トルムとクロード
断固として同じ部屋で過ごす事は拒否し、どうにかクロードを客間に押し込めたものの、トルムは眠れぬ一夜を過ごした。朝、身支度を整えながら、自宅だと言うのに仮面と茶色のローブを身に着けた。クロードにこれ以上傷跡を見られたくなかった。
「トルム、またお出かけするの?」
顔を隠しているトルムに、子供たちが聞いてくる。
「いえ、お客様がいらっしゃっているからですよ」
そう答えている中、その客人は、軍服に帯刀姿のまま食堂に現れた。
「おはようございます、トルム」
「おはようございます。クロード。皆、この方は帝都にお住いのエント家のクロード様です。ご挨拶を」
子供たちが礼儀正しく挨拶をすると、クロードは笑顔で、
「可愛いらしい子供たちですね。皆、いい顔をしている」
子供たちを褒められると嬉しく、トルムはクロードを食卓へ案内した。
「質素な食事ですが」
「突然伺ったのに、食事までいただいてありがとうございます。このパンは…」
「私とセアが焼きました」
「このトウモロコシの汁物は………」
「私が作りました」
クロードは食卓に並ぶ朝食をしばし見つめ、
「狼の妖術師様は、料理までお出来になるのですね」
感嘆の声で呟く。
「妖術師だから出来る訳ではないですよ」
「妖術師でありながら、料理まで出来るというのがすばらしいのです。………おお、おいしいっ」
楽しそうに食事をするクロードに、トルムは、
(悪い方ではないのだが)
と、心の中で複雑な思いだった。
どうしてクロードが男のトルムに懸想しているのか分からないし受け入れられないが、目の間で子供たちと食事をしているクロードはけして悪人ではなく、優しい騎士にしか見えない。
(家柄もいいし、戦場での評判も悪くなかった。それなのにどうして)
そんなトルムの疑問に気づいてか、
「トルム、今日はどうして仮面とフードを付けておいでですか? ここはあなたの家だ。私に遠慮されているのであれば、それは気にせず、どうぞ素顔でお過ごしください」
「………いえ、大丈夫です」
トルムはさっさと食事を済ませると、セアから赤子のピトを受け取り、ピトに山羊の乳を飲ませ始めた。
「その子の母御は?」
「この子を産んですぐに亡くなりました。そこをちょうど師匠が通りかかり連れてきました」
「そうですか。…乳を飲ませるあなたは、まるでその子の母御のようですね」
「そうですか?」
「時折、あなたに女性のような雰囲気を感じるのは、そうして子供を育てているからでしょうか」
「そうかもしれませんね。つい最近も、私はこの子たちのお母様だと言われたので」
「お母様? であれば、その相手である父御は」
クロードは「父御は自分」と言いたかったようだが、、
「僕が皆のお父様らしいです」
セアが間に入った。
「………そう、ですか」
(クロード、顔は笑っていても、目が笑っていませんよ)
どうもクロードはセアの事をよく思っていないようである。それに気づいていないのか、それとも気づいているのか、セアは、
「僕がお父様で、トルムがお母様、エレク様がおじい様だと、子供たちに言われました。僕もそう思います」
笑顔で続ける。
「ははは、そうですか」
乾いた笑いのクロードが怖い。
セアには、クロードはモウトーリからエレク宛の書状を持って来たと説明した。本当の事である。
そして、トルムにとってクロードは戦場での上官であり、以前から顔見知り合いだった、と説明した。これは半分本当の事である。
「クロード様は、これからどうされるのですか?」
セアの問いかけに、
「エレク様がお戻りになるまで待つ予定ですが、トルム、あなたは今日何をされるのですか?」
「私は、子供たちのお世話があります」
「トルム、子供たちの事は僕がするよ」
「いいえ、ここ数日セアに任せきりです。今日は私がします」
「お手伝いしましょう」
クロードの申し出に驚き、
