側室
帝国は、大陸の東側から中央にかけて広大な土地を統治している。同盟国や属国の数も多く、貿易も盛んではあるが、隣国パドアと長い間戦争を繰り返しており、情勢に不安もあった。
皇太子は今年十三になる。名は公表されていない。皇帝へ即位するさい、新たに皇帝としての名を授けられる。それまで、皇太子時代はただ「皇太子」と呼ばれるだけだった。
その為、現皇太子の幼名がコーダと言う事を、知る者は限られている。
その日皇太子コーダは、遠戚の騎士が宮殿に来ていると聞き、自分の住む東の離宮から本宮へ向かっていた。
帝国人特有の茶褐色の髪と目だが、かなり赤みが強い。赤毛赤目と言っても間違いはない。背は低く、これは将来を期待するしかない。
コーダが宮殿内をうろつく事は多い。お付の侍従を振り払って一人で歩いてしまう。宮殿内とは言え危険が無い訳ではないが、コーダは構わず歩き回る。
黒の軍服を着た目当ての騎士を見つけ、コーダは走り寄った。
「クロード!」
騎士が振り返る。騎士はコーダの事を「皇太子」とか「殿下」とは呼ばない。それは、コーダが幼い頃、この騎士がコーダの面倒を見ていたからだ。歳は十しか違わないのに、コーダにとって騎士は親のような兄のような存在だった。
「コーダ、またこんな所まで来ていたのですか」
「クロードは宮殿が来ていると聞いて、会いに来た。今日はどうしたんだ?」
「本日はこの方に同行して参りました」
クロードの後ろに、緑色のローブを着た男が立っていた。フードの下の顔は、左半分仮面を付けている。この風貌には見覚えがあった。
「お前、狼の妖術師か!?」
昨年、敵国に対し大規模な勝利を治めた祝いの席で、その姿を見ていた。遠目だったので、間近で見るのは初めてだった。
「こら、コーダ。不躾です」
「クロード、どうしてこんな妖術師と一緒なんだ?」
「それはモウトーリ様に呼ばれたからです」
「モウトーリに? どうしてだ?」
「宮殿付き術者の師範として、狼の妖術師様をお招きになられたのです」
「師範? へえ」
コーダは妖術師の顔を下から覗きこみ、
「おい、その仮面を取れ」
「コーダ!」
コーダを咎めようとするクロードを、
「クロード様、大丈夫です。仮面を取れと言われればお取りいたしましょう」
妖術師は仮面を取り、フードも脱いだ。現れたのはひどい傷跡。火傷痕と思われる傷跡が、左側の頭から顔まで続いている。頭は左半分髪も生えていない。その有様に、コーダは、
「うわあ、ひどい顔だな」
正直な感想だった。妖術師は言われ慣れているのか、
「醜い姿をさらし、申し訳ございません。仮面を付けてもよろしいでしょか」
見ていて気持ちいい物ではないので、
「さっさと隠せ。気持ち悪い」
とたん、クロードに頭を小突かれた。
「いたっ」
「コーダ、帝国の英雄である妖術師様に対して、その態度はいけません」
「うるさい。せっかくクロードに会いにきたのにっ」
苛立ち、足をばたばた動かす。
「クロード様、この方は………」
フードと仮面を元に戻した妖術師の問いかけに、クロードは、
「トルム、秘密にしてください。この方は、帝国皇太子殿下でございます。私がお呼びした名前は幼名ですが、近い者しか知りません」
妖術師は青い目を大きく見開き、数瞬口をぱくぱく動かした。驚きに声が出ないようだ。
「以前お話したでしょう? 年下の親類の面倒を見ていた事があると。それがこの方です」
「それとか、なんだ。ったく、つまらん!」
コーダは元来た方角へ走り出した。去り際に見えた妖術師の表情が気に入らなかった。
最近何もかも気に障った。皇太子してやるべき事はやっている。日々勉学にいそしみ、剣や馬の鍛錬も欠かした事は無い。しかし、いくら体を動かしても落ち着かない。苛立つ。その事を知った侍従長モウトーリがコーダの元を訪れてきたのは、半年ほど前だった。
「殿下、異性に興味はおわりですか?」
単刀直入な言い様に、コーダは隠せなかった。そう、自分のこの苛立ちや落ち着きのなさは、年頃の男特有の物だった。
だいぶ前に、親類の騎士に自慰のやり方は教わったものの、それだけでは治まらない。
