さよなら 3
「何かなー、今日は嬉しすぎて酔えんような気がするな、コレ!」
パクはどんどんビールを空けて行く。
タケシも終始笑顔で相手をしている。
直樹は1人で顔を真っ赤にし、2人に合わせて笑っている。
「やっぱり俺、酒ってダメだな。コップ半分しか飲んでないのに。体質があんねやろな。飲める飲めないっていう」
いつもなら、酒の1杯や2杯飲めんでどうするんや!?と言うパク。それを咎めるタケシ。
そんな図になるのだが、今日はそんな話にはならない。
3人でこの上なく楽しい酒を飲んでいる。
……ただ一つ、直樹の中で引っ掛かっていたのは、美奈子の手術の成功率。
手術したからといって必ず治るわけではない。
直樹はそれを知っていたが、しかし敢えてそのことは口にすまいと決めた。
「まぁ、今日は『良かった』をもう5年分言うたかもしれんなぁ。ほんまに良かった!!
……それはエエんや。けどな」
急に機嫌の温度を下げたパクが、直樹を睨むように見て言う。
「結果は結果としてやな、ま、金が出来たのは良かった。せやけどな直樹!俺は聞いてないぞ!?お前がヤー○なんかやってるなんてな!!」
ここでパクのスイッチが入り、いつもはタケシと揉めているその先が直樹の方に向く。
「……あ、イヤ、……言いにくくってな……ごめん」
「ごめんやないぞお前!!道理で最近、コンビニにおらん思うたんや!転職したんならお前から教えてくれる思うたからな、聞かへんかったけどよぅ!」
持っていた箸を置き、少し姿勢を正してパクの言い分を聞く直樹。
そこへタケシが割って入った。
「あんなぁ、秋月な。コイツな、タバコ1個買うんでもわざわざ遠出して、お前のコンビニへ行っとったんや。
俺はほら、家で会うから、何かな、恥ずかしゅうてたまにしか行かんかったけど。コイツ、お前おらん時でもほぼ毎日あのコンビニへ買物に行っとったんやぞ。何か言うことあるんちゃうん?」
そこでパクは照れくさそうに、タケシの言葉を制した。
「あ――――ッ!そんなんはエエねん!そんなんはエエねんけどな、一応心配しとったワケよ。ほんでお前、俺が知らなんだだけでやな、心配的中しとるやないか!無茶しやがって!」
……素直に、一片の濁りもなく嬉しく思った。
冷静になって自分の状況も考えてみたとき、
会話が減ればつまらなく、無視されたら悲しく、忘れられたら自分を消したくなる。
冷静にならなければ至らないその部分で、自分が気にもしていない、自分が考えもしなかったところを人に心配してもらえていたと。
ただ、嬉しかった。
「じゃあアレやな。さっきの話からすると俺だけが知らなんだんじゃなくて、タケシも知らなんだんやな?……ま、ヒイキなしならエエんやけどよ。
ただな、もう無茶すんなよ?」
そしてパクは直樹の肩をポンと叩いた。
「……あ、2人とも、ほんとにごめんな」
自分のことで「ごめん」と言うのは厚かましいかとも思ったが、2人の言い分に甘えることにした。
涙腺の辺りがじわりとしたが、その辺は我慢しよう。
「ほんなら、もう2人ともヤー○なんて辞めてしもうてエエわけやな」
パクの言葉に、少し黙る2人。
「……何や、まだ続ける気でおるん?」
「だからさっきも説明したようにな、2人で隠れて生活せなアカンねん。ほんとに篭もっとかんと、絶対に見つけられるんや」
「そんなもん、わざわざ探しゃせんやろ。コツコツちょっとずつ働いて生活したらエエやないか。隠れるにしてもよぅ」
それがままならないことを、2人はよく知っていた。
「……無理なんや」
タケシが言う。
「俺、1個デカイ仕事言われてんやけど、コレやるとな、捕まってまうからな」
それを聞き、直樹が反応する。
「お前、バカか!!ここに来て鉄砲玉なんか…ッ」
声を荒げた直樹に、更にかぶせるようにパクが詰め寄る。
「鉄砲玉ッ!?アホか!!お前何考えとんねんッ!?それもアイツに言われたんか!?あの、何や、梶とかいうアイツか!?」
「イヤ、梶さんはそんなん言わんよ。もう1個上におる新宅さんっていうのがな…」
ここで、直樹が聞こうとしたことを先にパクが尋ねた。
「何や、組の抗争で誰か殺って来い言われてんのか!!どういうヤツや!?どっかの組のエライさんか!?」
「イヤ、それがな、相手は知らんねん」
「「………」」
そういうものなのか?と思った。
今まさに、直樹が所属する組で展開されているあの辺は、そういういい加減なことで……
確立されているといえば、金銭・面子ってとこだろう。
あんなものはいくら汚れていたって構わない。
そう思う俺がおかしいのか?
