表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/86

残像 6

信号は赤。

横断歩道を前に立ち止まった琢磨が、隣の直樹に話しかけてきた。

「ニイニイ、ごめんね」

「あー…まぁな。……あー、まぁアレやな、俺も教えてなかったな。ライト点けっぱだとバッテリー上がるとか、知らんわなぁ」

「うん……でもごめん」

昼間、国道のトンネルで琢磨が車のライトを点けた。

しかしそのままライトを消し忘れ、何時間も点けっぱなしでいたためにバッテリーが上がってしまい、車が動かなくなってしまったのだ。

「ハア……壊してしもうた……ごめん」

「………」

バッテリーが上がったくらいなら他の車とエンジンを繋げばすぐに直るのだが、気づいた時にはもう時間も遅く2人は歩いて帰ることにした。

幸い車を停めていた場所は、直樹のマンションから歩いて15分の事務所。

しばらくは会話もなく、ちょうど引っ掛かった赤信号で2人は並んで立っている。

「………」

「………」

小さな横断歩道。

車道に車の往来はない。

しかし子どもの前で信号無視するわけにもいかず、直樹はただその沈黙に耐えている。

やがて我慢が効かなくなった辺りで、直樹は自分から琢磨に話しかけた。

「ところでお前、どこに住んどるんや」

「え?」

「イヤ、だから家帰ってないんやろ?今どこで寝泊りしとんねんって聞いとるんや」

「あー、ニイニイのマンションの近くに公園あるやん?あそこで寝泊りしとるよ」

「ハア!?お前野宿してるん!?」

「野宿っていうか、遊具があるからちゃんと屋根もあるよ」

「イヤイヤ、屋根があろうがなかろうが、ソレ野宿やろ」

「あ、はぁ…そうやなぁ」

信号が青に変わり、2人は歩き出す。

随分前に一度だけ野宿を試みたことがあったが、耐えられるものではなかったと記憶している。

横断歩道を渡りきったところで、

「ニイニイ、こっちから行った方が近いんやで」

そう琢磨に誘導され、言われるままについて行く。

「……お前、お父さんもお母さんも健在なんやんなぁ?」

「うん」

「仕事何やってんねん」

「母さんは看護婦で、父さんは○協」

「○協と看護婦か…。何の不自由もないやないか、お前」

「不自由?不自由なんかないよ。……だから帰れんのやんか」

―――― 不自由がないから帰れない。

琢磨のその言葉の意味を、少し考えてみようと思う。

しかし間を置かず、琢磨は続けて話し始めた。

「ニイニイな、自分はひょっとして人と違ってて、特別なんちゃうかなーって思うたことない?」

その問いに考えるところはあったはずなのだが、その時直樹の口から出た言葉は意図した方向とは異なっていた。

「何やソレ?自分はプロ野球選手になれますーとか、芸能人になれますーとかいうヤツか?やめとけ。アイツらは努力の天才やとか言うけどな、アレは嘘や。アイツらは皆、努力を凌駕するような天才なんや」

それに対し、琢磨はすぐさま否定する。

「そんなんちゃうよ」

「?」

この日は天気も良く、街中とはいえ星はたくさん夜空にあり、月もはっきりと見えていた。

琢磨はその月を指差し、直樹に言う。

「あの、あそこにおる月ってな、俺には丸く見えてるんやんか。でもな、俺にはそれが信じられんかった。自分を信じられへんねん。アレが丸く見えてるのは俺だけで、本当はもっと縦長の丸なんちゃうか。俺以外の他の人には皆、アレが四角に見えてるんちゃうか。そんなことを考えてしまうんよ。……ニイニイの角度から見ても、アレはちゃんと丸?」

