妖術師
ある夜、いつのものように会ってすぐ体を重ね一息ついた時、ユリーナが、
「コーダ、お風呂に入ってきてもいいですか」
と聞いてきた。
寝台の置かれた部屋のすぐ横に、洗面所と風呂場がある事は知っていたが、コーダが使った事はなかった。
「いつも帰るときに入るのですが、今夜は体が冷えてしまって」
室内はお湯が流れる配管が通ってあちこちから湯気を出し温かいが、ユリーナの手を取ると、確かに冷たい。
「いいぞ。温まってこい」
「ありがとうございます」
素肌に薄絹を巻いて寝台を降りるユリーナの背中と尻に目が行き、手を伸ばしかけてやめた。少しすると湯が流れる音が聞こえてきた。
ちょっとした好奇心で風呂場を覗くと、大人が数名入れそうなぐらい広い湯船につかっているユリーナの姿があった。湯煙の中で、なんとも幸せそうな顔をしている。
「風呂が好きなのか?」
声をかけると、ユリーナは薄絹で湯船の中の体を隠し、
「覗かないでください」
「散々寝台の上で見ているだろう」
「それとこれとは違います」
「どう違うんだ?」
「恥ずかしさが違います」
「………」
コーダは自分も風呂場に入り、湯船につかった。
「コーダっ」
「これならお互い様だろう」
「………はい」
しばし黙って湯船につかっていると、コーダもいつの間にか気持ちよさに体の力が抜けていた。
「この湯は、温泉か」
「ええ。宮殿内のお風呂場はいつもお湯が出る様になっていますが、ここは温泉です」
「ユリーナは温泉が好きなのか」
「はい。すごく好きです」
「そうか。俺は別段好きでも嫌いでもなかったが、こうしてゆっくり入ると気持ちがいいな」
「ええ」
嬉しそうにしているユリーナは、長い黒髪をまとめ上げ、白いうなじが見えていた。そのうなじに手を伸ばし、指先で撫でる。
「コーダ」
「お前の白い肌が赤く染まって綺麗だ」
「あまりじろじろ見ないでください」
「今さらだろう」
近寄り、体を抱き寄せた。そのまま自分の膝の上に抱き上げる。ユリーナの方が体が大きいので、いつもは出来ない事が、湯船の中なら簡単だった。
「コーダっ」
「ほら、俺がお前の椅子になってやるから」
ユリーナの体を横向きにして、子供のように抱くと、ユリーナはコーダの体に身を預けてきた。ユリーナの頭がコーダの肩に乗る。甘えたしぐさに、コーダの股間に熱が溜まる。
ユリーナはいつもコーダより年上という雰囲気を崩す事はなかった。実際、既に成人しているのだから仕方がないが、どれだけ股間の男で啼かせても、終われば何事もなかったようにふるまう。それが魅力だったが、
(可愛い)
今日のユリーナは可愛かった。年上の女性に可愛いとは失礼だとも思うが、可愛かった。
「………ユリーナっ」
顔を上げさせ、口を重ねた。手は体をまさぐる。
「ここでしたい。駄目か?」
訴えると、ユリーナは赤く染まった頬を手で覆い、恥ずかしそうに、
「私も、したいです」
コーダはユリーナの希望に答えるべく、ユリーナの体を抱きしめた。
風呂場で一戦をくり広げ寝台に戻ると、ユリーナは寝台に倒れ込み、
「少し寝かせてください」
と、寝てしまった。
抱き合ったせいで乱れ濡れてしまった髪を放置したままでは風邪をひいてしまうのではないかと、綿の布で黒髪を拭いてやる。顔を覗くと、目の下にくまが出来ていた。
(もしかして、疲れていたのか)
そう思うといつもと様子が違った事に理由がつく。
「無理をさせているのか」
出会って二月半ほど経つが、ほぼ連日ユリーナを求めていた。受け止める側はつらいかもしれない。
「いや、つらいだろう」
それなのに、一度も嫌とは言わないユリーナが愛しかった。
(そうだ、俺はユリーナが愛しい)
コーダにとって、触れ合える異性はユリーナが初めてだった。生母は妹にしか興味がないし、妹には自分が興味ないから会わない。乳母は幼すぎて記憶がないから意味がない。側にいる侍従は全て男であり、女の召使はいない。
そこに現れたユリーナに、コーダが恋をしないはずはなかった。
「ユリーナ」
極秘の側室は、素姓もはっきしりない謎めいた美女である。そして、自分が成人するまでと、期限付きである。
コーダはこの時生まれて初めて歳を取りたくないと思った。今までは、早く成人して出征し武勲を立て、名実ともに皇太子と認められ、いずれは皇帝位に就く事を目標としていた。
しかしそれは、ユリーナとの別れを意味している。
「ユリーナ」
ユリーナはコーダの気持ちには気づかず、静かに寝息をたてている。
(どうしたら長く一緒にいられるか)
