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カデンツァ 完結編 7

「お前らは何や。こんな所でタムロして○○食うてヘラヘラヘラヘラしとるんは、自分に親がおらんから、自分の親がロクでもないから、そんな風に思うとるんか、アアッ!?そのなぁ、クソみたいな脳ミソでも分かるようにでっかい声で教えたろか!!」

リーダーはどんどんと直樹に迫られ、いつの間にか元座っていたソファまで押し戻されていた。

「親っちゅーのはな、エエか、聞こえとるか。親っちゅーのはな、お前らと同じただの人や。お前らマジでそんなことも知らんのか」

ストン、と少年が座り込む。

前のめりで詰め寄っていた直樹、背筋を伸ばしてその彼を見下ろした。

「あんまり大人を過大評価すんな。親いうても人は人や。頭使わんとヘタクソに拗ねるな。お前らクズは自分のボンクラ加減をすぐ人様のせいにする。本気でそう思うとるんやったら、この世に未練なんかないやろ」

ギュリッと、手にしていた錠剤を握り潰して床に撒く。

それはパラパラと小さな音を立て、辺りに散らばった。

「こんなモン食うとる暇あったら、ちったぁ頭使え。お前らみたいなクズでも6人揃うたら知恵出し合うて『あ』から『ん』までのひらがなくらい書けるやろ」

「………」

「………」

いきなりのその説教染みた言葉に、琢磨を含めた全員が呆気に取られている。

直樹は後方の5人を振り返り、

「で?そのナイフ、何やソレ。何や鉄の棒か。その棒、ソレどうするんや。出したからにゃ覚悟はあるんやろな?本気で出しとるんやな?」

「………」

5人は無言のまま視線を彷徨わせ、少しずつ後ずさりを始める。

「お前ら、俺が何モンかまだ分からんのか?お前らみたいなクズと一緒にすんなよ?こっちゃーな、お前らよりもっとでっかいクズや。さぁ、どうする?」

「………」

直樹の言葉を彼らがどう取ったのかは分からない。

しかし彼らは気勢を削がれ、すっかり消沈してしまった。

それ以上誰も何も言葉を発しようとせず、それぞれが顔を見合わせた後、一人二人と『ビリヤード』のドアから出て行く。

「ほら、早よ行け!シッシッ!!」

追い立てる直樹を、列の最後尾にいたリーダーの少年が振り返った。

「あの……このことは田口さんは知っとるんですか」

「ハア?だからさっき言うたやろ。俺はその田口さんを知らんわい」

「………」

「まぁ心配するな。俺はお前らが何モンかも聞かん。お前らも俺が何モンか知らん。そういうことにしといたる」

「……はい」

「アツシくんて名前も忘れたるわ」

「………」

少年の姿が消え、ドアが沈んだ音を立てて閉まる。

……らしくもない説教が腹の底から音を立てた。

まるで自問自答しているようだった。

我が事のように。

と、その時、

「…ッハ――――……ッ」

琢磨がいきなり詰めていたらしい息を吐き出した。

「な、何や!」

「ええー?今日俺、ちょっとビビッたわ」

「ハア?何でや、お前。こんなんもう何回もやっとるやないか」

琢磨はビリヤード台に「よいしょ」と座る。

「いや、そやけど今まではずっと相手が大人やったやん。同じくらいの年代やと、何やってくるか分からんな思うて。正直ちょっとビビッとったわ」

「……ま、それが普通やろ」

「やっぱニイニイもこういうのビビッたりする?」

「いや?」

「えーマジで?……でもそんな感じやったなー。何で今コイツらに、っていう説教かましとったもんな」

「………」

……ビビらないワケがないではないか。

ただ俺はお前より、アイツらよりほんの少しだけ長く生きている。

たったそれだけのこと。

「ニイニイ、この後どうすんの?」

「ああ、今日はもう終わりやな」

「ふーん。……なぁ、さっきな」

「うん」

「ドラゴンボールの話したやんかぁ」

「おう」

「あれの悟空おるやん」

「ああ、主人公な」

「俺、アイツ見てたらイライラすんねん」

「何でよ?」

「だってな、暢気やしさ、何にも考えてないのに、何にも頭使うてないのに、人の先行くやろ?」

「あー…」

「みっともないんかなー。あんな風に何も考えんで人より物事上手くできたら、どんだけエエんやろ思うわ。俺はまだべジータの方が気持ちが分かる。アイツの方が好きやなぁ」

「んー…まぁな。でもアレはマンガやからな」

