第四節 素材研究2
翌日。
ルリエナが作業机に向かうと、昨日、ガルドが持ち帰ったタルガニスの甲皮が置いてあった。
ただし、昨日とは少し様子が違う。
表面に残っていた汚れや、皮の内側に付着していた肉のようなものは綺麗に取り除かれ、乾かされている。
硬い板のような姿は変わらないが、触れたときの感触は昨日よりも乾いていた。
「お父さん、これ・・・」
「ああ。昨日のものだ」
「もう使っていいの?」
「観察するくらいならな。加工するのは、もう少し待て」
ガルドはそう言いながら、甲皮の一枚を指先で持ち上げた。
「採ったばかりのものを、そのまま使うわけにはいかない。残っているものを取り除いて、
状態を整えてから保存する。素材にするというのは、採って終わりじゃない」
「・・・牛の革と同じ?」
「基本はな。ただ、こいつは普通の革とは違う」
ルリエナも甲皮を手に取った。
昨日より軽く感じる。
指で表面を撫でると、乾いた感触が返ってきた。
「昨日より硬い気がする」
「水分が抜けたからだろう」
「じゃあ、乾かすと硬くなる?」
「全部がそうなるわけじゃない。素材による」
ガルドの返事を聞いて、ルリエナは甲皮を持ったまま考え込んだ。
「・・・素材って、同じものでも状態が変わるんだね」
「そうだ」
「じゃあ、採ったばかりのときと、乾いたあとでは、使い方も変わる?」
「変わることはある」
ガルドは短く答えた。
「だから、素材を扱うなら、見た目だけで判断するな。いつ採ったものか、どう処理したものか。それだけでも違いが出る」
「分かった」
ルリエナは頷いた。
それから甲皮を机の上へ置き、横から眺めた。
昨日から気になっていた。
硬い。
けれど、完全に動かないわけではない。
端を指で押すと、ほんの少しだけしなる。
「ねえ、お父さん」
「何だ?」
「これって、どれくらい硬いの?」
「試してみればいい」
「どうやって?」
「まずは曲げてみろ」
言われるまま、両手で甲皮を持つ。
ゆっくりと力を加えた。
最初はほとんど動かない。
もう少し力を加えると、わずかに弧を描いた。
「・・・曲がった」
「無理にやるなよ」
「うん」
手を緩める。
甲皮は、ほとんど元の形に戻った。
ルリエナは目を細めた。
「戻るんだ」
「多少はな」
「牛の革とは違うね」
「ああ」
「でも、石とも違う」
その言葉に、ガルドが少しだけ笑った。
「だから素材なんだろう」
「・・・そういうもの?」
「そういうものだ」
ルリエナも小さく笑った。
甲皮を机へ戻し、今度は指先で端を弾いてみる。
軽い音がした。
薄いのに、思ったよりもしっかりしている。
「これなら、切れるかな」
「切ってみるのか?」
「まだ駄目?」
「端の小さいものならいい。ただし、必要以上に無駄にするな」
「分かった」
ルリエナは小さな甲皮を選び、刃物を手に取った。
牛の革を切るときとは感覚が違う。
刃が表面に食い込むまでに時間がかかり、押し込んでも簡単には進まない。
「・・・硬い」
「刃を立てすぎるな」
「こう?」
「少し寝かせろ。力を入れすぎると刃が滑る」
ルリエナは刃の角度を変えた。
少しずつ削るように進めていく。
やがて、端がわずかに切れた。
「切れた」
「そうだな」
「時間はかかるけど、加工はできる」
「そのことが分かっただけでも十分だ」
ルリエナは切り口を眺めた。
綺麗とは言えない。
けれど、割れてはいない。
「穴は?」
「試してみるなら、端材でやれ」
ガルドが小さな穴開け道具を渡した。
ルリエナは甲皮を押さえ、位置を決める。
力を加えると、硬い感触が手に返ってきた。
少しずつ押し込む。
やがて、ぱちりと小さな音がして、道具が抜けた。
「・・・開いた」
穴の周囲を指で確かめる。
「割れてない」
「場所がよかったんだろう。端ぎりぎりに開ければ、そこから裂けるかもしれない」
「じゃあ、穴を開ける場所も考えないといけないんだ」
「ああ。素材は、どこでも同じように強いとは限らない」
ルリエナは穴を眺めながら頷いた。
ただ切ればいい。
ただ穴を開ければいい。
そんな簡単な話ではないらしい。
素材には、それぞれ癖がある。
どこなら切りやすいのか。
どこなら力がかかっても壊れにくいのか。
それを見つけるのも、仕立てるために必要なことなのだろう。
「・・・面白い」
思わず口からこぼれた。
「何がだ?」
「昨日までは、硬いから使いにくいと思ってた。でも、硬いなら硬いなりに、どうすれば使えるのか考えればいいんだね」
ガルドはしばらく黙ってルリエナを見ていた。
やがて、小さく頷く。
「そういうことだ」
ルリエナはもう一度、甲皮を手に取った。
まだ分からないことが多い。
どんな形なら扱いやすいのか。
何に向いているのか。
革や布と一緒に使えるのか。
それは、これから試してみなければ分からない。
だからこそ、目の前の素材が少しだけ面白く見えた。
机の端に置いた革紐へ視線を向ける。
それから、甲皮へ戻す。
「・・・これ、もう少し小さくしたらどうなるんだろう」
「それは明日でもいいだろう」
「うん」
ガルドに言われて、ルリエナは刃物を置いた。
まだ、急ぐ必要はない。
素材が何なのかを知らないまま、形だけを作ってしまえば、きっと見落とすものがある。
まずは知る。
触れて、試して、失敗して、その性質を覚える。
ルリエナはそう思いながら、甲皮をそっと箱へ戻した。
明日は、この硬い素材をもう少し違う形にしてみよう。
そんな予感だけが、胸の奥に残っていた。




