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狼の妖術師と赤毛の皇太子  作者: 佐々木野楓
狼の妖術師トルム
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帝都へ

自室で目が覚めた時、窓から入っている光はだいぶ明るかった。

「寝過ごしたっ」

慌てて飛び起きる。

昨夜、あの後クロードに自室まで送ってもらい、一人寝台にはいったとたんトルムは眠り落ちた。寝不足と疲れがたまっていたせいだ。

たっぷり寝たからか、それともクロードとの距離が縮まったからか、起きてみると頭がすっきりとしている。体も軽い。

急いで着替えた。仮面とローブは身に着けない。中庭から声がしている。外へ出ると、

「トルム、おはよう」

セアが洗濯物を干していた。

「ごめんなさい、セア。寝過ごしました」

「帝都へ行って疲れているのに昨日は家の事をしてくれたから、今日は僕たちがしようって、起こさなかったんだ」

「僕たち?」

「私ですよ」

干されて風で揺れている寝台用の敷布の裏側から、ひょいと顔を出したのはクロードだった。軍服に帯刀はいつものままだが、手に持っているのは赤子のおしめである。

「クロード!」

「昨日あなたと一通りしたので、要領はわかっていますから、トルムは休んでいてください」

「ですが」

「帝都へ移れば、私も子供たちと暮らすのです。今のうちにやり慣れておきましょう」

「トルム、クロード様からお聞きしたけれども、僕たちクロード様の邸宅に住む事になったんだね」

「私の邸宅は、成人後に私が建てた物なので、他には誰もいませんから、気兼ねなく生活できますよ」

「クロード様、子供たちのお世話も上手で、本当に助かります」

「そう言われると嬉しいですね」

二人が仲好さそうで、トルムは安堵した。クロードのセアに対する敵愾心が無くなったように見えた。

「クロード様は、まだご結婚をされていないのですか?」

セアの質問に、

「はい。まだ独り身です。思う相手はおりますが」

クロードの目が自分に向けられ、トルムは、

「洗濯物はこれだけですか?」

セアから洗濯籠を取り上げ、クロードの目から逃れた。

(どうしたのでしょうか、私は)

以前はただ嫌だったのに、今日はクロードに見つめられると胸がざわつく。

(これは困る)

子供たちやセアの前でおかしな行動はしたくはない。

「そうだ。トルム、さっき近所のヤウさんが馬車で通りかかって、城壁の近くまでエレク様が帰ってきているって教えてくれたよ。馬車に乗りませんか?って声かけたのに、歩いて帰りますからってさ」

「師匠らしいですね。そうなると、あと半計ほどでお着きになるでしょう」

「昼食の準備はしてあるよ」

「ありがとう、セア」

トルムは洗濯籠を抱きしめ、ほっと息を吐いた。師匠に会えると思うと気分が落ち着く。

「子供たちも喜ぶでしょう。二十日ぶりですからね」

「子供たちよりも、トルムが嬉しいでしょう?」

「それはセアもでしょう?」

二人で笑い合っているとクロードが、

「エレク様は皆様に慕われているのですね」

「ええ、私たちを育ててくださった親であり、術の師匠でもありますから」

「僕もトルムも、子供たちも、エレク様がいてくださらなかったら、生きていないよね」

「そうですか。私もお会いできるのが楽しみです」

それから間もなく、門を開閉する音がした。

「お帰りなさいませ、エレク様」

トルムとセアは、玄関の前で師匠を出迎えた。

「ただいま戻りました、二人とも」

モウトーリと同世代である、五十を超えた大妖術師エレクは、緑色のローブを脱いだ。

現れたのは見事な金色の髪。長いそれを一つにまとめ、背に流している。目は青い。トルムは師匠と同じ目の色である事を、ひそかに喜んでいた。

そしてその顔立ちは、さぞ若い頃はもてはやされたであろうと推測できる、端麗な容貌である。トルムと違って傷一つない。歳を重ねて、さらに魅力が増したと言う者もいる。

背も高く、トルムよりも頭一つ分以上高い。

「エレク様、こちらはエント家のクロード様です」

トルムのすぐ後ろに立っていた騎士は、地面に片膝をつき、

「帝国騎士、エント家のクロードと申します。先日までは第二師団に属しておりました。ご高名な大妖術師エレク様に拝謁でき、光栄でございます」

「クロード様、ようこそ我が屋へ。此度のご用件は何でしょうか」

「侍従長モウトーリ様より、書状をお届けにあがりました」

「そうでしたか。お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。どうぞお立ちください。お話は中で伺いましょう」

