残像 1
「秋月さん、このガキが秋月さんにボコられたいらしいですわ」
事務所の男が直樹にそう声を掛けてきた。
その少年は上下共黒の革のいでたち。
一歩一歩踏み出すたびにゴツンゴツンと音のする、これも革製のごついブーツ。
その音と共にじゃらりじゃらりと鳴るのは、革服の至るところにぶら下がっている鎖。
コイツ、どこから逃げて来たんや?
それよりもこの赤い頭、脱色したとかいうレベルじゃねぇな。
……生まれつき?
「お前がボスか?俺と勝負してくれへんか?」
少年の挑発的なそのセリフには、まずは耳を傾けない。
「お前、国籍は?」
「ハア?」
「あ、……イヤイヤ。その頭、どこでどうやったらそうなるんや?」
「………」
「ペンギン村の住人か思うたで」
「ペンギン?」
「あ、…イヤイヤ、エエねん」
どうやらいつもの鉄砲玉のような、行って来いの輩ではないようだ。
よく見ると少年の口元は腫れ、唇が切れて血が滲んでいる。
拳の皮膚も捲れて流血し、赤い頭はリーゼントが崩れ、乱れていた。
「…お前、何歳や?」
「14や。文句あるんか」
直樹は持っていた空の缶を近くのゴミ箱へ投げ捨てた。
そうして、改めて少年を見てみる。
勝負してくれって、ただのアホか。
しかも14歳。
世の中にはまだまだ知らんアホがおる。
いろいろやってると、こんなのまで相手にしねぇといけなくなるのか。
……そんな時間ねぇよ。
「大人っつーのはいろいろあってなぁ。負けるケンカは絶対にしたらアカンのや。弱い者は泣き寝入り。強い者が横行する。意味が分かるか?」
和田。
アイツも捻り潰してやろう。
それが穂積の意見。
あのオッサンのせいにしているワケではなく、それを実現させるのが俺の望み。
1人でも、捻り潰そう。
直樹はポケットに入っているスタンガンに手を伸ばす。
そのためにも試しておきたいな…。
食らわしても死にはせん言うとったな。大丈夫やろ。
少年は直樹の言葉にピクリと反応し、こちらに向かって来た。
「何を、」
言いかけた言葉を遮るように、掴み上げたスタンガンを少年の肩元に当て、一気にレバーを上げた。
途端、
バチ――――ンッ!!
の直後、少年の体は
ズダ――――ンッ!!!
真後ろに引っ繰り返る。
……う、うわあぁ……ッ!!
その威力に、正直ビビッた。
メチャメチャ効くやん!!
胴体にくれてやったんはマズかったんかな……一撃や!!
直樹の足元で、少年は白目を剥いてガクガクと体を震わせている。
……勘弁してくれよ。
アホなついでにすぐ忘れてくれよ。
直樹は地面に這い蹲ったまま、動くこともできない少年を見下ろして静かに言った。
「これが大人のケンカや。腕っ節が強いから勝てるいうワケやないんやで?さーて、大人はここからが面倒で、大事なんや。このままお前がガチャガチャ騒いだら『傷害罪』いうて、割りに合わんような罰を受けなアカン」
そうして財布を取り出し、中から1万円札を取り出した。
それを、ビクビクしている少年の口の中へギュッと押し込む。
「あーあ。何したんだか知らへんが、お前のキッタナイ血ィやらヨダレやらが付いてしもうたやないか。俺、そんなんよう使われへんわぁ。ソレ、受け取るんやな?示談成立やな?スタンガン食ろうたの、その1万でチャラにしてくれるんやな?」
言い終えると、直樹は再び財布の中に手を突っ込み、札束を適当に引っ掴んだ。
それを少年に向かって、バサァッ!!
