しるべ 1
―――― 毎日忙しいというのがありがたい。
考え事をするというスペースが、時間の関係で難しくなるから。
俺はこっちの人間とうまくやっていけているのだろうか。
人それぞれに生活が。
それらを考えると下手はできないと、より一層力が入る。
この考えも行き過ぎるとただのエゴになるんだろうな。
この世界に紛れ込んでいると、こちらを立てるとあちらが立たないということが多すぎる。
その立たなかったあちらはこちらに恨みを持ち、攻撃を仕掛けてくる。
それが日常なんだ。
そんな中で生きて行くには後ろ盾が必ず要る。
関係がいまいちあやふやであるが、その後ろにいる姿が穂積である俺は限りなくやり易い形で毎日過ごさせてもらっているんだろう。
杯事を交わしたかったら尊敬できる人間を見つけろ。
そう言われたが、尊敬というのが俺にとっては実に難しい。
崇拝、尊敬に値するということは、自分より上の人間を、レベルの高い人間を見つければ良いということだろう。
簡単そうに思えたが、その崇拝・尊敬の枠内に入る人間となると、俺の中で難儀を極める。
こっちに帰って来て、俺の知る限り5回死に掛けた。
事故ではない。
人が行った計画として、5回。
やはり人に守ってもらおうというのは、俺が至ってはいけない考えなのだろうか。
崇拝
尊敬
一体どこにいる…?――――
直樹の経営している会社は、全てが順調に動いていた。
自分の思うように、思った形で稼動して行く。
それと同時にやはり妬みを顕わにしてくる者はいて、狙われることも多くなった。
この数ヶ月で身に起こった経験は、自分の内面を少しは変えたようだった。
周りの人間は直樹のことを、以前よりかは取っ付きやすくなったと洩らすようになり、それが直樹の耳に入って来ることもあった。
自らの変化が表に出れば、親しくなっていく人間はどんどん増える。
それらは漏れなく組織の結束を固め、揺るがぬものとして経営にも直結して行く。
しかしその評判とは裏腹に、直樹の中には照れがあった。
俺と深く関わってはいけない。
その考えは払拭するに至らず、
「秋月さん、最近よく笑いますね」
などという言葉を掛けられたときには、敢えてその人間に恫喝を見せ、また突き放してしまう。
我のないのが我である俺。
相変わらず、自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、
人からどう思われたいのか、人をどう思いたいのか。
いつまで経っても、それは直樹にとって決めかねる課題として目の前にあった。
この日、直樹はとある会社を訪問していた。
直樹の前、事務用のデスクに着いているのは、この3階建てビルの所有者である男。
その目の前に、直樹は部下の男と2人で立っている。
「で?今月の返済はできへんってか」
直樹のその言葉に男は悪びれる様子もなく、ヘラヘラと笑いながら返事をする。
「そうなんですわぁ。ずっと調子良かったんですけどなぁ」
この男は好景気に乗じて、いろんな商売に手を出していた。
しかし男の腕力では時代の流れについて行けず、景気が下降線を描き始めた頃から、この男も下降の一途を辿っている最中。
「ほんで何や、残ってんのはこのマッサージチェアだけか」
「はい、そうなんですわー。ちょっと前まではこんなモンもポンポン売れよったんやけどなぁ。ハハハハハ!」
直樹は山積みにされたマッサージチェアの横に置いてある書類を手に取り、目を通す。
「アンタ、これマルチ商法やないか」
「イヤイヤ、そんなんちゃいますでー」
「………」
それから男は極当たり前のことのように、直樹に申し出た。
「まぁ何とかこれ全部売りますさかい、それまで待ったってくれますわな?ワシ、こう見えても大分落ち込んでますんやわー。このビルの店子も全部退散していくわー、飲み屋のネエちゃん引っ掛けたんバレてヨメはん逃げるわー、ハハハハハー……屁ェしか出ませんのやわ」
この場の空気、この男の醸し出すゆっくりとした空気に、直樹も一見便乗しているかのように見えた。
「まぁ一月遅らしたってくださいや。なぁ秋月さん。構へんやろ?」
直樹の表情は、変わらず男の声色にさも合わせているかのようなそれ。
しかし、次にその口から出た言葉は、男の気勢を一変させた。
「オッサン、寝てんのか?」
「エ?」
「寝てんのかー聞いてんねん。エー言う返事できるいうことは、起きとるな」
