関長明日葉の話②
人生最高の試合だった。七回裏の代走からの出場で、打席は一回だけ、守備機会も数回ほどだったのに、めちゃくちゃ疲れた。全神経を使い果たした感じ。
決勝戦のあと、わたしはたくさんの称賛を受けた。たぶん、人生で一番褒められた日だった。
今までわたしはどっちかというと集団では浮いていて、こんな扱いを受けることはなかった。自分の、この厄介な性格のせいだっていうのはわかっているけど。
だから今日受けた感覚は、とても新鮮で、素直に嬉しかった。
絡んだことのないような先輩たちにも、いろんな言葉をもらった。そのどれもが、わたしのあの活躍は想像していなかったみたいな口振りだった。
でも、主将、陽子先輩だけは違った。
「あなたのセカンドは、ホント思いつきだったけど、上手くいってよかった」
試合後、先輩はそういう風に切り出した。
「わかってたの。青見ちゃんの隣にいるべきはあなただってね」
試合が終わってすぐ、先輩はとても嬉しそうに、子供みたいに泣いていた。そんな主将の姿を、みんなして微笑ましく見守った。
「だから、あなたがセカンドをやるべきだと思ったから」
先輩がわたしに、あなたがセカンドをやって、と言ったときは、一瞬だけ驚きがあった。そして、先輩はずるいと思った。あんなとこで、出来ませんなんて言えるわけがない。
ただ、やりたいと思ってしまう自分がしっかりといた。想像したこともあった、わたしがセカンドにいて、桜希がショートにいる光景を脳裏に浮かべることもあった。
それが実現するとしたら、三年生が引退して、新チームになってからだと考えていた。まさかあんなとこで初めてが訪れるとは思わなかった。そしてそれが、あんなに上手くできて、楽しいものとは想像していなかった。
わたしは、陽子先輩に感謝しないといけないかもしれない。
「あの……ありがとうございました」
「うん、こちらこそ」
わたしが頭を下げると、先輩は目を細め、続けた。
「私はあなたのことを誤解していた。あなたは青見ちゃんに悪影響を与えるような存在だと思ってた」
突っ込みどころの多い発言だった。悪影響を与える存在ってなんだよ、とか、あなたはどれだけ桜希のことが好きなんですか、とか、必死に突っ込みを抑えた。
「だから、あなたにはキツく当たったこともあったかもしれない」
「何のことだかわかりません」
わたしが言うと、先輩は小さくクスッと笑った。正直、主将に嫌われている自覚はちゃんとあった。
「先輩って、変な人ですね」
陽子先輩は不思議な人だ。大人っぽく見えるときもあるし、とても子供みたいに見えることもある。理性的な人にも見えるけど、感情的な振る舞いを見せるときもある。この辺が魅力的で、先輩は部員たちに慕われているのだろうと思った。
「……変な人だなんて、あなただけには言われたくないわ」
二人して笑った。変な会話だった。
◇◇◇◇
帰りのバスの中は、だんだん静かになっていった。
優勝の興奮さめやらぬ中、最初は歌ったりして、大盛り上がりの車内だった。しかし、制服姿のみんなはさすがに疲れてきたのか、今では近く同士の会話が数カ所で散発しているだけだった。
寝ている人も多い。わたしも寝たい。けれど、窓際の席に座る隣の桜希が、わたしの肩によりかかり、寝ている。それだけなんだけど。
意識するほうがおかしいのはわかっている。でも、なんだか心がざわざわする。落ち着かない。「すーすー」という寝息が聞こえる。
桜希を前にして、どんどん自分が大胆になっていくのを感じる。七回裏、絶望に沈んだ桜希の顔を見たときは、どうにかしなくちゃって思って、あることないこと言いまくった。
桜希を前にすると、なんでもできそうな気がしてくる。最後の打席、圧倒的に分が悪かったはずなのに、打ててしまった。
ちらっと横目で桜希を見る。長いまつげが伏せられ、瑞々しい肌に、幾本かの影を作っている。
魔が差した。わたしは桜希の頬に、つん、と人差し指を突き立てた。桜希は「んっ……」小さく声を漏らした。
なんだか楽しくて、何度も押してみる。弾力のあるきめ細やかな肌が、何回でもわたしの指を跳ね返してくる。そのとき、横から不快な声がやってきた。
「なに桜希の顔で遊んでいるの?」
「ぎゃ!」
わたしの愚挙をのぞき込んできたのは、通路を挟んだ席に座る末広さんだった。
「あんた、さっき寝てなかった……?」
「今起きた」
なんてタイミングの悪い奴だ。
「それより、桜希の顔に何してたの?」
「……顔に蚊がいたから、一応払っといてやったのよ」
「へえ」
当然、末広さんはまともには受け取ってくれなかった。こうなってくるとめんどくさいから、わたしは寝たふりをしようとした。
「アドバイス、ありがとね」
目をつぶったわたしを気にせず、末広さんは続ける。
「明日葉ちゃんが言ってた、もっと素直にボール見ろっていうのと、戦う相手は昔と違うのよ、ってやつ。わたしは結構真剣に考えて、それでわかったの。わたしはいろいろ考えすぎてたって。パワーの違う男子相手にしてたから、いろいろと考えすぎなきゃいけなかった。
でも、今の相手は同じ女子。もっと自分を信じてシンプルにやってみようと思って。だから、三打席目、シンプルになにも考えず、バットにボールを当てることだけに集中した」
また、この人はわたしをからかっているんだと思っていたけど、それにしてはやけに長くて、熱を帯びていた。
頭のいい末広さんらしからぬ、少し要領を得ない、まくしたてるような言葉たちだった。
「わたしが適当に言った出任せでそんな考えるなんて、大した想像力ね」
わたしの皮肉を無視し、末広さんはやけに感情的に、
「今日でみんな理解したと思うけど、ホント、明日葉は……凄いと思う。わたしは君が一番だと思う」
「……あのさ、寝るんだから、静かにして」
居たたまれなくて、もう話を切り上げさせた。一瞬だけ見た末広さんは、今まで見たことがない顔をしていた。笑いも浮かべてなかったし、しゃべり方も変だし、瞳をまっすぐこちらに向けているし、いつもの彼女じゃない気がした。
「ごめん、変なこと言って。……おやすみ」
末広さんはそれっきり黙った。やっぱり変な人だと思った。わたしの周りに変な人が多い。
ちょっと体を桜希の方に寄せ、わたしは目を閉じた。体は疲れているはずなのに、全然、眠れなかった。




