カデンツァ 完結編 最終話
―――― 正道の系譜
君は14という数字を見上げている。
人それぞれ解釈が違うであろう、その14という数字。
7と7が足されようが構わない。
1年と2ヶ月があろうと構わない。
君はあともう少しで届きそうな、そんな14という数字を見上げている。
慌てる必要はないにも関わらず、正座で待とうが必ず来るそれを、君はまるで自分には永遠に来ないのではないか、そう理解しているかのように飛び上がり、もがき、苦しんでいる。
それならば、君にこの小さな世界の、そして小さな永遠の話をしてあげよう。
そこは君の知らない小さな世界。
その小さな世界よりも更に小さな君。
瞬きの間に消え失せそうな、そんな小さな君。
そんな君はいつも蹂躙に怯えている。
征服は大きなものとは限らず、自分にも向けられる。
そう信じる君の小さな顎は、常に小刻みに揺れているのです。
あの向こう側に小さな光が見える。
君は泳ぐように、その光から顔を出した。
まだ小さいとは知らない小さい世界を初めて見た君は、自分の実力すら知り得なかったでしょう。
雨の日には木陰を探し、日の当たる日には甲羅干しをし。
光に出たばかりの君は、まだ現実を知る由もない。
膝の下に吹き抜けるものが何なのかも、まだ知るところではない。
他を知らない君の表情は常に笑顔で、その表情を笑顔と呼ぶことすら知らないのですから。
君の居座るその世界は、とても白い。
だがそれは永遠ではありません。
ある日、行列を作った他が、君の前に現れる。
君はまだ知らない。
その先頭に立つ者が悪事、征服、それらの天才であることを。
野心、野望、規則、それを夢見るものだということを。
そして、その天才と自分が同じ生き物であるということを。 ――――
次の朝、11時。
琢磨はきっちり時間通りに部屋へとやってきた。
「おう、迎えか。ご苦労さん」
「………」
チラチラと自分の足を琢磨が見ている。
止血のみをしたこの足。
平気なわけではない。
出尽くした脂汗が更に出てくる。髪の間を、背中を濡らす。
だけど、この痛みも含めた今日なんだよ。
「今日は○○へ行くぞ。アソコの社長、キャイン!て言わせたらなアカンからな!おら、行くぞ!」
「……はい」
今朝、メグミの部屋まで行って来た。
しかしそこに彼女の姿はなかった。
家具などは一切触れられていなかったが、もう戻って来ないのだと空気で分かった。
事実、この後メグミが直樹の前に現れることは二度とない。
やがて琢磨は、目的地であるビルの横に車をつけた。
その車内で、直樹は琢磨に話しかける。
「おい琢磨」
「うん」
「あの女社長おるやろ」
「あー、うん。熊高社長ね」
「こないだのあの社長の精算、半分手形やったな」
琢磨はパラパラと書類を捲り、あるページで指を止めた。
「…うん、そうなってるね」
「あの女社長、今日か明日にでも夜逃げするつもりでおるぞ」
「えッ!マジで!?」
「そうや。手形事故は怖いんやぞー。今から挨拶しとこや」
―――― いずれ分かるだろう。
そう天才が告げた途端、列はばらけ、君が眺めていた小さな世界に穴を掘り始める。
君はその集団に興味本位で近づくのです。
肌理の細かい白い砂を、何度も何度も掘り上げるその作業。
何日も何日も続けられるその作業。
他がしている同じ行動を見る君は、そこに安心と宿りを見出した。
君はいつしかその、他の一員となっているのです。
目標が何かも知らず、ここがコロニーになる、その事実も知らず、来る日も来る日も君は他と同じように穴を掘り続ける。
天才の言うがままに。
そしてある日、君は気づいた。
掘り続けるために使った前足が壊死していることに。
そして更に気づく。
見たこともない穴の中にいることに。
今まで自分が掘ってきたにも関わらず、初めて見る景色だと気づくのです。
天才が号令を出し続ける。
皆、目を覚ませ!気づけ!この穴はお前たちの未来なのかもしれないぞ!
故郷は東にはない!この奥にあるはずだ!
選ばれし天才の言うことを塞ぎもせず、機関全てに浸透させる選ばれてはいない者たち。
君はその他を横目で眺めながら、さほどの頓着も見せず、周りの情景に気づくことはなかった。
そんなことよりも壊死した前足ばかりを凝視し、一粒の、たった一滴の感情を我が身に浸透させる。
自分を選んだのはこの場所ではない。自分が場所を選ぶのです!
