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幻影肢 2

マンションに戻ってまず直樹がしたことは、メグミへの電話だった。

何か用があったわけではないが、この時間なら部屋にいるだろうと思った、ただそれだけ。

電話のコールは何度か繰り返し、やがてカチャッと音がしたところで少し我に返った。

これといった用事があるわけでもない自分を思い出す。

「あ、もしもし?」

しかしその声に返ってきたのは、留守を告げるメッセージ。

そして、

……ピ――――ッ

直樹は慌てて受話器を置く。

同時に口から零れたのは、

「……用事なんかあるか。どいつもコイツも平日の昼間っから……」

そんな、どこに焦点を絞っているのか不明な言葉。

すっきりしない、横隔膜の辺りのこのモヤモヤ。

何故今、自分が不貞腐れているのか理解に苦しむ。


直樹はベッドに寝転がり、しばらくの間見慣れた天井を眺めていた。

自分を追及することもなく睡眠を取るわけでもなく、ただ過ぎていく時間。

30分ほど何もすることなく天井を見た後ようやく起き上がり、本来の目的であった書類の束を引き出しから取り出して、部屋を出る。

微かに疼くモヤを、手の届かない場所へ放り投げたわけではない。

理解し難いものを自分の中で濾過する、それは大分難しい。


車の後部座席のドアを開けて書類を置き、運転席に回ったところで、2つ隣に停まっていた車から4人の男が降りてくることに気づいた。

直樹は振り返り、その動作をじっと見る。

すると男達の1人が、さも知り合いかのように話しかけてきた。

「おい秋月、今からどこ行くねん」

「………」

男は直樹の車のボンネットにバンッと手を置き、

「お前、相変わらずゼニのええニオイさせとるなぁ。端数でエエからウチへも回してくれんかなぁ」

見覚えのないその顔ぶれ。

直樹は開きかけていた車のドアを、一旦閉じる。

「誰や、お前ら」

問うた直樹に2人が顔をニヤケさせ、その片方が直樹の正面を塞ぐように立った。

「大物ぶらんといてよ、アンタ。こないだアンタ、うちのノミヤから万馬券の配当かっ攫って行ったやん。俺ら幹部がおらんうちによぅ」

「………」

「アレェ返やしてもらわんと、ウチらアッチもコッチも首回らへんねん。同業者、しかも身内やろ?」

「………」

コイツらが何を言っているのかサッパリ分からない。

コイツらが誰なのかも含め、話が見えて来ない。

ウチの人間がやったことか。

それともただの言いがかりか。

「……お前らドコのモンよ?マジで分からんのやけどな。油断させて、実はノックアウト強盗でしたーなんて言わんやろな」

直樹は正面に立つ男に顔を近づけた。

「俺シバいたら、高うつくで」

炎天下の、しかも真昼間に繰り広げられているその光景に、道行く人たちが騒ぎ始めた。

「……お前、マジで俺らのこと分からんのか」

直樹はその問いに、冷静に応える。

「知るか。お前らの顔も知らにゃ、ノミヤの話も聞いてへん。ここで『皆さん強盗ですよー』言うて騒いだろか?俺に騒がれるのと、俺をシバくのとどっちが安うつくんやろうなぁ?」

睨み合った僅かな沈黙の後、後ろに立つ1人が周りの騒ぎを気にするように男の肩を引っ張り、直樹から引き剥がした。

「……まぁエエわ。身内やしな。この話はまたゆっくりしようやないか」

車へと歩いて行く4人の男たちの中で、先ほどの男はじっと直樹を睨み続ける。

直樹もそれに応え、目を逸らさない。

車へ乗り込む前、1人が声を掛けてきた。

「おい秋月」

「………」

「お前な、身内にまで下手に幅利かせよったら、今後どうなるか知らんぞ。これは脅しとんちゃうで。チンピラも可愛げのあるところで止めとかんと、あと何日生きられるか分からへんぞ。なぁ?」

