騎士
十四の月の初め、一万の軍は帝国旗をはためかせながら帝都を出立した。コーダ率いる第一大隊は、軍列の後方から進んでいた。
「どうしてこんな後ろなんだ」
気に入らないコーダに、補佐を務めるクロードが、
「目的地のデレマードまでは一週間ほどかかります。途中の野営地の設営をする為、担当部隊が先方にいるだけです」
なるほど、と納得したコーダは、馬上で皮製の軽い武具を付けている。同じように隣で馬に乗るクロードはいつもの軍服姿である。周囲の騎兵や歩兵は皆重い甲冑を身に着けている。
これには理由があった。出立前にトルムに言われていた。
「殿下とクロードには、私とセアが術をかけておくので、飛んでくる矢は防ぎます。剣や槍も、一撃二撃までは大丈夫です。道中は馬の疲労を防ぐ為にも、軽装でいてください」
帝都を出る時は帝都民の目もあったので、新調したばかりの甲冑を身に着けていたが、帝都を出るなり重い甲冑を脱いだ。
身軽な格好での道中は非常に楽だった。これはトルムに礼を述べるべきだろう。そう思って、馬を二頭立ての箱型馬車の横につけた。
「トルム」
呼ぶと窓が開いて、いつもの緑のローブにフードを被り仮面を付けたトルムが顔を出した。トルムとセアは馬車での移動である。
「お前のおかげでだいぶ楽をさせてもらっている。ありがとう」
「それはようございました。私もセアも、馬車を用意していただて、楽をさせていただいております。ありがとうございます、殿下」
トルムはコーダに向けてよく笑うようになっていた。よくよく見れば、仮面を付けていない右半分のその顔がユリーナに少し似ていて、コーダは最近いつもどぎまぎする。
(ユリーナもトルムも同じ色の髪と目で、それに二人とも戦災孤児だと言っていたから、案外血縁関係かもしれない)
愛しい側室とは、出立する前日まで逢瀬を交わしていた。彼女はその低めの声で、
「お気をつけて」
「怪我をしないでください」
「寒い季節です。お風邪をひかれないように」
「無茶をしてはいけません」
「早く、お戻りくださいね」
甘い言葉を思い出すだけで、体が熱くなる。
(俺だって、早く帰りたい)
だが、今回の出兵は大規模であり、年を越す可能性が高かった。
「殿下、どうされました?」
トルムの顔を見ながらユリーナに思いを飛ばしてしまい、呆けてしまったコーダは、
「いや、何でもない」
慌てて馬を馬車から離した。
「何をされているんですか、殿下」
クロードの声が冷たい。
クロードはコーダとトルムが会話をするのが気に入らないようで、話をしていると必ず不機嫌になる。
「クロード、そろそろ訳を教えてくれないか」
「なんの訳ですか」
「お前が俺に怒っている理由だ」
「怒ってはいません」
「怒っているくせに」
「怒ってはいません。殿下に嫉妬しているだけです」
「嫉妬?」
クロードは馬車に視線を向け、
「殿下、この件は今夜ゆっくりお話ししましょう」
クロードの声は真剣だった。コーダはそれ以上何も聞かなかった。
先方隊が設置した野営地に着くと、皇太子に用意されていたのは広い天幕だった。護衛役としてクロードも同じ天幕である。
「隣は妖術師お二人の天幕です」
クロードに教えられ隣を見に行くと、天幕の中で荷物を整理しているトルムとセアがいた。
「入ってもいいか?」
「これは殿下」
入り口に出てきたセアに招かれ中に入ると、自分の天幕よりやや狭かった。
「二人だと狭くないか? 大丈夫か?」
気遣ってくれるコーダにトルムは、
「充分でございますよ、殿下」
「ならいいが、トルム、不自由があったら遠慮なく言ってくれ」
「はい」
「夕餉はもうすぐだ。よければ俺の天幕に来てくれ」
「お招きありがとうございます。せひともお伺いいたします」
そうして、トルムとセアがコーダの天幕を訪れると、中は移動用暖炉に火が入り温かく、地面に敷かれた絨毯の上に大皿料理がいくつも並んでいた。
「ずいぶん温かいですね」
嬉しそうなトルムに、
「トルムは寒いのが苦手だからよかったね」
とセアが言うと、クロードが、
「あとで二人の天幕にも暖炉を入れましょう」
素早く答えた。コーダも賛成する。
絨毯の上に腰を下ろしたセアが、
「地面の上に絨毯を敷いて、その上に直接座って食べるなんて、おもしろいですね」
不思議そうにしていると、トルムが、
「戦場ではこのようにして食事をするのですよ。椅子や机など、できるだけ荷物を持たないように。寝る時もこの上で休みます」
「なるほど」
実はコーダも不思議に思っていたが聞けずにいた。セアが聞いてくれて、コーダは内心助かった。この中ではコーダとセアは戦場未経験で、クロードとトルムは経験者なのだ。