「……おう、丸いな」

琢磨の言っていることの意味。

果たしてそれに到達できるのだろうか。

ジェネレーションギャップということにしてしまいたいが、今のところコイツの言っていることがうまく理解できない。

……前から不思議に思っていることがある。

俺は人が語っているのを聞いていると、続き続きともっといろいろ聞きたくなる。

「今後宇宙開発とか宇宙旅行とかできるようになるんやろなぁ。ほんなら宇宙ビジネスっていうのが始まって、俺らは『地球人』って呼ばれるようになるんや」

琢磨は歩きながら月を見上げ、

「そうなったら人間はまた戦争するんかなぁ?なぁニイニイ」

「……どうやろなぁ」

コイツはよく喋る。

そして話す内容が他のヤツらとは少し違う。

頭を良く見せようと哲学的に喋っているだけなのか、その割にはこういう内容をよく話して俺に聞かせる。

「あっこにあるあのビルがな、白くてつるんってしてるように見えるんは俺だけで、ほんまは洋館のような佇まいでレンガ調で壁一帯にツタの葉が張り巡らされてるんとちゃうかなーと思うたら、いてもたってもおれんようになってな。走ってその場所まで行って、手で触って確認するまで落ち着くことができんのんよ」

琢磨が今しているだろう想像に、追いつけないでいた。

「何やお前、青少年のぶつけどころのない悩みってか」

「青少年?ハハッ!俺が?……俺はそんな正しい人間じゃないよ。失敗しか覚えてないし」

直樹は今、自分がどの辺を歩いているのか分からない。

あとどれくらいでマンションに着くのか。

空気に耐え切れずそれを確認したかったが、琢磨の話は続く。

「幼稚園の時にな、何か弁当とか入れるカバン以外にもう1個、クレヨンとかさぁ、粘土とかな、そんなんを入れる幼稚園指定のこーんな硬いカバンがあったやんか」

「…うん」

「そのカバンの色がな、男の子は青で女の子は赤って感じやったんやけど、1人だけな、男の子でピンクを持ってるヤツがおったんや。

それ、その子のお姉ちゃんのお下がりでな。その子な、皆に女の子みたいやーって馬鹿にされてイジメられとったんよ」

自然と2人の歩幅は小さくなり、直樹も琢磨の話を聞く態勢になっている。

「俺な、そのイジメられてるソイツが可哀想やって思うてな、『俺、ピンク好きやから俺のと換えてや』って言うたんよ。ほしたらソイツも喜んでな、次の日から俺がピンクのカバンで、ソイツが青のカバンになったんや。そしたらなぁ、その日から当然イジメられるのが俺でなぁ。まぁ、それくらいのことは分かっとったんやけど。その俺をイジメてくる連中の中にな、そのピンクのカバンの持ち主、イジメられとったソイツまで加わっとってん。俺の持ってるカバンの色がピンク色になった、その事実以外何も感じへんと思うとったんやけど、ショックでなぁ。でも何も言えへんかったわ。そのお蔭で、俺はいまだに好きな色は?って聞かれたら、ピンクって答えんねん。

その頃にな、『かいじゅうたちのいるところ』っていう絵本を読んでよぅ。俺が知らんだけでひょっとしたら皆、この絵本に出てくるかいじゅうみたいな格好をほんまにしとるんちゃうか。俺は知らん内に、そんな中に紛れ込んでしまってるんちゃうか。そんな風に考えるようになってしもうた。……俺は皆と一緒がいいんやのにな。普通がエエんやけどな。誰がそれを許してくれんのやろな……」

そこまで聞き、自分も同じような経験があったことを思い出した。

俺はコイツくらいの年齢の頃、ようやくそこに辿り着いた。

コイツはもっと前からそんなことを考えていたのか…。

不自由じゃないから帰れない ―――― か。

「ニイニイな、人の精神ってどんな形しとるんやろな」

「………」

「それが分かればよぅ、切ったり貼ったりして、俺も皆と同じ形にするのに」

コイツは遠回しに、本当に遠くから、『俺は今落ち込んでいる』と俺にアピールしているのか?