投げ捨てる。
「ここはお前みたいなクソジャリが来るような所やないで。早よ帰れ」
そう言い捨て、直樹は少年を置き去りに階段を上って行く。
部屋に入る前、振り返ってもう一度その少年の姿を見下ろした。
少年はまだ回復しきらない様子で、体を震わせながらゆっくりと立ち上がり、ばら撒かれた札を拾い集めている。
それから一度直樹を見上げ、その場を去って行った。
……やっぱり金か。
ヤ○ザもんにケンカ売って金せしめようなんざ、ヤ○ザもんよりタチ悪いやないか。
…変わったヤツがおる。
直樹はこの時のその少年との出会いを、それほど気にすることもなかった。
部屋に入り、ドアを閉めて中を見渡すと、1人顔面が血まみれになった部下がいる。
その顔を手で押さえながら、
「あのガキどこ行った!?ブッ殺してやる!!」
そう大騒ぎしている。
「まぁまぁ、押さえろや。世の中にゃいろんなヤツがおるって。何があったんか詳しゅうは知らんけどな」
「押さえろって秋月さん、そりゃないやろ!あのガキ、いきなり肘撃ち食らわせやがったんやぞ!?」
1人病院に運ばれたって言いよったな。
被害は2人か。
……面倒クサッ。
必死の形相の部下の姿を見、一つ溜息が出た。
「フゥ……あのな、お前こそあんまり大騒ぎせん方がエエぞ。アイツ14歳らしいで」
その直樹の言葉に、男の動きが止まる。
「14いうたら中学2年か。そんなモンにドツキ合いで負けたいうて広まってしもうたら、下手こくんはアンタやろ。アンタ、年なんぼやねん。俺より上やんなぁ?」
「……ッ」
男は一度間近の机をバンッと叩き、何も言うことなく自分の席に戻って仕事を再開した。
……ほんまに面倒臭い。
何気なく時計を見てみると、19時を少し回ったところ。
ああ、車を取りに行かなアカンな。
オッサンとこ行くか……でもその前に、さっきのあの女も気になるな。
体を売るよりはマシだろうとキャバクラの仕事を命じたものの、彼女の意見は一切聞いてはいない。
いっぺん店寄ってから行こか。
タクシーで行こうと考え部屋を出ようとしたとき、昼間の運転手の男が声を掛けてきた。
「ちょっと!どこ行きますの!?」
「ええ?ああ、穂積んトコ」
「オイオイもう勘弁してくれよ!アンタえらいシレッとしとるが、あんなガキに事務所荒らされたなんて世間に知られたら大騒ぎになるんやぞ!?」
「……あー、そう。まぁ別にエエやん」
「エエことないでしょうが!まったく!会長のトコ行くんやったら俺が送ってく!アンタ、1日で何回襲われとるんや!?ちょっとは自覚持ってくれよ!まったく、心配でしゃあないわ!!」
「………」
男は自分の上着を手に持ち、事務所のドアを開けて直樹を促した。
……心配?
自分に掛けられるその言葉にピンと来ない。
俺を心配するって、どういうこと?
直樹はそう思いながらも言われるがままに男の後をついて行き、表へ出た。
彼はキョロキョロと辺りを見渡しながら直樹の先を行く。
ただ移動するだけやのに…。
それの何が心配なん?
その時、前の男がふと足を止めた。
「……オイ、お前な、まだおったんか。大概にしとかんとエライ目に遭うのはお前だけじゃ済まんようになるぞ」
その声に前方を覗き込むと、そこには先ほどの赤い頭の少年の姿。
少年は男に向かって、
「お前とちゃうねん。俺が用事あるんは」
「ハア?用事もへったくれもない言うとるんよ。オノレほんま調子に、」
そう言っている最中、男は少年に肩を掴まれ、いきなり真横にブン投げられた。
勢いで車にぶつかる男。
少年はそれには目もくれず、黙って見ていた直樹の正面に立つ。
「ねぇ」
「………」
「親玉いうくらいなんやから、金持ちなんやろ?」
「………」
少年はポケットの中から、先ほど直樹がばら撒いた札を取り出した。
「コレって、アンタが俺にビリビリってしたから、くれたんやろ?」
直樹はそこで、口を開く。
「……その金はな、お家へ帰れっていう意味や。中学生がこんなトコ、ウロウロしとるなって言うとるんよ」
少年は直樹の視線から目を逸らさない。
「もう、帰る家なんかないんや、俺」
そこで運転手の男が口を挟んだ。
「オイ…ッ!」
少年の背中に掴みかかった男の体を、彼は背負い投げするようにして地面に叩き付ける。
受身を取れずに背中からアスファルトに打ち付けられた男の苦しそうな呻き声を聞き、直樹は彼に話しかけた。
「ちょっとそこで寝といて」
それから、少年を見る。
「お前、親は?」
「……一応、おるよ」
「両親共?」
「うん」
一応って何だ?
