧いている。塁上でヘルメットをかぶり直す桜希の姿が、小さな画面の中に映っている。
「ここ。青見さんね、きっと、彼女は女子野球界のスターになるわ」
「どうして……どうしてこんなもの見に行ったのよ……?」
「なんでって、面白そうだったから」
「しらばっくれないで、わたしへの当てつけでしょ!」
「当てつけって言い方悪いなあ。でも本当は、前あなたにこの写真の女の子は誰か? って聞いたとき、なんか歯切れが悪かったから、これは何かあると思って調べたのよ。青見さんのこと」
思いだしたくない、自分の過去をこちょこちょとくすぐられているようで気分が悪かった。侑季は続ける。
「同じ少年野球チームに所属していた青見桜希と園田渚は当時から有名だった。当時は渚の方が注目度が高かった。そして現在は、一人は中学時代に野球をやめ姿を消し、もう一人は中学時代も一年生にして高校女子野球界の注目の一人」
「たいした情報収集能力だね。探偵にでもなったらどう?」
「ふふ、ありがと」
皮肉で言ったのに、侑季は意に介さず笑顔を作る。今すぐにでも追い出したかった。
「ところで話は変わるけど、今度、練習試合があるの。舞台はうちのグラウンド。相手は、千庄高校――青見さんのいるとこ。先生に頼んだのよ、千庄と練習試合がしたいって。うまくいってよかった」
「……ほら、やっぱりわたしへの当てつけじゃない」
「だから、当てつけじゃないって。私は、あなたに最後のチャンスをあげたいの」
「チャンス?」
侑季は改まった。表情を変えた。
「あなたが部に入るなら、二年生の、チームが生まれ変わるこの夏がラストチャンス。これを逃したら、あなたにはもう野球をやらせない。入りたいって言っても、部の主将として絶対に入らせないから」
「ずいぶん偉そうに言ってるけど、わたしのチャンスじゃなくて、わたしを野球部に入れたいあなたのチャンスでしょ」
「ううん、あなたのチャンスよ。これは、野球部の主将としてじゃなくて、あなたの親友として言ってあげてるの」
侑季は「帰る」と言って、部屋のドアに向かった。そのまま消えていくと思ったが、戸の前で立ち止まり、再び渚の方を向いた。
「試合は土曜日十時からだから、気になったら、お好きにどうぞ」
「行くわけ……ないでしょ」
「いや、絶対に来るよ」
「あんたに……わたしのなにが分かるっていうの!」
「分かるよ。だって私は、あなたの親友だもの」
侑季は笑った。思わず、「帰って!」ってどなった。侑季は、最後に付け足すように言葉を残していき、ゆっくりとした足取りで帰っていく。
「私は、あなたが野球をするところを見てみたい」
静けさが蘇ってきた部屋に一人残される。蝉の音がやかましい。いつからか夏が嫌いになった。
その後、ゲームを再開したけど、侑季の言葉と、画面の中にいた桜希の姿が消えなかった。かき消そうとしても、頑固な汚れのようにいつまでも自分に付着し続ける。
私は、あなたが野球をするところを見てみたい。言葉が、自分の奥底の壁にぶつかっては消滅し、現れ、またぶつかっていく。心が磨耗していく、その繰り返しだった。




