幻影肢 3
パーティーは2時間足らずで閉会した。
広間の出口には穂積が立ち、ゲストを見送っている。
それを見て直樹も会場から出ないわけにもいかず、取り合えずはと琢磨を連れてホテルの玄関へと向かった。
ゾロゾロとスーツの男たちがシャンデリアの浮かぶロビーを過ぎ、ホテルの外へと出て行く。
その波に便乗して2人も玄関を出たが、直樹はそこで立ち止まった。
「ニイニイ、俺らは帰らんのか?」
一条の言葉が気になっていたが、今日このまま帰ったのでは来た意味がない。
「お前、ちょっとここで待っとけ。それとも1人で帰るか?」
そう問うと琢磨は驚いたように直樹を見、
「1人で!?」
と声を上げた。
それから少し間を置き、ぼそぼそと小声で、
「……無理や。初めて来た場所やし、道覚えてへん……」
「じゃあちょっと時間かかるかもしれんけどな、ここで待っとけ」
直樹はそう言い置き、人の流れに逆らうようにまたホテルの中へと戻って行く。
人を集め、人前に立ち、挨拶までしていた穂積の姿を見て、どこかしら余裕を感じた。
その意味は『今度の解散は追い込まれてするものではない』というところ。
余裕綽々のその中に、自分も含まれている。
それならば自分1人くらい掴み上げる時間・余地もあるだろう。
切羽詰ったように悩んでばかりいたことが、何だか馬鹿馬鹿しく思えた。
広間へと続く廊下には、あれほど居た客の姿はすでに見えない。
遠慮なくズカズカと早足で角を曲がったところで、目的の穂積の姿を見つけた。
彼は、広間と廊下を挟んだ向かい側の部屋へ入って行く。
直樹はそれを追い、ノックは不要といきなり扉を開けた。
中は控え室の設えになっており、入口付近にはボディガードの2人が立っている。
部屋の奥に穂積。
ちょうどスーツの上着を脱いだところらしい。
何の前触れもなく入って来た直樹に、穂積はちらりと視線を投げた。
「おー、直樹」
穂積の白い背中を見つめながら、直樹は早速と口を開く。
「あのな、……」
そこで言葉を切ったのは、背後に人の気配を感じたから。
「えー、なになに~?誰かおるん?」
振り向くと、先ほど玄関に置いて来たはずの琢磨が部屋を覗き込んでいる。
直樹が声を出す前に反応したのは穂積だった。
「おー、お兄ちゃん、元気にしよんか」
「まあね。…あ、そうや。今日はご馳走貰うてありがとう」
「何やー、兄ちゃんも来とったんやったら、もっと肉料理とか頼んどったら良かったなー。そやけどそのカッコ、どないしたんや。ブカブカやないか」
「うん、直樹のニイニイに借りてん。肩はちょうどエエんやけど、丈とかがブカブカで…」
「………」
直樹は無言のまま、2人の遣り取りをじっと見つめている。
完全に機会を逃してしまった。
コイツに他意はないのだろうが、ここはすんなり行きたかった。
「兄ちゃんアレか、もう腹いっぱいか」
「まぁ結構食べたねぇ」
「ワシ、お酒ばっかり飲んどって、ごはんあんまり食うてへんねん。この後お茶漬けでも食べ行こうか」
「お茶漬け?」
「お茶漬け言うてもインスタントのヤツちゃうぞ。魚とか入っとる上等なヤツや。行くか?」
「えー、何やソレ!マグロとか鯛とかのったあるん?」
「おう、のっとるのっとる」
「行くよー!なぁニイニイ!」
振り向く琢磨と同時に、穂積もこちらを見る。
「お、おう…そやな」
「よっしゃ、じゃあ3人で出かけるか」
……また一条の言葉を思い出した。
―――― 杯事のことな、もうちょっと考えた方がエエぞ。
考えたところでどんな支障があるのか分からない。
恐らく自分の遅すぎる出陣を、一条は批判したんだろう。
3人は穂積の知り合いが経営しているという寿司屋で食事を済ませた。
店を出て駐車場へと向かう間、直樹は琢磨に説教を始める。
「お前な、ほんまに分かっとんのか」
「………」
「まったく、寿司屋で寿司が食えんってどういう了見や。挙句に白いごはんと刺身くれって」
「………」