「あーあ。あらゆる面で無敵になりたいわ、ほんま」

無敵

確かにその言葉はある。

ただ、それは言葉なだけだろう。

恐らくこの世に、その冠を被った人間はおらんと思うよ。

「あーあ。ね、ニイニイ」

「ん?」

「俺、頭赤いの止めて金髪にしようかな」

「……エ?ドラゴンボール!?怒ったら強うなるヤツ!?」

「うん」

「アカン!!かなりヒイた!お前がそこまでアホやと思わなんだ!金髪にして無敵になれるんやったら誰でもやっとるわ!!」

「そーお?」

「………」

……明日の夜、穂積との待ち合わせにコイツも連れて行こう。

2人で、ではなく、3人で。

当然コイツにもいろいろ決める権利がある。

その後、ちゃんとメグミとも話をしよう。




―――― 大人たちによく問われることといえば、「あなたは将来、何になるのかな?」という愚問。

まるで他愛のないことのように笑みを浮かべながら、それを僕に問う大人たち。

これを愚問と表するのは僕だけなのでしょうか。

どう思われますか?

たかだか12年生きた、まだ個ですらない僕に、将来の展望を口にしろなどというのはナンセンスではありませんか?

自分の将来をここで決めろなどというのは、測り知れない高さの天井に、投じた石を届かせること。

真っ暗闇の井戸の底に、叫び声を届かせること。

要するに、僕には今やっていることの終着点がまだ見えないのです。


恐らくです。

このまま今の生活を続けていけば、僕の中で50%の確率でお父さんの会社を継がせてもらえることになると、そう自負している。

ですがこれは贔屓目に見て、あくまで50%なのです。


無知は罪である。

僕は常々そう考えている。

確実に周りの人を傷付け、その上で自分すら傷付ける。


そうですね。弁護士になりたいですかね。

そう考える自分に自答するのであれば、

正義と悪の狭間でお前はどう振舞う?

最終的に多数決で答えが導き出されるにしても、弁護士のお前が立場上腕を振るう段階では、天秤はまだどちらを贔屓するでもなく、ゆらゆらと揺れている段階だと。

お前は、お前の思う善と悪、どちらにつく?


将来は医者になろうと思いますよ。

そう言う自分を自らが説き伏せる。

お前には無理だろう。

金銭に目が眩み、足元を掬われる医者。

利益度外視で我が身を酷使し続ける医者。

両者の真ん中をひた走り、病院経営、世間からの評判を絶妙に得ながら生きていく医者。

お前はこの三者のどれにも当てはまらない。

お前は自分を愛しすぎている。

毒を食らわば皿まで。

問題ない。お前自身も、その皿に盛られた毒である。


だったら僕は、お父さんの跡を継げなかった場合、ちゃんと一般企業に内定を取れるよう努力しますよ。

だったら、と表している段階で、お前のやる気など高が知れている。


僕にとってあの、大人が実にさらっとしでかす問いは愚問なのです。


今、僕が毎日やっていること、更に自分で思いついたこと、人から与えられるもの。

これらは必死に努力した結果、完結できればいいのか。

それとも両手を使わずとも、片手でさらっとクリアしなければならないのか。

そこすらも理解しかねるのだが、目の前にあるもの、思いつくこと、与えられるもの、これらを終えていけばきっと遥か彼方にある地平線にちょっとは近づく。

いや、少し違うな。

僕にも逆光ではあるが、ぼんやりと光が照らされ、

これも違うな。


僕は無知である。

明日の自分すら計れずに右往左往。

皆がこんな僕に何を問い、何を聞きたいのですか?

僕はまだ罪人にもなりきれないでいる。 ――――




琢磨と別れ、マンションの駐車場に着いたのが午前1時を回ったところ。

ここへ戻る途中、何度も自分が車を運転していることを忘れるほどに睡魔が襲ってきた。

そういえば昨夜は一睡もしていない。

エレベーターに乗り、壁に背を預け、

明日は10時から……

ほんで1時から……

ブツブツと明日の用事、仕事をもう一度頭の中に叩き込む。

穂積んトコ行くんは……10時過ぎくらいかな。

チン!と音がして扉が開いた。

自分の部屋へと向かう膝が眠気で折れそうになるが、昨日今日で自分の意識に気づいたことを思うと、足取りは実に軽快になる。

部屋の前で立ち止まり、鍵を解いてドアを開ける。

すると、そこにメグミの靴が置いてあるのを見つけた。

ん…?

