22話 決勝戦VS神戸海稜⑥
五回二死から登板した上橋さんの球は、九回を迎えて最高の速度とキレに達していた。乃愛、日菜子先輩と連続で三振に倒れ、あっという間にツーアウトを迎えた。
そして、途中出場の明日葉が今日初めての打席へと入る。
ずっと鳴り響いているセミの鳴き声、その隙間を縫い、“九番セカンド関長さん”っていう、ウグイス嬢の声が球場に拡散する。
私はネクストバッターサークルで腰を下ろし、片膝立ちで私の運命を待った。
上橋さんが大きく腕を振りかぶる。足から腕へ、大胆に力を伝えていき、限界まで加速させた指先からボールがしなり出ていく。数十メートルの距離をあっという間に詰めたボールは、強烈な捕球音を炸裂させ、一つ目のストライクを球審に宣告させた。
明日葉はぴくりとも動かず、ボールを見送る。変わらない表情からは何の意味も読みとれない。
上橋さんは千庄打線ほとんどから三振を奪っている。特に八回からは五連続三振と調子は鰻登りだ。
次の球もストレートだった。これを振りにいった明日葉だったが、捉えきれず、力のないフライが一塁側スタンドへと落ちていく。これでストライク二つ。追い込まれる。
三球目は外へと逃げていくスライダー、これに明日葉は反応せず、審判の判定を仰いだ。
ボール、審判の口から発せられたのを聞いた瞬間、肺に溜まっていた息が一気に口から漏れた。横からだとストライクのように見えた。明日葉は見切った上で見逃したのだろうか。
相手キャッチャーは、ナイスボールと声を掛け、投手へ返球した。三球目はバッテリーにとっては決めにいった球だったのか、それとも外しにいったつもりだったのか。
バッテリーがストレートを絶対的な武器として使うのだけは確か。二球目のファウルは圧倒的につまらせた、つまり明日葉のスイングはかなり遅れていた。相手サイドは打たれる気していないと思う。そもそも八回以降、上橋さんのストレートはまともに前へ飛ばされていないのだ。
四球目も、ストレート。明日葉は打った。いい感じに捉えた。三塁線上を這っていく打球は、外野の緑色へと抜けていった。
三塁審が大きく両手を上げ、ファウルと言った瞬間、ああっ、ってなった。後ろから、おしい、っていう千庄ベンチからの声。
ファウルとはいえ、芯に当てられた打球。相手の心理にどう影響するか。
五球目のサイン交換に、上橋さんは一回首を振った。結果やってきたのは、スライダー。明日葉のバットはそれをかろうじてこすり、ファウル。
私の頬を流れた汗は、重力に則って落ちていき、地面に染みを作る。極限の勝負、とてつもない緊張感。
六球目はストレートが外角へと外れていく。これでツーストライク、ツーボールの平行カウント。
次のバッテリーのサイン交換、上橋さんは首を振らなかった。なにが来るか、私にはさっぱり。
ピッチャーの右足が下ろされ、バッターも始動する。七球目。
大げさなフォームから放たれたボールは、予想外の緩慢さを見せ、滑り落ちるように曲がっていく。それは、まぎれもなく、カーブ。
明日葉はギリギリまでスイングの始まりを遅らせた。そして、テニスラケットのように柔らかくバットを使い、外へと落下していくボールを拾う。
コーン、と乾いた音が鳴り、緩やかな放物線を描いた打球は、センター前へとポトリと落ちた。大歓声が球場を包み込んだ。
ゾクッとした。間違いなくストレート、ないしはスライダーを予測する場面で、普通はカーブなんて来ても対応できないだろうに。恐ろしいとすら思った。
一番ショート、青見さん、という声を聞き、打席に入り、ベンチのサインを伺う。明日葉に、走って良いというサインが出る。
バットを投手へと据える。そしてゆっくりとバットを戻し、すべてのルーティンを終えると、上橋さんと目が合った。