そう残し、男達は車で走り去った。

それが見えなくなった頃、周囲の人間の興味も徐々に直樹から離れていく。

身内身内と言われても、自己紹介したこともされたこともなく、アイツらのルールというものもよく把握できていない。

……いきなり身に覚えのない何かを押し付けられたような気がした。

気色が点から点へ飛び移り、だから人付き合いっていうのは…というそこにしか目が行かなくなる。

直樹も車へと乗り込み、アクセルを踏む。

線を結ばない点と点の間に、先ほど端へ押しやり落ち着かせたはずの得体の知れない苛立ちを見つけてしまった。

「………」

イライラが止まらない。

自分でも理解不能な感情のままに、途中あの公園の前で車を停め、降りた。

ミントグリーンのフェンスに囲まれたその向こう、琢磨はまだ鉄棒で遊んでいる。

それに向かって、直樹は大声を張り上げた。

「おいコラ!!」

2人がこちらを振り返る。

「お前何やっとんじゃッ!!コッチへ来いッ!!」

琢磨はすぐに鉄棒から飛び降り、こちらへと走って来た。

それを待っている間もずっと、足を踏みしめ貧乏揺すりに似た動作をしている自分。

フェンス越しに琢磨が目の前に立ち、

「あれニイニイ、何やってんの?」

と話しかけてきた。

「………」

何やってんの?

そんな問いに返せる答えなんぞ持ち合わせていない。

「俺、仕事夕方からで良かったんよね?何か急な仕事?」

「……うん、まぁ……まぁな」

「え、マジで?分かった、ちょっと待ってて」

琢磨はまた鉄棒へと走って行き、友達らしいその少年と遣り取りをしている。

俺は一体何がしたい?

……仕事なんかねぇぞ。

2人とも連れて行き、昼ごはんでも食わせてやるか。

そんな考えが頭を過ぎったが、先ほどから自分の邪魔をする苛立ちが意地となり、その行動へ移させてくれない。

やがてフェンスに嵌まったドアから、琢磨が出て来た。

「ごめん、お待たせ」

そう言いながら自ら運転席へ回り込む琢磨。

その姿にしかめっ面でいた自分の口元が、への字に変わるような気がした。

……1人が良かったはずやのに。

俺はまた一段と弱くなったんか?