穂積は2人の遣り取りを目を細めるようにして眺めている。
口元にほんのり笑みを浮かべながら。
「酢飯が食えんのやったら茶漬けだけ食うときゃエエやろ。調子に乗ってアレもコレも」
「……うん、ごめん。何か分からんのやけど、小っちゃい時からお酢が苦手なんよ。俺、そんなにまで怒られなアカンようなことしたん?」
「なッ!当たり前やろバカ!アッコはくるくる回っとる寿司屋とちゃうんやぞ!」
その時、黙って見ていた穂積が直樹を制した。
「まぁ構へんやないか。楽しい気分でメシ食いに行って、その後ガミガミ言うたるな。なあ?あの店はワシのツレがやっとる所やからな、融通利くし、兄ちゃんに悪気がないのも向こうは分かったあるから」
そう言い、穂積は琢磨の肩を組むようにしてぽんぽんと叩く。
「ただな、兄ちゃんな、これも勉強や。ほんまはな、茶碗にごはんよそうてもろうて刺身だけもらう言うんはな、ルール違反なんや。暗黙の了解っちゅーかな、コッチの行儀の話になってくんねん」
「……うん……」
ボディガードと合わせて5人。
駐車場に着いても話が終わらず、車の前で立ち話をしている。
「だってアレやろ、あそこの職人さんら、何十年も修行してにぎり覚えてきてんのに、にぎり寿司頼まなんだらアンタらの腕前なんか必要ないで!言うてるようなもんやろ」
「あ、…そっか」
穂積はまた琢磨を宥めるように続ける。
「よっしゃ、これでこのことはもう忘れんやろ。まー、あの店はな、誰も評価してない敷居を十段重ねにして、店名を『頑固』にしてる寿司屋とはワケが違うからな。また気軽に食いに行ったらエエわ」
「うん、分かった。んで今度謝りに行くわ」
「まー別に謝る必要はないけどな、自分の行儀の仕方を考えたら、自ずといろんなモンが見えてくる。ま、そういうこっちゃ。こんなもんでエエやろ、なぁ?直樹」
「………」
そりゃ俺だって、それくらいのテンションで物を言う技術くらい持っている。
『今コイツが言った内容は、今から言おうと思ってたのに』
そう思っているのは自分だけで、コイツも怒られていると自覚した段階で、俺の長い説教を聞く気は約三分の一だろう。
……まぁいいんじゃないの?
「ニイニイ、ごめんな、恥かかして」
「え?あ、おう……ま、今度から気ィ付けェや」
直樹の言葉が終わったと同時に、穂積が自分の車へと乗り込んだ。
「じゃあな、兄ちゃん。今度はそやな、月末の給料日、おいちゃんトコ会いに来てくれや。給料渡すから。それまで直樹のニイニイにあんじょう面倒見てもらいや」
車の窓からそう声を掛けてくる穂積をじっと見つめつつ、直樹は思う。
ナニが給料日や。その財布の中の現金、今すぐあげりゃエエやろ。
コイツ、約2ヶ月収入ナシやないか。
なのに、
「うん、分かった。行く!」
「………」
……何と素直な。
直樹が一言も発さないうちに、穂積の車は走り去る。
目論見は、今の時点で全て外れた模様。
コイツがいた段階で、杯の話ができないのは分かっていたが。
「そやけどニイニイ、魚おいしかったなー!俺、腹いっぱいやったのに、さらに食べれたもん」
「おう、そうか。じゃあ稼ぐようになったら自分でも食いに行ったれや」
「1人で寿司屋かよ。それってスゲェな!分かった、そうする」
2人も車へと乗り込み、移動を始める。
すぐに穂積を追いかけたい気分なのだが、一度コイツを送ってからにしよう。
食事中もずっと考え、今もずっと考えている。
自分が杯を受けることに関する問題点。
聞いた言葉を噛み砕き、分別し、加味していると、次第に億劫になるこの癖。
しかし今日は面倒臭いでは済まされない。
助手席で腕を組み、顎に手を遣ったまま考え事をしている直樹を、ちらちらと琢磨が見ていた。
琢磨を公園で降ろし、自分が運転席へと回る。
いざ車を出そうとした時、開いていた窓に琢磨が顔を寄せて話しかけてきた。
「ねぇニイニイ、今からどっか遊びに行くんちゃうん?」
「ハア?遊び?遊びになんか行かへんよ」