絵に描いたような慰め方なら俺にもできないわけじゃないが、……でも今するべきは何か違うようなことだとも思う。

「人の精神に形なんかないやろ。100人おったら100種類あるんちゃうか」

「……そっかー……」

直樹も俯きながらゆっくりと歩いて行く。

するとその時、琢磨が急に立ち止まり、後ろを振り返った。

「何や、どうした?」

「……ニイニイ、尾けられてるで」

「………」

直樹もゆっくりと振り返る。

その道は工事中で、三角コーンが何箇所にも立てられ、地面には幾枚もの鉄板が敷き詰められている。

それ以外に見当たるもの、人の気配などは何もない。

「気のせいやろ」

「……おかしいなぁ。っていうか、昼間もこの違和感を感じたんやけど」

この辺りまで来るとマンションはまだ見えないものの、直樹もそこまでの道のりは分かる。

しかしコイツ、今からあの公園で寝るんか……。

そんなことを考えつつ、まだそこまで琢磨の世話をしてやろうという気にはならない。

「……あー、アレや。お前、もう帰れ」

振り返った体勢のまま、じっと後方を見つめている琢磨に直樹はそう話しかけた。

「俺ももうここまで来たら帰り道分かるからよ」

その直樹に、琢磨は体勢を変えないまま返事をする。

「……イヤ、やっぱり何かおかしいね。俺、マンションまで送るわ、ニイニイのこと」

「ハア?もうエエっちゅーとんねん。誰もおらんやないか。お前、マンガの見すぎやぞ」

「マンガは読むけど見すぎてないよ。俺、修行してるからな、分かんねん。何か怪しいんよ」

直樹は少し考える。

それから、

「あ、お前、分かったぞ。俺の部屋まで来て風呂入るつもりやろ!?」

「ハア?何やソレ。そんなこと考えてないよ」

「嘘吐け!顔に企みが書いたあるわ」

「っちゅーかニイニイよう、風呂くらい入らせてくれや!銭湯とか大浴場って苦手やねん」

「ほら見てみぃ!やっぱり狙いは風呂やろ!ウチの風呂借りたかったら1回3千円や。金用意せぇ」

「何やねんソレ!俺はほんまはな、トイレの大へ行った後すら風呂に入ってしまいたいタイプなんや!風呂くらい貸してくれたってエエやろ!」

歩を進めながら言い合いをする2人。

「アカンアカン!それやったらトイレの方我慢せぇ。ウチの風呂は3千円するぞ」

「トイレを我慢!?そんなもんできるワケないやんけ!俺はな、したい時が出ちゃう時なんや!」

「お前な、どっかの食品メーカーのコマーシャルみたいな、『食べたい時が美味しい時』みたいな言い回ししても無駄やぞ。帰れ帰れ!」

すると琢磨は

「何やねん、ケチやな!」

そんなことをブツブツ言いながら、先の方を歩いて行く。

知らぬ間に笑顔だった。

その顔を引き伸ばすように、元に戻す。

……付き合いっていうのはな、バランスよ。

ほんの1しか持って来ん人間には、1しか返す必要がない。

2のものには2。

これがな、5を超えるとややこしくなるんや。

直樹は立ち止まったまま、遠ざかって行く琢磨の背中をじっと見つめている。

付き合いがな、愛情に変わって、それにほんの少し憎しみが相見える、そのバランスが難しい。

俺はその辺がうまく制御でけへんのや。

……アイツに言ってやりたかった。

心配しなくても、お前は普通だと。

普通中の普通と言えないまでも、健康的に普通であると。

これまでの経験で、何をするにも根底に『愛』というものがないとうまくいかないと知った。

愛せない者は愛してもらえないと、知った。

『愛』なんていう形も色もなく、物理的・科学的に証明できないものを口にするのは俺の意識の反対側にある。

だからアイツにうまく説明はできない。

今から走って琢磨に追いつき、背中を叩き、『お前は普通だ』とだけ伝えてやろうか。

そう思ったが、遠慮が遠慮を呼んでくる。

自分も琢磨と同じ方向へ歩かなければいけないことは知っていた。

琢磨の背中が見えなくなるまで、少しの間ここで立ち止まっていようと思う。

今更前へ出る歩みに意識は向かず、その代わりに笑った後に必ずやってくる虚無感について、思考を働かせていた。

仕事を取り上げられた件について、自分の中で何も解決できていないのに、終わったようなつもりでいる。

……終わった?