「ニイニイ、何やってんねん。早よ乗って」

直樹も黙って助手席へ乗り込む。

「どこ行くの?」

「………」

「ん?」

「まぁ、適当に走れや」

「ハア?」

「エエから」

「…うん、分かった」

また少し弱くなったと自覚しながら、それを打破するように自分を鼓舞するように、この嘘を乗り切ろうと思う。


車の中で直樹はいつになく、琢磨に話しかけ続ける。

「お前、昼間とか何やっとんねん」

「昼間は……うーん。俺、今道場通ってるんやんかー」

「あの鉄棒におったん誰や。ツレか」

「ツレ?俺、ツレなんかおらんよ。あの人、この辺に住んでる高校生らしい。今日初めて会うてん」

「ふーん」

琢磨の返事に、何故かほっとしている自分がいた。

停まったままの車の中で話は続く。

「お前、趣味とかあるんか」

「趣味?」

「………」

何でコイツに『ご趣味は何ですか?』なんていう話をしているのか。

趣味を聞かされても、それはそれで返事に困る。

「趣味かぁ…うーん…バックル集めかなー。あのベルトのバックル。あとねぇ、うーん……」

腕を組み、首を傾げながら考えている琢磨。

「……まぁちょっと車走らせろや。適当でエエから」

「え、あ、うん」

2人の乗った車はそろそろと、ようやく移動を始めた。

「○○号線に出て上に曲がってずーっと走ればいいから」

「上?上ってドッチよ?」

「まぁ走ればエエんや」

目的がないのを知るのは直樹のみ。

ただコイツと話をしようと思った。

……本当にそれだけなのか。

「あ、分かった、音楽や、音楽!音楽好きやねん、俺」

「あー、音楽な。ふーん」

直樹はそう言いつつ、車に積んであったCDをかける。

流れるのはワーグナー。

「へぇ、ニイニイってクラシック聞くんや」

直樹はここぞとばかりに

「そうや、相当詳しいで、俺は」

と返事をする。

しかし返って来た琢磨の言葉は、直樹の想定外のものだった。

「俺はねぇ、まぁ基本歌詞が分からんとつまらんから日本の曲聞くんやけど、一番好きなんはねぇ、フィフティーズ」

「フィ…フィフティーズ?」

「そう。アメリカの50年代の…ほら、ロカビリーってヤツや。エディ・コクランとか、エルビスとか」

「???」

「あれ?知らん?ああそうか、エルビスやなくてプレスリーって言った方が分かるんかな。プレスリーが初期にやっとった音楽。うーん、日本やとどういうのかなぁ。沢田研二の『ストリッパー』とか、ロカビリーっぽいんやけどな」

「………」

音楽が好きだという共通点は見つけたが、その音楽の趣味が合わないということも十分分かった。

「……沢田研二って何か新曲とか出してたっけ?」

「いや、随分古い曲のハズよ、『ストリッパー』ってのは」

「ふーん」

自分の我侭で、同年代同士が楽しくやっているソレに水を差した今回。

1人でいるのがつまらなかったと、10以上も年の離れたコイツに言えるワケもなく、自分から合わせようとした会話も間が持たない。

……ジレンマが音を上げる。

負けるな、と。

「……おっちゃんからちゃんと給料貰うとるか?」

「イヤ、まだやで。何か言われたんは、給料日の後からの採用やからしばらく給料は貰えんらしいよ。そん代わり、ごはん食べさしてもろうたりしよる」

本来コイツに食事をさせてやるのは俺の役目なんだろう。

今日から俺が食わせてやるか。

……にしてもコイツ、穂積に騙されてるんじゃねぇだろうな?

1ヶ月以上経ってるぞ……何で金をやってない?

「……お前な、欲しいモンとかないんか」

「え~、欲しいモン?そうやねぇ……部屋。それとバイクかなぁ」

「イヤ、そういう話じゃのうてな、お前らの年代なら服とかゲームとかよう。いろいろあるんちゃうんか」

直樹の問いに、琢磨はこちらを向くこともなく応える。

「今、そんなんいらへんよ。1人でな、1人でやってかなアカンからなぁ。生活の基盤を自分で作らんとな」

1人で生きるということがいかに難しいか。

俺はコイツよりはその辺を驕ることなく知っているつもりでいる。

直樹は自分の持ち合わせる、少しならば譲歩できる、そんな持論を話し始める。

「あのなぁ、この国で暮らす人間、お前も俺も含めてや。平等に見えるやろう。なぁ?」

「………」

「一見平等に見えるその辺で、笑うたり怒ったりしとるヤツらにも、ちゃーんと階級があるんや」

「階級?会社の立場とかそういうの?」

「まぁそれも含めてやな。その階級の上におるヤツ、それはな、ゼニを持っとるヤツらなんや。上の階級におるヤツを蹴落としたろう思うたら、ソイツよりも多いゼニが必要になる。人はな、ゼニを持つことで上級に行けるんよ」

「………」

「俺はな、人の嫉妬、欲望いうモンをな、愛して止まないんや。例えば目の前に純金でできた饅頭があったとしようか。食べてもいいけど、ソレは体に毒ですよ言われたらな、俺は薬を用意してその純金をかっ食ろうてやる」