ずいっと直樹に顔を近づけられた男は、直樹から距離を取るように体を仰け反らす。
「こがいなしょうもないバッタもん、誰が30万も出して買いよるんじゃ。期日は今日や」
「イヤイヤ、そやけど、」
「そやけどもへったくれもない。アンタが余裕で振り出した抵当権、発動させてもらうで。全部差し押さえや」
「ハアー!?何言うとるんやアンタ!ワシ、このビルへ住んでますんやで!」
「そんなもん知るかいな。こっちが金貸すときに、このビルごと抵当に入れたんやろが」
直樹のその言い分に、男は椅子から立ち上がりいきり立つ。
「何やアンタ!!ワシに道端で寝ェ言うんか!」
「寝たらエエやん」
「!!!…家族もおらんようになったんやぞ、ワシ。アンタ鬼か!ちょっとは同情しよういう気にならんのか!!」
「なるかよ、バーカ。調子こいて女突っついたんオノレやろ。
とにかく、今日中に差し押さえさせてもらうからな。何も持ってったらアカンぞ。まぁ、今着とる小汚い服だけは勘弁したるから、それ着て靴だけ履いて出て行け」
「……ッ!!!」
男は言葉にならない何かを、頬を引き攣らせ、形相で表す。
その面のまま乱暴にデスクの引き出しを開け、中から断ちバサミを取り出すと、その刃を直樹に向けた。
「渡さんぞォ!!このビルはな、ワシの命や!この会社はワシのモンや!絶対渡さんぞオッ!!」
ハサミを握り締めて震える手を、直樹は見下げるように冷めた目で見つめる。
そこで動いたのは、一歩下がっていた直樹の部下。
デスクを踏み台にして飛び掛かり、あっという間に男を蹴り倒した。
椅子と一緒に勢い良く後方に転がり込む、その男。
「………」
直樹は床に投げ出されたハサミを拾い上げ、男に近づいた。
仰向けで寝転がるその頭元にしゃがみ込み、ハサミを手にしたまま話し掛ける。
「景気のエエ時は今のアンタのこの姿、想像もせなんだやろ。オッサン、早よ目ェ覚ませ。こりゃ現実や」
男は直樹の部下に馬乗りされていて身動きが取れない。
「きっとな、オッサンの行為が普通やと思うで。皆な、悪いことが起こったら、これは夢やと思いよんねん。ほんでな、明日から頑張りますわー言うて、その明日が来たらまた、明日から頑張りますわー言いよんねん。その現実に気づくんはなぁ、死ぬ間際のベッドの中や。あんな大ごとワシのことやない。そう信じとったのに、あれは全部ワシのことやったんやなーいうてな。死ぬ間際に気づきよんねん。
早いトコ教えといたるわ。オノレが壊した商売も家族も全部、ほんまのことや。今から住む家無くなるんも、ほんまのことなんや。諦めェ」
男は直樹に見下ろされながら涙を流し、力を失う。
それを確認すると直樹は立ち上がり、そのままビルの外へ出た。
ビルの前ではもう1人の部下が車の中で待っている。
「次は?次、俺何したらいい?」
直樹の問いに、その部下は、
「はい、次はですね…」
現実はこんなもの。
クリーンにやって行こうという頭はある。
随分と掛けてしまった迷惑を考慮すれば、まだ自分の中で定まらない何かに還元しないと、という頭がある。
しかしそれと等しく、直樹の中には折れない照れが居座るのだ。
この街にいるほとんどが、以前の自分の姿を知る者。
その連中に『あいつはどうしちまったんだ』と言われてしまうんじゃないかという居心地の悪さがある。
こんなものは簡単に払拭できるはずなのに…
なかなか難しいな。
「あのですね、秋月さん」
「ん?」
「○○町の、あのノミヤあるじゃないですか」
「うん」
「そこの客が、大穴当てよったらしいんですわ」
「あ、そう」
「それが太うにつぎ込んどったらしゅうて、500万払わなアカンらしいんですけど、どないします?」
「……どないするって、何?」
「あ、イヤ、蹴ったりましょうか言うとるんですが」
「ええ!?余所はそんなことするの?それって払わんってことやんなぁ?」
「ええ、まあ余所がやってるか言われたら何とも言えないですけど。500万てデカないですか。払いますか、コレ。黙らすのは可能ですけど」
「……どんな人が当てたん」
「はぁ、酒屋の親父ですわ」
「……………………イヤ、払えや、ちゃんと。エエよ」
「いいんですか?」
「うん。……エエよ」
まだこの世界のルールというのは把握できずにいる。
差し詰め直樹は半端者。
ルールを全て覚える必要はないかとも思っている。
