其の陸
「おや、ハニさんも一緒でしたか」
診療室に入ってきた田中時三が、カズイのスクラブのポケットから顔を出すハニさんを見て笑顔になる。
波多野に助けられた休日から数日経つ。
長兄マコトとハニさんと共にデートをしたアヤノは、翌日以降、とても良い顔をするようになった。
元々明るく前向きな気性のアヤノだ。片想い中でもマコトからのメールなどでいちいち喜んでいたのだから、現物と丸1日一緒に過ごした効果は計り知れない大きさの幸せ数値を叩き出したんだろう。
生き生きと働き、嬉しそうにカズイに報告をするアヤノがカズイは眩しかった。
そんなカズイはと言うと、波多野から聞かされたミユキなる人物を思い出せずにいる。卒業アルバムが蔵のどこかに埋もれてしまったようで、探し出せずにいた。
モヤモヤとする胸の内を察したのか、休日以降、ハニさんはカズイにベッタリ張り付き離れる様子を見せない。チタカやマコト、千溪に直接手渡し預けてもいつの間にか、通勤用のリュックに潜り込んでいたのだった。
仕方が無いので、職場に連れてきたのだが…。
案の定、ハニさんはじっとしていられず、チカコや他のスタッフにもみくちゃにされていた。…ちなみに波多野は本日は公休日である。そこだけが救いである。
田中の言葉に、ハニさんはポケットから大きく手を振る。嬉しそうに目を細める様は、友達に会えた時のものだ。せり出してくる小さな体を指先でつついて、カズイは田中をユニットに座らせる。紙エプロンを田中の首にかけながら、先日渡した新しい入れ歯の様子を聞いたりしている間に、ハニさんは田中の膝に乗り移って、興味深そうに診療の一部始終を観察し始めていた。
田中の診療が終わったあとも、ハニさんはカズイの患者に対して愛想を振りまき、カズイのお手伝いをしているふうに装う。
定期検診に連れてこられた泣き叫ぶ子どもを、あやす様にポンポンとお腹を叩いてあげたり、歯科恐怖症気味の若い女性に自身の体を握らせてやりながら、「リラックス〜」とばかりに大欠伸をして見せたり。気難しい壮年男性に「笑って!」という無茶ぶりをした時は流石に肝が冷えた。だが、彼は呆れたように鼻で笑い飛ばしてみせる。少しだけホッとした。
本日の診療補助はチカコが付いていてくれたのだが、ハニさんの大真面目なアシスタントぶりに、ちょくちょくむせたり吹き出したりとしていて…彼女にも中々大変な1日を強いてしまっていた。
「武升さん…今日はごめんね」
診療時間後、いつも以上にぐったりとヨレているカズイを見上げ、チカコは無表情で首を振る。
「今日はとても楽しく仕事が出来ました。六本木先生、ハニさん、ありがとうございました」
律儀に頭を下げてから、チカコはクリニックの終業作業に向かう。その背中にハニさんがまた手を振って見送っていた。
帰宅すると、キチッと爪先を玄関に向けて揃えられた深紅のピンヒールが目に飛び込む。インソールに刻字されたChristian Louboutinという文字を苦戦しながら読む。…ルブタンを履くような人間は、この家では1人しかいない。それからいつも以上に数が多い靴にカズイは顔を上げた。
居間のガラス戸が引かれて姿を現したその人を見て、カズイは思わず笑顔になる。
「モモちゃん!おかえりなさい」
紺色のスキニージーンズに真っ白なシャツを合わせただけのラフなスタイル。真っ赤なルブタンが似合う出で立ちだ。
細い腰に、引きしまった脚、蜂のようにくびれたウエスト、前に突き出した主張の激しいバスト。そんな完璧な瓢箪型のスタイルに乗るのはチタカと瓜二つの美貌だ。
その顔がニコりと笑う。
「おかえり、カズイ」
切れ長の目の下にある小さなホクロが色っぽい。チタカと瓜二つの花のような顔を持っていても、そこだけは二人が違う人間なんだと、印のようにつけられている。
本堂の吉祥天が細心の注意を込めて、完璧なパーツを黄金比に則って並べたかのような顔は、見るものの視線を奪い、動作を一時的に止めてしまう強制力があった。
カズイとは違う、まっすぐに伸びる艶やかな美髪は無造作に束ねられている。それがまた似合うのだから流石としか言いようがない。実の姉ながら見惚れてしまうのは仕方がないだろう。
久しぶりに見た姉・モモセは相変わらず人外の美しさであった。
この前購入したスニーカーは、まだカズイの足にあっていない。脱ぐのに苦戦していると、姉のモモセの後ろからアヤノと、そして何故か波多野まで姿を見せた。