しかし、皇太子は側室を持ってはならないという定めはわかっているので、女に手を出す事はしなかった。我慢していた。
「私が、どうにか手を考えますので、ご辛抱ください」
モウトーリが何をどうするのかは分からなかったが、少なからず期待をしていた。でももう半年も経った。自分からモウトーリに「あの件はどうなっている?」などと聞く事はできない。コーダは日々悶々としていた。
先日、クロードが来ていると聞き、気晴らしになるかと思っていたが、クロードの傍らには気持ちの悪い傷を持つ妖術師がいた。あんな姿でよく生きていられるなと思う。自分だったら、悲観して自死を選択するかもしれない。それほどひどい傷だった。
「かわいそうな奴」
一人自室で思い出していると、侍従がモウトーリの来訪を告げた。
「通してくれ」
部屋に現れたモウトーリは、他の侍従に人払いを命じた。コーダは期待にそわそわしだす。
「今日はどうした、モウトーリ」
「以前、殿下にお話しした件でございますが、覚えておいでですか?」
「ああ、覚えている」
「準備が整いましたので、お知らせに参りました」
コーダは思わず椅子から立ち上がり、
「本当か?」
「はい。近日中にも、お目通り願います」
「俺はいつでもいいぞ」
それは「早くしろ」の意味である。モウトーリも分かっているので、
「明日の夜はいかがでしょうか」
「ああ、それでいい」
「では明日の夜、お迎えに参ります」
「ここへ来るのではないのか」
「人目に付かない場所を用意しておりますので、ご安心ください」
「そうか、わかった。任せる」
モウトーリは一礼して退出した。
コーダは部屋の中を歩き回りながら、
(どんな娘だろう)
髪の色や目の色は何だろう、背丈はどれくらいか、声はどんな声だろう、触れば柔らかいのだろうか、胸は大きいだろうかなどと、妄想すればするほど、歩く速さが速くなる。
「ああ、今日にしろと言えばよかった」
後悔するが、もうモウトーリはいない。
明日の夜までこの状態で待つのかと、コーダは頭を抱えた。
一日は長かった。
モウトーリの使いがコーダを迎えにきた時、既にコーダは少し疲れていた。耐え切れず、何回か自慰行為をしてしまったせいもある。
使いがコーダを案内したのは、モウトーリの住む北の離宮だった。離宮の入り口にモウトーリの姿があった。
「殿下、こちらへ」
そこからはモウトーリ一人で案内された。モウトーリの部屋の近くの小部屋の中に入ると、その奥に隠し扉があった。モウトーリの持つランプの光だけを頼りに、扉の奥の狭い廊下を進むと、赤い木の扉が見えた。
「どうぞお入りください」
「お前は」
「私はここで控えおります」
コーダは扉を引き開くと、絨毯の敷かれた部屋があった。机に長椅子が二つ見える。奥にもう一部屋あるようで、コーダは扉を閉めて中に進んだ。部屋の中にはいくつかランプが置かれて明るい。思った通り、奥に部屋がもう一つあった。ただし扉はなく、その奥の部屋に置かれている大きな寝台が目に入った。
そして、その寝台の横に、一人の女性が立っていた。
目を引いたのは、腰まで届く長い黒髪。そして青く大きな目。背はコーダより高い。年上だろう。胸は大きそうだ。淡い青の婦人用の長衣を身に着けている。
近寄って見れば肌は白く、その顔立ちはかなり美しい。濡れた唇が震えている。
「お前、名は?」
問えば、
「…ユリーナと申します、殿下」
声は低めで、聞き心地がよかった。
「俺はコーダだ。コーダと呼べ」
「承知いたしました、コーダ様」
「様はいらない。コーダでいい」
「はい、コーダ」
呼ばれて、コーダは嬉しくなった。自分の名前を呼ぶ女が今までいなかったからだ。
「ユリーナ、お前、帝国人か?」
「はい」
「どこに住んでいる?」
「帝都におります」
「ずっと帝都か?」
「いえ、以前は十一都におりました」
「ふーん。モウトーリの知り合いか?」
「はい」
「そうか」
コーダは寝台に飛び乗り、
「ユリーナ、お前も乗れ」
「…はい」
おずおずと寝台へ上がったユリーナは、上がったもののどうすればいいのか悩んでいる様子だった。