エレクは家に入るなり子供たちの急襲を受け、笑顔で子供たちを受け止めた。子供たちから解放され、居間の長椅子に腰を下ろしたのは帰宅してから半計後だった。

「子供たちも元気そうでよかった。トルム、セア、いつも二人には面倒をかけます。ありがとう。二人が居てくれるので、私は安心して出かけられます」

エレクにそう言われると、照れくさいトルムとセアである。

セアがお茶の用意の為に居間を出ていくと、

「クロード様、モウトーリ様からの書状をいただきましょう」

クロードは一通の封書を取り出した。封蝋されており、その蝋にはモウトーリの印章が印璽されている。

エレクは受け取り開封すると、一読して、

「トルム、モウトーリ様からお話を伺っていますか?」

「はい。先日………」

帝都で会った事を伝えると、

「この書状には、トルムが宮殿付き術者の師範として宮殿にあがるよう書かれていますが、トルム、モウトーリ様からのお話は、これだけでしたか?」

トルムは口を開きかけ、言えず、ただ首を振った。

それだけで全てを察したエレクは、

「以前から、モウトーリ様からお話がありました」

「モウトーリ様は、エレク様が反対されていると仰っていました」

「当たり前です。しかしこうなっては、お断りできません」

「わかっています」

「あなたにはつらい事です」

「わかっています」

「帝国の外へ逃げる事もできます」

思いがけないエレクの言葉に、トルムよりもクロードが驚いた。

「エレク様、何を仰っているのですか」

「エレク様、お師匠様、私はこの国を離れるつもりはありません」

エレクは二人に対し眉間に皺を寄せ、

「しかしこのままでは」

「帝国の高官である侍従長様の命に背き国を出ては、トルムは二度と帝国の地を踏む事はできません。エレク様、よくお考えください」

身を乗り出すクロードに、

「クロード様、あなたは此度の事をご存じのようですね」

「はい」

「それでも、トルムに帝都へ行けと申しますか?」

「はい」

「私はトルムの師であり親です。親が子に、身を売れとは言いません。けして言えません」

「理不尽で、無慈悲な命令です。しかし、トルムが帝国で生きる以上、逆らえません」

エレクは目を伏せ、

「トルム、本当にいいのですね」

「はい。お師匠様」

トルムははっきりと答え、エレクの足元に膝をついた。エレクが手を差し伸べる。その手にトルムが手を重ねると、さらにその上からエレクの手が重なった。

「トルム。耐え切れなったらいつでも逃げなさい。後の事は考えなくていい。私がいます」

「お師匠様」

「クロード様。私や子供たちも含めて、あなた様の邸宅へ居を移すようにと、モウトーリ様からの指示でございます」

「はい。すでにお迎えする為の支度は始めております」

「お世話になります。よろしくお願いいたします」

エレクが頭を下げると、クロードはそれよりも深く頭を下げた。

「では、トルム。とりあえずは皆で昼食をとりましょうか」

エレクに手に頭を撫でられ、トルムは頷いた。

 


転居の準備は早かった。クロードが手配した業者が、荷造りと運搬をあっという間に終えて、大型の箱型馬車三台に乗車し皆で帝都へ向かったのは、エレクが書状を受け取ってから十日後だった。

「十一都の家はそのままにしておくの?」

セアの疑問に、茶色のローブと仮面をつけたトルムは、

「私のお役目が終われば、戻れるでしょうから」

「でも、いつまでかは分からないよね」

「………そうですね」

セアには答えなかったが、

(皇太子殿下が成人されるまで四年。私の役目は殿下が成人されるまで。四年後には戻れる)

トルムが極秘の側室となる事を了承できたのは、期間がはっきりわかっていたからだろう。これが無期限であれば絶対無理だった。

「エレク様は先に帝都へ行かれて、モウトーリ様へお会いするって?」

「ええ。お二人はもとより旧知の間柄ですし」

「僕も何度かお会いしたことがあるけれど、お優しい方だった」

(私もそう思っていましたが)

だからこそあの日訪ねてしまったのだが、やはり帝国の高官である。優しいだけでは務まらないのであろう。

馬車が連なって帝都の大門をくぐり、向かったのは宮殿近くの大きな邸宅だった。門も大きく、邸宅をぐるっと囲う鉄柵は高さがある。門番は兵士のようで槍を持っていた。

「すごい」

セアの呟きにトルムも同意する。

馬車はそのまま敷地へ入ると、馬車ごと中庭の方に案内された。到着した目の前には、別棟の、それでも今まで住んでいたエレク邸より二回りほど大きい離れがあった。

「ようこそいらっしゃいました。トルム、セア」

「クロード」

出迎えたクロードは、いつものように軍服に帯刀である。

「この離れは、以前客人用に作ったのですが、ほとんど使っておりません。どうぞ、ご自由にお使いください。この反対側にもう一つ中庭があって、先に連れてきた山羊たちはそこにいますよ」