……俺は一体、コイツに何の話をしているんだ。

この話を展開することで自分の野望をさらに明確なものとし、それにちょっとでも近づこう。

そんなつもりででもいるのだろうか。

「お前みたいなな、クソガキ、まだ1円の価値もないんや。お前みたいな中学生、1円にもならん」

「………」

「そんなしょうもない命に、付加価値を付けたいと思わんか?先に学んどけば得することも多いやろ。お前の周りに車の運転できるヤツなんかおらんやろ」

話す流れの中で、これを言うタイミングを計っていたのだろう。

「……まぁ何や、お前の身、俺に預けてな、ちったぁ値段上げてみたらどうや。なぁ?」

意を決しての言葉だった。

しかし、それに対して琢磨が返したのは、

「うん、分かった。いいよ」

「………」

思わず黙りこくってしまった。

「いいよ」と言われてしまうと、俺がまるで「ちょうだい」と言ったような、そんなニュアンスになってしまうではないか。

軽くあしらわれ、どこかマインドコントロールに掛けられたような、そんな気分すらして拍子が抜ける。

「………」

沈黙から抜けられないでいるが、回ってきた会話は自分の番。

立て直すつもりで咳払いを2つして、直樹は頭の隅をほじくり、続く言葉を攫ってくる。

「あー……明日の夜な、まぁ飲み会っちゅーかな、穂積の周りの人間が集まる食事会みたいなんがあるんや。お前も行くか?」

「え、マジで?めっちゃご馳走出るんちゃうん?」

「あー、まぁな。会場は一応、高級ホテルや」

「うん、行く行く!あー、でも仕事はエエん?俺の仕事」

「ま、1日くらいな…。じゃあ一緒に行くか」

「うん」

そこで琢磨は、突然何かを思いついたような顔をして弾んだ声を上げた。

「俺が欲しいモンはねぇ、やっぱり『自信』やな。それに加えて、自分の中の確固たる正義!」

「正義?」

「うん」

「お前な、こんな裏社会に潜り込んで来といて正義の旗振りたいなんておかしいやろ。何言うてんのか分かってんのか?」

それに、琢磨は驚いたようにこちらを見る。

「ええ!?ニイニイ、でも弱いもんイジメはしてないやろ?」

「………」

「俺ねぇ、自分の考え甘かったと思うてるわ。ニイニイと仕事するようになって、いろいろ勉強した。中の悪は大の悪で揉み消すしかないんやろう。それって、世間への礼儀なんやろう」

「………」

「ニイニイが困ってる人に更に小便引っ掛けるようなことしてるの、見たことないんやけどなー。俺はニイニイと一緒に、弱いもんイジメしてる悪を根絶やしにしてるつもりでおるんやけど。違うん?」

「………」

なるべく、なるべくではあるが、真面目に一般社会で生きている人たちには迷惑を掛けないようにビジネスを展開してきた。

正直に仕事をしている人たちには、正直に付き合うようにしてきた。

……しかしコイツの考え、まだまだ甘いんではないのか。

「お前な、ヤ○ザもんの事務所に乗り込んどいて、正義や悪の話をするなんざネムタイんちゃうか。自分で言うのも何やが、俺は相当なブラッキーのハズなんやがな」

すると琢磨は「うーん」と唸り、

「そう言われたら、ニイニイが正しいかどうかなんてちゃんと考えたことないな…。それとも考えんようにしてたんかな。俺は見えるモンしか信用できんし、ニイニイが言うてるその辺もよう理解できんな。やっぱりその辺、甘いんかな。まぁでもこれからもニイニイが悪かどうかは考えんようにするわ」

「………」

したくないことをさせられている、そんな現実に直面していたら、その辺は深く掘り下げて考えないといけないだろうに。

それを教えてやるべきか。

……さっきああ言った俺が教えてやるってか?

