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ハニさんといっしょ  作者: 御堂


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5/8

其の伍

休みの日は、早朝から本堂や境内の掃除を手伝うのが昔からの日課だった。とは言っても、朝四時起きのチタカがある程度は綺麗にしてくれているので、カズイがやることはほぼ残されてはいない。

春や秋の、桜や落ち葉が降り注ぐような時期を逸している夏前の今、カズイがやれる事はと言うと雑巾がけくらいだった。

黒光りする本堂の廊下を何往復もかけて行う雑巾がけは、子どもの頃は四兄妹で競うように毎日やってきていた。近頃はチタカがダスキン等でサッサと済ませてしまう事が多いらしい。これは流石に千溪が苦言を呈していたものの…

「ほら、こっちの方が綺麗」

と一蹴するところを目撃してしまった。

カズイとしては子どもの頃のように行う雑巾がけは嫌いでは無いので、久しぶりにそれをやってみる事にする。

腕をまくり、170の身長を屈めて廊下をズダダッと走る。一往復した段階でチタカがダスキンに頼った理由を知ることになり、カズイはバケツの傍で伸びる。

いつの間に来たのか、ハニさんがカズイの顔を覗き込んで首を傾げていた。

「…ハニさん、おはようございます…」

カズイが息も絶え絶えに言うと、ハニさんはペコっと律儀に頭を下げた。

途中で辞めるわけにも行かないので、カズイはハニさんを肩に乗せてゆっくりと雑巾がけを続ける。黙々と拭き清められていく後ろ側を眺めるハニさんは、ピカピカと朝日に照らされる廊下に向かって拍手をしていた。そしてカズイのうねる髪をポフポフと叩いて、何かを訴える。

「なに?」

振り返ると、ダスキンを手にしたチタカが、拭き掃除をするカズイを見てどう声をかけたものかという表情で立っていた。

「ちーちゃん、今からダスキンやる?」

「あ、いや…せっかくやってくれてるからな…。このまま続きを頼んでもいいか?朝食作るから」

本来なら、朝食作りまでがカズイの担当だ。それを代わってくれるというのだから、チタカは優しい。長い金髪を振り乱して喧嘩に明け暮れる前も後も、チタカは基本的に、カズイに対してはいつも目配り気配りで何かと面倒をみてくれていた。カズイは笑った。

「大丈夫だよ、ちーちゃんまだ お作務があるでしょ」

「ほとんど終わったんだよ」

そう言って苦笑いするチタカが、バケツにかけていた雑巾を手にする。ダスキンは壁に立てかけていた。

「一緒にやろう。二人でやれば早く済む」

「…ありがとう」

笑いかけるカズイに、チタカが微笑み返す。

絶世の美坊主のはにかんだような微笑みというのは、免疫のない人々に晒すと大変な事になるな、とカズイはこっそり思った。

「失礼な事を考えただろ」

「考えてないよ」

なぜすぐにバレるんだろう、と思いながらカズイは拭き掃除を再開する。バケツの傍で屈伸を始めたチタカがカズイを呼んだ。

「競走しよう」

「ええ…」

ほら早く!と笑う兄に誘われては断れない。

子どもの頃と同じように並んでクラウチングスタートの体勢をとると、チタカが一足先に走り出して行った。

「ちょ、ずっる!」

高笑いをするチタカを追いかけて、カズイは休日の朝活を汗だくで行う羽目になったのだった。




「馬鹿ねぇ、あんたたち」

千溪の呆れた声に、カズイはガッツポーズを返した。チタカは漆塗りの座卓に突っ伏している。

白熱した本堂の雑巾がけは、カズイの勝利に終わった。ただし、双方共に大変な痛手(息切れ等)を伴うことにはなった。

朝食は結局、千溪が作ってくれた。廊下をダスキンではなく手でちゃんと掃除をした事に免じて、という事らしい。トーストにハムエッグ、サラダ、ヨーグルトという洋食のラインナップである。祖父の千海は自室で納豆ご飯なので、顔も食事も合わせることはない。マコトはマコトで、やはり自室兼アトリエに籠って作業しているらしいので、三人でいただきますとなった。