「じゃあ真っ直ぐ帰るん?」
「……お前に関係ないやろ」
俺が杯を受ける話は、本当にコイツには関係ない。
コイツを巻き込む必要はない。
「おい、もうエエからお前車から離れろ。走らすぞ」
直樹の声に、琢磨が一歩下がった。
「それとお前、そのスーツ、ちゃんとクリーニング出して返せよ。ソレ着て出るなよ」
直樹はそう言い置き、車を出した。
ルームミラーに映る、突っ立ったままこちらを見ている琢磨の姿。
今から行くのは遊びとちゃうからな…。
直樹は今度こそはと穂積の元へと向かう。
途中公衆電話に寄り、大事な話があると、今から行くと連絡を入れておいた。
目的地は、いつも穂積が寝泊りに使っているホテル。
駐車場に先ほど穂積が乗っていたベンツがあることを確認し、その隣に自分の車を停める。
車のドアを閉めた瞬間、腹の芯が背筋を駆け上がった。
何故か緊張していた。
ついさっきまで頭を悩ませていた一条の言葉が淘汰されるほどに、緊張していた。
その思考は行動にも表れ、直樹はホテルに入るとフロントを通すこともなく、急いた足取りでいつもの穂積の部屋へと向かって行く。
重厚なドアの前、立ち止まったその場で深呼吸することも忘れていた。
間髪入れず二度ノックすると、すぐに返ってきた穂積の声。
中では入口のすぐ傍にボディガードが2人、まだ穂積に引っ付いている。
少し照明を落とした部屋の中、ソファに座りテレビを見ている穂積の背中はこちらを振り返らない。
伝え、聞いてもらわなければいけないこと。
自分が今抱いている構想の中で必ずしなければならないことであるが、嫌なことは後回しにしたいという人のサガ。その心。
今日のコレがソレ。
直樹は穂積に歩み寄り、
「あんなオッサン、あのガキ、あんまり甘やかさんといてくれるか」
意を決したはずの第一声は計画や予定にはなかった、そんな言葉だった。
穂積はそれにゆっくりと、
「甘やかすってナニよ?」
「寿司屋のことやんけ」
直樹は言いつつ、穂積の座るソファの端に勢い良く腰を下ろした。
「うーん……あ、そう。甘やかすねぇ…」
「………」
直樹は自分が陶酔しがちで、目標を決めた場所に対し最短距離の線を引っ張り、他には目もくれずその線の上を歩いて行く自分を知っていた。
今日の杯の件、この申し出を穂積に断られてしまうと目的を見失い、その線の上を延々と行ったり来たりするだろう自分のことも理解している。
「ほんでやなぁ、何で俺の食うた分は奢ってくれへんねや?」
正面から目を逸らすことのない穂積の横顔は、テレビの光を浴びて様々に色を変えていく。
「何で儲けとるアンタに奢らなアカンのやー」
「アイツの分は出しとるやないか」
「あの子はまだ中学生や。義務教育の域やろ。大人が面倒見んでどうするんや」
ワイシャツ姿の背中を丸めたまま態度を変えず、なおもテレビに見入っている穂積を歯痒く思った。
さっき大事な話があるって電話で言っただろ。
踏み出せないでいる自分、タイミングを計っている自分にやきもきが肥大していく。
その内今回の件を自分の中で穂積のせいにし始めたとき、その彼が口を開いた。
「何や直樹。そんなしょうもない話しに来たんかい?それやったら帰ってよ」
帰ってよ、と言われたこの時しかないと思った。
「……あのなオッサン、エエ加減俺にも杯下ろしてくれんか」
穂積は微動だにしない。
「いろいろと…あー、何や、…不便やねん。ほんで……アンタがほら、引退した後もあるワケやん?俺はほら、隠居するワケには……」
モゴモゴと口ごもるように話す直樹を堰き止めるかのように、穂積はそこではっきりと音を出した。
「イヤやなぁ」
「……えぇ?」
言われた言葉が咄嗟に飲み込めなかった。
続いて、すぐさまその含意を掻き分けた。
「………」
「………」
何となく持って来づらかったこの話が、節からストンと落ちて行く。
「イヤ、簡単に言うとんちゃうねん。商売やって行くにもよぅ、名前っていうのが必要でな。ちゃんとしたアンタんトコの組員っていうことならよぅ、」