「おかえりなさい、カズイちゃん」
「お邪魔してまーす、センセイ」
「え…なんで」
予想外すぎる展開に全員の顔を見回す。モモセが髪をかきあげながら、くたびれたように顎をしゃくった。
「とりあえずご飯食べましょ」
念願のモモセに会えた波多野は、満面の笑みを浮かべている。その様子を横目に、カズイはモモセの正面に座ってサラダをつついていた。
「モモちゃん休暇取れたの?」
パスタをフォークに巻き取るモモセが微笑む。
「有給消化しろって言われてたから、まとめてとったの。2週間くらいはいるつもりよ」
警視庁のキャリア枠にいる事はわかっているものの、詳しい所属や部署等はモモセの口から一切説明がない。恐らく、公安部あたりではないか?とはチタカの推測だが結局は謎のままだ。
モモセの言葉に、アヤノがいち早く反応した。
「ならお出かけしようよ!久しぶりに一緒に買い物行きたい」
「あら、良いわね?」
「なら僕ともデートしてくれません?」
ちゃっかり会話に混ざる波多野がカズイに、お茶のおかわりを注ぎながら言う。モモセが目を細めた。
「パスタとても美味しいわ。波多野さん」
「わぁ、光栄ですー」
「でもデートはしません。コレを言うのは3回目ですけど」
「ありゃ」
「3回目…」
あっさり3回目も振られたが、波多野はヘラヘラと笑うだけだ。
食卓に並べられた海鮮パスタ、サラダ、スープは全て波多野が作ったという。自分のシフト休みで紅梅寺にやって来たものの、カズイは出勤日であることを失念しており、帰ろうかというところでアヤノと偶然会い、モモセが帰ってきたところに遭遇したと言う。
ちなみに六本木家の男達は、法事だの葬式だの檀家周りだので不在。長兄マコトは、創作の為にアトリエに籠ってるという…。モモセの突然の帰還も彼らは知らない状況だ。
「あの、波多野先生はなんで家に…?」
葉っぱをフォークに刺したまま、カズイが怪訝そうに横を見る。波多野はスープカップを持ったまま、あ。という顔をした。
「おっとそうでした。先生のお姉さんに会えた感動で忘れるところでした。…高校の卒業アルバムの捜索を手伝おうかと思いまして」
「えぇ…」
ミユキの事は相変わらず思い出せずにいる。頭を抱えていると、ハニさんの姿が目に入った。
食卓を巡回するようにウロウロと動き回るハニさんはは、海鮮パスタに興味があるようだ。波多野からアサリの剥き身を受け取ったところで、モモセにガッシリと掴まれたハニさんは、嫌がるように体をクネクネと動かす。
ハニさんを目の高さまで掴みあげたモモセは、珍妙なモノを見る目で眉を寄せた。
「カズイ、コレは何かしら。…食事中は電源切っておいて」
「…電源はないんだよね…」
カズイのモソモソとした声にモモセがこちらを向く。
「何で動くの?単一電池?」
「電池でもない、というか…。よく分からないんだけど」
「…」
カズイのあやふやな答えに、モモセが胡乱な顔をする。その表情ですら美しい。
「マコト兄ちゃんが言うには、神様なんですって」
アヤノがすかさずフォローを入れるも、モモセは目の高さまで持ち上げたハニさんを、冷めた眼差しで見つめた。
「兄さんが拾ってきたのね?」
「拾ったというかもらったっていうか…譲り受けたというか」
「ハニさんって言うの」
手中のハニさんを握り潰しそうな不穏さを醸すモモセに、アヤノが焦りながらカズイの言葉を補足する。
「可愛いですよね、ハニさん。職場でも少しずつ認知度上がってきて、六本木先生の診療が人気出てきてるんですよ」
波多野がヘラッと笑いながら言う。モモセの目つきが鋭くなった。
「コレをクリニックに持って行ってるの?」
「ハニさんだよ…モモちゃん」
「カズイ。子どもじゃないんだから、職場にオモチャはどうかと思うわよ?名前まで付けて」
「オモチャじゃないんだよ…」
「モモセ姉ちゃん?そんなに強く握らないであげて…」
アヤノがオロオロと手を上げ下げしているが、モモセは聞く耳を持たないようだった。
モモセの理詰めにカズイが勝てるはずもない。ハニさんはモモセに掴み上げられたまま、オロオロと不穏な食卓を見下ろしている。
ハニさんをモモセから救出する事は、このメンバーでは無理だ。願わくばモモセに握り潰されない事を必死に祈るカズイだったが、救世主は現れる。
スラッとガラスの引き戸を開けて入ってきたのは、作務衣姿にボサボサの頭をしたマコトだった。
「マコト兄ちゃん!!!」
アヤノのホッとした歓声にマコトが顔を上げる。
