1-③
——————生きてきた中でこんなにも最悪な目覚めは初めてだった。
くっついて、なかなか開かない目の間からでも見える火花と煙。
嗅覚は寝起きでもあまり変わらないので、土埃の噎せ返るような乾いた臭い。
地面を通じて背中から伝わってくる振動と音。
それらすべてが連携してアオイの目を覚ませてきた。
性格が状況は男にはわからないが、おおざっぱに何が起きたかは理解できた。なんせ、生まれてから音で目覚めることなどほとんどなかったからだ。おそらく、例の地上の民とアイオが戦っているのだろう。どちらから仕掛けたかはわからないが、そんなことは些細だ。
すぐにでもアイオに加勢を———。そう思った瞬間。
「逃げてください!」
初めて聞いたアイオの大声が男の体を封じた。話している最中も戦闘は続いている。
その抽象的で、少ない言葉から考えられることをすべて考え、状況を掴む。その中でたどり着いた結論は、相手が想定以上の実力の持ち主であり2人で戦っても両方とも死んでしまうため、せめて自分だけを逃がそうとしている、ということだ。
この可能性が最も高く、しかし、アオイにとっては絶対に許諾できないことだった。
もちろんアオイは、このまま尻尾を向けて逃げるなんてことはしない。アイオにもらった拳銃を手に取り、トリガーを引きながら、戦闘状況を把握する。
見た目からの情報しかわからないが、相手は女のヒト型生物だ。背はアオイよりもずいぶん小さく、だが、比べ物にならないほどの覇気をその身から放っている。その深紅の髪と瞳がそれをより際立たせており、並大抵の生物はその目を見ただけで、恐怖で動けなくなるだろう。そのうえ女の表情も、獰猛な獣そのものだ。
「弱ぇなぁてめぇ!ひっさしぶりに地上の新規住民を見つけて、ウキウキしてたのに、期待外れだ」
「っ!」
女は軽口をたたく余裕があるのに対して、アイオは攻撃を防ぐのに必死だ。
女の拳に対して、アイオは剣だ。本来なら、圧倒的にアイオが有利なはず。しかし、その圧倒的な速さと力の前では、もはや得物が何であろうと些細なことなのだ。女の拳は剣を軋ませるが、アイオの斬撃は容易くかわされる。そんな攻防が、かろうじて目視できるくらいの速さで繰り広げられている。
「おめぇ……何者だ?なんで血が出ない。なんで痛がらない」
女が大きく後ろに飛び距離をとる。今まで気づいていなかった事実に気づき、その形の良い顔が疑問の色に染まる。
「戦闘を中止していただければ、質問にお答えします。我々はあなたに危害を加えるつもりはありません。」
「答えろ!お前は何者だ。答えないのなら殺す」
「戦闘を中止してください。そうでなければ回答を拒否します」
女の感情的な声にもアイオは動じない。
「殺せば関係ない」
しかし、女は止まらなかった。それどころかアイオの態度が気に入らず、より殺気を強めている。
地面を抉りながらアイオ向けて、尋常ではないスピードで走り出した。あまりの速さにアイオは一歩反応が遅れる。このままではアイオは、腹に穴をあけて死んでしまうだろう。
このままではいけないと思い、黙って見ていたアオイが銃弾を放った。普通のヒトなら即死するほどの威力の銃弾だ。しかし、この女はこの程度では死なないだろうというある種の信頼からの行動である。アオイは今も今後も、人を殺めるつもりはない。
「くっ!」
弾丸が女の手の甲に直撃する。その手の甲は、皮がはがれ血を流している。さすがにダメージがあったのか、動きが止まり、弾丸を受けた右腕をだらりとぶら下げていた。
「話をしろ。今ここで戦うのはお前にとっても得はないはずだ」
銃口を女に向けながら二人の間に躍り出る。その行動が「動けば撃つ」ということであるのは口に出さずとも伝わる。その行動に女は攻撃を喰らっていない方の腕だけを高く上げた。降参の合図だ。
「わーったよ。もとより殺すのが目的じゃねぇ」
アオイは心の中で心底安堵した。あのまま二対一になったとしても、おそらくこの女には勝てなかっただろう。だからこそ、自分の行動で女が正気を取り戻してくれて本当に良かった。
「大丈夫か⁉」
体中が傷だらけになった機械のもとに急いで駆けつける。
その体は、肉体ではなく機械でできている者であり、当人曰く痛みも感じないらしい。
——しかし、なぜこの機械についた傷に、こんなにも心を削られるのだろう
死んでほしくなかった。いなくなってほしくなかった。傷ついてほしくなかった。
男の心を支配したこの感情は、金属やシリコンの塊へ向けられた感情。
俯瞰して自分を見てみると何とも奇妙な感情だ。だが、
「なぜ泣いているのですか。この結果は我々にとって最適といえるほどの結果です。被害も最小限に抑えられました。そのうえあなたは無傷です。涙を流す要素が見つかりません」
アイオの細い指が目じりに伸びてきて、自分の目から涙が流れていることに気が付いた。アイオは心底不思議そうな顔をして、しかし優しく男の涙をぬぐっている。その手つきはまるで母親が子供をあやしているかのようだ。
涙がさらに溢れて言葉が出ない。喉が痙攣して声がうまく言葉にならないというのもあるが、何を話せばいいのか分からないのだ。自分の感情の整理が出来ておらず、相手も自分の感情を分かっていない。そんな状態が数十秒続いた。