そう大声を張り上げたきり、黙々と穴を掘り続ける君を、当然のごとく他は無視する。
故郷はここにあるのか。
君らは騙されていないのか。
自問自答にも関わらず、賛同を試みる君の大声はコロニーには響き渡らない。
ある夜、君はそれでも諦めのつかない自分の思考を胸に、敢えて他に自分の逃亡計画を洩らすことにする。
しかしそれは君の意とは反し、噂と姿を変えるまでもなく広まることもなく、実行のその日を迎えても他は君を見ることもなく、天才の鞭は君に唸りを上げるでもなく。
自分は君たちとは違う。
そう表したかった君の策略は一人、誰にも気づかれることなく、その場を立ち去る姿でしかあり得なかった。 ――――
そこは小さな会社だった。
2人はノックもせずにドアを開け放ち、中へ踏み込む。
部屋では社長を含めた社員たちが、数人座って仕事をしていた。
「あらー、秋月さん。どうしたん急に」
「急にって、」
言いかけた琢磨を制し、直樹が口を開く。
「急にっちゃー急にやなぁ。急に社長の顔が見とうなった」
―――― 横這いでゆっくりではあるが、じりじりと移動を続ける君。
左前足の壊死は全く気にならなくなった。
腕白では済まされない不躾な足音は、次第に香水や加齢の匂いが混じる集団の方へ近づいて行く。
君は気づきます。
ゆっくりとではあるが、疲れを覚えるほどの遠足であったにも関わらず、前に覚えた光景とさほど変わりはないのではないか。
君なりに以前とは似ても似つかない自分と表する君は、他から見ればさほど変わらない君のまま。
君が君であることに変わりはない。背伸びしようが、君の丈はそれほど変わらない。
そう、筋書き通りなのです。
君はここに来て、望むということを覚えた。
欲しいものがある。これまで知らなかった欲求というものに体を疼かせてしまう。
そのためにはまず、皆が欲しがる銀を手に入れなければ。
そう望む一方で、頭の中で声がする。
大人の真似をするな。
その声を、欲求が先行する君は音としか理解しない。
年功と序列。女子と男子。
この世界で皆が集う場所に必ずあるものを、まだ把握しきれていない君。
君はこう思います。
小さな銀を手に入れ、この銀を大きな銀に換えればいい。いや、大きな銀を買えばいいんじゃないか?
とっても簡単ではないか。
裏返った喉元が、そう摩擦音を鳴らす。
君の生涯は、他に恥を見せ付けることなのかもしれない。
君はそのために生まれたのではないか。
君が見つけた香水や加齢の香り漂うその場所に、また侵入すればいい。
無知の君ならば、それをいくつも横断して行くだろう。
暮らせど進めど、上塗りを繰り返す。
そんな割り損ないの形無きもの。
途中で自身の恥に気づいたところで、もう手遅れなのです。
他に見られたくない、君自身の恥を隠すために大きく抱きしめたその行動さえも、上塗りに他ならない。
君はそれらを知らず、大きな銀を手に入れるべくまた集団へと近づいた。
秒読みが始まった経過を無視し、君は自身の指揮と吠え面を信じ、ただただ振り返らず、無知の皮を羽織り続ける。
幾重にも、幾重にも。
そうして拵えた君自身、完成だと言い放った君の姿は、一をも纏わぬ形状であり、隠すことを知らない阿呆に鞍替えを果たしている。
まんまと丸裸を見られ、集団への侵入を果たす君。
頃合の時は流れた。
大きな銀は買うことはできたのか。
その問いに関して、君は無視をし続けるだろう。
何故ならば、今見ているその光景は、君の望むものとは遥かに差があるものなのだから。
今日は目を覚まし、君はこう思っている。
昨日見たものを、また見るのか。
昨日はこう思ったはず。
それは!…先週全く同じものを私が作った。
悲愴と現実は高い位置で足を震わせ、それ以上昇るでもなく下るでもなく、身をも顫動させている。
それでも頭の中で声がする。
それ以上は立ち止まるな、と。
掃いて捨てるほどの掃き溜めを数え、亡骸にも見える他の表情を見渡してみる。
奪われたかのように大きく窪んだ黒い目元は、皆同じに見えた。
ここまで来たにも関わらず、君はこう思っているだろう。
限界なのかもしれない。上がどちらか分からなくなった……いや、知らなかった。
自分ならばいくつもを乗り越えて…
君は自身をそう例えていたとでも言うのか?