ユリーナの出自はわからないが、貴族ではなさそうだ。高位の娘が嫁入り前に体を開くはずがない。そうするとユリーナを妃にする事は不可能だ。また、側室として一生囲う事もできない。
「まだ、時間はある」
今すぐどうなる問題でもないので、焦らず考える事にした。目の前にある問題から解決しなければならない。そう、ユリーナの体だ。
「少し、休ませよう」
(十日は無理だ。我慢できない)
「五日にするか?」
(いや、無理だ)
「三日…」
(三日なら、大丈夫だ)
コーダはユリーナに休暇を与える事にした。
たった三日でも会えないのはつらいが、ユリーナの体調が心配だった。
「少しぐらい、きついとか、つらいとか、言ってくれればいいのに」
風呂場でのようにもっと甘えてほしい。自分に出来る事なら何でもしてやりたかった。年上の女性に頼られる様になるには、どうしたらいいのだろう。
「今の俺に出来る事、か」
コーダは眠るユリーナの顔を撫でながら決意した。
朝方に目覚めたユリーナに、三日の休暇を伝えると、ユリーナは「私は大丈夫です」と嫌がったが、コーダは休むよう重々言い渡した。
ユリーナに会わない三日のうちに、コーダは宮殿を走り回った。まずは今度出兵する第三師団の師団長に会いに行き、自分も出征する事を告げた。侍従長から皇帝へも伝えてもらった。皇帝は十二歳で初陣を飾っているので反対はされなかった。
皇太子が一個大隊を率いて出征する事が帝都に公布されたのは、ユリーナと会う日だった。
待ちに待った三日後の夜、赤い扉を開けると腕を組んで険しい顔をしているユリーナが立っていた。
「ユリーナ、体はどうだ? 疲れはとれたか?」
扉を閉めると、
「コーダ、出征するとはどういう事ですか?」
ユリーナは怒っていた。
「どうして怒る?」
「あなたはまだ十三でしょう。まだ成人前です。戦場へ行くには早すぎます」
「俺は皇太子だ。皇帝陛下は皇太子時代の十二歳で戦場へ出て戦果を上げている。俺に出来ないはずはない」
「皇太子でも、戦場に出るには早すぎます」
「ユリーナ、なぜ反対するんだ。俺は戦場に出て、一人前の男になりたい」
「戦場に出たとしても、一人前の男になれるわけではありません」
「それでも、何もしないよりはいい。成人まで待っていては遅すぎる」
「しかし、十三で初陣なんて」
ユリーナは怒っているのではなく、自分を心配してくれているようだ。
コーダはユリーナを抱きしめた。
「ユリーナ、心配してくれるのは嬉しいが、心配より信頼してほしい」
「………けして、無茶はしないでください」
「ああ」
「危ないと思ったら引くのですよ」
「わかっている」
「戦場はあなたが想像している以上に厳しい場所です」
「ユリーナは、戦場を知っているのか」
コーダの問いにユリーナは躊躇いながら、
「私は、戦災孤児です」
コーダはユリーナにそれ以上言わせないよう、口を重ねた。ユリーナに、哀しい過去を思い出させたくなかった。
その夜は三日ぶりのせいか、ユリーナからも求めてくれた。コーダは腕の中のユリーナがただただ愛しかった。
出兵は年最後の月である十四の月に予定されていた。出兵二十日前に、第三師団の師団長のもと、旅団長五人、大隊長二十人とそれぞれの補佐が集まり、戦略会議が開かれた。第一大隊隊長として出席したコーダには、補佐にクロードが就いた。
「クロードが一緒だと心強い」
「初陣の戦死率は高い。充分気を付けてください」
「わかっている」
「しかし、私よりも心強い方が今回出征されますよ」
「え?」
意味はすぐわかった。
「諸君、此度は隣国パドアより、西のデレマード地区を取り戻すための出兵である。予想される敵兵の数は一万五千、こちらは一万。数では圧倒的に不利ではあるが、今回はこの方が参戦される事となった」
師団長直々の紹介で会議場に入ってきたのは、緑のローブにフードを深く被り、左側半分の仮面をつけた妖術師だった。
「皆様、妖術師トルムでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
トルムが頭を下げると、会議場に歓声が上がった。
「狼の妖術師様が参戦されるとは、これはもう勝ったも同然」
「敵兵も震えあがるでしょう」
「こちらは一万も必要ないのではないでしょうか」
「しかし、今回は妖術師様が参戦される予定はなかったはず。やはり皇太子殿下が出征されるからですか?」
旅団長の質問に、
「私が昨年初めてパドアとの戦いに出征して、もうすぐ一年経ちます。そろそろ、私の存在をパドアの方々に思い出していただこうと思いました」