悩んでいるのはコーダも同じだった。
知識はあるが経験はない。どう触れていいのかわからない。
二人そろって、お互いを目の端で追いながら黙ってしまった。
やがて、ユリーナは寝台に手をつくと深く頭を下げ、
「不慣れなものですから、ご無礼があるかもしれません。申し訳ございません」
「い、いや、俺もその、経験がないから」
「殿下………いえ、コーダのお立場であれば当然の事。私はモウトーリ様より、コーダへ誠心誠意お仕えするよう命を受けております。どうぞお側に在る事をお許しください」
「そんな堅苦しい挨拶は必要ない。ここはお前と俺しかいないのだから。それにお前、モウトーリの命だと言うが、嫌ではないか? 大丈夫か? 女が好きでもない男に抱かれるのは本意ではなかろう。もしほかに好きな男がいるのであれば、遠慮するな」
ユリーナは顔を上げ、目を丸くしていた。
「そんな目で見るな。確かに俺は女を抱きたいが、嫌がる女を抱くほど性根は悪くないぞ」
本当は部屋に入るなりユリーナを押し倒したい衝動に駆られたが、ユリーナの儚げな雰囲気に、性欲が少し押さえられた。
(今なら手を出さずに帰す事もできる)
ユリーナを見れば、視線が揺れていた。
「モウトーリには俺から何とでも言える。処罰が下る事もない。安心しろ」
そう言うとユリーナな顔をほころばせ、
「コーダはお優しい方ですね」
「俺が?」
「ええ。あと、モウトーリ様のお話では、もう少し幼い雰囲気を想像しておりました」
「モウトーリやクロードの前では、子供だろうな」
「クロード、様?」
「ああ。俺の育ての親のような存在だ。俺が双子なのは知っているだろう?」
「はい。妹の皇女殿下がいらっしゃいますね」
「妹は生まれた時から体が弱く、皇帝である父も、皇妃である母も、妹に構いっきりで俺は放置されていた。俺は乳母の乳を飲み、そして遠戚であるエント家のクロードという騎士に育てられた。歳が十しか変わらないから、クロードは大変だったと思う。今でもクロードには頭が上がらないし、つい、甘えてしまう」
「そうでした………」
「先日、久しぶりに会えたのに、クロードの奴、妖術師を連れていて俺に構ってくれなかった。腹が立つっ」
「妖術師、ですか」
「そうだ。ユリーナは狼の妖術師知っているか? 昨年のパドアとの戦いで敵を薙ぎ払った英雄だ」
「お名前は存じております」
「あの男、頭と顔にひどい傷があってな、仮面とフードで隠していた」
「………そう、ですか」
「あんな傷があったら、女もいないだろう。かわいそうな奴だ」
「そうですね」
「なんだ? ユリーナは妖術師の話は嫌いか?」
「寝台の上でするお話ではないと思います」
言われて、コーダは我に返った。
「そうだな。ユリーナの言う通りだ」
コーダは意を決してユリーナに手を伸ばし、その手を取り胸に抱き寄せると、コーダの鼻孔をいい香りがくすぐった。
「この香りはなんだ?」
「香りの種類はわかりませんが、香を焚き染めた服を着ております」
「そうか。ユリーナにあったいい香りだ」
ユリーナの頭に顔を付けると、柔らかい黒髪が心地いい。抱いた肩の細さと、密着した体の温かさに、コーダの熱は一気に上がった。
「ユリーナ、いいか?」
ユリーナはコーダの胸元に顔を埋めたまま頷いた。コーダはユリーナの顎を掴むと顔を上げさせた。閉じた瞼に、長い睫、鼻筋はすっと通り、唇はほのかに赤い。その唇にそっと口づけると、ユリーナの体が震えた。コーダは初めてする口づけの心地よさに酔いそうだった。何度も繰り返すと、ユリーナの息が乱れ始めた。もっとユリーナを感じる為にユリーナの長衣を脱がせようとするが、脱がせ方が分からない。
「コーダ、ここを引いてください」
ユリーナの手に導かれ、ユリーナの胸元にある絹の紐を引くと、ユリーナの長衣がするりと脱げ落ち、ユリーナの裸身が現れた。細身でありながら、肉付きはよく胸も大きい。コーダはもたつく手でユリーナの体に触れた。
その後は、勢いだった。
かなり時間が経っていたはずなのに、部屋を出るとモウトーリが立っていた。
「物事はつつがなくおすみでしょうか」