両親が一応いる?
このひとときに何となく自分を振り返り、高校生の頃自分の両親をそう表した経験が何度かあることを思い出した。
「で?お前は何がしたいんや」
直樹の問いかけに、少年の表情は少し解れる。
「うん、仕事がしたいんや。家へ帰れんから、お金稼ぎたいねん。1人暮らしできるくらいのお金が。だから仕事さして」
「………」
「ばら撒くほど金持っとるんやろ?せやったら俺1人くらい雇うても何の問題もないやろ?」
更に近づいてくる少年を直樹は見下ろす。
直樹は威嚇の意を込め、少年の額目掛けて自分の頭を振り下ろした。
ガチンッ!と鈍い音。
その行為に、しかし少年は一歩も退くことがない。
むしろ自分が眩暈を起こす。
が、直樹は平然を装い、大声を張り上げた。
「ナメとんちゃうぞワレェッ!!オノレみたいなヨゴレにゼニ出してやってもらわなアカンことなんざ、この世にないんじゃッ!!消え失せェッ!!」
そうして男に顎で合図をし、2人は少年を無視するように車に乗り込んだ。
その2人の姿を、少年はじっと見つめている。
100mほど進んだところで、運転手が声を掛けてきた。
「秋月さん……アンタ大丈夫か?額から血ィ出とるぞ」
「…ナメたガキがおるもんやな。親がおるのに家へ帰らん?ナメとるよなぁ」
―――― あの頃の自分を、思い出す。
「…なぁ、アンタ見とったん?」
「え?」
「格好つけて頭突きくれてやったらコッチが白目剥きそうになったの、見てたん?」
「……ハイ。膝もカクンなっとったな」
「……誰にも言うたらアカンのやで」
「………」
「………」
売春でのゼニ稼ぎ。
看護婦になりたい。
一応居る両親。
……何て1日や。
俺はもうパンパンやぞ。
そんなことを考えながら、車に揺られている。
直樹は穂積の元へ行く前に、先ほどメグミを預けたキャバクラに立ち寄った。
店に入り、周りを見渡して彼女を探すが、どこにもいない。
アレ?ひょっとして逃げた?
通りがかった店主を呼び止め、メグミのことを聞いてみると、
「あー……、アイツですけどねぇ、ありゃあきませんわ。えらいドン臭ぁて」
「嘘ォ。で?今ドコにおるん」
「厨房で消え物盛らせよるんですわ」
「………」
それを聞き、今度は厨房へと足を向ける。
中を覗くと、つまみの用意やフルーツのカットなどをしているボーイたちに混じって、作業をしているメグミを見つけた。
直樹は彼女に近づいて行く。
すると、それに気づいたメグミの方が先に話しかけてきた。
「あ、直樹くん」
同時に、後からついて来ていた店主も含めた周りの人間が揃ってビクッと肩を揺らし、ソーッとこちらの様子を伺ってくる気配。
「……お前、何やっとんねん」
「イヤ、ここでおつまみの用意しろって言われたんで」
「ちゃうやんけ!お前は表へ出て顔売ってちゃんとリピーターこしらえなアカンやろ!」
彼女の格好は、誰かに借りたであろう着慣れていない感じの赤いドレス。
「あ、うん……でもヘマやっちゃいました」
どうもこのメグミの持つゆっくりとしたペースが性に合わない。
「お前、ちょっとこっちへ来い」
直樹はメグミの腕を引き、裏口から外へ出る。
「……まぁ、そやな、強引に連れてきたもんな。お前の意見聞いてなかったわ、俺。
この仕事イヤか?イヤなんやったら話は違うてくんねん。俺個人としてはな、体を売るよりゃコッチの方が楽や思うてな。この店は枕営業の強要もせんしな。実際のところ、お前はどうなんや」
メグミに向けたその質問は、質問で返ってきた。
「直樹くんは何で私を連れて来たん?」
「………」
何でと聞かれても、自分でも正確な答えは持ち合わせていない。
癇に障ったから。
とにかくイラッとしたから。
気に食わないから。
……返事になってねぇ。
「問いに対して問いで返すな。俺のことはどうでもエエ。お前のことを聞いとんねん」
自分に対する質疑の中で、誤魔化しきれずにそう言った。
「何やったら、さっきまでお前がおったああいう店も紹介できるんやけどな。アッチの方が合うとるか?」
それに対してメグミから返ってきた応えは意外なもの。
「……うーん……正直分かんないです。あのお店でもまだ1円も稼いでないですから」
「ハア?」
「私あのお店、2日目だったんです。昨日は1人もお客さんが付かなかったし……」
「お前、じゃああの店で1回も客取ってないってことか?」
「あ、ハイ」
「………」
脳がつんのめりそうな、その喋り。
掴みきれないこの間と雰囲気。
…それじゃあ向いてるも何もあったもんじゃねぇよな。
