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魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第六章 やってみる

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第三節 残されたもの3

夕方になっても、ルリエナは作業机の前に座っていた。

机の上には、朝から広げていた革や布、それから昨日作った試作品が並んでいる。

窓から差し込む光が傾き、素材の表面に柔らかな影を落としていた。


ルリエナは一枚の革を手に取った。

昨日までなら、ただの革として見ていたものだった。

けれど今は、指先で触れただけで、少しずつ違いが分かる。


厚い。

硬い。

けれど、完全に動かないわけではない。


端を持って曲げると、ゆっくりと形が変わる。


「・・・面白い」


何度も触っているうちに、革そのものが言葉を持っているような気がしてくる。


もちろん、本当に何かを話しているわけではない。

けれど、触れれば分かることがある。

見れば分かることもある。

曲げてみれば、また別のことが分かる。


ルリエナはその革を机へ戻した。


そして、足元にある箱へ目を向けた。

まだ中には試作品が残っている。

箱を引き寄せ、蓋を開ける。

最初に出てきたのは、小さな布の袋だった。


縫い目が歪んでいる。

口の部分もきれいには揃っていない。


ルリエナは少し笑った。


「・・・これは、ひどいな」


昔の自分が聞いたら怒るだろう。

けれど、捨てようとは思わなかった。

その袋を作ったときのことを、少しずつ思い出す。


布を切る大きさを間違えて、途中で足りなくなった。

それでも作りたくて、別の布を継ぎ足した。

色も合っていない。

縫い目も揃っていない。


それでも、最後まで作った。


今なら、もっと綺麗に作れる。


けれど、今の自分がこの袋を作れるのは、あのときの自分が失敗したからだ。


ルリエナは袋をそっと箱へ戻した。


次に取り出したのは、革と布を縫い合わせたものだった。

昨日、作り直したものと比べると、ずいぶん不格好だ。

革の端は揃っておらず、縫い目の間隔もばらばらだった。


それでも、ルリエナはその縫い目を指でなぞった。

この頃の自分は、革と布をただ強く縫い付ければいいと思っていた。

だから糸を強く引き、布が引きつれてしまった。

何度もやり直して、それでも上手くいかなかった。

そのときは、素材が悪いのだと思った。


今なら分かる。


悪かったのは素材ではない。

自分が、素材のことを知らなかったのだ。


「・・・ごめんね」


思わず、そんな言葉が口からこぼれた。

革に謝ったのか、昔の自分に謝ったのか、ルリエナ自身にも分からなかった。


ただ、あの頃の自分は一生懸命だった。

分からないなりに考えて、手を動かしていた。


だからこそ、今がある。


ルリエナは箱の中をもう一度覗き込んだ。


まだいくつも残っている。


途中で止まっているもの。

形にならなかったもの。

使い道を決められなかったもの。


どれも完成品ではない。


けれど、それぞれに、そのときの自分が考えた跡が残っている。


ルリエナは一つを取り出して、机の上へ置いた。

そして、また一つ。

さらに一つ。


気がつけば、机の上は過去の試作品でいっぱいになっていた。

昔の自分と今の自分が、同じ机の上で向かい合っているようだった。


以前なら、失敗したものを見れば、作り直したくなっただろう。


けれど今日は違った。

直す必要はない。

これは、これでいい。

この形だからこそ、あのとき何が分からなかったのかが分かる。


ルリエナは一つずつ手に取り、気づいたことを紙へ書き留めていった。


革の厚さ。

布の伸び。

縫い目の間隔。

糸を引く強さ。

素材同士の相性。


以前なら感覚だけで終わっていたものを、今は言葉にできる。


まだ分からないことも多い。

けれど、それでいい。

分からないものを、分からないまま残しておけばいい。


いつか、それを知る日が来るかもしれない。

そのとき、またこの箱を開けばいい。


ルリエナはそう思いながら、紙の最後に一行を書き加えた。


――試したものは、捨てない。


書いた文字を眺める。

少し考えてから、その下にもう一行を加えた。


――分からなかったことも、残しておく。


「・・・これでいい」


ルリエナは満足そうに頷いた。


机の上の試作品を一つずつ箱へ戻していく。

ただし、昨日作った革と布の試作品だけは箱へ入れなかった。

それだけは机の端に残した。


明日も、もう少し試してみるつもりだった。

革の種類を変えてみたい。

布も違うものを使ってみたい。

縫い方を変えれば、もっと動きやすくなるかもしれない。


まだ試していないことが、いくらでもある。


ルリエナは最後に箱の蓋を閉じた。

小さな机の下へ戻す。

箱は以前と同じ場所に収まった。

けれど、ルリエナの中では少しだけ意味が変わっていた。

そこに入っているのは、失敗したものをしまう場所ではない。


これまでの自分が残してきたもの。


そして、これからの自分が知るためのもの。


ルリエナは立ち上がり、作業机の上に残した革と布へ目を向けた。


まだ完成には遠い。

だからこそ、明日が楽しみだった。


扉の向こうから、フィーネの声が聞こえる。


「ルリエナ、ご飯よ」


「今行く!」


返事をしてから、ルリエナはもう一度だけ机を振り返った。


小さな机。

その下にある箱。

そこには、これまでの時間が詰まっている。

上手くいかなかったことも。

悔しかったことも。

何となく試してみたことも。


その一つ一つが、今の自分へつながっている。


ルリエナは小さく笑うと、工房を後にした。

明日になれば、また新しいものを試せる。

そう思えることが、今は何より嬉しかった。


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