「ああ」
「それはよかった」
「モウトーリ、彼女にはこれからも会えるのだろうか」
「あの者には、殿下が成人されるまでお仕えするよう、命じております」
「そうか」
コーダが成人するまではあと四年ある。あと四年、ユリーナと会えると思うと、コーダは胸が高まった。
ユリーナとの交わりは、コーダにとって驚きと喜びであった。女いう存在がこれほど素晴らしいと思った事はなかった。
「彼女は俺に充分よく仕えてくれた。報酬をはずんでやってほしい」
「承知いたしました」
「モウトーリ」
「はい、殿下」
「明日も、いいだろうか」
モウトーリは一礼し、
「かしこまりました」
コーダは閉めた扉の向こうにまだ居るユリーナを思い、その場を離れた。
以来、コーダは二日と空けずユリーナの元に通った。ユリーナは一度も抵抗するそぶりは見せず、一晩に何度求めても答えてくれた。コーダはユリーナにのめり込んだ。そうして日は過ぎ、ある夜秘密の部屋を出たコーダは、寒さに気づいた。
「そうか、冬か」
帝国の一年はひと月二十六日が十四か月と、新年の日一日を足して三百六十五日である。今は十一の月の月末であり、帝国は冬の季節を迎えていた。深夜の白大理石造りの宮殿は冷えていた。
(明日は毛皮を着て来よう)
夜着の羽織を着直し、モウトーリの配下の侍従と自室へ戻る途中、
(ユリーナは寒くないだろうか)
いつも先に部屋を出るので、ユリーナがどのように帰宅しているのかわからないが、今日の昼間は日が出ていて温かった。もしかすると薄着で来ていたかもしれない。
コーダはランプを持ち侍従を置いて走り自室へ戻ると、自分の毛皮の外套を手に取り、すぐさま秘密の部屋へ戻った。しかしそこにはもう誰もいなかった。乱れた寝台はきれいに整えられ、ランプの火も消えている。誰もいない寒々とした部屋を出て、宮殿の出口へ向かうと人影が見えた。一瞬ユリーナかと思ったが違った。緑色のローブを着ている。
緑色のローブは、皇帝が認めた妖術師のみが着る事が許された物である。現在帝国内でこの緑色のローブを着ているのは七人。そのうちの一人とは面識があった。仮面を付けたその男は、寒そうにランプを持った手をさすっている。
「おい、妖術師」
声をかけると、妖術師はあきらかに動揺した様子で振り返った。
「こんな時間にこんな所で何をしている」
「モウトーリ様に呼ばれて来ておりました。帰るところでございます」
そう言いながら頭を下げ、出口へ向かおうとする妖術師を、
「おい、待て」
と、腕を掴んで捕まえれば、妖術師はまるで狼に捕まったウサギのごとく固まってしまった。
(もしかして、この前の事を気にしているのだろうか)
コーダは悪い事をしたと思っていた。親とも兄とも慕うクロードを取られたような気がして、妖術師の傷跡を嘲ったのは皇太子としてあってはいけない事だと反省していたのだ。
「妖術師、名前は何というのか」
「トルムでございます、殿下」
「トルム、先だっては無礼な事を言った。申し訳ない」
妖術師は顔を上げ、青い目でコーダを見つめた。
「いえ、殿下、大丈夫です。言われ慣れておりますから」
「だからといって、いい事ではない。すまなかった。許してほしい」
「殿下………」
「そう言えば、トルムはクロードの知り合いなのか? 仲がよさそうだったが」
「帝都へ居を移すさい、色々お世話になりました。元々は昨年の戦場で、クロードが上官でございました」
「そうだったのか」
コーダは自分よりやや背の高い妖術師を見上げ、フードの中の髪が黒い事に気づいた。
黒髪に青い目。
自分が探しているユリーナと同じ色である。
(もしかして、出身が同じなのだろうか)
ユリーナ個人の情報を、コーダは知らなかった。初めての夜、以前は十一都に住んでいた事を聞いたが、あきらかに異国の血が入っている風貌である。出身はどこなのか、家族はいるのか、どうしてコーダの相手を務める事になったのか、ユリーナは聞いても答えない。
(会ってもすぐ抱いてしまうから、そう深く追求もできないし)
「トルム、お前の出身はどこだ? その青い目と黒髪は、どこの国の色だ?」