だが、やっていることは黒一色。
その黒の中に『その酒屋のオッサン、めっちゃ喜んでるやろなー』などということも、たまにお邪魔したりする。
「ああ、それと秋月さん」
「ん?」
「会長が呼んでましたよ。用事終わったらすぐ来いって」
「あ、そう。ん、分かった」
直樹はこの後の自分の仕事を全てその男に委ね、穂積の元へと急いだ。
普段よりも大きな歩幅で、最優先事項を勇むような気分で。
いつも自分から出向くばかりで、穂積に呼ばれるなど滅多にないことなのだから。
穂積の事務所に着き、その部屋のドアを開けた途端、中から何やら重々しい雰囲気が漂ってきた。
覗いてみると10人ほどの人間が顔を突き合わせ、神妙な面持ちで話し合いをしている。
そこで、開いたドアから直樹が入って来たことに穂積が気づいた。
「おー直樹、こっちおいで。ここへ座り」
穂積は自分の隣の席に直樹を呼び寄せる。
こいつら、俺のことを喋ってんのか…?
どうもこういう雰囲気、こういう場に呼ばれると、自分が吊るし上げられる気がしてならない。
心当たりは探すまでもなく存在し、溜息しか出て来ない。
直樹が席に着くのを待たずに、1人の男が口を開いた。
「ほんでや会長、いついつ何日に解散するいうて、はっきりしてもらわな困りますわな」
「イヤ~、そらぁ分かっとるんやがなぁ。ワシ、兄弟帰って来んの待っとんやんかー」
「石渡のことかいな」
「そうやねん」
「それやったら、アイツの出所がはっきりしてから発表したら良かったやないか。ウチらもうガタガタやぞ」
「うーん、せやからアンタら皆に来てもろうてや、話したんやんか。あんじょうやったってや」
「………」
直樹は俯き加減でその遣り取りを聞いている。
解散?
あー…このオッサン、前にこの世界から抜けるとか何とか言ってたな。
今目の前で遣り取りされている事柄を、他人事として聞いていてもいいのか。
そんなことを考えながら、直樹は1人俯いている。
「会長、ほんまに頼みますで。この辺カッチリ決めてもらわんと自然分裂してまいますがな。跡目のこともちゃんと考えてもらわんと」
連中の言い分に、穂積も少し困ったような顔でソファに凭れ掛かっている。
「……まー、ちゃんとやるよ。うん、ちゃんとやる。そやから今話した件、それぞれが責任持って対応してやー。コトが大きなっとって仰山金が要るいうんやったらワシに言うてくれたらいいし」
その穂積の言葉を合図に、皆が席を立ち部屋を出て行き始めた。
何についての会議なのかも分からないままこの場にいた直樹も、それに倣って席を立ち、部屋を出ようと歩き出す。
しかし、
「おいおいおいおい直樹、何で帰るんや」
「え?」
「アンタとはまだ話済んでへんがな」
「………」
直樹は再びソファに戻り、今度は穂積と向かい合うようにして腰を掛ける。
「どうや?儲かっとるか?」
「……まあまあかな。っていうか、毎日会うてるやん。毎日報告しとるやん」
穂積は一度笑い、俯き加減ながら話を進めた。
「最近皆な、ワシのことをイジメよんねん。さっきみたいにしてな」
聞いた話は途中からだったが、イジメられてるっていうか……ヤツらの主張は至極当然のことだろう。
まったく、頭が回るのやら回らないのやら……。
「ところで直樹な」
「んん?」
「ワシらみたいな世間様の裏で生きとるヤツが簡単に大金得よう思うたら、何するのが一番やと思う?」
直樹はこちらに戻ってきたとき、穂積に『これを破ったら命はないと思え』と命じられた約束事が一つあった。
今、それを思い出した。
それは、クスリ関係の遣り取りはご法度だということ。
『ワシはお前を殺すようなことはようせんが、お前がもしヤクを回すようなことがあったら、誰かがお前んトコ行って必ずお前を殺ることになる。覚えといてな』
俺はタバコすら嫌いなんだ。
そう思っている直樹は、穂積のその言葉を自分には関係ないことのように聞きながらも、しかしちゃんと心には刷り込んでいた。
「……覚醒剤やろ?あの辺のクスリはゼニになるんじゃないん」
「そう、ソレなんや。ワシがこの世界辞めるー言うてからな、ダラけたヤツらが仰山おって、あちこちでヤク売っとるヤツがおるんや。
悲しいことなんや」
「………」
「今もな、ウチの頭連中に、ヤク弄っとるヤツら全員取り締まれいうて言うたトコなんや」
「………」
例えば、穂積がこの世界を辞める。
そうなった場合、俺はどうする?