「クロードが、子供たちのお世話を?」
「私には十歳下の親類がおりまして、小さい頃からよく面倒を見ていました。これでも子守は得意です」
言いながら、山羊の乳を飲み終わったピトをトルムの腕から抱き上げ、
「ほら、これもできます」
赤子の背を叩き、見事に曖気させた。
「上手いでしょう?」
確かに手際がいい。
「意外ですね」
トルムの呟きに、クロードはにっこり笑った。
クロードに手伝ってもらいながら、洗濯に掃除、子供たちの世話で一日を費やし、気づけば再び夜だった。
トルムが不在だった間、一人で子供たちの世話をしていたセアは、さすがに疲れていたようで早々に自室引き上げていった。
居間で、クロードと二人きりになってしまったトルムは、セアが余計な気を回して用意してくれた酒に口を付ける気にもなれず、酒の入った硝子の杯を手の中で持て余していた。
トルムも昨夜眠れなかった事もあり、早く休みたい気持ちがあったが、一応は帝国侍従長の使者であるクロードをほったらかしにはできなかった。
「トルム、お酒は嫌いですか?」
そう言うクロードは、既に一本酒瓶を空けている。かなり酒豪のようで酔った様子がない。
「今日は、あまり飲みたい気分ではないので」
杯をテーブルに置くと、
「では、私がいただきましょう」
クロードはトルムが置いた杯を取り、一気に飲み干した。
「強いですね」
「酔えないだけです」
クロードは空いた杯をテーブルに置き、
「そちらへ行ってもいいですか?」
トルムが了承する前に、正面の椅子からからトルムの右横に移動してきた。
「………」
拒否できず、黙ったまま長椅子の端に逃げると、
「ここでは何もしませんから」
クロードは笑いながら、その手をトルムの腰に回してきた。言っている事と、行動が合っていない。
「クロード、手を、放してください」
「何もしませんから」
クロードの唇が、トルムの右耳を掠める。トルムは体を震わせ、
「離れてくださいっ」
「何もしていませんよ」
「距離が近すぎます」
「こんな距離、近いとは言いません」
クロードはトルムの腰に回した手に力を込め、トルムを抱き寄せた。
「これでも、まだ遠い」
「どこがっ」
「まだあなたはローブを着ているし、仮面もつけている」
「ローブを脱げば、離れてくれますか?」
「ローブの下には、服を着ているでしょう。ほら、充分あなたと私の距離は遠い」
「服を着ていないはずがないでしょう!」
「私の邸宅へいらっしゃったら、ローブも服も脱いでください。もちろん、この仮面も」
トルムはクロードから離れようと、立ち上がったが、
「あっ」
すぐさまクロードに引き戻された。それも、クロードの上になだれ込む形で。
「す、すみません」
クロードの膝の上に横向きに乗ってしまい、慌てて再度立ち上がろうとしたが、クロードの両手がトルムの体にまとわりつき、立ち上がれない。
「クロード、手を」
「トルム、このままでしばらくいてください」
「で、でも」
「これ以上、本当に何もしませんから。しばらくの間私の膝の上で、私の腕の中にいてください」
クロードの膝の上で、子供の様に横抱きされた。左頬がクロードの軍服に触れる。
「トルム、体から力を抜いてください」
優しい声に、言われた通り体から力を抜いた。クロードの右腕が、トルムの背を支えてくれる。
「頭を、私の肩に乗せて」
頭をクロードの肩に乗せると、姿勢が楽になった。
(これは、悪くない)
トルムは実両親の記憶はないが、狼の家族と師匠のエレク、自分を守り愛してくれた者たちの思い出はたくさんある。その思い出の中の自分は、孤児のわりにかなり甘やかされていた。
こうして自分より体の大きいクロードに抱かれていると、恵まれていた幼い頃のようで、なんとも心地よい。
すぐ間近にクロードの顔がある。少し顔を上げると、クロードと目があった。昨夜と同じ赤い目だ。けれど、昨夜と違って穏やかだった。