ここで二回、明日葉へと牽制が入る。
警戒されている。でも、上橋さんがセットポジションから足を上げたとき、明日葉はいきなり走った。
外へのストレートはストライクだったけど、私は見逃した。キャッチャーが捕球後、直ちに二塁へボールを送る。しかし、そのボールがショートのグラブに渡り、明日葉にタッチした時には、すべてが終わっていた。明日葉の足は、一足先に二塁へとたどり着いた。
再び明日葉が、千庄ベンチを、そして球場を湧かす。よし、って呟いた。運命は、私にゆだねられた。
球審のプレイって声で、試合が再開し、二球目、ここで例のカーブがやってきた。ただ、それはあからさまにボールゾーンへと外れていった。その球を見て、もうこの打席でカーブはやってこないと悟った。
三球目、ストレートが足下付近を攻めてくる。あからさまなボール球。
次の四球目、上橋さんの投じた球は、球威を保ちながら、急激に私に向かって進路を変える。
腰を急回転させ、腕を畳み、体へと向かってくるボールをはじき返す。打球はフェアゾーン境目へと落ちた。ボールがポーンと跳ねて、幾ばくもたたぬ内、一塁審が両手を上げた。ファウルだった。
球場中の声が一重に共鳴し、大きな音となって球場全体にとどろく。ギリギリの打球だった。
バットを拾い、左打席にて再び気を張る。追い込まれた。けど、私の有利だと思えた。
あの球、スライダーは、バッテリーにとって最高の球だったはず。しかしそれをうまく打たれ、あと少しでヒットというところまで持って行かれた。これは相手にとって相当ショックなはず。
さきほどの打席ではストレートを打たれた。カーブは使えそうにない、スライダーも駄目そう、なら次は?
五球目、上橋さんの足が高く上がった。徐々に低くなっていく投手の動きに合わせ、スイングの準備が整っていく。
投手のすべての力が集約されたボールは、剛速球と化し、空気を切り裂いて、ストライクゾーンを襲う。
下半身からバットの先までの全神経を束ね、体現したスイングは、そんなボールを切るように、真芯で捉える。
瞬時に音が響き、強烈なライナーがセンター前へと抜けた――と思った。
えっ。
あまりに刹那の出来事で、理解が一瞬遅れた。私の放った打球は、上橋さんの上を抜け、センター前へと抜けるはずだった。けど、上橋さんが咄嗟に伸ばした右手に当たり、運動エネルギーの大半を失った。
ボールは投手の後ろを転々とする。上橋さんがすぐにそれを拾いにいき、すぐに一塁に投げた。
一塁へ全力で走る。アウト、その三文字が脳裏によぎった。
でも、上橋さんの送球は、一塁にやってこなかった。打球を受けた右手が機能しなかった。ちゃんと投げられなかった。その送球の途中、中途半端な位置で離され、ボールはファーストまで届かず、土の上を弱々しく転がる。私はセーフになった。
まだ、プレーは終わらない。
バックホーム、っていう誰かの声。明日葉が三塁を勢いよく蹴り、本塁に突っ込む。
ファーストがボールを拾って送球、ボールを受けたキャッチャーは、タッチへ。明日葉は飛んだ。最高速のまま、頭から本塁に飛び込んでいき、伸ばした左手で、本塁へ触れる。土埃が舞う。
それは、キャッチャーのミットが明日葉をタッチするよりも早かった。
「セーフ!」
◇◇◇◇
優勝まであと三つ。九回裏、マウンドにはもちろん光先輩。
一人目、八番バッター、光先輩は二球でセカンドゴロに調理する。二人目の九番バッターは、キャッチャーフライ。あと一つ。
胸の高まりが押さえられなかった。隣にいる明日葉を見ると、少し落ち着いた。
ここで打席には、一番バッターの太田さん。バッテリーはあっさりと追いこんだ。ボール球を一球はさんで、四球目、サードへのゴロが転がった。