トルムが口元に笑みを浮かべながらそう言うと、会議場は静まり返った。敵国にとって、トルムは恐怖の対象だ。
トルムはもう一度頭を下げると、師団長の横の椅子に腰を下ろした。
「では諸君、作戦を伝えよう」
師団長は中央の大きな卓に地図を広げた。
二計ほどかかった会議が終わり、会議場を出ると、茶色のローブを着た青年と立ち話をしているトルムの姿があった。何やら笑っている。意外だった。
「妖術師の隣にいるのは誰だ」
コーダが誰の事を指しているのかと、コーダの視線の先を見たクロードは、
「ああ、あの青年はトルムの弟弟子で、今回参戦予定の妖術師見習いです」
「見習いのくせに参戦するのか」
「まだ見習いですが、大妖術師エレク様の弟子であり、あの狼の妖術師様の弟弟子でもありますから、腕は立ちますよ。年明けには、妖術師になれるでしょう」
「まだ若いじゃないか。普通、妖術師と言うのは年寄りが多いぞ」
「エレク様は十三、トルムは十四で妖術師になられました。あの青年は来年十七になります。早すぎる訳ではないでしょう」
「年齢までよく知っているな」
「彼らは今、私の邸宅に住んでいます」
驚いて、クロードの顔をまじまじと見つめた。
「トルムが宮殿に上がるため帝都に移り住む事になった時、我が家を提供しました」
「どうして?」
「エレク様とトルムとセア、ああ、あの青年の事ですが、彼らは孤児たちを育てています。宮殿に近い大きな邸宅が必要でした」
「それで一緒に住んでいるのか?」
「孤児たちのお世話も手伝っています。子守はあなたで慣れていますから」
「………」
複雑な感情に、コーダは顔をしかめたコーダにクロードは、
「今度遊びにいらっしゃいませ」
「本気か?」
「はい」
どう返答するべきか悩んでいると、トルムとセアが近寄ってきた。
「クロード」
クロードを呼ぶトルムの声は柔らかい。しかし、
「これは、殿下。失礼いたしました」
コーダに気づいたとたん、声音が低くなる。
「殿下、先日はありがとうございました」
「もういいから、いちいち頭を下げるな」
「殿下、私の弟弟子を紹介させていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、かまわん」
「ありがとうございます。この者はセアを申します。歳は十六、来年成人です。セア、ご挨拶を」
茶褐色の髪と目の青年は、トルムよりも背が高い。それはつまり、コーダよりも大きいと言う事だ。
「妖術師エレク様の弟子、セアでございます」
頭を下げるセアは、背は高いがまだ顔が幼い雰囲気だった。この中では一番歳が近いせいか、親しみやすそうだった。
「クロードからさっき話を聞いた。来年には妖術師になれるようだな。今回はどの隊に入るのか?」
「此度の出征では、殿下の隊に配属されました。我が兄弟子も一緒です」
「俺の隊に妖術師が二人………」
旅団長の「皇太子が出征するからか」と言う推測は間違いなさそうだった。
「誰の命だ? モウトーリか?」
それにはトルムが、
「確かにモウトーリ様から、できれば出征してほしい………とお話がありましたが、先ほど私が皆様の前で申し上げた事に嘘はございません。セアはまだ見習いですので、私と同行するだけです」
トルムの顔を覗くと、青い目と視線があった。トルムは視線を外さず、まっすぐコーダを見つめてくる。
「妖術師が二人いては、俺が戦死する事は無さそうだな。二人とも、よろしく頼む」
トルムとセアは並んで同時に、
「御意」
不敵に笑う二人に、コーダはえも言われぬ恐ろしさを感じた。
そこへ、
「狼の妖術師様っ」
トルムを呼ぶ声が聞こえた。声の方を見れば、青のローブを着た三十代前半ぐらいの男が走り寄ってきた。
「これは殿下、失礼いたしました」
男はコーダに気づき、慌てて頭を下げる。
「よい。妖術師に用なのだろう」
「ソウトル殿、いかがなさいましたか」
トルムにソウトルと呼ばれた青いローブの男は、
「狼の妖術師様が此度の出兵に参戦されるとお聞きいたしました。本当でしょうか?」
「ええ」
「お願いです。同行をお許しください。いえ、私だけではなく、宮殿付き術者全員希望しております。お側で、狼の妖術師様の術を拝見したいのです」
コーダはこの青いローブが宮殿付きの術者が着用している物だと思い出した。宮殿付き術者は、妖術師のように四大精霊全てを操る事ができないが、火なら火、風なら風だけを操れる者である。この術者たちの、
(トルムは師範をしていると言っていたな)
そのトルムは、