食事は楽しく進み、コーダはここが戦地へ行く途中である事を忘れそうだった。食事が終わり、クロードがセアに何かを耳打ちした。セアが無言で頷く。するとクロードは、
「トルム、ちょっとよろしいですか」
トルムの手を取り、二人だけで天幕を出て行った。残されたコーダにセアが、
「殿下、実はお知らせしたい事があります」
声を潜めてきた。
「なんだ?」
セアに耳を寄せると、
「我が兄弟子とクロード様の事です」
「クロードと、トルムがどうかしたのか?」
「二人は、その、心を交わした仲なのです」
意味が分からず、コーダはセアの見つめた。
「どういう事だ?」
「その、あの、同性同士ですが、そういう関係です」
「どういう関係だ?」
「僕も、その、自分は経験がないので、詳しく話せません!」
セアは「殿下、失礼いたします」と、コーダの腕を取ると天幕を出た。外はすっかり日が暮れ、ところどころにかがり火が置かれている。セアは、隣の自分たちの天幕の後方に回り、天幕の裾をめくった。
「声は出さずに、こっそり覗いてください」
セアの言う通りに、黙って中を覗けば、ランプの灯りに照らされたクロードとトルムの姿があった。
「クロード、今は戦地へ赴く途中ですよ。何をされるつもりですか」
「つれない事を言わないでください。狼の妖術師様。ここ数日、あなたに触れていない。お側にいるのに触れられない苦しさは、あなたもわかるはずです」
「クロード、駄目です。いけません」
「お逃げになりますか? 私から、離れますか?」
「クロード………」
クロードの手がトルムの背に回り、そのままトルムを抱きしめた。トルムも口では駄目と言いつつ、クロードの背に己の手を回す。二人は抱き合っていた。
「………」
コーダは目を見開いて二人を凝視していた。目の前の光景が信じられなかった。やがて二人の顔を重なった。何をしているか、異性経験があるコーダにはわかった。
「クロード、これ以上はいけません」
「なぜ」
「なぜって、場所をわきまえてください」
「ここには誰もいませんよ」
「セアが戻ってくるかもしれません」
「セアは殿下とお菓子を食べると言っていました」
「本当ですか?」
(嘘だ! 菓子など食べていない!)
コーダは心の中で叫ぶ。二人の行為がこれ以上進んでしまったら、自分はどうしたらいいのだろうか。
「狼の妖術師様、少しだけ、あなたに触れさせてください。もしかするとこれが最後の夜かもしれません」
「最後?」
「戦場では誰がいつ死ぬかわかりません。私も例外ではありません。ああ、もちろんあなたは例外です」
「クロード、そんな事を言わないでください」
「なぜ?」
「そんな事を言われては、私は拒絶できません…」
「優しい妖術師様。どうぞお慈悲を」
クロードの手がローブの上からトルムの体をまさぐる。トルムは逃げなかった。クロードにしがみついている。
(これ以上は、駄目だ!)
コーダは天幕から離れ、どきどきする胸を押さえた。顔が火照る。体も熱い。寒い季節なのに熱い。セアが、
「殿下、大丈夫ですか」
「………」
コーダはセアの手を取って、自分の天幕に飛び込んだ。絨毯の上に座り込む。
「セ、セア、あれはどういう事だ」
「あ………ああいう仲だと言う事です」
「お前、知っていたのか?」
「同じ家に住んでいますからね。いやでも気づきますよ。トルムは僕が知っている事は知りませんが、クロード様はご存じです」
「クロードもトルムも、男だろ?」
「そういう趣味趣向の方もいるのです」
「そうなのか?」
「はい」
「お前自身は………」
「そのご質問には答えられません」
「どうして」
「僕自身、まだ分からないからです」
セアは手早くお茶を用意してコーダに手渡した。
「僕はまだ恋愛経験がないので、トルムがクロード様とああいう仲になった事とか、自分が同性をそういう対象として思えるか、まだ分かりません」
セアから受け取ったお茶を飲み、コーダは少し落ち着いた。
「ただ、トルムをクロード様に取られたような感じで、少し悲しくなりました。でもこれは、恋とかではなく、まるで姉に恋人が出来たような、悲しさです」
「姉?」
「トルムは子供たちからお母様として慕われています。父親ではなく、母親です。母性が強いのでしょうね。僕にとっては兄と言うより、姉です。トルムには言えませんが」
「母親で、姉か」
確かにトルムにはそういう雰囲気がある。中世的なのかもしれない。そこにクロードも惹かれたのかもしれない。
「さて、殿下。帝都から焼き菓子を持ってきています。いただかれますか?」
コーダはお茶の入った杯を絨毯の上に置き、
「いただこうか」
焼き菓子に手を出した。
夜半過ぎ、絨毯の上に敷いた毛布に包まれているとクロードが天幕に帰ってきた。コーダが起き上がると、