そんなことを思ってしまう。
タケシの言葉を聞き、呆れたようにパクが言う。
「あの辺のルールなんて、俺にゃよう分からへんけどよぅ。何が悲しゅうて、見も知らんヤツ殺して刑務所入らなアカンねん。
刑務所ならまだマシやろ。下手すりゃその場で殺されるやないか。まったく!シラけさせんなよ!やっぱりお前は頭が悪すぎる!」
「イヤイヤイヤ!言うてみただけやねん。なんぼ頑張ってもな、あんまり金が貯まらんからよぅ。一昨日まで、ほんまにそうせなアカン思うててん。
せやけど、もうせんよ。あともうちょっと辛抱して、組の仕事して、秋月と2人で金貯めて、……な」
直樹はそれに「うん」と返事をした。
それを聞き、その空気を切るかのようにパクが、
「よっしゃ!ほんならもう頭の悪いことは喋るなよ?今日はとことん楽しいなかったらアカンねん!」
それに対しても、直樹は返事をする。
「そうだよ。今日は楽しないと!」
その時、不意にタケシが直樹を見た。
「何か、俺よぅ、美奈子が手術できる思うたら気ィ抜けそうなんやけどな。でも、隠れて乗り切って、その後は今度は秋月やな」
「……え?俺?」
タケシが何のことを言っているのか、直樹には分からない。
するとパクも、当然のことのように話し出した。
「学校やないか、学校!お前の学校や!俺、まぁよう分からへんけど学費いうのが要るやないか。今度は俺らがお前の学費用意するから。お前はなんぼオッサンになっても学校を卒業しろ。前からタケシと言うとったんや。あの学校中退するなんて、あっちゃーならんいうてな」
……自分のことは置き去りに
というのはまた、おこがましい。
でもそんなこと、コッチに来てから一度も考えたことがなかった。
忘れていたに等しい。
それなのに。
……2人はちゃんと知ってくれていて、覚えてくれて、考えていてくれた。
今度ばかりは、先ほど堪えたものが抑えられない。
直樹はまた、2人の前でぼろぼろと泣き出してしまった。
「何やねん!お前、よぅ泣くなぁ」
その言葉に、直樹は今こみ上げ、抑えられなかったものを隠そうとする。
「な、泣いてへんわッ!酒がやな…ッ」
目元をごしごし擦りながら下を向いている直樹に、タケシが言う。
「ウチのことが先で悪いんやけどな。何年後になるか分からへんけど、ちゃんと学校行こうな」
直樹はそれに、無言で肯く。
「おう、今タケシがエエこと言うとるで。オッサン大学生でも構わんやないか。
だからな、直樹。お前もようけぇようけぇ黙っとらんで、何かあったらすぐ言えよ?俺は自称『でけへんことはない男』やからな」
パクのその言葉にも声を出すことができず、直樹は肯いた。
うんうん、と、何度も何度も。
今日午前中に起こったあの心配事や怯えや澱んだもの全てが、1年も2年も前だったかのように思えるほど、この時間でいろんなものを得たような気がする。
良いものしか得ることがなかった。
そんな、代えがたい時間。
美奈子も含めた自分たち4人が、今後上々にやっていければという確信を確認したような、そんな時間だった。
ひとしきり楽しんだ後、3人は店を出た。
タケシの部屋で飲み直そうという話になり、彼らはマンションへと歩き出す。
「タケシ、お前、女は?」
「イヤ、おらへんよ」
「直樹は?」
「いない、いない」
楽しいついでなのか、話題は開けっぴろげなものになって行く。
会話の最中、美奈子に告白されたことが口から出そうになったが、飲み込んだ。
タケシの機嫌が悪くなるんじゃないかと、そんな気がしたから。
下らない会話を続けながら、直樹はいつものように聞き役に回る。
先日俺がしたヘマの後、タケシの組がどうなったのか聞くのも忘れていたし……
