↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第二章 転生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/61

第一節 小さな手

セアドール村の朝は早い。


空がまだ薄暗いうちから、家々では少しずつ人の気配が動き始めていた。


フィーネも、その一人だった。


隣で眠るガルドを起こさないよう、静かに寝台を抜け出す。足音を立てずに部屋を横切り、窓際に置かれた小さな揺り籠へ向かった。


中を覗き込む。


娘のルリエナは、まだ眠っていた。

小さな身体を丸め、規則正しく息をしている。頬は柔らかく、鼻も、指も、何もかもが小さい。


「・・・おはよう、ルリエナ」


声をかけても、返事はない。

フィーネは少し笑って、揺り籠の縁に手を置いた。


「まだ眠いのね。今日は何を作ろうかしら。昨日ガルドが持って帰ってきたキノコもあるし・・・」


独り言のように話しながら、朝の支度を始める。


「お父さんが帰ってきたら、ちゃんと食べてもらわないとね。昨日も遅かったんだから」


その声を聞きながら、ルリエナの小さな指がわずかに動いた。


フィーネは気づかない。


いつもの朝だった。

フィーネは小柄な身体を軽やかに動かし、手際よく朝食の準備を進めていく。

柔らかな体つきに似合わず、その手は職人の手だった。


指先には針仕事でできた小さな傷があり、手のひらには布や革を扱ってきた跡が残っている。


母から受け継いだ仕立ての技術。


父から教わった革の扱い。


布を触れば厚みや張りを確かめ、革なら硬さやしなやかさを指先で確かめる。寸法を測り、裁ち、縫う。


針と糸


それが、フィーネにとっては毎日の道具だった。


「さて、と」


朝食の準備を終えると、今度は昨日の仕掛かりへ手を伸ばす。


針を持ち、布を膝に乗せる。

糸を通して、一針。

また一針。


「今日はここまで終わらせないとね」


誰に言うでもなく呟いて、フィーネは手を動かし始めた。


その間も、口は止まらない。


「ルリエナ、お父さんが帰ってきたらね――」


揺り籠に話しかける。

返事はない。


それでもフィーネは気にしなかった。


家の中には、針が布を抜ける音と、フィーネの声が途切れずに続いていた。


しばらくして、背後から声がした。


「・・・おはよう」


フィーネが振り返る。


「あら、おはよう」


寝起きのガルドが立っていた。


細身で、手足が長い。銀灰色の髪は少し癖があり、眼鏡の奥にはまだ眠そうな目があった。


「よく眠れた?」


「普通」


「昨日、遅かったものね」


「そうだな」


「森、奥まで行ったの?」


「少し」


「少しって、どのくらい?」


ガルドは答えなかった。


フィーネは呆れたように息を吐く。


「もう。あなた、本当に喋らないわね」


「必要なことは話してる」


「それが少なすぎるのよ」


ガルドは何も言わず、朝食が用意されている席へ着いた。


彼は森へ入ると、すぐには素材を探さない。

まず立ち止まり、周囲を見る。


風の向き。

木々の揺れ。

鳥の声。

地面に残された獣の足跡。


森の中にあるものは、ただ採ればいいというものではない。

薬草なら、どこに生えているのか。

食べられるキノコなら、周囲に異変がないか。

樹皮なら、その木がまだ生きているのか。


必要なものだけを見極め、必要な量だけを採る。それが、ガルドの仕事だった。


――素材採取家。


森にあるものを探し、見つけ、持ち帰る。

ただ、それだけの仕事ではない。

森を見て、森を読む。

それがガルドのやり方だった。


「今日は?」


フィーネが訊く。


「森」


「・・・でしょうね」


ガルドは朝食を少し口にしてから立ち上がった。


「もう行くの?」


「食べるのは後でいい」


「駄目」


フィーネが即答した。


「これ、持っていって」


包みにした昼食を差し出す。


「ちゃんと食べるのよ」


「分かってる」


「怪我しないでね」


「分かってる」


「無理しないでね」


「・・・分かってる」


フィーネが目を細める。


「同じこと、三回言ったわね」


「三回聞いたからな」


一瞬の間。フィーネが吹き出した。

ガルドの口元も、ほんの少しだけ緩んでいる。


「じゃあ、行ってらっしゃい」


「行ってくる」


戸口へ向かいかけたガルドが、ふと足を止めた。


揺り籠を見る。


眠っていたはずのルリエナが、いつの間にか目を開けていた。

ガルドが近づくと、小さな手が動く。

伸ばした指が、父親の指先を掴んだ。


「・・・ルリエナ」


ガルドの声が、わずかに柔らかくなる。

小さな手をしばらく見つめ、それから静かに言った。


「行ってくる」


ガルドは家を出た。


村を抜け、森へ向かう。

歩きながら、何度も周囲を見る。

風が木の葉を揺らしている。

鳥が一羽、枝から飛び立った。

少し先の地面には、昨日はなかった足跡がある。


ガルドは歩みを止めた。


足跡を見て、それから森の奥へ視線を向ける。

しばらく考えたあと、何事もなかったように歩き出した。


一方、家ではフィーネが再び針を動かしていた。


「今日は早く帰ってきてくれるといいんだけど」


そう呟いて、揺り籠を見る。

ルリエナと目が合った。


「あら、起きたの?」


フィーネは針を置き、娘を抱き上げた。


「おはよう、ルリエナ」


小さな身体を胸に抱く。


「お腹すいた?」


ルリエナは答えない。

ただ、フィーネの顔をじっと見ていた。

そして、その手を見る。


母親が動かす指。

布を押さえる手。

糸を引く手。

針を持つ手。


その動きを、ルリエナは黙って追っていた。


「今日もいっぱいお話ししましょうね」


フィーネが笑う。

ルリエナはまだ、何も言えない。

けれど、その小さな目は、母親の手から離れなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。