ようやく他人事ではないように思えてきた。
はっきり言ってしまうと、一本立ちして今ある会社を上手く転がしていく自信はある。
だがこのまま会社の経営をしていっても、これまでコイツにもらった恩は返せないような気がする。
……イヤ、返せない。
「オッサン、そのクスリ売っとるヤツ締め出すいうの、俺にも手伝わしてや」
「ハア?アンタはエエよ。アンタにできることはないやろ。まー、言うてもうたら、アンタは完全なコッチの人間やないからな。ワシが困るわ」
自分の中で、どっちつかずの半端者であるという自覚と自負はあった。
だからこそ、今穂積に言われた言葉に苛立ちを覚える。
直樹は席を立ち、穂積を見下ろした。
「やってみなんだら分からへんやろ。それにな、アンタに借りばっかり作っとんのが胸糞悪いんや。俺がちゃんと返したる言うとるんやから、それくらい素直に聞いてもエエやろ」
その言葉に、穂積の口から溜息が零れる。
「貸し借りねぇ…。ワシ、アンタに貸したモン返してくれ言うたこと、一回もないんやけどねぇ」
穂積はそう言って、テーブルの上に置かれている何枚かの書類の中から1枚を抜き出し、目の前に立つ直樹に渡した。
「このなぁ、○○○区の○○町にな、ウチの枝の枝の枝……まぁ取り合えず関係のある雀荘があるんじゃ。アンタ、ソコへ行ってくれるか。平日行っても証拠は掴めんで。週末行かんと。アンタ、押しかけるだけの人数、自分の周りにおるんやろうな?」
「!………」
危険が待っている確率の方が遥かに高い。
その危険に一緒に乗り込んでくれと言える間柄の人間。
……そんなの、思い出せる限りで皆無である。
「そんなもん何人でもおるがな。任せたってェや」
ここで吐いた嘘。
穂積が一つ笑うのを見て、見透かされたような気がした。
直樹はそのまま穂積に背を向け、ドアへと向かう。
「何や直樹、帰るんかいな。一緒に夕ごはん行こうや。それまで待っとってくれよ」
その声に直樹は足を止めて振り返り、渡された紙をぴらぴらと振って見せた。
「イヤ、コレの下見に行かなアカン」
穂積はまたそれに対して笑顔で応える。
「ハハァ、仲間が仰山おるワリには必死やないか」
嫌味なヤツや。
直樹はその穂積の笑顔に、睨みで返す。
「見とけよ。俺がちゃんと清算して来たるからな」
そうして再び背を見せた直樹に、穂積は付け加えるように言い放った。
「直樹、そこの店主の生き死には問わんぞ」
直樹の歩みは、一度止まる。
「何やー格闘技やっとった体のデカイ用心棒がおるらしいしな。もっかい言うでー。生死は問わんからなー。意味、分かるやろ?」
「………」
そうだった。
半端者であるその真ん中で、自分が立っている場所はそんな世界。
甘く見ていたつもりはないが、周りから見れば俺の至る部分というのは全て甘いのだろう。
アンタが先ほど見破ったであろう、俺の嘘。
ああ、そうや。
俺にはそんな仲間、おらん。
直樹は穂積を振り返らず、返事をすることもなく、今度こそ部屋を出た。
1階フロアを通過し、玄関に差し掛かったところで、
「秋月さん!」
そう呼ぶ声に振り返る。
声の主は、直樹の会社の社員の1人。
いつも直樹の身の回りの世話をしてくれている男。
「アレ?何でこんなトコ来てんねん?」
「イヤー、良い物件があったんで早い方がいいと思って。ここへいらっしゃるって聞いたんで」
直樹は、転々とホテル住まいをしている現状を変え、自分の住処を作ろうとしていた。
大体の希望の間取りを提示し、マンションを探すようにこの男に言っていたのだ。
男はその場で書類を広げ、
「これなんかどうですか?」
と指を差す。
その動作を見ながら、直樹は
「一回事務所に戻ろうや。アンタ、車で来たん?」
「あ、はい」
直樹も車で来ていたが、夜にはまた穂積を訪ねて来ようと考えていたので、自分の車はここへ置いておくことにした。