それと、もっと以前をほじくり出し、実際のところお前はお父さんとお母さんのことをどういう風に考えているのか。
何故かこのタイミングで、そんな質問が頭を巡る。
これまでタブーであった辺り。
できれば参考に、とも考えていたが。
……まぁ、その辺は追々ゆっくりと話す機会があるだろう。
3人で喋りながら、そんなことを考えていた。
そのうち街灯も少なく、人通りも少ない裏道に差し掛かったとき、パクが不意に足を止めた。
「……なぁ、お前らな、キャバクラって行ったことあるか?」
それに対してまず答えたのは、タケシ。
「何回もあるで。ある言うても遊びとちゃうで。仕事でやで」
直樹も、タケシと同様の答えを返す。
「ハア!?何やねん、まったく!ヤー○がよ!……なぁ、ああいうトコってメッチャ金取るん?」
「まぁ、ピンからキリまでやな。高ッけェトコは高ェし」
「……俺、一回行ってみたかったんや。こう言うたら何やけど、働き出して遊びに行ったーなんてのはほとんどないからなぁ。
今日は前祝やし、いっちょ今から行かへんか?」
そのパクの言葉にも、2人は同じ反応をした。
「イヤイヤ、やめとけって」
そう言うタケシの横で直樹も肯く。
「あんなモンな、ボラれるだけやぞ。俺らは裏側から見とるからな。アソコでゼニがどういう風に回ってるか知ってるからよぅ。やめといた方がエエで」
それにはパクも言い返す。
「裏か表か知らんけど、お前らは知ってるからエエやないか!俺は知らんのやぞ!?なぁー、今日1回だけでエエから連れてってくれやぁ。頼むわぁ」
ダダを捏ねているような、珍しいパクの姿。
こういういつもと違うパクは初めて見た気がする。
「言うとくが、あんなトコ行って金使うてもな、喋ってる内容はお前の方がオモロいぞ。もったいないだけや」
そう言うタケシに、直樹は言った。
「……まぁ、エエんちゃう?タケシの知ってる店へよぅ、連れてってやったら安く済むんじゃないん?」
「うーん……」
首を傾げるタケシだったが、
「……よっしゃ、分かった!じゃあ今日だけ、1回行ってみるか」
それを聞いたパクは「よっしゃー!」とはしゃぐ。
「それやったらアレやな、美奈子にちょっと遅なるって電話しとかなアカンな!この辺に公衆電話あったっけ?
ほんで俺、タクシー捕まえてくるから、ちょっとココで待っとれよ!」
そうしてパクは大通りの方へ走り出した。
何だか今日のパクウはらしくなかった。
何でここで待たなきゃいけないんだ?
タクシーに乗るんやったら、俺らもついて行かなきゃいけないじゃないか。
直樹とタケシはゆっくりと、パクを追うように歩き出す。
そして数歩も歩かないうちに、タケシが実ににこやかに直樹に話しかけてきた。
「秋月な、実はな、俺、前から聞かされとったんやけど、美奈子がなぁ……お前にホレまくってんねん」
それを聞き、ドキッとした。
知っていたのかと、あからさまに動揺してしまう。
「何かスマンな。アイツ、お前に何も言うてない思うけど、そういうことらしいんよ。悪いけど、何か言うてきたらよ、軽ぅあしらったってくれや」
「何で謝ってんだ?謝ることなんかないよ。嬉しい以外の何モンでもない話やわ」
……怒られると思ったが、そうではなかった。
「な、アレやな。もし……もしやで?万が一、俺が美奈子ちゃんと一緒になったりしたら、俺らも兄弟やんなぁ?」
意思の疎通とでも言おうか。
ここで2人きりで話したいことがあるような気がして、2人の歩幅は次第に小さくなる。
なるべくパクに追いつかないように、ゆっくり、
ゆっくりと。
こんな、美奈子を飛び越えた話をして彼女に失礼かと思ったし、それに対してタケシに怒られるんじゃないかとも思った。