クロードの左手が、トルムの右頬を撫で、そのまま首から肩へと流れた。
「体がこっていますね」
クロードの大きく力強い手が肩や首を揉みほぐしてくれる。トルムは気持ちよさに吐息をもらした。
「トルム、ローブの上からではしっかりほぐせません。脱いでください」
「………ええ」
抗う気になれず、クロードの手を借りてローブを脱いだ。ローブの下は普段着である。
「長椅子の上に、寝てください」
クロードの膝から降り、長椅子の上に俯せになった。トルムの背に触れたクロードは、
「確かにこれは堅いですね。さぞ、痛いでしょう」
クロードはトルムの首筋から肩、背中に腰と、その手で揉んでいく。セアより力があり、トルムは気持ちのよさにクロードへの警戒心が無くなっていくのを感じた。
「力加減は大丈夫ですか?」
「ええ。すごく気持ちが良いです」
「それはよかった。これからは毎日して差し上げましょう」
昨日の台詞は本気だったようだ。
「それではクロードの方が疲れてしまいます」
「私は丈夫なので問題ありません」
「ですが」
「私がしたいのです。ですから、トルム」
クロードは背後からトルムの右耳に口を寄せると、
「セアにはもうさせないでください」
声は真剣だった。トルムは呆れながら、
「セアとはそういう関係ではありません」
「どういう関係だろうと、私以外にあなたに触れて欲しくないのです」
「クロード、お忘れですか? 私はもうすぐ皇太子の側室になるのですよ?」
クロードの手が止まった。
(余計な事を言ってしまった!)
背後のクロードの様子が変わった事に気づき、トルムは焦ったが、逃げる間もなく、
「そうでした。私としたことが、あなたと共にいる幸せに、その事を失念していました」
クロードの両手が、トルムの脇腹を左右から撫でた。くすぐったさに、体をよじる。
「クロードっ」
「私としては、皇太子の件は仕方ない事と理解し納得していたのですが、セアがあなたに触れていただけでこれだけ嫉妬してしまうのですから、想像以上に酷ですね」
クロードは無防備なトルムのうなじに口を押し当てた。トルムの動きが止まる。トルムは最初何をされているかわからなかった。クロードが舌先でうなじを舐めると、トルムは言葉にならない声を上げた。
「いいお声です」
クロードはそのままトルムにのしかかり、トルムの動きを封じると、トルムのうなじや耳に舌を這わせ、トルムの体を服の上から撫でまわした。
「や、やめてっ」
トルムの制止に、
「あなたがいけない」
「私は何も」
「やめてほしいですか?」
頷くと、
「では、口づけさせてください」
肩越しに振り返ると、表情のないクロードの顔があった。目がいつも以上に赤い。
「今夜は、それで許してあげます」
「許す………」
「いいですか?」
トルムが何も言えないでいると、それを了承したと捉えたのか、クロードはトルムの唇に自分のそれを重ねた。トルムは逃げられなかった。最初は軽く、すぐ離れて二度目は少し長く、三度目をしながらトルムは体をひっくり返された。
「トルム、息は鼻でしてください」
呼吸が乱れ、胸が上下に動く。整える間もなく、
「トルム、舌を出してください」
言われるまま舌先を出すと、ぺろりと舐められた。舌を舌で舐められる行為に、トルムは体の中心から熱が沸きあがる。
「口を開けて」
開いた口内に、クロードの舌が侵入してきた。舌を絡められる。
「気持ちいいですか?」
聞かれても答えられない。心臓がどくどくと動く。体が熱い。息が上がる。そんなトルムの顔を優しく撫でながら、
「狼の妖術師様、もう少ししてもよろしいですか?」
トルムは半ば無意識に頷いてしまった。クロードは嬉しそうに笑い、トルムの右頬、仮面をつけた左頬、額、鼻と、口づけをし、トルムが口への口づけ求めるまで繰り返した。
「ク、クロード」
「うん? どうなされました、トルム」