「国境近くの小さい村の生まれのようですが、私は戦争孤児の為、両親の出身地が分からないのです。お答えできず申し訳ございません」
トルムの返答に、コーダは焦った。
「すまない、悪い事を聞いた」
「いえ」
トルムは一礼し、
「それでは私は失礼いたします」
「ああ」
寒い中外へ向かうトルムに、
「おい、待て」
呼び止め、持っていた外套を差し出した。
「着ていけ。外はもっと寒い」
「殿下」
「いいから」
なかなか受け取らないトルムに、無理やり渡す。
「ほら、早く着ろ」
「…はい」
トルムはローブの上から外套を羽織った。
「温かいです」
フードで隠れて表情は見えなかったが、声は嬉しそうだった。
「返さなくていいから、お前が使え。この前の侘びだ」
何か言いたげなトルムに背を向け、自室へ向かって歩き出す。しばらく歩いて少し振り返ると、外套を羽織ったトルムはまだコーダの方を見ていた。コーダは早足でその場を立ち去った。
数日後、珍しくクロードが訪ねて来た。相変わらず黒の軍服姿であり、宮殿内でも帯刀を許されている。
「クロードが俺の部屋に来るなんて、いつ以来だろう。騎士として戦場に行くようになってから、忙しいと言っていただろう?」
「軍は休職中だ。今は侍従長に頼まれた仕事をしている」
誰もいないと、クロードの口調は遠慮がない。
「それで、今日はどうした」
「先日、狼の妖術師様とお会いしただろう?」
「トルムか? ああ、会った」
「高価な毛皮の外套をいただいてしまったと、戸惑っておられる。どうしてあんな物を差し上げたんだ?」
クロードは人当たりのいい、一見誠実で優しい騎士に見える男だが、実は感情の起伏が激しい事をコーダは知っていた。笑顔の下で何を考えているか分かる者は少ない。コーダはその少ない者の一人だった。
「クロード、どうして怒っているんだ?」
「怒ってはいないぞ」
「怒っているだろう」
「怒っていない」
「俺はクロードが怒るような事はしていない。あの毛皮は、以前無礼をした事に対しての侘びだ」
「他に意図はないな」
「当たり前だろう。どんな意図があるんだ?」
クロードは納得していない顔をしていたが、
「わかった。ところでコーダ」
「なんだ」
「あの方をトルムと呼ぶな。狼の妖術師様と呼びなさい」
「どうして」
「理由は聞くな。とにかく、名前を呼ぶな」
「あいつが名乗ったんだから、別にいいだろう」
「あの方が許しても、私が許さん」
「どうして!?」
「理由は聞くな」
コーダはふてくされ、
「クロードは、他の奴には優しい騎士様で通しているけれど、性格悪いよな」
「コーダもな」
「俺をこんな風に育てたのは誰だよ」
「私だ」
互いに顔を見合わせ、笑ってしまう。
「まあいいや。クロードがそう言うなら、あいつの事は狼の妖術師と呼べばいいだろう」
「ああ」
「わかった、わかった。どうせそう会う事もない」
「トルムと会った時、どうして外套を持っていたんだ?」
「それは」
コーダはユリーナの事を話した。モウトーリが連れてきた娘で、自分の相手をしている事と、あの夜、ユリーナに渡すつもりで外套を持っていた事を説明すると、
「ほう」
クロードは無表情でそれだけ呟いた。
「クロード、ユリーナの事は秘密だぞ。絶対誰にも話すな」
「話せるわけがないだろう。帝国の皇帝と皇太子は側室を持ってはいけない決まり事になっている。外戚が力を持たないようにだ。ばれては大問題。コーダもうかつに話したりしないように。それに、その秘密の部屋以外でその娘に会おうとするな。どこから話が漏れるかわからん」
クロードの言う事はもっともだった。
「そうだな、わかった」
素直に納得するコーダにクロードは、
「今夜も会うのか、その娘と」
「ああ。ここのところ毎日通っている」
「ほどほどにしとけよ。若いうちに女にはまると面倒だ」
「わかってるから」
剣の鍛錬の時刻になり、部屋を出ていくコーダを見送りながら、クロードが、
「よかったな、コーダ。外套はちゃんとユリーナが受け取ったぞ」
暗い目でそう呟いた事をコーダは知らなかった。