「イヤやね」
「イヤ、だからイヤとかそんなんじゃなくて、」
……へし折れそうになる。
鋼の心が売られているのならば、きっと俺はいくらだって出すだろう。
「イヤや」
横顔を見せていた穂積は徐々に向こう側に体を回転させ、こちらに背を向けてしまった。
「ハア?何やソレ。イヤやのうてダメやってことか?」
「………」
「無理ダメってことか?」
「………」
「オイこらオッサン!はっきりせぇよ。オノレの主観で言うとるのと、ソレが不可能っていうことじゃ話が全然違うてくんねんぞ。アンタが個人的に俺を子分にしたくないんか、それともシステム上無理なんか、どっちなんや!?」
直樹は立ち上がり、穂積の背に向けてそう言い放つ。
それでも穂積はこちらを振り向かない。
テレビからも目を逸らして、
「今テレビ見たいんやー。しょうもない話やったら帰ってくれるかい?」
何の説明もなく、一定のテンションでばかり返ってくる応えに、直樹は声を大きくする以外方法が見付からない。
「何じゃお前!何スネとんねん!何や、今日は機嫌が悪いってか!言うとくけどな、何回でも来んぞ!明日も来たるからな!!」
穂積の背中にそう怒鳴ると、直樹はソファの背もたれを跨ぎ越えた。
『何度でも来るぞ』
果たして俺にそんな粋な部分があるのか?
……今回俺は自爆したのか。
それとも地雷を踏んだのか。
ハキハキと動く足とは裏腹に、段差のない床に躓きそうになった。
足音を鳴らして部屋を出る直前、ちらりと後ろを振り返る。
体勢を変えない穂積の横顔。
丸めた白い背中。
引っ込みがつかず、乱暴にドアを開け、ついでに大きな音をさせてドアを閉めた。
何やねんアイツ!!
文句が口を突いて出そうになるのを我慢するように、歯を食い縛る。
イライラしながら大股で踏み出した直後、後ろでドアが開き、ボディガードの1人が廊下に出てきた。
……目が合った。
一拍置いて、直樹は口を開く。
「……何や。何か用事かいな」
「………」
しょっちゅう見かける面子の中にいつもいる人物ではあるが、名前も知らなければ声も聞いたことがない。
もちろん話したことなどない。
「……秋月くん」
「……何」
……このボディガードが直樹に話したことは、自分の身辺を少し見渡せば自分で気づけたこと。
また我を忘れ、自分に夢中で、足元を含めた自分の周りを一切見ていなかった。
「君が会長の杯受けるっていうのは不可能やで」
「何でや」
「周りに示しがつかんやないか」
「……?」
「君、○○会の片桐のところにおったやないか」
「――――ッ!!」
彼の言葉は自分を唸らせるまでもなく、至極尤もな内容だった。
杯などは交わしていなかったが、俺は片桐の下、この世界で生きていた。
詳しい事情を知らない自分でも容易に想像できたはず。
余所の組にいた人間、ましてやその組織の上にいる者の命を狙った人間を、おいそれと自らの組に入れるなど常識では考えられない。
自分は片桐の組から外れたわけでもない。
逮捕・収監で中断しただけで、その後流れるままに穂積の組へ入り込んだ、ただそれだけの形。
この世界、それがどれほど常軌を逸した行為であるか。
「――――…」
直樹は身動ぎしないまま、その場に立ち尽くす。
……やっと気づいた。
穂積はこれらの問題を打破すべく、たかが直樹1人のために大金を使い、人脈を使い、まるで匿うかのごとく保護してくれていたのだ。
これまでずっと。
「宿り木があるっちゅーのはな、ありがたいことや。さらにそこで甘え事を言うても許されるっちゅーのは、この上ない幸せなことやろう。秋月くん、自分のことももちろんやが、会長のこともちょっとは考えな。君の目にどう映ろうが、あの人も人間やからな」
血の気がサッと引いたのと同時に、その場で穴を掘り隠れたいほどの恥を覚えた。
直樹はボディガードの男に、
「……はい……分かった」