丸裸の君よ。
次の日、君は目を覚ますと、また自分の体の異変に気づく。
壊死した箇所が増えていたのだ。
今度は片方の触覚が崩れ落ちている。
これでは左に進むしかないじゃないか。
そう感想を洩らす君。
君に教えてあげよう。
それは少し違うのです。
君の壊死した触覚を問うのではなく、ここまで来たからには君にはもう選択肢はない。
君はもう、左へ進むことしか許されてはいないのです。
どうやら反抗期が来たようだ。
心に蝶番を嵌め込んだ君。
それを利用するように、ほんの少しの隙間を開けてみる。
私はクズである。
そう言い放った君は、その言葉に覆い被せるよう保険をかける。
クズと言っても星屑です。何よりもマシには聞こえませんか。
テトナリアシトナリ、滑車には遠く及ばない自身、果ては潤滑油でさえ在れたのか。
似ても似つかない自分を君は思う。
左に進んでいるつもりでいる君は、左へと進められている。
程なく進んだその先に、とても大きな自然があった。
小さな世界に広がる大きな自然。
その自然に相反するように、一部の有機的なジャングルが見える。
好ましいのなら、きっとあそこだろう。
君は左へ引っ張られる体をなるべく右へ右へ、ジレンマを交えながら進んで行きます。
あの時からどれくらい経ったのだろう。
光を覚え、他を覚え、風を知り、自分を信じ、風体まで裏返った君。
気が付けば永遠について考えているのです。
離れて見ているばかりだと思っていた星屑になれた。
昨日までの今日はもうここにはない。
どうやら私に思春期が来たようだ。もうすでに大人です。
そう言い放つ君の笑顔は屈託なく、実に無謀で愚かである。
幾年の年月と時間を跨ぎ、走るように進む他、滑るように進む他、ゆっくりと歩く他。
それらのどれに属するでもなく、ただコツコツと幾年もの時間を左へ進む。
その先に見えたのは、とても跨ぎきれそうもない大きな何かであった。
それ以上は進めない。
以前聞いた頭の中の声、この拍子に聞いたその声は、以前とは違うもの。
君は愕然とするでしょう。
永遠とは?
誰かが教えてくれるものだと、誰かが叩き込んでくれるものだと思っていたよ。
そう信じる君の小さな顎は、常に小刻みに揺れているのです。
君はその場所で、程良い覚悟を決めるのです。
そして一生懸命に取り掛かる。
行き先ではなく、自分の根を生やす場所を。
やがて幹となり、芳醇な実を育てる、そんな場所を。
確かレクイエムが必要だったな。
君はその考えに至り、創作作業にかかる。
余り余った時間を利用し、自分の好きなように創り上げていく。
これも程良い覚悟を決めながら。
完成したレクイエムに一抹の喜びを感じ、必要になるその時までの距離を考えてみる。
そうか。私にはこれはまだ早すぎた。
そう理解した君は、そのレクイエムを隠しておこうと考える。
いつでも取り出せる一番上の引き出しに仕舞っておこう。
空の引き出しにそれを仕舞い込んだ君。
ここに入っているのを忘れないように札が必要だ。
君は引き出しの目印になる札を探しに出掛けて行きます。
あれでもない。これでもない。あれの方が良かったんじゃないか。あれとこれはどちらがいいんだ。
ようやくの時間に、お気に入りの札に近いものを見つけ、拾い上げる。
そして一番上の引き出しに札を貼り、もう一度中を確認してみる。
すると、そこは空になっていた。
確かに入れたレクイエムがない。
札を探すことにかまけていた間に、引き出しからそれが消えていた。
誰かがレクイエムを持ち去った。そう信じる方向に逃げたい君。
だがそれはそこはかとなく愚鈍であることに気づく。
あんなものを欲しがる者は他にはいない。
自分以外には。
君はそうやって事実を蚊帳の中に押し込んで行く。
両手をつき、両膝を地面に擦りつけ、下のみを見つめる君。
君は気づいているのかい?
今そうしている君の胸ポケットからは、劇薬が今にも零れ落ちそうになっている。
ズボンの左ポケットには花束が仕舞われていた。
右にあるのは用意してあった賛美歌ではないのかい?
君はそれらを忘れ、ただ一人悲しんでいる。
在るものを信じず、消えたものだけを思い、悲しみ続けている。
それは?いつ?どこで?誰が?
君はそんな慈愛や慈悲に満ちた生き物ではありません。
見付かるはずのない模索の最中、検討への詮索は著しく響き渡り、やり場の見付からない慟哭は繰り返すのです。
どうやら時期が来たようなので、君に教えてあげよう。
永遠とは、世界にないもの。
言葉はあれど、君にも他にも備わらないもの。
小さな世界にいる、更に小さな君。
君の進んだ道のりは、上から見下ろすと僅か数センチのものでしかなかったんだよ。
そして、君にもやがて夜が来る。
まだ据わらない首筋を優しく包み込むように抱きかかえられ、その闇に包まれていればいい。
もう慌てなくていい。
君にはもう、朝は来ない。
膝を丸め、親指を銜え、眠っていればいい。
闇に囲まれるように、君は眠っていればいい。
もう二度と、君に朝は来ない。
ああ、随分と先の方に小さな光が見える。
そんな気がすれば、また泳ぎ出せばいいのです。
それは小さな、永遠の話 ――――…
直樹は揶揄するように女社長を見た。
目を見開いた彼女に向かって、一歩を踏み出す。
……自分の行き先はまだ決めていない。
徐々に
徐々に
そうすれば、きっと……
「今日はエエ天気やなぁ、社長」
「はい?」
直樹は満面の笑みである。
「エエ話、聞かせたろか ―――― 」
完