「ソウトル殿、戦場は危険です」
ソウトルを止めようとするが、
「わかっております。ですが、けして足手まといにはなりません。お邪魔はいたしません。術者として、妖術師様の術を学びたいのです」
トルムは困った顔をしている。セアは聞かないふりをしている。クロードを見れば、なぜか不機嫌そうにしている。
「ソウトル殿、それほど望まれるのであれば、まずは侍従長様、それに軍司令様にご相談ください。そして此度の出兵を指揮される師団長様にも。皆様方がお許し下されれば、私も断る事はできません」
「わかりました。必ず許可を取ってまいります」
ソウトルは一礼して走り去ってしまった。
「無礼な男ですね」
クロードの声は冷ややかだ。
「いつも一番前で熱心に鍛錬されている方です。もう少し思考に柔軟性があれば、妖術師にもなれた方でしょう」
ソウトルを庇うトルムに、コーダが、
「帝国内で七人しかない妖術師に、あの男がなれたとは思えないが」
「私もそう思います」
クロードも同意する。コーダは続けて、
「狼の妖術師やセアは、何かわからんが怖さと言うか、凄みと言うか、雰囲気を感じるが、あの男にはそれがない」
コーダの洞察に、トルムはセアと顔を見合わせた。クロードはコーダの目の高さに、
「さすが、我が君」
「クロードにそう言われると気持ちが悪い」
「せっかくお褒めしたのに」
コーダとクロードの掛け合いに、トルムはくすくすと笑う。
「笑うな、狼の妖術師」
するとトルムは、
「あの、殿下。狼の妖術師ではなく、どうぞ名前でお呼びください」
「いや、それは、クロードが」
「クロードが?」
「トルムと呼ぶなと言うから」
「………クロード」
トルムがクロードを睨み付けると、
「それはですね、いくら殿下でも、帝国の英雄たる狼の妖術師様を呼び捨てにすると言うのはどうかと思いまして…殿下、なぜ、今、それをここで言いますかね」
クロードはコーダを睨む。
「だって、それは、セアっ」
コーダは困ってセアを見る。
「いや、僕に話をふられても」
セアはトルムに助けを求める。
視線が一周回ったところで、トルムがため息をついた。
「殿下は皇太子、私はただの妖術師。どうぞ名前で、トルムとお呼びください」
「わかった。いいか? クロード」
「………どうぞ、お好きなように」
「クロード、殿下を睨まないでください」
「殿下は僕に助けを求めないでください」
コーダは笑いあう三人をゆっくり見回した。
帝国騎士クロード、
妖術師見習いセア、
それに狼の妖術師トルム。
皇太子でありながら、なかば放置されてきた自分の初陣に加勢してくれる頼もしい彼らに囲まれ、コーダは、
(彼らの助力を無駄にはできない)
拳に知らず力が入る。するとトルムが、
「殿下」
「うん、なんだ」
「手を、よろしいですか」
「手?」
拳を握ったまま手を差し出すと、トルムはコーダの手を自身の手で包み、
「力を抜いてください。余計な力が入っていては、普段しない失敗もしてしまいます」
握っていた手を、指一本ずつほぐされる。
「トルム…」
トルムの手は温かかった。そして声音も優しかった。コーダはいつの間にかこの妖術師に、自分が心を開いている事に気づいた。なぜかトルムが側に居ると落ち着くのだ。こうして手を触れられても、それが当然のように思えた。
(不思議な男だ)
トルムの細い手が心地よく、そのままゆだねていると、
「手がこっているのなら、私が揉んで差し上げましょう、殿下」
クロードがトルムからコーダの手を奪う。
「別にこっていない」
「遠慮なさらないでください」
「いいからっ」
クロードの手を振り払う。
「クロードの堅い手で揉まれても…」
「トルムの手ならいいんですか」
「クロード、お前最近おかしいぞ。トルムの事になると、どうしてそう不機嫌なんだ」
「別に」
「お前、それが皇太子に対する態度か?」
「皇太子なら、もっとしっかりなさってください」
憤慨するコーダを止める為、
「殿下、先ほどの会議で先鋒を志願されましたね」
トルムが話を変えた。
「ああ。後方では戦況が分かりづらいし、手柄も立てにくいからな」
「私が、先陣を切ってもよろしいでしょうか」
トルムの発言にコーダを含む三人は驚く。しかし止められる者はいない。この場にいる誰よりもトルムは強いのだ。
「任せて、いいか」
「はい。ありがたき幸せでございます」
トルムは深く一礼し、
「殿下が見事初陣を飾りますよう、このトルム、力の限りを尽くします」
コーダには、トルムの深い海のような青色の目が光ったように見えた。