イヤ、解決させたつもりでいるんだ。

とにかく俺という人間は、拘りと銘打っているものがピシッと定まらず、他人の言葉に右に傾き、他人の行動でつんのめり、他人の持っているもので左へ進む。

やりたいこと以外のこともやらなければいけないのが人なのだが、こうなってくると何を悩みたいのか分からなくて悩んでいる。

そんな状態へ陥ってしまう。

追う思考は追われる思考を飛び越えない。

堂々巡りとも言えぬ。最初の一歩にすら躓き、踏み出せないでいる。

直樹は工事中の道路に敷かれている鉄板を避けるように、マンションへの道のりを歩き始めた。

凹凸のある地面を照らす赤いランプ。点滅するコード。

「……工事もしてないのに電気の無駄使い」

まだ先まで続く工事途中の道路を見遣り、

「掘っちゃぁ埋め、掘っちゃぁ埋め……税金を有効かつ大胆に使いましょう……」

小さく呟いた独り言に、その時被せるように道路の鉄板がグワンッと音を立てた。

「………」

ゆっくりと後ろを振り向くと、人影一つ。

しかし直樹がそれを気にすることはない。

何を悩んでいるのか、それを模索している途中だったから。

それからまた数歩歩いたところで、今度は自分のすぐ後ろで鉄板の浮くグワンッという音。

直樹はもう一度、振り返る。

その人影はさも自分に用事があるかのように片腕を挙げ、自分に向かって覆い被さろうとしている途中だった。

「……ッ」

咄嗟に体を後方に引く。

こういう場面は慣れていたが、慣れたところで恐怖を感じないわけではない。

避けようと体を引っ繰り返す前に背中に何かが当たり、その感触が下に滑っていく。

……違和感があった。


ビギイイィィィィッ!

着ていたスーツが裂ける音。


慌てて逃げようとしたが、少し端が反り返った鉄板に足を取られ、その場で前のめりに滑るように倒れ込んでしまった。

「お、おぉ、お――――……ッ!」

すぐさま体を表に返し影を見上げると、点灯する赤い光がその顔を映し出す。

……和田 ――――!

自分が悩んでいる場合じゃないと、こんな場面に遭遇しながら考えている

先ほど食らった背中の違和感を確認する間はない。

痛みは感じなかった筈。

が、いつの間にやら、気づかなかった。

視線の先に、投げ出した左足から流血しているのが見えた。

またか……。

和田には逃げられたという穂積の言葉。

順序良く思い出す暇はないが、コイツを潰す仕事を取り上げられたことよりも先に考えなければならなかったのは、あの穂積について行くのか、極○になりそれを続けるのか、ごく普通の皆と同じような表の一般社会で生きて行くのか。

俺はまず、それを決めなきゃアカンかったんや…!