「クロードっ」
「トルムは私と口づけをするのは好きですか? いやではありませんか?」
「………」
もう嫌とは言えなかった。トルムは全身でこの行為が気持ちいいとクロードに伝えていた。
「トルム」
自分を呼ぶクロードの声が優しい。そして甘い。
「………クロード」
トルムはクロードの背に腕を回し、自分から彼に抱きついた。クロードは目を開き驚き、すぐさまトルムの唇を奪った。トルムは自分から口を開き、クロードの舌を歓迎した。
どれくらい時間が経っただろう。互いに息が上がり、仕方なく離れた。長椅子に倒れたままのトルムの頭を、起き上がって酒の残りをあおったクロードの手が優しく撫でる。
呼吸が落ち着き始めると、トルムは恥ずかしさに両手で顔を隠した。いつの間にか仮面も外れていた。
「なぜ顔を隠すのですか?」
「恥ずかしいです、こんな」
「何も恥ずかしくはないですよ」
「ですが」
「私はあなたに受け入れていただき、幸せです」
手の隙間からクロードを見れば、クロードは汗ばんだ前髪を後ろに撫でつけていた。そのしぐさに、
「クロードは、よく見るとかなり美青年ですね」
トルムに突然言われ、クロードは一瞬戸惑って、それから破顔した。
「どうされました? 狼の妖術師様」
「なんだか急に、クロードがとても格好がよく見えてしまいました」
トルムは、自分自身の感情を、どう伝えればいいのか悩んだ。
「………」
トルムは起き上がり、乱れた衣服を正すと、クロードと向き合い手を伸ばして抱きついた。そのまま自分から口を重ねる。すぐ口は離したが、抱きついたまま、
「不思議です。あなたとの行為が嫌ではありません。むしろ好ましく思います。そして、あなたを見ていると、口づけをしていた時と同じように胸がどくどくします。同性同士でも、このような気持ちになるのでしょうか。性行為というのは、こういうものなのでしょうか。体が触れ合えば、心も変わるのでしょうか」
トルムは一生誰とも触れ合えないと思っていた。その為、自分が他者と性行為をするとは、想像もしていなかったのだ。だからクロードが怖かったし、嫌だった。異性とか同性と関係なく、自分に思慕の念を向けてくる事自体が、トルムには受け入れられなかったのだ。
(それがたった一度の口づけで、こうも変わるとは)
自分の変化が信じられない。
そんなトルムにクロードは、
「人は心と体でできています。心を交わす間柄になれば互いの体を求め、体が触れ合えば気持ちが通じあう。あなたと私は体が触れ合い、気持ちも通じたのでしょう」
「気持ちが通じた………」
「私の気持ちが、あなたに通じた」
「クロードの気持ち?」
「おわかりでしょう? 私はあなたを好きです」
「好き………私を………」
「ずっと恋焦がれていました。あの戦場でお見かけした時から」
「私は男ですよ」
「はい」
「クロードは同性が好きなのですか?」
「同性でも異性でも気にしません」
「こんなに醜いのに」
「確かにあなたに残る傷跡はひどい。でもそんな事は私の気持ちには関係ないのです」
「この傷が気にならないのですか?」
「あなたが幼い頃にどれだけのご苦労をされたか、どれほど傷ついたかと思うと、敵兵どもを嬲り殺したくなりますが、あなた自身の価値には影響はありません」
クロードに抱きついたままのトルムの背に、クロードの手が回り強く抱きしめられた。トルムは、
「しかし、私はまだ、自分があなたをどう思っているのか、よく理解できません…」
「ゆっくりでいいのです。何せ、あなたと知り合えてまだ三日しか経っていません。たった三日でここまでお近づきになれて、私は嬉しいです」
クロードの言う通りだった。まだ三日しか経っていないのである。
(たった三日)
三日間で、自分の人生がひっくり返ったような気がする。
(私はどうなるのだろう)
不安はあったが、少しだけ、胸がときめくトムルだった。