しかしタケシの答えは、
「おぅ!エエね、ソレ。エエな、ソレ!」
だろ?という思いを込め、直樹は満面の笑みでタケシに肯いて見せる。
「俺もお前も、待っとられんかったわな。
親が帰ってくるのを。親が迎えに来るのを。
しらばっくれてやってきたけど、正直エグかったー…。お前も俺も、な。
そやな。失くなったんやったら、作ればエエねん。……そやな」
―――― つくればいい。
そんな風に考えたことはなかった。
父の教育の賜物で出来上がった俺は、教育というものをアレしか知らない。
きっと俺も、同じようにする。
それしか知らないのだから。
そう考えると、自分が家庭を作るということに、恐れすら覚えていた。
でも、タケシが言うとイヤに簡単に聞こえる。
―――― そやな。
そう簡単に言うタケシが、やっぱり立派に見えた瞬間だった。
「足し算引き算で言うてんちゃうで。せやけどな、お前には昔っからいっぱいいっぱい借りがあるから、近くにおってくれた方がエエねん。ちょっとずつでも返さんとな。これからも世話するし、これからも世話になるで」
これから先
未来のこと
タケシの口から語られるその暗示は、直樹にとって胸が震えるほど嬉しく、幸せな言葉だった。
―――― 14歳だったあの日を思い出した。
目の前に突如として現われた、2人の少年。
直樹を変えた初めての、そして恐らく最後の 友達。
2人が歩いていた道の左手には、公園が見えていた。
直樹に言い終えた後、タケシは両手を上着のポケットに突っ込んだまま、小走りに公園の中へと入って行った。
タケシが走って行く先、直樹の立つ場から対角線の方向に公衆トイレが見える。
何だ、トイレか。
タケシは公園を斜めに突っ切って行く。
直樹は立ち止まり、タケシを待つことにした。
……その時。
暗く狭い路地だというのに、直樹の右側を猛スピードで走り去って行った1台の車。
危ねぇな…。
そう思うのと同時に、直樹はその車に違和感を覚えた。
この仕事を始めてから、影で隠れるように個人の仕事をしていた直樹は、仕事先で会った人の顔・名前、そして車のナンバーを覚える癖がついていた。
そして今、直樹を追い越して行った車のナンバー。
それは、直樹の組に所属する高橋という男の車のナンバーだったのだ。
しかし視界に映ったのは瞬間的なものだったので、直樹はここではアレ?という短い感想のみを持った。
車は直樹を追い抜いた後、猛スピードのまま公園に沿った道路を直角に曲がる。
左側に。
タイヤの音を鳴らしながら。
直樹はただ、高橋の車が走って行くのを目で追いかける。
その視線の先で、車は突然キキキィッ!!という甲高い音を響かせ、急停車した。
と同時に、
―――― パンッ!!!
パンッ!!
パンッ!!
パンッ!!!
以前にも聞いたことのある音が4回、木霊する。
ぼんやりと街灯に照らされた車の窓から、火花が見えた。
数秒も経たぬ間に、車はその場から急発進し、走り去る。
車を、その一部始終をじっと見つめていた直樹。
何が起こったのか考えることもせず、視線を少し左にずらした。
その先に、確認できる人影が、1つ。
走れ、と体に命じる前に、直樹はゆっくりと足を一歩前へ出す。
一歩
もう一歩
横たわるその人影から視線を逸らすことなく、直樹は地を蹴りその場から走り出した。
……そんなわけない
そんなわけない
えぇ?
いや、
違う
タケシじゃない
タケシなわけない
違う
タケシじゃないよな
タケシじゃないよな
全速力で駆けながらそれのみを信じ、何度も何度も自分に言い聞かせる。
倒れている人影を間近で確認し、……意とは反する言葉がもう、口から出てしまっていた。
「―――― タケシッ!?