男の運転で事務所に向かう間、直樹はマンションの書類に目を通す。
「で?ちゃんと言うとった住所の近所なんやんなぁ、コレ」
「はい、車で5~10分です。…しかし秋月さん、何でまたこんな田舎に」
「………」
もちろん市内にマンションを借りた方が便利ではある。
しかし直樹は、穂積の居住近くに住もうと決めていた。
直樹が提示した住所には、穂積が一番高い頻度で寝泊りしているホテル、それから彼が借りているマンションがある。
何故そんな気になったかというと、やはり自分の理解するところの甘えた部分。
そして、それを人に説明するのは簡単なことではなかった。
「まぁ、こっちへ出て来るんはちょっと時間かかるんやけど、あの辺海があってエエやん」
海などにはそれほど興味はなかったが、直樹はそう応えた。
「よし決めた。じゃあコレ買うから。アンタが手続きやっといてや」
「え、いいんですか?もう決めてしまって。実際見に行かなくてエエんですか?」
「ああ、エエよエエよ」
その部屋の住み心地などは、それほど問題ではない。
拘ったのはその建物の場所のみ。
「それと、各部屋にテレビとビデオ付けといてや。あと新聞を全紙な」
いろいろと注文し、3日以内にはそこへ住めるようにしてくれと男に頼んだ。
一通り部屋の話が済んだ時、この度初めての赤信号に車のブレーキがかかる。
「それとですね、頼まれとった例のヤツなんやけど」
男は助手席のカバンを探り、中から紙袋を取り出すと、それを後部座席の直樹へと渡した。
「黒くて四角いヤツが、スタンガンいうんですわ」
「スタンガン?」
直樹はこちらへ帰って来て、何度も命を狙われた経緯がある。
常備できる護身用の武器なるものを購入するよう、この男に頼んでいたことを思い出した。
「……あーあーあー、武器ね」
直樹はスタンガンを手に取ってみる。
それは何やら髭剃りのような形をしていて、側面にスライド式のレバーが付いていた。
そのレバーを上に上げると、本体頭の部分から青い火花のようなものが音を立て交錯する。
「あ――――危ない!何やっとるんや秋月さん!その電流触ったらコロンと行きよるで!」
バチバチと音を立てながら上がる光、直樹はそれをじっと見つめる。
「こんなオモチャみたいなの、ほんまに役に立つんかよ」
「はあ、試し撃ちしたワケやないんですけどねぇ。そのスタンガンっちゅーのも、中にはオモチャみたいなんもあるらしいけど、それは本物ですわ。人間の胴体に当てたら、しばらく動けんらしいですよ?」
「ふーん」
直樹はレバーを引いて電流を収め、スタンガンを一度自分の隣に置いた。
それから、袋の中に入っていたもう一つの包みを開ける。
「……秋月さん、それこそオモチャですわ」
その包みの中から出てきたのは、拳銃の形を模したもの。
引き金を引くと、銃口から小さな炎がポッと上がる。
「コレ、リアルやなぁ!パッと見、どう見ても本物やんか」
笑いながらその拳銃型ライターを手で遊ぶ。
その姿をルームミラーで見ていた男は、いかにも不満そうに直樹に言ってきた。
「まぁ、脅しくらいにはなるんでしょうけどねぇ。秋月さん、アンタ自分の立場理解しとる?ちゃんと本物を1丁くらい持っとった方がエエ思うんですけどねぇ」
護身のためのみなので、オモチャで構わないと思っている。
この世界でやっていくのであれば、他の何かを守らなければいけないとき、きっと本物が要るのだろう。
そう考えれば、今の俺に本物の銃などは必要ない。
自分の中に刷り込んだ思い出の中に、少なからず拳銃を所有することに対する抵抗があった。
今、自分の中で念じた『人のためならば』というくだりは、要するによそ行き用のセリフ。
……自分には銃を所持する根性が、ない。