「うお!?モモセ!?…と、どちら、様…?」
眠たげな顔が、普段は居ないモモセの姿に大覚醒をする。そしてカズイの横に座る波多野を見て、マコトは一気に混乱した顔になった。
波多野が素早く立ち上がって、マコトに握手の手を差し出し自己紹介をする。勢いのままに波多野と握手を交わしたマコトは、モモセに掴まれたままのハニさんを目にし、慌ててその手から奪い返した。
「悪りぃ!怖かったよなぁ?痛かった??そうか。すまん!…ん?ああ、モモセも俺の妹だ」
「兄さん、誰と話してるの」
「ん?ハニさん」
「…」
モモセが綺麗に整えられた爪を額に当てながら目を閉じる。パソコンであるなら、再起動中かのようにモモセは動かなくなった。
そんなモモセを放置して、マコトは食卓に並ぶパスタを見て腹を摩る。モモセに詰められて食欲を無くしたカズイは、自分の皿をマコトの前に差し出した。アヤノがいそいそとキッチンに向かって、その他のサラダやスープを盛り付ける音が聞こえる。
「美味そうだな。これは…え、波多野先生が???」
ハニさんが来てからは、毎日のように展開されるマコトの独りお喋りも見慣れてきた。
しかし、本日は六本木家に客である(?)波多野がいる。(アヤノは身内認定なので客扱いではない)
ハニさんと勝手に話し出すマコトを、波多野が興味深く見つめている。
「マコトさん、それってハニさんが教えてるんですか?」
「ん?そうそう。ハニさんが…」
カズイは思うのだが、波多野という男は本当に物怖じしない。初対面のマコトに対しても、そしてその男が奇行に走っていてもなお、平らに接している。
色眼鏡を使って、人を見る事というをそもそもしない。胡散臭く見える面はとても大きいのだが、妙な信頼感が置ける人間であることは、この前の休日でよくよく理解できた。
恐らく、カズイが不在にしていた時でも、平らな気持ちで、強烈な美を放つモモセを口説いていたと思われる…。目の前で3回目も断られていたが。
波多野の好奇心にマコトが破顔する。
「波多野先生のこともハニさんから聞いてるぞ?遊んでくれたって言ってるけど」
マコトの言葉に、波多野が声を上げて笑う。
「いやぁ、だって六本木先生のスクラブから顔だして周り見てるの、すごく可愛かったんで」
「良かったなハニさん。先生に気にいられてるぞ。…ん?ミユキ?」
マコトが発したミユキという単語にカズイが顔を上げる。波多野がおや?という表情でハニさんもマコトを交互に見た。
「マコト兄ちゃん…ハニさんが言ってるの?ミユキって…」
カズイの表情にマコトが首を傾げた。
「ん…??ミユキって……」
口を開きかけたマコトを制するように、座卓がダン!と叩かれた。
案の定、再起動から戻ってきたモモセが下目に兄と珍妙なハニワを見ている…。
「…盛り上がってるところ申し訳ないのだけど。兄さん。ちゃんと説明してくれないかしら」
「説明って?」
「ソレ。何なのかしら」
ソレ。で指を指されたハニさんが恥ずかしそうに、マコトの手の中で顔を隠す。
「指を指すな。…だからハニさんはだなぁ」
この家でモモセに対抗出来るのは、祖父とマコトしかいない。チタカではすぐに喧嘩(死闘)になるし、カズイは最早戦力ですらない。叔父の千溪はすぐに泣く。アヤノは時と場合による…。
ハニさんと出会った経緯をモモセに改めて説明するそばで、波多野も話に聞き入っている。その説明には、カズイが患者の田中から聞いた別のハニワについての事も含まれていた。
食卓に降ろされたハニさんは、手を伸ばしてアヤノの元へ駆け寄って行った。そしてアヤノに優しく抱き上げられ、サラダのプチトマトをもらっている。
その様子を鋭く見つめていたモモセは、一通りの説明を聞き終えると大きくため息をついた。
「ではそのハニワの目的は」
「ハニさん」
「ハニワさんの」
「ハニ、さん」
「…。ハニさんの目的は、新興宗教とかではないのね?」
「なんでそうなるんだよ」
「ハニさんが神様の類いと言い出したのは兄さんよ」
アヤノがマコトの前にサラダやスープを並べる。
食べ始めたマコトは苦笑した。
「そういうんじゃないって。あのなモモ。公安部の所属だからってなんでも…フグッ」
マコトの言葉に、モモセが凄い勢いでその口を片手で掴み覆った。
(公安部…)
バッチリ聞こえた。横目でアヤノと波多野を見ると、モモセの形相に青ざめている。カズイは何も聞こえなかったかのように、慌ててサラダを口に押し込むとモモセと目が合った。