タケシ!!!」
飛びつくように、横たわった人影に掴みかかった。
うつ伏せている体を引っ繰り返す。
抱き起こす。
辛うじて届く街灯の暗い光に照らされたその顔は、見間違うこともない、―――― タケシ。
「タケシッ!!タケシィッ!!」
体を揺すり、あらん限りの声量で直樹は叫ぶ。
膝を立てて座り込み、抱き起こしたタケシの背をそこへ凭れ掛けさせる。
右に流すような視線でこちらを見ているタケシに合わせるよう、直樹もしっかりとタケシと目を合わせ、名前を叫び続ける。
そこで気づいた。
自分の手のひらに、夥しい量の血液が付着していることに。
「…アァァ――――ッア――――ッア――――ッア――――ッ!!!」
断末魔のような叫びを滾らせてしまったのは、タケシではなく直樹。
タケシはただひたすらに直樹を見つめ、辛うじて口をパクパクと動かしている。
背後から、人がこちらに駆けて来る足音が耳に入った。
一度タケシから視線を外し、そちらに目を遣る。
「……えらいデカイ音した。直樹、何デカイ声出しとるん……?」
この現状を、パクも目の当たりにする。
しかし辺りが暗いのも助け、今のこの状況を飲み込むのに、パクは数秒を要したようだった。
直樹はそんなパクに、声を張り上げる。
「パクウッ!救急車や!早く!!」
その直樹の言葉とは逆に、足を引き摺るようにしてこちらに近づいて来るパク。
「タケシ……?ソレ、タケシか?……血、……ソレ、血か?」
「いいから早く! 救急車!!早く!パクウッ!!」
「……ッ」
切羽詰った直樹の声に、足元を覚束なくさせながらパクが走り去る。
それを確認し、直樹はまたタケシの目を見つめながら話しかける。
「……タケシ、タケシ、タケシ、」
生温かい液体が自分のジーンズを伝い、足首まで流れて行くのが分かった。
「アア――――ッ!マズイマズイ、マズイ!!」
直樹はそう叫び、血液が噴き出している胸元の2箇所を手で押さえつけるように握り締める。
「痛いかもしれんけど、我慢せぇよ!」
そして、自分の視界に入らなかったタケシの左側を覗き込んだ。
暗い陰で気づかなかったが、こめかみの辺りが溝を掘ったように抉れ、そこから音を立てんばかりに血が流れ出している。
「あー!アカン!!タケシ、手が足りん!!お前も手ェ出して、自分の頭押さえろ!!」
直樹は、上着のポケットに突っ込まれたままのタケシの左腕を引っ張り出した。
同時にポケットの中から滑り落ちたのは、タバコとジッポー。
それと同じようにタケシの左手はだらんと、重力に逆らうことなく地面に落ちる。
「おいおいおいおい!!腕が足りん言うてるやろ!?ヘタばるな!!自分で頭押さえろ!!」
目を開き、口を動かし、こちらに視線を送ってくるタケシを、直樹は信じ続ける。
「……タケシ、タケシ、」
直樹は自分の鼓動と反比例するように、できるだけやさしくタケシの名前を呼んだ。
「タケシ、……タケシ」
闇に紛れ込むように、タケシを抱きかかえている直樹。
応援のレベルではないその呼びかけに逆らうのは、タケシの鼓動。
ゆっくり
ゆっくりと、間違いなく、この世を去ろうとしている、タケシの鼓動。
何か言いたそうに、ずっと口を動かし続けるタケシに対し、ここで直樹は思考を切り替えた。
声としては聞こえない、そのタケシの言葉に大きく肯きながら、
「うん、…うん、…うん、うん」
繰り返し繰り返し、そう返事をし続けた。
そのうち、タケシの口の動きが止まる。
……直樹は思うのだ。
今日という日が ――――、 と。
傷口を押さえるのは、もう止めていた。
タケシを抱えるように抱き締めて、頭を撫で続ける。
人として生まれ、育ったのだから、最期に見るものは笑顔が一番いいに決まっている。
直樹はこの場で、こちらを見つめ続けるタケシに対し、作りではない、今自分が出来うる限りの笑顔で、
肯き、
頭を撫で、
見つめ返す。
……その瞬間がやってきたのは、それから数秒後のことだった。
膝にかかるタケシの重みが一瞬にして増し、辛うじてこちらを見つめていたタケシの視線が1ミリも動かなくなったことに気づいた。
―――― タケシの視線の先に、もう俺はいない。
直樹は笑顔のまま。
もう少し、もう少し、もう少しかと、ずっと笑顔を続けている。
やがて、自分が抱えているこの人物がもう確実にタケシでなくなったことを確認し、
「クッソ――――――ッ!!!クッソ――――――ッ!!!