和田は刃物のような物を振り上げたまま、目を見開き強張った形相で「フーッ! フーッ!」と荒く息を吐いている。

他には一言も喋らない。

人通りの少ないこの道。

今、襲っている和田と襲われている自分以外の人間の存在は、皆無であった。

腹を決めて来たであろう和田にも、動作に躊躇しているような隙間が見える。

直樹を見下ろしながら、和田はじわりじわりとにじり寄る。

それに合わせ、立てる状態ではない自分の体を両肘で支え、直樹も同じ数だけズルリズルリと後ずさる。

今回ばかりは思った。

これで終わりかと思ったら泣けてくる、と。

自分の最期くらい見届けよう。

目を見張るようにして和田を見上げる直樹。

じりじりと、膠着のない緊迫の時間がゆっくりと過ぎていた。


その時。

右手の植え込みからガサガサッという音。

その音は聞こえたが、和田から目を背けることができない。

枝と葉を揺らすその音は直後ズバッ!と、何かが抜け出るような音に変わった。

同時に、直樹の視界に入って来た黒い影。

無言のまま、直樹しか見えていない和田はもちろん気づかない。

直樹もまた、和田から視線を逸らさない。

それは、まったく予想外の出来事だった。

「オラアァ――――ッ!!!」

雄叫びと共に、その黒い影は直樹の視界に完全に入り込む。

ソレはいきなり、和田の膝に横から飛び蹴りを食らわした。

ブチッとも言える、何かが切れる音。

影はタンッ!と屈むように着地し、同時に左膝を折られた和田は体を曲げながら倒れ込んで行く。

「……ッ!?」

まるで自分を庇うように目の前に割って入った、龍と虎の刺繍。

直樹はその背中を呆然と見つめる。

―――― 琢磨!?

何でここに!?

カランッ

和田の振り上げていた刃物が手から離れ、鉄板の上で金属音を立てた。

「ニイニイ、どっか痛い!?ほんまはなぁ、飛び蹴りなんか攻撃として効かんもんなんよ。軸足が宙に浮いてるから。そやけど俺は、飛び蹴りの有効的な使い方を知っとんねん。たった今、爪先に全体重を乗せてアイツの膝を折ったった。鍛えとるからなー!」

この状況でこの長台詞……コイツは何を落ち着いてるんや……!?

琢磨の攻撃はそのまま流れるように続く。

しゃがんだまま地を這うような後ろ回し蹴りを繰り出すと、右足で今度は和田の右膝を蹴り抜いた。

さっきと同じ、メキッともブチッとも取れる音。

「イ・ガアアアアアァァッ!!!」

和田の叫び声が夜道に響き渡る。

両膝を壊され、立っていられなくなった和田は鉄板の上に背中から引っ繰り返る。

地面から僅かに浮いた鉄板が揺れ、ぐわんぐわんと派手な音を立てた。

その音で、直樹はようやく呆気に取られていた自分から自分を取り戻す。

琢磨はこちらに背を向けたまま、

「ニイニイ、何で襲われた!?……アレッ!?コイツ、昨日のおっちゃんやん」

そこで、琢磨は自分の足元に視線を変えた。

転がっていたのは、包丁。

「………」

それを目にした瞬間、琢磨の背中の雰囲気が明らかに変わった。

「おいお前、ソイツに近づくな!銃持っとるかもしれんぞ、逃げろ!」

這い蹲ったまま怒鳴った直樹の言葉、それは琢磨には聞こえていないようだった。

「……包丁や。……コイツ、殺す気や、ニイニイのこと……!」

琢磨はそう呟くや否や、立つことももがくこともできないでいる和田に飛び掛り、その股間を思いっきり蹴り上げた。

バチンッ!!

嫌な音と共に、

「ぅガアア――――ッ!!!」

叫び声が終わらぬうちに、琢磨は次の行動に移る。

和田の胸倉を左手一つで引っ掴むとひょいっと持ち上げ、今度は下から突き上げるように、直樹の目では確認できないほどの速さで胃の辺りにパンチを放った。

ドスンッ!

衝撃で和田の体は浮き上がり、

「ゲボ…ッ!!ゴッ!!」

ビシャッ!!

吐しゃ物が口から噴き出し、辺りに飛び散る。

琢磨はそれを頭に背中に浴びながらも、流れるような攻撃の手を止めることはない。

もう一度左手で和田を掴み上げ、三角コーンやポールを薙ぎ倒しながら、その体を建物の壁に押し込む。

ゴキッ!