ニコニコ。とモモセは笑っていた。
「例え家族であっても、知られてはいけない物事というのは、この世に存在するのよ?カズイ」
「…なんのこと、モモちゃん」
思いっきり目が泳いでしまうのだが、モモセは表情を崩さなかった。
「聞こえてないならいいのよ?…願わくばそのまま忘れてね?」
「…大丈夫だよ。よく聞こえなかったし」
カズイの返答に満足気にモモセが頷き、口を掴んだままのマコトを真顔で見つめる。
「私の所属を話したのは、ハニさんなのね?」
思いっきり目を泳がせたマコトは首を傾げる。マコトから手を離すと、モモセはアヤノの手中のハニさんを再び掴みあげた。
「ねえハニさん?神様なら言っていいことと悪いことがあるわよね?」
モモセの迫力に、ハニさんは心做しかボディの色が脱色したようだ。モモセの手の中で必死に命乞いをするハニさんの姿が痛ましい。
「モモセ姉ちゃん、優しくしてあげて…?」
アヤノの懇願にモモセはため息をついて、アヤノの手に戻した。
「よくは分からないけど理解はしたわ。改めてよろしくね。ハニさん」
目が全く笑っていないモモセが、ハニさんに手を差し出す。恐る恐るモモセの綺麗に手入れのされた爪を触ったハニさんは、ペコペコと何度も頭を下げてマコトの手中へ戻って行った。
ガラスの引き戸が音もなく開けられる。
「ただいま。…モモセ、帰ってたのか」
檀家周りを終えたらしいチタカが姿を現した。黒い法衣姿でも、モモセとそっくりな美貌はそのままだ。
食卓で固まるカズイとアヤノの様子を見て首を傾げたチタカは、波多野を見て外向きの笑顔を見せる。
「お客様もきてたんですね。いらっしゃいませ」
モモセと同じ顔でも、とても柔和に愛想良く向けられた顔面に、波多野が「わあぁ」と口を開けている。が、サッと立ち上がってマコトにしたのと同じように握手からの自己紹介をすると、チタカの手を握ったままため息をついた。
「…六本木家って皆さん顔面偏差値、上限突破してますね」
「…?それはどうも…?」
柔和な笑顔のまま、チタカがカズイに助けを求める。カズイは小刻みに首を横に振る。助けを乞う相手が違う。アヤノを見ると「助けてやれ」と訴えていた。
「それで、波多野さんはどんなご用事で?」
妹の頼りなさに諦めたのか、六本木家の良心・チタカは極めて適切で、常識的な質問を波多野にする。問われた波多野はヘラッと笑って口を開いた。
「色々あるんですけど、最終的な用事と言うなら、僕はカズイさんの彼氏になりたくてココに来ました」
波多野の言葉に全員が顔を上げる。
「は?」
「…え?」
正面切って言われたチタカが固まった。カズイも思わぬ言葉に思考が停止する。
そんな2人を他所に、モモセは「そうでしょうね」と呟き、マコトは「マジ?」と放心している。アヤノはと言うと、喉の奥から「きゃあぁ…」と細い悲鳴をあげていた。ハニさんは、パチパチと拍手をしている…。
「あの、波多野さん?彼氏って…?」
顔を引き攣らせたチタカが、握手したままの波多野の手をググッと強く握る。六本木家においてカズイを一番可愛がって来たのはチタカだ。シスコン、とモモセによく陰で言われているレベルのシスコンだ。
正直に言って波多野の言葉は聞き捨てならない。
「チタカさん、痛いです」
ハハハと笑う波多野。その口調の軽さにチタカがなおも続けようとしたところで、その背後から大きな影が現れた。
「いよっしゃぁあああーーっ!!!!」
叔父、千溪のガッツポーズと雄叫びに今度は全員が固まる。
大喜びで乱入してきた千溪は、握手をしたままのチタカと波多野の手を上から両手で覆い、涙ぐみながら2人を見た。
「吉祥天様が私の願いを聞き届けてくださったわ!!」
葬式帰りの抹香臭い黄色い法衣のまま、カズイに駆け寄ってモヤシのようなひょろひょろの身体を抱きしめた。
「カズちん!あんたにも彼氏できるのね!」
「…え、いや」
「大丈夫よ、私がしっかり幸せになれる相手と!って注文までつけたんだから!安心してお付き合いなさい!!」
「あの、叔父さん…」
何度も言うが、カズイがこの世で勝てるものは何一つとしてない。
ふわふわのまとまりの悪い癖毛に頬擦りしながら涙ぐむ叔父を突き放すことも、ましてや罵る事などもできるわけが無い。
かくして、カズイを巻き込みながらも、六本木家の漆塗りの座卓が置かれる居間は、混沌としたカオス空間へと染まっていくのであった。