「何見せられてんだよさっきから。あたしと話がしたいんじゃなかったのかよ。帰っちまうぞ」
女は視線を外しながら、口を尖らせている。アオイは完全に女の存在を忘れていた。考えてみるとかなり無防備で危険な状況だったと反省する。その声を聞いて、急いで女の方を向いた。
「あぇぁ、すまない」
「いいんだよそんなこと。それより話をしたいんじゃないのか?」
「あぁ、そうだ」
女は地面に胡坐を組みながらストンと座る。それに合わせて2人も腰を下ろし、話を始める空気に変貌した。アイオが口を開く。
「まずは自己紹介を。私はアイオと申します。機械の身であり、作られた存在です。今は地上で過ごしております」
「アオイだ。俺も地上で過ごしていて、つい最近、こいつと出会って行動を共にしている」
アイオの自己紹介に続き、アオイも身の上を話す。話し終えると、次を待つように、女の方を向いた。女はばつの悪そうな顔をしている。
「なんであたしが、こんなガキみてぇなことしなきゃいけないんだよ。何の意味が」
「自己紹介は大事だろ。ただでさえ数の少ない地上で出会ったんだ。名前くらい憶えておきたい」
「めんどくせぇ。あー、あたしはドルシラ・ドレイク。よろしく」
少女は、心の底からめんどくさそうに自分の名を名乗った。その棒読みに、さすがに2人も苦笑する。
「それで、何の用なんだよ」
「そういえば、俺が寝てた間に何があったんだ?」
激戦が繰り広げられている中でいびきをかいていた自分が悪いが、話がずれないように、すり合わせておく必要がある。
「アオイが眠りに入ってから約五時間後、私は生体反応を確認し、追跡しました。しかし、この者に見つかってしまい戦闘が始まりました。話が通じなかったので、ずっと戦っておりました。特に他に情報はありません」
「話が通じないってなんだよ!お前もやり返してきただろ!」
「いや、攻撃されたらやり返すだろ」
とりあえずこれで、同じ情報で話し合いができる。
「単刀直入に言うが、お前に言いたいことは1つ、協力の要請だ」
「協力だぁ?なんであたしがそんなことを」
「地下の民が今、地上の生物の殲滅を企んでいます。地底にいる生体数は分かりませんが、地上にいる生体数とはおそらく比べ物になりません。そこで、それに対抗するための同盟のようなものです。少しでも数は多い方がいい」
ドルシラの疑問にアイオが簡潔に答える。しかしまだ、ドルシラの眉間にはしわが寄ったまま。
「あたしも地下の情勢とか思惑とかは知ってる。お前たちは地底に何度言ったことがある?」
「何回って、1回も行ったことはないぞ。行き方も知らないし、行く理由もないし」
ドルシラの意図の分からない質問に答える。アオイは生まれ育ちともにこの地上だ。地上でも生きていけるし、文字通り行く必要がなかったのだ。その答えにドルシラのしわは、より深くなった。
「なら諦めろ。お前らの実力じゃ、すぐ死ぬだけだ」
ドルシラは冷たくそう言い放った。アオイは言葉に詰まる。
「その言い方から推測するにドルシラ様は地底に行ったことがあるのですか?」
「あたりめぇだろ。こんな何もないところにずっといられるか」
その言葉に二人の動向が大きく開いた。言い方的に、かなり頻繁に地底へ行っているのだろう。
「どうやって行くんだ?地底はどんな感じだ?どんな生き物がいる?」
アオイがドルシラに四つん這いで迫る。今の二人に最も必要なのは地底の情報であり、喉から手が出るほど欲しいものだ。その有識者が目の前にいる。聞けることはすべて聞いておきたい。
「近ぇよ!ぶっ殺すぞ!」
そう言って靴のままの足でアイオの顔を引き離す。その少し赤らんだ頬からは先ほどまでの殺気は感じず、荒い言葉も生意気な子供の反抗のように感じられた。
「まぁ1回くらい連れて行ってやっても……いいぞ?」
「本当か⁉」
目をそらしながら急に誘ってきたドルシラの手を両手で掴んで確認する。鼻がくっつくほどの距離で目を見つめる。ドルシラは驚いて口を開け閉めしているが、今は早く返事が欲しい。地底に行ける経験なんて、この機会を逃せば一生できないかもしれない。
「本当に連れてってくれるんだな?」
「うん……いいよ?」
「やったなアイオ!これで地底の偵察が出来る!」
ドルシラの許可が出たので、手を離しアイオに振り向く。これまで通りアイオの表情は変わらない。
ドルシラは恍惚とした表情のまま、ヘンテコな体勢で固まっている。
「なぜか癪ですが、地底に行ける機会が出来たのは大きな進歩です。本当は二人で行きたいところでしたが、仕方ありません」
「いってぇ!なにすんだ!」
アイオが話しながらドルシラのもとに近づき、そのおでこを指ではじいた。ドルシラは仰け反り、おでこに手を当て激昂する。そのころにはすでにアイオはアオイの隣に立っていた。
「私はあなたに仕返しを出来ていません。これでおあいこにしてあげましょう」
「なにが『おあいこ』だ!てめぇが弱っちいからあたしに当たらなかったせいだろ!」
「では、行きましょう。案内してください」
「無視すんな!」
ドルシラが唾を飛ばすが、アイオはそんなこと意にも介さない。それはまるで育児に慣れた母親のようで、少し微笑ましかった。