如何に言葉を紡ぐべきかと黙る直樹に、琢磨は続けて言う。

まるで物を教えるかのように。

「やっぱり、ちゃんと心を養うとかなアカンわ。心を頑丈にしとかんと、怠けたいっていう自分に負けてしまうやん。なぁ、ニイニイ」

「………」

「そんなん嫌やもんなぁ。なぁ、ニイニイ」

その辺は自分も考えたいところだった。

今回この車の中で、俺の出身地は関東で云々…そんな話をしようと思っていたのだが、タイミングをごっそり持って行かれてしまった。

コイツと話をしていると、とことん自分に非凡を感じないようになる。

怠けたい自分に負けてしまう、か。

簡単そうで思いつかなかった、そんな言葉。

それを耳にし、少し、ほんの少しであるが、胸の曖昧な塊が解けた気がした。

「明日出る料理ってどんなんやろなぁ?ステーキとか出るんかなー?俺、牛肉はあんまり食べんのやけど、こうなってくると明日は特別な日かなー。明日くらいはいいかなー」

その後は下らない話を2人でして、目的地のないままに時間を潰し続けた。



今日の会合は決起集会と銘されてはいるが、直樹は分かっている。

穂積が普段連絡の取れない連中を集めるために、大々的に催す会合。

裏で進退について何かしらの話がされるのだろう。

直樹がこの会合に出席したのは、そうに違いないと考えた上。

この日、自分も穂積からの杯を受ける確約を取るためだった。

日々身の危険を感じている自分にとっては、どんな連中が来ているのか分からない、こんなに人の集まる場所に出向くのはリスクがあったけれども。

「ニイニイ、アレ見てみ?あんな高いところにシャンデリアがぶら下がったある!」

社会勉強になるかどうかは判断し辛いが、昨日約束した通り、琢磨もこの会合へ連れてきた。

赤い髪を横分けにし、ブカブカのスーツの裾と袖を何重かに捲り上げている。

いくら何でも普段のジーンズや革のパンツや刺繍の入った服を着させるわけにもいかず、自分のスーツを琢磨に貸していた。

「…やっぱりデカすぎたな。結構みっともないかもしれんな」

そう言って、直樹は琢磨が着ているスーツの肩を摘み上げる。

「エエよエエよ、気にせぇへんねん」

琢磨はホテルの中をうろうろと物珍しそうに見回っている。

その姿を眺めている直樹の横を、いかにもといった連中が次々と通り過ぎていく。

中には知った顔もあり、直樹は自分に気を入れるべくクッと全身に力を込めた。

「おい、あんまりうろうろすんな。会場コッチや」

「うん、分かった」

2人は連れ立って大広間に入って行く。

立食パーティーの形式を取ったその広い会場には大勢の人間が集まっており、凡その人数すら把握できない。

「わー!何やねんコレ!!めっちゃ料理あるやん!ニイニイ、俺いきなり来たけど、俺の分もちゃんとあるんかなー?」

「イヤ、お前の分っていうか……これはお前、立食パーティーで、どのテーブルのモンも好きなように取って食べたらエエんや」

「ええッ!?マジかよ!全部かよ!!じゃあ俺が1人紛れ込んどっても分からへんね!ねぇ!?」

出会った頃から、初めて見るもの全てに対してこういったリアクションを取る琢磨。

そんな彼に好ましい情といおうか、愛でる眼差しを送れるようになっている自分のことも知っていた。

コイツから教わることも多々あるのだが、教えてやれることは教えてやりたい。

そんな風に思える関係がまんざらでもなくなっている。

「うん、エエよエエよ。コイツら皆、酒しか飲まへんのや。全部食うてエエ」

「おお~!全部かよ~!イケるかなー!?」

数々の料理にはしゃぐ琢磨は、直樹の「go!」を待っている。


その時静かな音を立てながら、舞台の緞帳がゆっくりと開いた。

広間に集まる人間の口がピタリと閉じ、無数の視線が一斉に正面へと向けられる。

そこへ立つのは、穂積。

「皆さん、今日は忙しい中、申し訳ないですな。まぁ細かい事情ってのはねぇ、いろいろあるんやけどねぇ…。今日は皆さんにちょっとでも元気になってもらおう思いましてねぇ、こういう場を設けさしてもろうたんですわー。まー、こん中にワシのこと()ろうとしとる反目のモンが何人混じっとるんか知りませんが、まぁ殺りに来るときは是非1本電話もらいたいもんですわ」

会場がドッと笑いに包まれた。

「電話さえ貰うたらワシ、白装束着てシェルターの最下層で周りにマシンガンいっぱい置いて待ってますんで、いつでも来てくださいや」

そこでまた笑いが起こる。

直樹は穂積の言葉に表情を変えることもなく、ただじっと舞台を見つめていた。

壇上の穂積は笑みを浮かべながら演説を続けている。

「まー、こんなこと言うたら恐縮なんやけどもなぁ。折角のこんな場ァやけど、無礼講っちゅーのは有り得んので。皆さんソコソコに楽しみながら、ガチガチで大いにやったってくださいや」