メグミは続けて直樹に言う。
「でも直樹くんに心配してもらって嬉しいです。心配してもらったのなんか、久しぶりやから」
「………」
えらいモノを拾ってしまった。
そう思っていた自分の行動を、この女は『嬉しい』という答えで返して来た。
……何となく、引っ込みの付かないものを感じる。
「お前、やっぱり大分アホやな。俺は俺の都合でお前を引っ張って来たんやで」
そう言う直樹に、メグミは被せるでもなく、割り込むでもなく、へし折るでもなく、
「……うーん、うー……んー……でも、ありがとう」
と返した。
今まで見たことのないペースを見、間を取られ、形容し難い気分になる。
「……ま、まぁとにかく、お前がさっき言うとったワザあるやろ。ニコニコニコニコしとるの。それしながら客の話聞いとったらエエんよ。な?」
「あ、なるほど。そうなんですか。……ふーん……何や、だったら簡単かも」
注意であるにも関わらず、怒気を込められない自分の声量に戸惑うところはあった。
しかしその腰の砕けたような自分の態度は、その後も続く。
直樹はメグミの肩にポンと手を置き、
「ま、頑張ってみぃや、な?」
そんなどこにでもある普通の声を掛け、メグミはそれに
「うん、ありがとう」
と返事をした。
その時、裏口のドアが開いて店主がひょこっと顔を出し、小さく手招きをして直樹を呼んだ。
「秋月さん、ちょっとエエ?」
直樹はメグミをその場に置き、厨房へと入る。
そこで店主は、
「あのう……秋月さん、あの娘は一体……」
「ん?何?」
言いにくそうな小声の彼は、直樹に向かって小指を立てて見せた。
「秋月さんのコレ?やとしたら、ワシちょっと失礼やったかな思うて……」
「何でや、そんなんちゃうわ」
それから直樹はもう一度尋ねてみる。
「アイツ、使いモンにならん?」
メグミの存在に確信を持てない店主は、実に言いにくそうに直樹を見た。
「あー…はぁ…。正直なところ、この商売多少才能も要りますさかいなぁ」
「……そうか」
車の中でメグミと話した具体的な給料の数字。
頭の中で計算し、この店主の言い分から採算が取れねぇなと確信する。
「アイツ、見た目結構イケると思うんやけどな。それでもムリ?」
店主は直樹のその問いにも首を横に振った。
……何か、面倒クサなってきた……。
と同時に、今度自分が引越しをするマンションの近くにも店があったことを思い出す。
そこは穂積名義の店ではあるが、実質経営は直樹がしていた。
直樹はもう一度裏口から外に出、メグミの正面に立つ。
「お前、料理は?料理できるか?」
「えー……どうでしょう。うーん……」
「あー、もうエエ!分かった。お前、今から自分の今借りとるマンションなり部屋なり引き払うて来い。引っ越すぞ」
「ええ?」
「お前は俺の知ってる店で働きながら、俺の食事の面倒見ろ。朝昼晩、俺に食事を作れ。それでさっき言うた給料払うたる。もうそれでエエわ」
「あ、ハイ。……えー?でも……」
直樹はメグミと遣り取りしながら、このペースに慣れることはないだろうと、そう思った。
「もう考えんでエエ。巻き込まれとけ」
そう言ってその場から去ろうとする直樹に、もう一度メグミが声を掛けて来る。
「ねぇ直樹くん」
「あん?」
「直樹くんは、何で私をそこまで特別扱いしてくれるん?」
自分はこんなにせっかちだったのか、そう問いたくなるほどメグミのペースについて行けない。
直樹は面倒臭そうに、
「あー、そうそう、お前はトクベツ!トクベツや。だからガチャガチャ言うとらんで早よ用意しておいで。ほんで住所書いた紙渡すから、明日の朝その店へ行け。詳しくは後日や」
そう言い置いて、厨房へと入った。
店主には、メグミは別の店へ移ると告げ、足早に店を出る。
外で待つ車に乗り、その日の最終目的地である穂積の部屋で最後の仕事・1日の業務報告を済ませた。
駐車場へ置きっぱなしだった自分の車でホテルへの帰途に着いたのは、それほど遅い時間ではない。
……何か、今日は疲れたなぁ。
変なヤツばっかりに……。
そして何故かメグミの言った『ありがとう』という言葉を思い出す。
「……うーん……あー、しんど……」
翌日は和田の件は取り合えず置いておき、朝からやらなければならないことがあった。
大きめの商談。
直樹がマンションを買ったあの土地で、ホテルビジネスを展開しているある人物と会う約束をしていたのだ。
車を走らせながら、メグミの顔を思い出した。
アイツもちゃんとこっちに来てるんだろうな?
