17話 決勝戦VS神戸海稜①
一回の表、千庄の攻撃は無得点に終わった。
神戸海稜の先発は上橋さんではなく、背番号10をつけた三年生、堀さんだった。他校なら間違いなくエースになれるような、オーソドックスな右腕である。
先頭の私は、三球目を引っかけてセカンドゴロ、続く美羽先輩もピッチャーゴロで、あっさりとツーアウトを取られた。
その後、三番の陽子先輩がセンター前にヒットを放ったものの後続が続けなかった。四番、麗先輩がぼてぼてのショートゴロに倒れ、初回に先取点とはならなかった。
グラウンドは攻守が切り替わり、一回の裏が始まる。
「しまっていこー!」
「オー!」
日菜子先輩の声に、守備についた千庄ナインはかけ声で答える。
『一回の裏。神戸海稜高校の攻撃は、一番、セカンド、太田さん』
相手の一番打者が右打席に入り、一塁側、相手のスタンドがにわかに騒がしくなる。太鼓の音と応援の声が重なる。球場の雰囲気が変わる。
「プレイ!」
千庄のエース、光先輩がマウンド上、バッターと正対する。一呼吸置いたあと、右足をマウンドに掛けるように一歩出す。
右足つま先を三塁側へ向けるように着地し、今度は左足が持ち上がる。腰の辺りまで上がると、その足を前に踏み出しながら、右腕を後ろへと持っていく。
左足が地面へ付き、上半身が一気に捻れられ、右腕が勢いよく振られる。
「ストライーク!」
球審の右腕が上がった。第一球は、外角いっぱいに決まった完璧なストレートだった。バッターは打つ気がなかったのか、ピクリとも動かなかった。
光先輩の調子は良さそうにみえる。けれど、悠然としたバッターの見逃し方がとても不気味だった。
二球目、緩くストライクゾーンに入っていくカーブを相手は振ってきた。
バットがボールを巻き込む。鋭い打球音が響く。手を精一杯伸ばしても届かない、私のはるか頭上を痛烈な打球が舞っていった。
「センター!」
センター前へライナー性の打球が、今にも芝生に落ちそうだった。センターのすみれ先輩は、前へグラブを突き出しながら突っ込む。
ボールは地面すれすれのところで、グラブへと収まった。
「ナイスプレー!」
「ナイスキャッチ!」
初っ端の大ファインプレーにベンチが湧いた。
二番が打席に入る。今度は左バッター、バットコントロールの巧い選手で、いかにもレフト方向に打つのが得意そうなタイプ。
私は守備位置を右に移動し、三遊間を詰めた。
三球目を、打者が外への変化球を上手く拾う。サードの横へとライナーが飛ぶ。陽子先輩は、ジャンプ一番、それをもぎ取った。
再びのファインプレーだった。
「ツーアウト!」
良い雰囲気だ。二つとも捉えられた打球だったけど、それを好守によって、ツーアウトランナー無しへ持っていけた。
最も警戒しなければならない次の打者を、この場面で迎えられるのは大きい。
『三番サード、上橋さん』
球場全体のムードが変わる。上橋さんが右打席に入り、天高くバットを掲げる。仰々しささえ感じるその構えは、どこに投げても打たれそうな、とてつもない威圧感があった。
勝負の結果は、フォアボールだった。振ってくれたら儲けもの、フォアボールとなってもOKというバッテリーの考えがあったように思う。
上橋さんはバットを置き、ゆっくりと一塁へと歩いていく。
二球目こそ外角の直球でストライクを取ったものの、それ以外はコースギリギリを突いたボール球だった。外角へのカーブ、高目に外したストレート、どの球にも上橋さんは一切の反応を見せなかった。
『四番ライト、西川さん』
体格の良い、がっしりとした体格の選手が右打席に立つ。
光先輩がキャッチャーのサインをじっと見て、セットポジションにつく。
体を打者に対して横に向けながら、右手をボールごと収めたグラブを、自身の体の前――ベルトの高さに構える。数秒ほど間を置いた後、くるっと反転し、一塁へ牽制を入れる。ランナーの上橋さんは余裕を持って帰塁する。
再び、光先輩がマウンドで構える。なかなか動かない。相手を焦らすように、時計の針だけを進める。
1、2、3、4秒、それぐらい静止した後、光先輩は動いた。
クイックモーション――投球動作を小さく、そして素早くすることで、ボールが本塁へ到達するまでの時間を短縮し、相手の盗塁を防ぐ投法。