またまたドッという笑い声。

「ワシからは以上ですわ」

そう締めると、穂積は舞台から去る。

そこから会場は歓談の場になり、皆がそれぞれ飲食をし始めた。

「ニイニイ、もう食べてもエエの?」

「あ、おう、いいよ。あまり騒ぐなよ」

「うん、分かってる」

琢磨は返事もそこそこに、料理の並ぶテーブルに走って行った。


その場から一歩も動かず、壁に凭れ掛かった姿勢で立っている直樹。

舞台の上では、テレビでは見たことのないお笑いタレントたちが代わる代わる余興をしている。

直樹はそれに目を遣ることもなく腕組みをし、広間に散らばる知った顔を捜していた。

○○建設の社長やな。

アレは確か、○○会の人間や。

妙見迫もおる……。

難しい話があるとそう考えここへ乗り込んできたが、この場の空気は実に和やかなもの。

期待と推測通りに行くのかどうなのか。

こんなパーティーなど目的の瞬間までは退屈な時間以外の何物でもなく、気分は半分手持ち無沙汰になりつつある。

遠くに広がる人まみれの景色が頭をぼんやりさせ始め、直樹はそれを振り払うように視線を身の周囲へ寄せた。

そこで、こちらにやって来る1人の男に気付く。

「おい、元気か?」

「…あ、おう、一条」

近づいて来た男は直樹の先輩に当たる人物。

直樹が穂積の世話になる少し前に、直樹と同じように穂積に面倒を見てもらい、この世界に入った男だった。

「久しぶりやなぁ。1年ぶりくらいか。どうや、儲かっとるか?」

直樹はこれまで組内の人間とあまり接することなくやって来たが、自分と同年代のこの一条という男だけは別だった。

発想が斬新でヤ○ザな生き方をしているというよりはビジネスマンに近く、直樹にとっては良い意味での競い相手。

起業したときには助言を求め、また一条にも自分が気づいたアドバイスなどをしていた。

近くもなければ遠くもない、そんな関係でいた唯一の人間。

「まぁ、まあまあかな。お前んトコはどうよ?」

そう問うと、一条は酒を片手に直樹の隣の壁に凭れ掛かった。

「ウチはまあまあ通り越してしもうたかなぁ」

「ん?」

「今日は穂積のオヤジに挨拶するために来たんや。俺、高飛びするで」

「ハア!?何やソレ!」

「ちょっとヤバイのに引っ掛かってもうてな…。お前に手伝うてもろうた、あの○○区のビルもパーン!や。穂積のオヤジの後ろ盾もなくなったら生きにくうなるからな。金のあるうちにどっかヨソの国へ逃げるよ」

「立て直せんのか?何やったらできることはやるで」

「ハハッ!おおきに。せやけどもうエエわ。俺は降りるよ。今こうしてる間も、どっかで狙われとんちゃうかーとか、夜もおちおち寝とられんとか、ちょっと疲れてもうた」

そこで一条はグラスの氷を一度回した。

「このレース、辞退するわ」

「……そうか」

「人に恨み買うようなことした覚えないんやけどなぁ。ま、他力本願の輩は、ちょっと自分が傷ついたらそれを人のせいにしたがるんやろう。できるだけ人に迷惑掛けんっちゅーテーマは、なかなか難しいなぁ」