リビングから人の声やら音楽が聞こえてくる。

廊下を渡り、そこへ入ると、ソファでテレビを見ているメグミの姿。

いつもならばテレビを見ていようが何をしていようが、こちらの気配に気づいたと同時に「おかえり」と声を掛けて来るメグミだが、今日は画面から目を外さない。

それに気づきながらも眠気に勝てず、メグミの態度への不快や疑問を自分に問うことはしなかった。

上衣を脱ぎ、メグミの隣のソファの背にそれを掛け、着替えを始める。

「……お前、店は?」

「うん」

「うんとちゃうやろ、お前」

直樹はそう言いながら洗面所へと向かう。

風呂は朝入ろう。

とにかく眠い。

歯を磨きながら、何も考えない。

顔を洗い、ふと爪の間がピンク色に染まっていることに気づいたが、それを気にすることもなく洗い流す。

そして再びリビングに戻って、思い出したことが2つ。

直樹は金庫を開け、残っていたメグミへの給料袋を取り出した。

「……あー……まぁ何や……いつもご苦労さん」

照れ臭くはあったが、言おうと決めていたこの言葉を何とか自分から捻り出すことに成功する。

しかしメグミは無反応で、直樹が置いた給料袋をテーブルからスッと取り上げ、カバンの中に収めた。

「………」

寒々しい気がして居心地が悪い。

それを誤魔化すように、直樹はわざとらしい咳払いを2、3回繰り返す。

「あーっと……それとや、お前、何か話ある言うとったな。明日でエエか?」

そこで、その言葉尻を引っ掴むように発せられたメグミの返事。

それは、直樹の眠気を一気に吹っ飛ばすほどの威力を持っていた。

「私、妊娠したよ」

「………」

「………」

「……うん。……え?何?」

「妊娠した」

「………」

直樹は突っ立ったまま全ての動きを止め、視線の合わないメグミの顔をじっと見下ろす。

………

………………?

まず、自分に掛けられている言葉だと理解するのに数秒かかった。

そして、そこから更に数秒。


……俺との間で、妊娠?

………

………………。


―――― 自分が人の親になる。

そんな現実、これまで考えたことがなかった。

ここで更に改めて、メグミのその言葉がもしかしたら自分ではない、他の誰かに向けられているものなのではないかと考えてみた。

「………」

しかし違った。

メグミは俺に話しかけている。

―――― 自分が人の親になる。

これまで自分に降りかかる現実としては考えて来なかったが、でももし万が一、自分に子どもができたなら、夢のような気分を味わえるんじゃないだろうか。

そんな風に思ったことがあった。


………………

………………本当に?


動悸が激しくなった気がした。

メグミの告白が、一気にのめり込んでくる。

満たしていく。

「………ッ」

いつか思った『夢のような気分』 

今がまさにその心地。

いや、比較にならない。それ以上。

…ってことは、俺に、家族ができるのか……?

「……それ、お前、ほんまか」

直樹の中で溢れ返らんばかりの歓喜は、しかし器用にも欠片すら表へは出て来なかった。

静かに問うた直樹のそれに、メグミはこちらを振り向かず、返事もしない。

そこからまた直樹は数秒、考え事をする。

嬉しい。嬉しいよ、とにかく!

俺は今日、お前と一緒になろうと、心にそう決めたんだ…!