「カズちん、今日のご予定は?」

トーストにたっぷりのバターを塗る千溪がカズイを見る。サラダをもそもそと食べるカズイは、肩に乗るハニさんにプチトマトを渡しているところだった。

驚く事に、千溪はハニさんを即座に受け入れた。

ハニワだもの。動くわよね。

と、あっさりと納得した。チタカとカズイが顔を見合せたが、ハニさんとハイタッチをして微笑む大顔の叔父を見ると、突っ込む気も失せた。

「スニーカー買いに行くくらい、かな」

「あら一人なの?アヤノちゃんと一緒じゃないのね」

アヤノはマコトとデートだ。夜中に来た興奮気味のLINEにしばらく付き合わされた。そんな事を告げると、千溪は嬉しそうに跳ねる。

「やっとそこまで来たのねぇ…長い片思いだったものねぇ」

男女交際とか結婚などに全く興味を持たない四兄妹なのだ。千溪が気を揉んでいたのは知っているだけに、カズイは小さく笑う。

「楽しい一日になるといいね」

「そうね。そしてあたしはまだ、あんた達の事も諦めてないからね」

「…う」

藪蛇だ。目を逸らすカズイとチタカを前に、千溪は微笑む。

「吉祥天様に毎日、毎日!心を込めて読経させてもらってますからね。良い出会いがあったら掴み取りにいきなさいね」

ね?

と念押しする千溪に、カズイとチタカは、小さく頷く事しか出来なかった。






「あの…本当にお構いなく…」

尻すぼみに断るカズイの言葉を無視して、目の前の女性は目を輝かせて首を振る。

「ダメです!私の気がおさまらないので、ぜひ、コーヒーでも!できたらランチでもいかが?」

「ねぇお兄ちゃん!いっしょにごはん食べよう?」

「いえ、その…」

買ったばかりのスニーカーの箱を抱え直しながら、カズイは途方に暮れる。

スニーカーを購入して店を出たところで、目の前に迷子の少年がいた。大声で泣きながら母親を呼ぶ声にカズイの心がチクリと痛む。

20年も昔に死に別れた両親のことを、カズイはほとんど覚えていない。なので父母がどういう人だったのか、どんな存在であったのかをカズイはほとんど知らない。

知らないから平気、という事ではなく。

もし彼らが生きていたら。自分に何かあった時…ああやって大声を上げて呼べば、駆け付けてくれるのか。自分にそれが許されるのか?という事を、カズイは考えてしまう。

別に両親でなくても、千溪や兄姉達が大騒ぎしながら助けてくれるだろう事はわかっている。それに、経験済だ。なので現在の奇妙な家庭環境について不満は無い。ちゃんと愛されて大事にされてきたのも理解している。

両親の事は、祖父の千海や千溪から何度となく聞かされた話はある。カズイが幼稚園で妖怪と言われて虐められていた事に心を痛めて…相手方の家に乗り込んで大喧嘩したという逸話だ。…主にそれだけだが。

そして、その血筋は明らかにチタカとモモセに色濃く受け継がれたんだな、と思うなどする。

心が少し痛むのは、死に物狂いでカズイの幼い心を守ってくれていたはずの両親の姿を思い出せない事だけなのだ。

「…もしもし?どうしたの…?」

不審がられないように、しゃがんで顔が見えやすいように髪を上げて、泣き叫ぶ少年を見る。

休日の大型ショッピングモールは、人でごった返していて人探しもままならない様子だ。

率直に自分はママとはぐれた、悲しい。と訴えた少年を放置できず、カズイはインフォメーションまで付き添うことにしたのだった。

その結果が冒頭である。

アナウンスを聞いて駆けつけた母親が、とても推しの強いタイプだった。カズイの苦手とするど真ん中の人種だ。必死に断るも、被せるように強引にランチだのコーヒーだのと誘われ、そこへ運の悪い事に、一緒に来ていたママ友親子達も合流してしまった。

「やだ、すごいイケメンじゃない」

「でしょ、ごはん一緒に食べたいと思って!」

「ええ、モデルさんじゃないの?」

「肌きれいねぇ?スキンケアとかするの?」

「お兄ちゃんごはん食べに行こ!ねぇ!」

「いや、あの…本当にそういうのは…」

詰みであった。

いつもなら、アヤノが居てくれるのでどうにかこうにか回避出来るのだが。カズイ一人ではどうにもならない。

見た目がスラッとしている中性的な美しい容姿。なのに、末っ子特有のぼんやり加減が滲み出てしまっているのだ。押しの強いママ友軍団に勝てるはずもない。

腹を括るしかないのかと諦めそうになった時であった。

「こーんな所にいた」

聞き覚えのある声がしたと思ったら、丸まった肩をガシッと抱かれる。

「ひっ…!?」

声の方を振り返ると、そこには色つきのサングラスをかけて派手なシャツを着こなす波多野がにこやかに笑って、カズイの顔に頬擦りをする。

「は、はた…」

皆まで言わせぬ、とばかりに波多野がママ友軍団に笑いかける。

「連れが迷子になってたのを保護していただいたようで…ありがとうございます」

あれほどカズイに押し強く出ていたママ友軍団が、波多野の登場で「わあぁ…」と口を開けている。

波多野はチャラさ全開で生きている男なのだが、それができるのも、何より見た目が整っているから成立してるのだ。

『パッと見イケメン』の二人の距離が非常に近い状況は、一部の界隈が大騒ぎする案件である。しかし実際に目の当たりにすると、一部の界隈でなくとも見惚れる程のインパクトと衝撃はあった。しかも、片方はまとまりの悪いくせ毛に頬擦りまでして、好意を表しているのである。迷子少年の顔もすごいことになっていた。