鈍い音にも頓着しない。

そのまま和田の頭部をコンクリの壁に押し付けるように、ゴリゴリと引き摺り上げる。

爪先立ちもできない和田は、無抵抗のままされるがままに押し上がっていく。

「……おい、もうエエ、やめとけ、死んでまうぞ!」

琢磨は直樹の声が聞こえていないのか、握り潰すように和田の顔を更に壁に押し付けた。

「俺の拳はな、お前の頭蓋骨より絶対硬い。その拳で今から力いっぱいお前の顔面を殴る」

「おい!もうエエ言うとるんや!!」

「こないだ折角手ェ抜いてやったのに…。お前、今から死ぬよな?大丈夫やろ?殺しに来たんなら、死ぬ覚悟くらい当然できてるんやろ?」

和田は操り人形のように、地面から足が浮いた状態で壁に押し付けられている。

「!!!!」

絶句するしかない、14歳の少年のその腕力。

琢磨は和田の頭を押さえ付けたまま、右腕を振りかぶった。

「目ェ瞑るな。ちゃんと開けとけ。生まれ変わっても俺らを見たら逃げ出せるように、この状況をちゃんと見とけ。自分が肉片になるのを見届けろ」

ギリギリと、和田の顔が締め付けられる音が直樹の耳にも届いてくる。

「…やめろ!!やめとけ!!そんなモン殺しても1円にもならんぞ!お前の経歴が汚れるだけや!俺はもうエエ!だからやめてくれ!!」

その直樹の叫びに、今まさに発射しようとしていた琢磨の拳はピタッと動きを止めた。

そして直樹を振り返り、

「やめてくれ?何で?」

「な、何でってお前!お前に人殺しなんかさせたらッ……………………

……………俺も、俺もオヤジに怒られるやろ!?な?!な?だからやめとけ!!」

琢磨は数秒その体勢で一時停止し、やがて和田の顔から手を放した。

重い音を立て、地面に倒れた和田を見下げ、

「そうか……じゃあアカンな。ニイニイみたいなヤ○ザやったら、こんなん揉み消せるんか思うた」

琢磨はそう言って、直樹の方へ近づいて来た。

先ほどの暴戻が幻だったかのように、琢磨は直樹に手を差し伸べる。

「ニイニイ、大丈夫か?血ィ出てるやん」

「……ッ!」

そこで自分から噴出したのは、怒り。

直樹はその手をパンッと叩き払った。

「お、お前な!!何考えてんだ!!テメェ今何しようとしたか分かってんのか!?人殺しだぞ!!もっとよう考えてから行動しろ!!頭おかしいんじゃねぇかテメェ!!ほんと…ッ!!」

直樹の剣幕に、琢磨は怯むこともなく返事をする。

「あー、うん。でも簡単にやったつもりはないんやけど…。だってコレ、正当防衛やん。向こう武器持ってるし。俺、刃物持ってるヤツ、許さんよ。向けられた時の怖さって半端じゃないやろ?それやったら二度と刃物人に向けれんようにしてやらんと……」

「正当防衛いうてもな、殺してもうたら過剰防衛いうてやな……チッ!ったくアホのくせにいらん知恵だけ持ちやがって!俺はな、テメェのことまだよく知らねぇんだよ!テメェがどこまでやるなんか測りきれねぇだろうが!」

コイツは本当に和田を殺そうとしていたのではないか?

……止まって良かったと思う。

「まったく…」

直樹はブツブツ文句を言いながら自分の背中を触り、傷を指でなぞってそれが浅いことを確認する。

続いて足の傷も大したものではないことを知り、ここでようやく立ち上がった。

それから一瞬黙り込む。

……俺、ひょっとして腰抜けとった?

このくらいの傷なら立てたやろうに……。

琢磨の手前、少し顔が赤らんだ。

「…まったくコイツだきゃぁ脳まで筋肉でできてやがる…ッ」

ブチブチ続けながらズボンのベルトを外し、倒れている和田の腕を後ろ手にする。

「ウガッ!痛ッ!!」

「やかましいッ!じっとしとけ!!」

怒鳴りつけ、和田の頭をパンッと殴ると、後ろで琢磨が声を上げた。

「あ、ニイニイ」

「何や!」

「ソイツ、両膝折れて、俺、肩も外してるから、そんなんせんでも動けんと思うよ」

「肩外した!?」

いつの間に!?