そう思いはしたが、それはすぐに霧散し頭はビジネスに切り替わる。
約束の時間の30分前に、車は目的地へ着いた。
そこはとても大きなホテル。
出来たばかりでまだ営業はしておらず、関係者らしき人が受付に数人いるのみ。
この状況もちゃんと聞かされている。
直樹はロビーの突き当たり、フロントに立つ女性に声を掛けた。
「秋月と申しますが、妙見迫さんお見えでしょうか」
「秋月様でございますね。アポイントメントはございますでしょうか」
「はい、商談に参りましたとお伝えください」
「かしこまりました」
女性はその場で受話器を取り、相手に直樹の来訪を告げている。
やがて電話を切り、
「こちらのロビーでお待ちください」
と、フロントから少し離れたソファの並ぶテーブルへと案内してくれた。
直樹はそこへ腰を下ろす。
その空間は大きな窓ガラスが何枚も連なった、明るい場所。
窓の向こうには邪魔なものなど一切ない、広がった海が一望できる。
それから3分ほど待っただろうか。
1人の男が直樹に近づいてきた。
「ああ、これはこれは……わざわざご足労いただいて」
その声に直樹も立ち上がり、挨拶をする。
今回の商談成立を、直樹は穂積に強く言われていた。
この妙見迫という男の展開するホテルに、自分たちの店を入れてもらうこと。
バーなどの酒を飲む店を入れてもらうこと。
これは穂積が力を入れている、いわゆる普通のビジネス。
世間から曲がりと言われない商売。
妙見迫は席に着くなり、早速本題に入った。
「雰囲気の良い、お酒を飲める店なんてのは、やっぱり専門家にやって貰った方がいいですからねぇ。
店のデザインみたいなものは、もう決まっているんでしょうか?」
直樹はカバンから書類を一式取り出し、図案として起こしてあるものを彼の前に差し出した。
「スペースにもよるんですけど、一応こういう形で20席。照明は暗めになります。この図は分かりやすく明るく色付けてるんですけどね。こういった植物も、ウチの方のリースでございますんで」
妙見迫はその図案を手に取り、じっと見つめている。
直樹は穂積に言われたそれとは別に、自らもこの男に持ち込んでいるビジネスがあった。
「それと妙見迫さん、このカラオケ機材なんですけどね」
直樹はこのホテルにある座敷の全てにカラオケ機材の搬入もさせてくれと、この男に頼んでいた。
「以前は誰かが1人付いて、レーザーディスクを1回1回手動で入れなきゃいけなかったんですけどね、今は業務用以外でこういうのがあるんですよ。テレビ画面から流れる映像はループするんですけど、ディスクが本体に内蔵されてましてね。この機種なら随分安く提供できるんですが」
「……これも買取よりリースってのは可能なんですかね?」
「あ、はい、可能です。リースになりますとですね、もっと良いのがあるんですよ。通信で……」
直樹がカバンをガサガサと漁っていると、妙見迫が直樹からフッと目を逸らした。
それに直樹も気づいたが、ただの余所見だろうと気にも留めず、変わらずカバンの中を探る。
その時、彼が口を開いた。
「君は……一体何なの?」
その言葉に直樹は「はい?」と返事をする。
そこで、自分たちの座っているテーブルの横に、人の気配があるのに気づいた。
妙見迫の視線を追って、直樹もそちらに目を遣る。




