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魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第一章 山本百合花

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7/61

第六節 撮影の日

朝。


HELL工房の前に、一台のワゴン車が停まっていた。

恩田は搬入口のシャッターを開けると、作業場の中央に置かれた勇者の鎧を見上げた。


「――よし」


昨日まで、何度も調整を繰り返してきた鎧だった。

白い装甲。銀色の装飾。深い青の差し色。

設定画そのままの姿でありながら、実際に人間が動けるように仕上がっている。


「積み込み、気をつけてね」


「はい」


スタッフが二人がかりで鎧を運び出す。


肩当て、胸当て、腰当て、脚部。

それぞれを傷つけないよう、専用のケースへ収めていく。

最後に、佐々木が腰の部分を確認した。


「ここ、大丈夫です」


「昨日、何回確認した?」


「・・・覚えてないです」


「でしょうね」


恩田が苦笑する。


「百合根と一緒になって、朝も夜もやってたんだから」


「でも、ちゃんと動きましたよー」


「それは知ってる」


恩田は腕時計を見る。


「じゃあ、行ってくるわ」


「恩田さん、よろしくお願いしますー」


ワゴン車の扉が閉まる。

鎧を積んだ車が、撮影スタジオへ向けて走り出した。


     *


百合花は、まだ眠っているだろう。

恩田は、それでいいと思っていた。

あの状態で現場に来られても、使い物にならない。

それに・・・今日くらいは、自分が面倒を見てやればいい。


十三年間。


百合花がどれだけ仕事にのめり込む人間なのか、恩田はよく知っている。

納得できなければ、何度でもやり直す。

自分が確認したいと思えば、周りが帰ったあとでも作業を続ける。


だからこそ、任せられるところは任せる。

それも上司の仕事だと、恩田は思っていた。


     *


撮影スタジオに到着すると、すでにスタッフが集まっていた。


「おはようございます!」


「おはよう」


挨拶を交わしながら、衣装を搬入する。


照明が組まれ、カメラが設置される。


背景が整えられ、その中央に勇者の鎧が置かれた。


ゲーム会社の担当者が、それを見て顔をほころばせる。


「どうですか?」


「いやー、実物になると、やっぱり迫力ありますね」


「でしょう?」


恩田も少し誇らしかった。


百合花が作ったものだ。

自分が褒められているような気分になる。


しばらくして、勇者役のモデルが到着した。


スタッフが鎧を着せていく。


胸当て

肩当て

腕

腰

脚

最後に青い装飾を取り付ける。


「どうです?」


恩田が尋ねた。


「すごく動きやすいです!」


モデルが腕を上げる。

肩当てが自然に逃げる。

次に腰を捻る。


装甲が滑らかについてくる。


「問題なさそうですね」


担当者が頷いた。


「では、撮影に入ります」


カメラが回った。


勇者が立つ。


剣を抜く。


構える。


照明を受け、白い鎧が輝いた。銀色の装飾が光を返し、深い青がその中で鮮やかに浮かび上がる。


「カット!」


監督の声が響く。


「いいですね。次、もう少し勢いをつけましょう」


「はい!」


再びカメラが回る。


剣を抜く。

踏み込む。

斬る。

振り抜く。


「カット!」


何度か同じ動作を繰り返した。

そのたびにモデルは鎧を着たまま立ち位置を変え、剣を構え直す。


恩田はモニターを確認していた。

映像の中では、勇者が生きている。

設定画から、そのまま抜け出してきたようだった。


「いいじゃない」


思わず呟く。


そして、次のカット。


「今度は走り込みからお願いします」


モデルがスタート位置へ移動する。

数メートル離れたところから走る。


踏み込む。

剣を振る。

止まる。


「カット!」


問題ない。


もう一度。


走る。

止まる。

剣を振る。


「カット!」


今度は別のアングルだった。

モデルが位置を変える。


腰を捻る。


剣を構える。


踏み込む。


――そのときだった。


「・・・あれ?」


モデルが腰へ手をやった。


「どうしました?」


恩田が近づく。


「腰のあたりが、少し緩いような・・・」


恩田も確認する。

外から見ただけでは、ほとんど分からない。


「一度、脱いで確認しましょう」


スタッフが鎧を外していく。

腰当てを外したところで、恩田は縫い目を覗き込んだ。


「・・・これか」


糸が切れているわけではない。ただ、縫い目の一部が、わずかに開いていた。

何度も動作を繰り返したことで、縫い目に負荷が集中したのだろう。


「これくらいなら直せます」


スタッフが言う。


「そうね」


恩田も頷いた。この程度なら、現場で補修できる。


「裁縫道具、持ってきてる?」


「はい」


簡単な補修ならできる。


そう思った。

ただ、その時点では誰も気づいていなかった。

その縫い目に、これまでの試着や動作確認で少しずつ負荷がかかっていたことを。

そして、昨日の最後の確認では、誰もそこを問題ないと判断していたことを。


「一度、着せ直してみましょう」


応急処置を終え、再び鎧を着せる。

撮影は続いた。

それから何度か、同じ動作を繰り返した。


走る。

踏み込む。

腰を捻る。

剣を振る。


そのたびに、腰には力がかかっていた。


そして、何度目かのテイク。


モデルが走る。

踏み込む。

腰を捻る。

剣を振り抜いた、その瞬間――


小さな音がした。


ぷつっ。


恩田には、それが何の音なのか分からなかった。