……コイツは怒らせない方がいいと思う。

「エエからお前もベルト外して足首締め上げろ」

「うん、分かった」

ベルトで両腕を締め終えると、直樹は琢磨に言いつける。

「エエか、何でもかんでも暴力でカタつけようとするな。エエな?約束やぞ!?」

「うん、分かった」

「人が見とって警察に通報されたらどうするんや、アア?分かったな?暴力は極力使うな!」

琢磨も締め終えたベルトから手を放し、こくりと肯く。

「うん、それは分かったんやけど、今回もし俺が割り込まんかったらニイニイ死んでたんちゃうかなー。この場合どうなん?」

「………」

「ねぇ、今回はどうなんやろ?」

「……あ、あー……まぁ、そ、そういう場合は臨機応変にやな……。何や、人斬り以蔵かお前」

「ブハッ!!ハハハッ!!イヤ、そんなんちゃうよ。あーあー、なるほどね。ニイニイ、坂本竜馬読んどるんや。じゃあ何?ニイニイは勝海舟かいな」

「うるせェ!!」

場所が工事現場ということもあり、機材などと一緒に放られていたブルーシートで和田の体を一旦隠すことにした。

穂積と連絡を取り、引き取りに来てもらおうと考える。

「……お前らのせいで、ワシは……お前らのせいで……ッ!」

和田は呻きながらも、低く怨嗟を洩らしている。

和田……コイツも切羽詰まっとったか。

俺を刺すのに躊躇があった。

その躊躇が命取りに……

もしこれが俺だったら、限界を超えて動けただろうか……。

直樹はポケットから2枚のハンカチを取り出し、1枚を和田の口の中へ、もう1枚で猿ぐつわを噛ますとその体をシートで覆い隠した。

「……ま、これで落着かな」

独り言のように言った直樹に、琢磨が話しかけて来る。

「ニイニイな」

「ん?」

「せやけどな、何するにしても戦った後に生きてなかったら負けや。そうやろニイニイ」

「………」

「ニイニイな、怒られるだけ怒られたけど、こんな時何て言うん?」

「ハア?」

「助けてもろうた時、何て言うん?」

「……あ、ああ、うん、そやな……ありがとう」

「うん」

『ごめん』と『ありがとう』を言えてようやく普通であると、思い出さないとこれがいまだに出て来ない。

いろんな意味で特別なまま存在する自分。

思い出さずとも、咄嗟にこの言葉が出てくるといいのに。

ずっと後で、そんな自分に繋がっていればいいな。

そんな風に思う。


穂積に連絡を取るため、マンションまでの道のりを2人で歩き始めた。

「ニイニイ、俺、今エライことになったあるよな」

「あ、そうや!クサッ!お前クサイ!!」

「当たり前やん。ゲエ被ってしもうたんやから。こらぁ風呂入らななぁ?銭湯もう閉まってるよなー」

「せやから3千円や、ウチの風呂はな」

「な!!誰のせいで俺こうなったんよ!?コレ、服も水洗いじゃどもならんやん。タダで貸してや!3千円なんかない!」

「アカンアカン!向こうへ行ったら小学校あるわ。小学校行ったら水道の蛇口に石けんぶら下がっとるやないか。アレで洗うて来い」

「どこまでケチやねん!ほんま信じられんわ!」

「あー、ケチで結構!っていうかクサイから近づくな!!」

コイツとの関係が1なのか2なのか、それとも俺が境界線としている5を超えてしまっているのか。

昨夜はアイツと5を超えてしまったような気がする。

今晩もまた、コイツと5を超えてしまったんじゃないか。

自分の引っ張った境界線は高い位置にしていたつもりで、そこから下げたつもりはない。

…その辺のことはまた追々考えて行こう。

―――― 『戦った後に死んでたら負け』

……同感やな。



直樹は次の日から、琢磨に自分の持っている技術・知恵などを叩き込んでいく。

その方向への手段を取る。

…そう決めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