そう返事をして、その場から逃げるように立ち去る。
帰りの車は放心状態。
久しぶりに何も考えずにいる時間を過ごせた。
―――― 杯事のことな、もうちょっと考えた方がエエぞ。
一条のあの言葉が頭の中を何度も浮かんでは消えて行く。
しかしそれに対して、直樹はもう悩む術など持ち合わせてはいなかった。
次の日はこれまでもそうだったように、仕事に行っても集中できず途中で帰宅するような、そんな日になるだろうと考えていた。
今まで図らずも・好き好んで・仕方なくこのような形で生きてきたが、それでもこんな自分にすら体のどこかに羞恥心という箇所はあるらしい。
それに何かがそっと掠っただけでそのシーンが蘇り、辺り構わず叫び出したくなる。
いつもならそんな衝動に駆られるのだが、しかしこの日はその定着パターンではなかった。
昨夜自分が周りに振り撒いた恥が吹っ飛んでしまうような出来事。
会社に、直樹宛の手紙が届いていたのだ。
『―――― 毎日暑いな。
お前の活躍を聞いて、暑かろうが寒かろうが元気にやっとるって知って安心してるよ。
いまだにお前がその商売を続けとるとは思ってなかったな。
でも思い出してみたら、お前は昔から自己陶酔っていうか、猪突猛進というか、始めたら際限なく進むところがあるからな。
お前の性格が変わってないってことで、逆に安心してるよ。
相変わらず酒は飲めんのか?
タバコもやらんのか?
だとしたら、らしゅうないヤー○やな。
俺はお前の帰りを待たんと日本を出たことを、ずっと後悔してた。
事情っていうのは俺らのもんであって、お前の帰りを待たなんだ事実をどう消化するかは、お前の作業やからな。
本当に申し訳なく思ってる。
やっぱり怒っとるか?
だから電話もくれんのか?
お前の会社に何回も電話入れたけど繋いでくれんし、仕舞いには「秋月直樹なんて人間はこの会社にはおらん」って言われる始末や。
手紙なんて、お前に言付けたあれ以降書いてへんし、うまく言いたいことが伝えられへん。
お前を待たなんだ俺を許してくれって言うつもりはないんやが、ちゃんとお前にごめんがしたいんや。
一回会えへんか?
返事がNOでも、一度返事だけは欲しいと思うてる。
俺はまた事情があって、家族で日本へ戻って来たんや。
もう日本を出ることもないやろう。
さらに子供も生まれた。名前はタケシにしたんやぞ。
美奈子とおかんもお前に会いたがってる。
返事、待っとるからな。
06-×××-×××× 大林 健』
沈んだ顔で出社した僅か5分後、直樹は打って変わった満面の笑みで会社を走り出、一目散に車に飛び込んだ。
手にはその手紙を強く握り締めて。
1人の空間で、もう一度それを読み返したかった。
数日前、自分に伝えられた『大林』という人物からの電話もパクからであった。
そんなことを思い出すが、今はもうどうでもいい。
誰やねんほんま!!アイツらが帰って来ん言うたんは!!
帰って来たやないかァッ!!
自分の中で垣間見える文句も笑顔で言いのける。
誰が怒っとるって!?
怒ってるわけねぇだろ!
バカが!遠慮しやがって!!
湧き上がる高揚に、この感覚が久し振りであることを思い出した。
アイツらも大人になったんかな。
こんな気分、久し振りやから、俺も随分と大人になったんやろな。
そんなことをあくせく考えながら、車を走らせ続ける。
―――― 急げ!
逸る心を、何度も体が飛び越えた。
手に握った、ぐしゃぐしゃになった手紙とハンドル。
嫌気のベクトルが四方に飛び散っていた最中、喜気のスカラーは俺を追い抜いて行く。
嬉しくてしょうがない。
ルームミラーでサングラスを掛けた自分の顔を確認してみた。
爪先から頭の天辺まで、人様から見ればいかにもといった感じなのだろうが、それがパクとの再会の妨げにはならないだろう。
笑われたら着替えればいい。
直樹は車を運転しながらブツブツブツブツと余念なく、久し振りに会うパクへの挨拶の練習をしていた。




