第三節 残されたもの2
ルリエナは、机の上に並べた試作品の中から、一枚の革を取り上げた。
薄く、柔らかな革だった。
以前なら、これを布と合わせることに何の疑問も持たなかっただろう。柔らかい革なら動きの邪魔をしにくいし、布と組み合わせれば丈夫さも加えられる。そう考えて、何度も縫い合わせてきた。
けれど今は、少し違う。
革を指先で押さえ、ゆっくりと曲げてみる。
次に布を持ち上げ、同じように曲げる。
「・・・やっぱり違う」
革は形を保とうとする。
一方で布は、指の動きに合わせて柔らかく形を変えた。
どちらも柔らかい。
けれど、柔らかさの種類が違う。
ルリエナはそのことに気づくと、しばらく二つを並べて眺めていた。
同じように扱ってはいけない。
それが、今なら分かる。
「じゃあ・・・合わせるところから考えないと」
まず布を広げた。
以前作った試作品と同じ大きさに切るのではなく、今回は少しだけ余裕を持たせることにした。
革と同じ寸法で切れば、見た目にはきれいに揃う。
けれど、動かしたときには布のほうが伸びる。
ならば、その動きを邪魔しない余裕が必要になる。
ルリエナは布を指でつまみ、ほんの少しだけたるませた。
「このくらい・・・かな」
次に革を机へ置く。
縫い合わせる位置を決め、端から一定の幅を取って印をつけていく。
昔の試作品には、この印がなかった。
その場で感覚だけを頼りに穴を開けていたから、縫い目の間隔もばらばらだった。
今は違う。
必要な強さを考え、どこにどれだけ縫い目を置くかを決めてから作業に入る。
ルリエナは印を確認すると、革を固定した。
そして、菱目打ちを手に取る。
革の上へ慎重に刃先を当て、木槌で軽く叩いた。
コツ、と乾いた音が工房に響く。
一つ。
少しずらして、もう一つ。
同じ間隔で穴を開けていく。
以前よりも手の動きは安定していた。
革を押さえる左手にも、余計な力が入っていない。
必要な場所に、必要なだけ力をかける。
それだけのことなのに、昔の自分がどれほど無駄な力を使っていたのかが分かった。
すべての穴を開け終えると、ルリエナは革を裏返して確認した。
穴の並びはきれいに揃っている。
「・・・うん」
小さく頷いた。
次は布だ。
革の穴を基準にして、布を重ねる。
布そのものに革と同じ穴を開ける必要はない。針を通す場所を確認しながら、布がずれないように仮留めしていく。
そして、革の穴へ針を通した。
革を貫いた針先が布を抜け、そのまま裏へ出る。
糸を引く。
革と布が寄り添う。
もう一度、次の穴へ針を通す。
今度は反対側から。
一本の糸が革と布を結び、そのたびに二つの素材の境目が少しずつ形になっていく。
ルリエナは急がなかった。
以前なら、早く完成させたいという気持ちが先に立って、糸を強く引きすぎていた。
けれど、今は違う。
糸を締める力が強すぎれば、布が引きつる。
弱すぎれば、革との間に隙間ができる。
だから、糸が素材を押さえ込むのではなく、素材同士が自然に重なるところで止める。
「・・・このくらい」
指先で縫い目をなぞる。
布は引きつっていない。
革も歪んでいない。
ルリエナはそこで一度、針を置いた。
まだ半分ほどしか縫えていない。
それでも、以前作ったものとは明らかに違っていた。
ルリエナは立ち上がり、縫い合わせた部分を両手で持つ。
左右へ軽く引っ張った。
布が伸びる。
革はそれほど動かない。
けれど、縫い目がその動きを受け止めている。
今度は曲げてみる。
革が内側へ折れ、布がそれに沿って動く。
「・・・動く」
思わず声が漏れた。
昔は、革と布を一緒にすれば丈夫になると思っていた。
だから、二つを強く縫い付けようとした。
けれど、それでは素材のどちらかが無理をする。
革には革の動きがあり、布には布の動きがある。
ならば、どちらかを従わせるのではなく、それぞれの性質を残したまま繋げればいい。
その考えに気づいたとき、ルリエナは以前、母から聞いた言葉を思い出した。
――動かなくするのではない。
動いても、邪魔にならないようにする。
服を仕立てるときに、フィーネが何度も口にしていた言葉だった。
「・・・同じなんだ」
仕立てるものが布だけでなくなっても、その考え方は変わらない。
素材を押さえつけるのではなく、その素材がどう動くのかを見る。
ルリエナは、もう一度机へ向かった。
残りの部分にも穴を開け、同じように縫い進めていく。
最後の一針を終えるころには、窓から差し込む光が少し傾いていた。
糸を切り、縫い目を確認する。
まだ完璧ではない。
端の一部分には、わずかな歪みが残っている。
けれど、失敗ではなかった。
ルリエナは完成した革と布を両手に持ち、何度か曲げたり伸ばしたりした。
そのたびに、二つの素材が別々の性質を持ったまま、一つの形として動いている。
「・・・面白い」
以前なら、上手くできたか、できなかったか、それだけで判断していたかもしれない。
けれど今は、もっと知りたかった。
革の厚さを変えたらどうなるのか。
布の種類を変えたらどうなるのか。
縫い目の間隔を変えたら、動きはどう変わるのか。
同じ革でも、採れた場所や魔獣によって性質が違うのなら、それを組み合わせたときにも違いが出るはずだ。
机の下の箱を見る。
そこには、まだたくさんの試作品が残っている。
これまでの自分が試して、上手くいかなかったもの。
理由が分からないまま、箱へしまい込んだもの。
今なら、その一つ一つをもう一度見ることができる。
ルリエナは完成した革と布を机の端へ置いた。
その隣へ、小さな紙を置く。
そして、今日分かったことを書き始めた。
素材の硬さ。
伸び方。
縫い合わせる位置。
糸を締める強さ。
書きながら、ルリエナはふと笑った。
箱の中に残っていたのは、失敗だけではなかった。
まだ知らなかったことを、これから知るための手掛かりも、そこには残されていたのだ。