「………」

自分は今、穂積と話をすることでようやくスタートラインに立てるものだとばかり思っていた。

一条が言った『レース』

身の危険を日々案じている自分も、すでにそのレースに参加していたことに気づく。

「お前、えらいカワイイのを連れとるやないか。何やあの赤いの、舎弟か?」

「あーイヤ、そんなんとちゃうよ。俺はお前と違うて本域のヤ○ザとちゃうからな、舎弟なんか持たれへん。あの赤い頭のは……うーん……」

ここまで言って、琢磨と自分の関係をどう表現していいのか困ってしまった。

どう言えば一番しっくり来て、何だったら正解なのか。

当てはまる単語を決めかねてしまう。

直樹は誤魔化すように、違う話題を振ることにした。

「俺な、今日穂積から杯下ろしてもらおう思うとるんや」

ただ何となく、さらりと言ったつもり。

しかし一条はそれを聞くなり「ハア!?」と声を上げ、呆れたとも驚いたとも取れる表情で直樹を見返してきた。

「な、何やねん、アカンのか」

「……おい秋月、お前何言うとんねん」

一条が直樹の肩をグイッと掴む。

「お前、大丈夫か?そんなんできるワケないやろ」

「は?何で?」

「何でってお前……」

そこで言葉を止めた一条は口を閉じ、直樹の肩をぽんと一つ叩くと腕を下ろした。

「……そうか。お前、オヤジからそんな話もされてないんやな」

「何や、そんな話って」

「……まぁ何ちゅーか、お前も俺と一緒に海外行くか?」

「ハア?」

一条の言っていることは突拍子もなく、何をどう転がしたらそんな台詞に辿り着くのか意味が分からない。

説明を求めたい直樹の隣で、彼は反動をつけ壁から背中を離すと、正面からこちらを見た。

「俺がここでお前に『お前、この世界向いてないぞ』言うたら怒るやろ?俺は『一緒に行くか?』としかよう言わんよ」

「………」

「お前もちょこちょこ狙われとるとかいう話を小耳に挟んどったから、気にはなっとったんやけどな。まぁ一緒に行くかっちゅー話は半分以下で聞いといてくれ」

それから自分の腕時計をちらりと見、

「秋月、お前の携帯番号教えろ。まだ確実じゃないからな、お前の耳に入れることはできんのやけど、確証が取れたらお前に伝えなアカンことがあるんや」

「………」

続きの言葉など大して耳には入って来なかった。

引っ掛かっているのは、先ほど一条の言った一言。

……お前大丈夫かって、何だよ。

「ほら、携帯番号、何番や」

「俺、携帯持ってへんって」

「ナニ!?……じゃあ自宅の番号教えろ」

「×××××-×-××××や」

一条は携帯をコリコリと弄りながら、その番号を登録している様子。

直樹はそんなことよりも、『できるワケないやろ』の意味を知りたかったが、

「…ほんなら俺、時間あんまりないからよぅ、オヤジに挨拶してもう行くわ。電話番号変えるなよ?近いうちに連絡する」

一条はそう言って直樹から2~3歩離れた。

その動作をじっと見つめる直樹に、彼は一度振り返る。

「おい」

「何よ!」

「杯事のことな、もうちょっと考えた方がエエぞ」

そう言い残すと、一条は足早に行ってしまった。

直樹は敢えて後を追わない。

彼は直樹の視線の先、遠くの方で料理を突ついていた琢磨に何やら話しかけ、琢磨もそれに応えている。

声は聞こえないが、2人とも笑顔なのは見て取れた。

やがて一条は琢磨からも離れ、穂積の輪で話をし、会場から出て行く。

その一部始終を見終えてから、直樹は視線を斜めに下げた。

……腑に落ちない一条の言葉。

意味を図りかねて消化不良を起こしている。

この場で考え込む体勢を取ったものの、材料が少なすぎて悩むこともできない。

そこへ近づいて来たのは、今度は琢磨。

突っ立っている直樹の目の前に、料理ののった皿をスイッと差し出してきた。

「…何や?」

「いや、さっきの人がな、お兄ちゃんに料理持ってったれ言うて。あのニイニイ、直樹のニイニイのツレや言うとったねぇ」

「……ツレねぇ」

「まぁニイニイも食べなよ。おいしいで」

「うん、悪ィ。サンキュ」

琢磨の差し出した皿には何品かの料理がきれいに盛られていた。


一条が最後に言った直樹への用事、そんなものははなから思考の外。

気になるのはその他ばかりだったが、直樹はもう穂積から杯を受けること以外頭にはなかった。

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