赤子の為の大事な乳を出す山羊たちである。

「エレク様は?」

「先に出立されて、モウトーリ様へお会いに行かれました」

「そうでしたか」

クロードの案内で子供たちと共に中へ入ると、そこは天井が高く広々とした空間だった。

「四階建で、居住空間は二階より上になっています。二階と三階には部屋が五つずつ、四階は一つです。食堂は二階の一番南側にあります。四階が一番広いのでトルムが、三階にある二番目に広い部屋はセアが使うといいでしょう」

「そんな広い部屋は………」

「トルム、あなたが使わないと、セアも気を使いますよ。それに、二階と三階にも大きな風呂場はありますが、四階の部屋には温泉がひいてあります」

温泉という単語に、

「温泉ですか? 本当に?」

トルムの目の色が変わる。

「はい。トルムは温泉がお好きですか?」

トルムの代わりにセアが、

「トルムはお風呂も好きだけど、温泉はもっと好きだよね。温泉入りたいがために、北のアルージュ山脈の近くまで行くぐらいだから」

トルムが頷きながら、

「体がつらい時にいいのです。帝都で温泉が出るとは知りませんでした」

予想以上に喜ぶトルムにクロードも笑顔を浮かべ、

「宮殿や、我がエント家で専用に使っている泉脈です」

それを聞いてトルムは、

「宮殿と同じとは………エレク様を差し置いてそのようなお部屋を使う訳にはいきません」

「エレク様は子供たちと同じ階がいいと、二階の一室をお使いになるそうです。エレク様もお体為にぜひともトルムに使うようにと、仰っておられました」

そこまで言われてしまうと、断れない。トルムは四階唯一の部屋を自室にすることにした。見上げると、四階は母屋にあたる本館と廊下で繋がっていた。

「お気づきですか? あの廊下は私の部屋の前まで繋がっています。いつでも行き来できますよ」

クロードがトルムの耳元で囁いた。顔が赤らむトルムである。セアには見られないよう、フードを深く被った。

「あと、おせっかいかとは思いましたが、数人の召使を雇いました。子育て経験もある者たちです。エレク様に相談して人選したので、ご安心ください」

「私たちは自分たちだけで大丈夫ですよ。今までもそうしてきました」

「ですが、子供たちの人数も多いし、今後あなたが宮殿へ出仕される日が増えれば、負担はセアにいきます。セア自身も術師として修業の身でしょう。自分の時間も必要です」

正論だった。

「そうですね。私の考えが足りませんでした。セア、ごめんなさい」

「いいんだよ、トルム。でも、正直助かるかな。僕も早く一人前の妖術師になりたいしね。トルムは今の僕より若い年齢で妖術師になっただろ? 僕も成人するまでにはなりたいと思っているんだ」

「それではあと一年もありませんね」

「そう! 焦るよ!」

おどけて笑うセアにつられてトルムも笑う。

子供たちを連れて階段を上がっていくセアを見ながら、

「クロード、何から何までありがとうございます」

「あなたの役に立てれば本望です。喜んでいただきよかった」

「セアについても配慮していただき、感謝いたします」

するとクロードは小さい声で、

「早く一人前になって、あなたから離れてほしいと願っています」

真顔だった。トルムは手で頭を押さえ、

「まだそんな事を」

「油断はできません。ただでさえ私は皇太子殿下と言うやっかいな相手がいるのですから」

「クロード………」

呆れるトルムに、クロードは背筋をただし、

「トルム、モウトーリ卿から出仕の日どりのご指示がありました」

左半分仮面を付けたトルムの顔がひきつる。

「いつ、でしょう」

声がわずかにうわずる。

「明後日です。私も同行いたします」

「ありがとうございます」

「明後日は、術者の師範として職に就く為に、事前に説明の場を設けたとの事でしたので、表向きな話だけでしょう。ご安心ください」

「わかりました」

クロードの存在がありがたかった。

(でも、もう帝都に来てしまった)

自分が側室となる日が近づいている事を実感し、トルムは逃げ出したくなる気持ちを抑え込んだ。

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