「殿下、まだ起きていらっしゃったのですか」
「お前が今夜話をすると言っていただろう」
「覚えておいでですか」
「当たり前だ」
「セアは?」
「そっちの奥で寝ている。隣の天幕に戻す訳に行かなかったからな」
「お気づかい、ありがとうございます」
クロードは絨毯に座ると、軍服の上着を脱いだ。軍服の下に着ていた肌着が乱れている。髪も汗ばんでおり、邪魔なのか手で前髪をかき上げた。
「………クロード、お前、いつからだ」
「ご覧になりましたか?」
「途中までな」
「話すより早いかと思いまして、セアに頼みました」
「驚きすぎて、心臓が止まるかと思ったぞ。いつからそんな趣味になったんだ」
「狼の妖術師様だけだ、私が本気になったのは」
クロードは酒瓶を取り出しあおった。
「狼の妖術師様と出会ったのは、昨年のパドアとの戦いの時だ。私はその時戦死する寸前だった」
「そう言えば、お前、何故あの戦いで不利な状況に陥ったんだ? お前ほどの男が」
「無位無官のくせに師団長補佐をしていて、師団長に妬まれ、わざと不利な状況に陥れられた。まあ、よくある事だったが、あの時はパドア側にもその知力で高名な敵将がいて、危うく死にかけた」
「そこを、トルムが助けたのか?」
クロードは酒をあおりながら、
「狼の灰色の毛を風になびかせ、岩山の上に立つその姿に見惚れた。炎を操り敵兵をなぎ倒し私たちを助けた方が、成人したばかりの妖術師と後で知って、どうにかお近づきになりたく色々画策したが、なかなか会う事も出来ず、今年になって帝都で偶然出会う事が出来た時、私はあの人に強く惹かれ恋している事に気づいた。そしたらもう、止まれなかった」
「さっきセアがトルムは母親のようだと話していたが、女っぽいからいいとかではないのか?」
「馬鹿な。あれほど男らしい方はいないぞ。コーダ、お前は今回の戦いで人が殺せるか?」
「わからない。正直、自信がない」
「そうだろう。私もそうだった。だがトルムは初陣だと言うのに狼の姿になって敵兵の喉元に食らいついて殺した。あれほど肝の据わった方はいない」
「そんな男をどうやって口説いた? そう簡単になびくとは思えない」
「半ば脅して」
「脅して?」
「ああ。あの手この手で追いこんで、なし崩しに体を攻めた」
クロードの新たな一面を見たコーダは、クロードから酒瓶をひったくり、あおった。
「子供が飲むな」
「飲まないで聞いていられるか」
「コーダも、恋する気持ちが分かるだろう?」
突然自分の事に触れられ、コーダは飲みかけの酒を吹き出した。
「今回の出征を決めたのも、ユリーナの為だろう? 違うか?」
「そうだ」
コーダは否定しない。
ユリーナの為に、一人前の男になりたかった。
「初陣の時期を躊躇っていたお前が自分で出征を言い出したから、侍従長も喜んでいたぞ」
「喜ぶのは侍従長とクロードだけだ」
「皇帝陛下もお喜びさ」
「まさか」
「その証拠に反対されなかっただろう? それに、お前の甲冑やお前の旗も、皇帝陛下の命で新しく用意された物だ。あと、第一大隊の兵は皆歴戦の猛者で揃えられている。お前には伝わりづらいかもしれないが、陛下はお前の事をちゃんと考えておられる」
コーダは酒瓶を抱えたまま、
「何となく、わかってはいた」
「本当か?」
「分からないはずないだろう。これだけ準備されれば、皇帝陛下が俺の初陣を待っていたのが分かるさ」
「なら結構」
クロードはコーダから酒瓶を取り返し、
「しかし皇帝陛下も、お前が女の為に出征を決めたと知ったら、驚くか呆れるか………」
「言うなよ!」
「言えるわけがないだろう。側室囲っているなんて」
クロードは既に空になっていた酒瓶を絨毯の上に転がし、
「だから、今の話は他言無用だ。セア」
急に声をかけられ、寝たふりをしていたセアは飛び起きた。
「は、はいっ」
「なんだ、セア、起きていたのか」
「申し訳ございません、殿下。眠りが浅いので、人の声が聞こえると起きてしまうのです」
「セアは子供たちの面倒を見ているから、子供たちが少し夜泣きしても起きるんだろうよ。私もそうだった」
「クロード様が?」
「ああ。私はこの殿下、コーダを育てたのさ。私は十歳の子供で、抱えるのも一苦労だった。夜泣きはひどいし、おねしょも多かったし」
「クロード、それをセアに言わなくてもいいだろう」
「子育て経験者でしか分かり合えない話がある」
「夜泣きも大変ですが、おねしょもきついですよね。洗濯物は増えるし。夜濡れた寝台を片づけるのはきつくて」
「そうそう」
「クロード!」
焦るコーダに、クロードとセアは笑う。
「ところでクロード、向こうの天幕には暖炉を入れて来たか?」
コーダの問いに、クロードは「無論」と簡潔に答えた。