「久しぶりのデートなんで、…この子、返してもらってもいいですか?」

波多野のキラースマイルに、押し強迷子少年の母親が「はい…」と頷く。それを見て波多野は、さらににっこりと笑みを深めた。

「ありがとうございました。では」

カズイの肩を抱いたまま、波多野は悠然とインフォメーションの前からカズイを連れ出す。数歩歩いたところで、後ろから…そして左右から黄色い悲鳴が沸き起こった。

「はた、はた…」

顔と口が強ばるカズイを黙らせるように、波多野が囁く。

「六本木先生、このまま出ますよ」

思った以上の騒ぎになりつつある。スニーカーの箱を抱え直したカズイを見て、波多野はその荷物を自然に取り上げた。

「あ、いや、それは」

「いいから黙って着いてきて」

「はい…」

助けてもらった以上、従うしかない。というかどうしたらいいのかも分からない。早足で駐車場に向かった波多野はカズイを愛車に乗せて、ショッピングモールをら後にしたのだった。




「あの、波多野先生…ありがとうございました…」

波多野から返してもらったスニーカーの箱を抱いたまま、カズイは助手席で頭を下げる。波多野がヘラヘラと笑った。

「六本木先生、ああいうのホントに苦手なんですね?」

「…はぁ、まぁ…」

正直に言えば、怖かった。人の捌き方も上手くないので余計に恐怖しかない。

波多野のやり方は、かなりの誤解を周囲には与えたが、卒なく穏便に済ませられたのは流石だと思う。

「見直してくれました?俺の事」

「…」

チラッと横を見ると、波多野が横目にカズイを見ていた。

「六本木先生、俺の事ずっと警戒してましたもんね?ちょっとは名誉挽回できました?」

「なんと言うか、さすがだなと…」

カズイの返答に波多野は声を上げて笑った。

「やった。じゃあ助けたお礼に、これから俺と飯でも行きません?」

「…。はい、わかりました」

「嫌そうだなぁ」

「嫌というか、それでお礼になるんですか」

「どうしても違うお礼を。って言うならお姉さん紹介してくれても良いですけど」

「…あのぅ、それは本当にオススメしないんですけど…」

「なら、俺とデートで決まりですね」

「いま、ご飯って」

「飯もデートのうちでしょ」

マイペースな波多野に適うはずもない。

というかカズイに負けるものはおそらく存在しない。

ガクッと項垂れるカズイを乗せて、波多野は楽しそうに車を走らせる。

「ところでハニさんは?」

波多野を見るとカズイのリュックを見ていた。

「今日は兄と一緒に出かけてます」

少しだけつまらなさそうな顔をしている。それを見てカズイが少し笑うと、波多野が微笑んだ。

「笑うと可愛いんだから、もっと笑えばいいのに」

「はい?」

怪訝な顔をしたカズイを見て、波多野は歯を見せた。

「西片さんと話してる時の六本木先生って、俺と話してる時とは全く違う顔しますよね」

それはそうだろう。どう返事したものかと悩んでいると、波多野は続ける。

「俺としては、西片さん、いーなーって思ってますけど。俺もカズイちゃんって呼びたいですし」

「…」

「ドン引きですか」

楽しげに笑う波多野に、カズイがため息を返す。

「よく分からないんですけど、同僚との距離ってこういうもんじゃないです?」

「あ、そっか。西片さんとは幼なじみなんでしたっけ?」

小さく頷くと、波多野がうーんと唸る。

「この前の話なんですけどね。合わせたいヤツがいるってやつ」

そういえば、そんなに話をしていたのを思い出す。

御幸(ミユキ)って名前、覚えてません?」

「ミユキ?」

誰だろうか。覚えてないか、と訊ねられるということは、カズイも知っている人物ということになる。

「弁天町高校で一緒だったんですよ」

「高校で?」

カズイの高校時代は、部活動と通学中にもらうラブレターの記憶が多い。その中にミユキがいたのかどうかと聞かれれば、思い出せないと答えるしかない。

無言で頭を捻って記憶を絞り出すカズイを横目に、波多野がクククッと笑う。

「思い出したら教えてくださいね」

「はぁ…」

帰ったら卒業アルバムでも見るか。そんな事を思いながら、カズイは車窓を流れる街並みを眺める。

天気が良い。

カズイは散々な目にあったが、アヤノは…どうか楽しい一日にして欲しいと、心の中でこっそり祈っておいた。





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