足の上下運動を最小限にし、右腕の後方への引きはいつもより小さい。投球へかけた時間はいつもよりだいぶ短い。
盗塁への警戒は万全だった。けど、
「走った!!」
ランナーが長い髪を振り乱して、こちらへ走ってきた。光先輩の投げたストレートをバッターは見送った。
私は二塁ベースへと着く。日菜子先輩は捕球しながら身を捻り、二塁へ送球する。
上橋さんは、速かった。送球を受け取った私がタッチしようしたときには、すでに上橋さんの足はベースにたどり着いていた。
「セーフ!」
二塁審が両手を横に大きく伸ばす。上橋さんは立ち上がり、ユニフォームに着いた土を払う。
盗塁への意識は投手、捕手ともに最大限あったのにも関わらず、あっさりと二塁を陥れられた。それは私たちにとって不都合な、重大な事実だった。
これから先、上橋さんを安易に歩かせることができない。四球一つで簡単にランナー二塁のチャンスを作られてしまう。
「光、バッター集中でいこう!」
陽子先輩が、光先輩に声を掛ける。
そのときだった。私が光先輩にボールを返し、ポジションに戻ろうとしたとき、
「ねえ」
上橋さんは唐突に口を開いた。
「キミ、一年生なんだってね」
その口調のあまりのフランクさに、私は戸惑った。
上橋さんの大きくて澄み切った瞳に吸い込まれてしまいそうだった。顔のパーツ一つ一つがそれぞれに存在感を強烈に放ちながら、まったくケンカをしていない。すべての部分が奇跡的な調和を持ちながら、その美しい顔を構成している。
「んー」
上橋さんをじっと私の顔を見つめたまま、
「キミ、可愛いね」
と言った。ナンパしてくる男みたいな、軽い口調だった。
なんだ、この人。
上橋さんがようやくホームの方をむき直す。後ろ姿が自然と目に入る。全体的にやっぱりいい体をしているのだけど、その中でも特に下半身の豊かさが目に付く。
重厚感たっぷりの太ももとお尻は、はちきれんばかりにズボンへとぴったり張り付いている。きっと上橋さんの生み出すプレーは、土台として下半身がしっかりしているからこそ、あれほどのパワーに溢れているんだ。
仕切り直し、とりあえず自分の役割をこなす。帽子とか腕とかを触って、二塁牽制のサインを出す。
とりあえず様子見として一回牽制しておこうと思う。私のサインを確認し、光先輩がセットポジションに入る。
美羽先輩が素早くベースに入る。でも、それはダミーで、数秒後、私は動く。
私の動きを確認した日菜子先輩が、構えていたキャッチャーミットを下げる。今度はそれを見た光先輩がくるっと回転し、二塁へと牽制を入れる。
「セーフ」
牽制を受け取った私は間髪入れずにタッチをしにいったものの、上橋さんは余裕をもって帰塁しておりセーフとなった。
再びリードを取り始めた上橋さんが言った。
「三盗はしないよ」
「だとしたらありがたいけど……」
実際、彼女の言葉に嘘いつわりは無いようだった。リードがかなり小さく、三盗はまったく狙っていないように見える。これ以降は牽制のサインを出さないでおいた。
バッテリーと相手の四番、西川さんの勝負はかなり見応えがあった。
光先輩の投球がことごとく外角のギリギリをつく。しかし、相手もさるもので、光先輩の得意球、大きく落ちるスライダーをファウルでカットし、簡単には倒れてくれない。
五球目、バッテリーが選択したのはスライダー、これもバッターはしっかりついていってファウルとなる。
「キミんとこのエース、なかなかいいね」
上橋さんが言う。
六球目、ツーストライク、ツーボールのことだった。今まで外角を続けていた捕手が内角へと構え、光先輩は正確なコントロールでそこへ投じる。
バッターは待ってましたとばかりに強振し、強い打球が私の右へと飛んだ。
左腕を伸ばし、飛び込む。打球がグローブに収まり、左手に強い衝撃を受ける。ボールが強い力で手から離れようともがいた
「アウト!」
抜けてたら一点、ギリギリのプレイだった。
「ナイスキャッチ」
倒れた私に手を差し伸べたのは、上橋さんだった。手を取り、立ち上がる。
「ありがとう」
「いい勝負になるかもね。お互い頑張ろうね」
とても上から目線である。上橋さんは一塁側ダグアウトに戻っていった。一回は両チームとともにランナーを出したものの、無得点に終わった。