次の瞬間、腰の装甲がずれた。


「え?」


モデルが動きを止める。

腰当てが下がり、胸当てとの位置関係が崩れた。

続いて、固定されていた部分が外れる。

腰を基準に保たれていた鎧全体のバランスが崩れた


「止めて!」


恩田が叫ぶ。

スタッフが一斉に駆け寄った。


撮影は中断された。


「大丈夫ですか?」


「身体は大丈夫です」


モデルが答える。

幸い、怪我はなかった。

だが、鎧は見るからに状態が悪い。

腰の部分が大きく開いている。


恩田はそこを見つめた。


「・・・これ、工房じゃないと無理ね」


スタッフが尋ねる。


「百合花さんは?」


「寝かせてる」


「連絡しますか?」


恩田は一瞬だけ迷った。

だが、他に方法はない。


「・・・する」


スマートフォンを取り出し、百合花の番号を呼び出す。

何度か呼び出し音が鳴った。


やがて。


『・・・・・もしもし』


眠そうな声が返ってきた。


「百合根」


『恩田さん・・・?』


「起きた?」


『今、何時・・・』


「悪いけど、すぐ来て」


声の調子が変わった。

眠気が一気に引いたのが、電話越しにも分かる。


『何かありました?』


「鎧」


恩田は短く答えた。


「腰が駄目になった」


『腰・・・分かりました』


「スタジオまで来られる?」


『行きます』


「急がなくていい。タクシー使って」


『はい』


「百合根」


『はい?』


「気をつけて来なさいよ」


一瞬、電話の向こうが静かになった。


『・・・分かりました』


電話が切れた。


恩田はスマートフォンを握ったまま、壊れた鎧を見る。


「・・・参ったわね」


けれど、直せる。

百合根なら。

そう思っていた。


     *


百合花はベッドから飛び起きた。


「鎧・・・」


眠気が一瞬で吹き飛んだ。

枕元のスマートフォンを掴む。

時間を確認するより先に、配車アプリを開いた。

現在地と目的地を入力する。

すぐに近くの車が表示された。


「よし」


配車を確定する。

到着まで数分。

百合花は急いで身支度を始めた。


顔を洗う。

髪を整える。

服を着る。

鞄を掴む。


それだけだった。

朝食を取る余裕などない。


玄関を出る直前、ふと壁に目が止まった。

そこには、目死録のポスターが貼られている。

いつもなら、一度くらい朝日の勇姿を眺める。


けれど今日は、その時間さえ惜しかった。


「行ってきます」


誰もいない部屋にそう言って、百合花は外へ出た。


すぐ近くに、タクシーが停まっていた。


「ご予約の――」


「はい!」


百合花は後部座席へ乗り込んだ。


「撮影スタジオまでお願いします」


「分かりました」


タクシーが走り出す。


百合花はシートに身体を預けながら、頭の中で鎧の構造を思い返していた。


腰の縫い目

固定部分

装甲の重なり


昨日、最後に確認したときには問題なかった。

それでも、何かが起きた。


「腰が駄目になったって・・・」


百合花は眉を寄せた。


「もしかして、佐々木が担当したところ?」


だが、すぐに首を振る。


「でも、私自身も確認したもの。見落とすはずは・・・」


そこで、記憶が引っかかった。


昨日の最後。

鎧の確認をしていた自分。


眠気


疲労


「・・・眠くてよく見てなかった・・・?」


百合花は小さく息を吐いた。


「佐々木が悪いんじゃない。私のチェックミスだ」


もし縫い目なら、現場で応急処置ができる。

構造そのものに問題があるなら、工房へ戻す必要がある。

どちらにしても、実物を見なければ分からない。


「早く見ないと・・・」


窓の外を見る。

タクシーは順調に走っていた。


やがて、目的地が近づいてくる。

大きな建物が見えた。


「あそこです」


百合花が前方を指す。

タクシーがスタジオへ近づいていく。

もうすぐ到着する。


百合花は窓の外を見た。


スタジオの玄関前に、人が立っている。

見慣れた姿だった。


「・・・!恩田さん」


恩田がいる。


腕を組み、こちらを見ている。

百合花は思わず笑った。

わざわざ外まで迎えに出てくれたのだろう。


タクシーが玄関前へ近づいていく。


あと少し。

百合花はシートベルトを外し、鞄を手に取った。


「着きますよ」


「はい」


運転手が速度を落とす。

そのときだった。


横から、別の車が――


「、、、!」


運転手がハンドルを切った。


急ブレーキ。


タイヤが路面を擦る音。


百合花の身体が前へ投げ出される。


大きな衝撃。


視界が激しく揺れた。


何が起きたのか理解する暇もない。


車体が止まる。


百合花の意識が、遠のいていった。


「百合根!」


遠くから、恩田の声が聞こえた。


ドアが開く音。


誰かが駆けてくる。


「百合根!」


今度は、はっきり聞こえた。


恩田だった。


百合花は薄く目を開けた。

ぼやけた視界の向こうに、恩田の顔がある。


「・・・恩田、さん・・・」


「喋らなくていい!」


恩田が駆け寄り、百合花の身体を支える。


「大丈夫だから。今、救急車呼ぶから」


百合花は何か言おうとした。


けれど、その前に頭へ浮かんだのは――


勇者の鎧だった。


「・・・鎧・・・」


「え?」


「鎧・・・どうなりました・・・?」


恩田の顔が歪む。


「そんなこと今はどうでもいい!」


「でも・・・」


百合花の視界が、また暗くなる。


「・・・私の鎧が・・・」


最後に呟いた言葉は、それだけだった。


恩田の腕の中で、百合花の意識が静かに途切れた。


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