本来ならば、それは思うだけでなく、口にするべき大事な言葉。

しかし直樹の口から突いて出る言葉は、全て現実染みたこと。

「ちゃんと調べてもろうたんか?何ヶ月になるんや?」

喜びの操作を誤り、ただ最低限の現実をメグミに問うた。

それに対し、メグミはソファから立ち上がると、

「間違いないよ。私、最近ずっと直樹くんとしか会うてないもん」

両者の言葉は確実に足らない。

だが、2人はそれに気づかない。

今朝からのメグミの態度は、こんな大事な話を反故にした俺への拗ねた態度だった。

直樹はそう判断する。

噴出しそうな喜びが体中からせり上がってくるが、何故か直樹はそれを必死に隠そうとする。

そして無表情のまま、メグミに告げた。

「ちゃんと診てもらえよ?」

直樹は次に考える。

もうメグミに夜の仕事をさせるわけにはいかない。

「仕事のこと、ちょっと考えなアカンな…。俺がちゃんとするよ」

「………」

こちらを見ようともしないメグミ。

自分が必死に押し殺すほどの歓喜を感じているというのに、メグミの表情がどんどん沈んでいくのには気づいていた。

……何故喜ばない?

今にも両手を広げ、メグミを抱きかかえて跳ね上がりたい衝動を持ちながらも、まだ続く不穏な空気に戸惑いを覚える。

直樹はメグミの肩を掴んで体をこちらに向けさせたが、彼女は顔を逸らしたまま。

―――― まさか……

その態度に、いらぬ邪念が思考を邪魔したことは確か。

後ろめたいことでもあるのか、そう思ってしまったのも確か。

しかし感じる喜びは、それら全てを凌駕する。

ああ、俺に家族ができる!

しかも同時に2人も!!

子どもは誰の子だっていい。その子は俺の子だ!!