陽子先輩は、しっかりと捕球し、送球――それがちょっと高かった。麗先輩の足が離れた。陽子先輩のエラーがスコアボードに記録される。
光先輩が、落ち着け、って声をかけた。先輩は苦笑いして、右手を上げた。
続く二番は、ライトへのヒットを放った。ツーアウト一、二塁となった。守備のタイムをとった。ちょっと話して、解いた。
次は表の守備で負傷した上橋さんの代わりに入っていた投手のところ、そこに代打が出た。背番号15の打者が声を上げ、打席に入る。勝負は、一球で終わった。
15番の打った打球は、甲高い音を伴奏に、高々と上がる。一瞬、水色の空に重なった。
ボールがグラブに収まるときに鳴るはずの、パシっていう音、それはフライング気味の大歓声にかき消され、聞こえなかった。試合最後のフライは、ゆっくりと落ちていき、最後は明日葉のグラブに収まった。
「やった……」
マウンドに向け、飛び出した。みんなで歓喜の輪を作った。優勝だ。
◇◇◇◇
「ちゃんとしたヒットで決めて欲しかった」
明日葉は言った。
球場の外は人でごった返していた。表彰式を終えた私たちは、球場の外へ出た。親御さんたちに勝利を報告して、みんなで盛り上がった。今はみんなが写真を撮ったりして、優勝の余韻を味わっている。
「それ、言う?」
確かに最後の私のヒット、それは内野安打で、“ちゃんとした”形ではなかったかもしれないけど。
「私だって、抜けたと思ったんだけど」
抜けたと思った会心の打球、それは上橋さんの伸ばした手に当たった。
意外なプレーだった。試合途中で交わした会話の感じ、彼女は自分の手を省みずに、ヒットを防ぎにいくような感じには見えなかった。
あの後、彼女は負傷して交代となった。こっちも美羽先輩をデッドボールでやられているから、因果応報とも言えるのかもしれない。それに、私にだって酷いこと言ったし。
ただ、大声で泣き、チームメイトで抱えられながら退場した彼女の姿は、少し悲しかった。でも、初めて彼女を普通の人間だと思えた。
試合後の整列でも上橋さんは泣いていた。さっきは美羽先輩に「すいませんでした!」って謝罪しに来た。
「あいつの球威に負けてたのよ、スイングが。実力不足だわ」
優勝して、しかもいろんなことがあったのに、なぜか最後の打席のだめ出しをしてくる。明日葉らしいと思って、苦笑した。
すると急に明日葉は私に身を寄せた。下を向いたまま、ただ体を近づけた。だけど、体温は伝わる。
「でも、勝てて良かった。わたしたち二人の力でさ」
「……うん」
そんなとき、
「なに二人でイチャイチャしてるの」
「わ……せ、先輩」
陽子先輩が、後ろから私たちの肩に手を回す。不意をつかれた私たちは変な声を出した。
「勝利の立役者二人が、隅っこにいちゃいけないでしょ」
「す、すいません」
先輩は、とても楽しそうに笑っていた。でも、その顔を急にしんみりとさせ、
「ありがと……」
さっきまで号泣していた先輩の瞳は、すこし赤くなっていた。
「あなたたちのおかげで、最高の夏にできた。ホント、二人に託して良かった」
私はなにも言えなかったけど、明日葉が、
「なに言ってるんですか。まだ終わってませんよ」
私たちには、これから全国の舞台が待っている。
「……そうだね。ごめん」
先輩は再び、笑った。そして、
「三人の写真撮ろう」
先輩が人を呼び、三人の写真を撮ることとなった。真ん中が先輩、その左右に私たち。
「両手に花って感じ」
先輩は、私たち両方を順に見て、言った。
「おーい、両隣の二人。真ん中の笑顔に負けてるよ。もっと笑って」
カメラマン役の先輩が言った。とりあえず自分にできる最大限の笑顔を作ってみると、シャッターの音が鳴った。
あとから写真を見ると、陽子先輩が一番の笑顔をしていた。でも、私と明日葉も、先輩に負けないぐらい良い笑顔で写っていた。