ッぅガアアあああァァ――――――――――ッ!!!!」
雄叫びは闇に乗じ、闇に紛れて消えて行く。
直樹はそうして、タケシを見送った。
命を止めたタケシを膝に抱えたまま、直樹はその体勢を変えずにいる。
ふと、先ほどタケシのポケットから滑り落ちたタバコとジッポーを拾い上げた。
タバコを1本取り出し、ジッポーで火を点け、煙を吸い込んでみる。
「……ゲホッ!!ゲホゲホケホッ!!
………」
ぼんやりと赤い光が、タケシと直樹を暗闇の中に映し出す。
「……タケシ。お前、こんなモン吸ってるから早く死んでしまうんやぞ?
……ごめんな。俺はまだ、ソッチへは行けんねん。
1人、……孤独っていうのは耐え難いものがあるけどな。しばらく我慢しとってくれよ」
直樹はタケシの顔を、食い入るように見つめる。
目を 鼻筋を 唇を
頬の膨らみ
顎の丸み
その顔は、いつまで経っても直樹の視界をぼやけさせはしない。
次第に、公園の周りが騒がしくなり始めた。
救急車が到着したのだ。
「直樹!!どんなや!?」
こちらに走ってくるパク。
パクに申し訳ないことをしたと思った。
最期を、見届けさせてやれなかった。
パクはタケシに飛びかかり、悲鳴を交えて叫び続ける。
「タケシ!!タケシ!!行けるか!?救急車来たぞ!!タケシ!!タケシ!!タケシ!!」
「………」
直樹の中で、パクの絶叫は途中から雑音になった。
この後、自分がやらなければならないことは、もう分かっている。
……タケシとは、もっといろいろと話すべきだったな。
俺の感覚が遮断をし、邪魔をし、話せなかったこと。
諸々。
良きこと。
悪きこと。
普通なこと。
その他、諸々。
あれほど待ち焦がれていた今日が、頼みもしないのに来た、そんな今日になってしまった。
……タケシとは、ここでいったんお別れだ。
叫び続けるパクの姿を、ただじっと見つめている直樹。
タケシの体はタンカに乗せられ、運ばれる。
それと並行するように、直樹も歩いてついて行く。
パクは必死にタケシを呼び続ける。
公園の周囲では、静かな通りに響き渡った発砲音と救急車の到着で、人だかりが出来始めていた。
直樹の表する『元タケシ』が、救急車に乗せられる。
ここで直樹は救急隊員に問うた。
「この救急車、どこの病院へ行きます?」
「あ、はい、○○○○病院です」
それを確認しておきたかった。
タケシが救急車の中に消えるのと同時に、パクも乗り込む。
直樹はその姿を見上げ、呼びかけた。
「パクウ」
返事もなく、こちらを振り返るパク。
その表情とは真逆とも言える涙が、パクの目から溢れ落ちている。
「直樹!何やっとんねん!!早よ乗らんかいッ!!」
直樹はパクから視線を逸らす事なく答える。
「俺は行かない」
「ハアッ!?何言うとんや、お前!!エエから早よ乗れッ!!」
街灯と救急車のランプで、自分の姿に気づいた。
タケシの血が、全身に付着している。
パクの言葉を無視するように、直樹は救急隊員へ早く病院へ向かってくれと指示を出す。
そしてもう一度、パクに向き直った。
「パクウ、ごめんな。俺、やることあんねん。
タケシが死……タケシがこんなんなったんも、俺のせいかもしれん。だから、俺は行けん」
「ハアッ!?お前、何言うとんや!?お前が何で……ッ」
自分の言葉に対するパクの返事は求めていなかったし、聞くつもりもなかった。
直樹はパクの隣に横たわるタケシに視線を移す。
もう一つ、ここで言っておきたかったことがある。
「―――― タケシ。ここでいったん、さよならしよう。
さよならだ。
俺、今から行ってくるから。
さよなら
さよなら、タケシ
―――― さよなら!」
「それじゃ、急ぎます!」
救急隊員の声が聞こえた。
「おい直樹ッ!!」
パクの声を残し、扉が閉まる。
サイレンを鳴らしながら、救急車は遠ざかって行く。
その赤いランプを、直樹はじっと見つめ、送り出す。
……いったん、だけどな。
さよならしよう
―――― タケシ