邪念を撥ね退けるように、自身に言い聞かせるように、メグミの肩を掴みながら直樹はそう考えた。

メグミは頑なにこちらを見ない。

直樹はその態度を一度諦め、手を離すと、

「ちゃんと結果が分かったら教えてくれ」

そう言い、寝室へと入って行った。


ドアを閉め1人になった瞬間、直樹は自分の表情を多大なる笑顔に変える。

声にも動作にも表したかったがそれは止めておき、とにかく満面の笑顔のままベッドへと倒れ込んだ。

仰向けに寝転がり、頭の後ろで手を組み、目を閉じる。

男なら……

女なら……

こんな夜こそいろいろ考えておきたいのに、目を閉じてしていた考え事を睡魔は許さなかった。

思考を重ねるほどに、自分の寝息がそれを掻き消していく。

起きていたい意識が半分、寝てしまう体が半分。

次の瞬間、直樹は完全に眠りに就いていた。


それからどれほどの時間が経ったのか、直樹には分からない。

浮き上がり、沈み込む意識の狭間。

一度布団を剥ぎ取られた。

そしてもう一度掛けられる。

腹の上を人が跨いだ、柔らかいその重さ。


直樹の体は目を覚まさない。


鎖骨の辺りをクッと押された圧迫感。

顔と喉に、何度も何度も冷たいものがぽたぽた、ぽたぽたと落ちてくる。

直樹はそれを、夢見心地で感じていた。



……あれは夢やったんか、何やったんか……。

次の朝目を覚ました直樹は、夢なのか現実なのか曖昧な昨夜の出来事を思い出してみる。

しかしそれは、自分の中でそれほど気にするようなことでもない。

同時に、すれ違っているメグミとの距離にも気づかない。


ぐっすりと8時間は寝た。

体調がすこぶる良いことを実感している。

俺の生活リズムは2日起きて寝る、これがちょうどいいのかと思えるくらいに。

そして直樹は付け足すように自分をこう評する。

ここから先の俺の時間は、ほど良い加減で良い方向へ進むのではないか。

岐路についての自分の中での決定、決意。

表面上集団と表しながらも、自分のことを思ってくれる仲間もできた。

それから、家族。


この日、直樹は久し振りに味わう澱みのない自己愛を感じながら仕事をこなしている。

ふと時計を見上げると、時刻は11時半。

今晩の呼び出しは穂積からのものであったが、待ち合わせの店は直樹が用意していた。

料理は和食。

穂積の好きなものをふんだんに。

今回自分に出来うる限りの礼儀。

一応22時の予約にしているが、店からは昼過ぎには正確な時間と人数を教えてくれと言われていた。

穂積、琢磨、自分の3人で行くつもりでいたが、何だか最近琢磨との付き合いに比重が傾いているような気もしている。

直樹はぐるりと事務所の中を見渡してみた。

今日ここへ出勤してきているのは7人。

人付き合いの前に、自分はコイツらの上司であると考えるべきだ。

それに至り、直樹はリーダー格である2人の男を呼びつけた。

彼らはすぐにやってきて、直樹のデスクの前に並んで立つ。

「自分ら、今晩ヒマか?」

「えっと…7時くらいには仕事終わると思うんですけど」

「僕も7時過ぎには終わります」

「そうか。今晩な、穂積会長と俺らの今後について話するんやけどな」

「あ、はい」

「お前らも一緒に来てくれるか」

「え、自分らが行っていいんですか?」

「うん。っていうか頼みたいくらいなんやが」

「はい、是非。お願いします」

彼らは一礼して直樹の前から去りながら、小声で話し始めた。

「俺、着替え取りに行った方がエエな」

「俺もや」

聞こえてきた会話に、後ろから直樹が口を挟む。

「あー、そんな、服とか気ィ遣わんでいいよ」

「イヤ、やっぱり取ってきます!」

2人はそう言うと、足早に事務所を出て行ってしまった。

賑やかにやりたいと思っていた。

皆に発表したいと思っていた。

ただ自分の思う自分のキャラクターと、皆が思っているであろう自分のキャラクターを照らし合わせたとき、あの2人を誘うのが限界。

琢磨も合わせて3人。

俺にしてみたら、ちょうどエエやろ。


やがて辺りがすっかり暗くなった頃、事務所に琢磨がやって来た。

「ニイニイ、来たで。今日はどこ行くん?」

「おう、来たか」

直樹は壁の時計を見上げ、

「まだもうちょっと早いな」

そう言って、デスクワークを続ける。

事務所にはもうあの部下2人しか残っていない。

その1人が琢磨に向かって、

「アレ?お前、何しに来たんや?」

「え?呼ばれたから来た」

「呼ばれたってお前…」

言葉を切って、彼はこちらを振り返る。

直樹はそれに、

「ああ、エエねんエエねん。コイツも連れてくんや」

「ええ!?こんな大事な席に!?」

「おう、そうや」

自分のキャラクターが許すのならば、もっと人数を増やして穂積のところへ押しかけたいとすら思っている。

まるで自らの誕生日会を開くような感覚。

「あー…そうッスか。松本、お前邪魔するなよ?」

「邪魔するも何も、何しに行くか聞いてないで、俺」

そんな彼らの遣り取りを聞き流しながら、直樹は仕事をし続ける。

しばらくの間、事務所は静かなままだった。

その内、時計の針が20時を少し回った頃。

「よし、そろそろ行くか」

書類から顔を上げて振り返ると、いつの間にやら2人の部下たちはまるで新調したかのようなスーツに着替えていた。

その顔は心持ち緊張したように強張り気味。

それに対し、琢磨と自分は相変わらずの格好のまま。

「……な、ニイニイ」

「ん?」

「今からパーティー?」

「何で?」

「イヤ、2人がエライ格好つけとるから」

それには部下が応える。

「あのな、今から会長んトコ行くんや。お前、ちゃんとした服持ってないんか。汚いカッコしやがって」

「えー、服は他にもあるけど、コレとよけぇ変わらんよ。……あ!エ!?今から穂積のおっちゃんに会うの?」

「お前な、穂積のおっちゃんって……会長って呼べ会長って!!」

「俺、もうすぐ給料日や!も一回ちゃんと約束しとこ!ちゃんと貰えるように!」

直樹はロッカーを開けて出かける用意をし始める。

自分も一応着替えて行こうとスーツは用意してあったが……。

「なぁニイニイ、俺、スーツなんて持ってへんで。また貸してくれんの」

「エエよ、そのままで」

「イヤ、でも今日は特別みたいに言うてるやん」

今日は特別か。

……確かにな。

何ならこの場で、今いる3人にだけでも決定したことを伝えてしまいたい気分だった。

俺はお前ら全員を連れて、穂積の下このままビジネスを展開すると。

俺は結婚し、子どもも生まれると。

しかし面映さが邪魔をして上手く話せそうにない。

そんな自分に行き当たり発表を諦めたところで、改めてジーンズにTシャツ、サンダル履きの自分を見下ろす。

「……おう、エエよ、着替えんで。俺もこれで行くし」

直樹はそう応えると、一旦出したスーツケースを再びロッカーに押し込んだ。



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