第一節 十二歳
十二歳になった春、ルリエナは朝の光が工房の窓から差し込む頃には、もう針を手にしていた。
窓の外では、冬の冷たさが少しずつ薄れ、柔らかな風が村を抜けている。畑では土を起こす音が聞こえ、道を行き交う人々の姿も、冬の間より多くなっていた。
ルリエナは膝の上に広げた布を見つめながら、針を進めていく。
以前なら、母に教えられた通りに縫うことで精一杯だった。けれど今では、ただ縫うだけではなく、その先にある布の動きまで考えるようになっていた。
肩を回したとき、どこに布が引かれるのか。
腕を上げたとき、どこに余裕が必要なのか。
身体を前へ倒したとき、布がどの方向へ流れるのか。
一針ごとに考えながら縫い進めていくと、同じ布でも仕立て方によって動きが変わることが、少しずつ分かるようになってきた。
最後の一針を終え、ルリエナは糸を切った。
服を持ち上げ、縫い目を確かめる。
「・・・もう少し、ここを広くしてもいいかな」
「何か気になるところがあるの?」
隣で別の仕事をしていたフィーネが顔を上げた。
「腕を動かしたときに、ここが少し引っ張られると思う」
ルリエナは肩の部分を指でつまむ。
「着ている人が普通に立っているときは分からないけど、腕を上げたり、前に出したりすると、布がここに集まるから」
フィーネは娘の指先を見つめ、それから服を受け取った。
「ずいぶん細かいところを見るようになったわね」
「まだ分からないことも多いけど・・・前よりは分かるようになったと思う」
そう答えながら、ルリエナは少しだけ笑った。
七歳の頃には、母に教えられたことを一つ覚えるだけでも嬉しかった。
今は、教えられたことからさらに疑問が生まれる。
どうしてこうなるのか。
別のやり方ならどうなるのか。
この布と別の素材を組み合わせたら、どんな仕立てになるのか。
知れば知るほど、分からないことが増えていく。
それが以前は少し不思議だったが、今ではむしろ楽しいと思えるようになっていた。
そのとき、外から子どもたちの大きな声が聞こえてきた。
「いくぞ、レオン!」
「来い!」
ルリエナは手を止め、窓の外へ目を向ける。
庭先では、レオンが数人の子どもたちと木剣を構えていた。
昔なら、ルリエナもそこへ混ざっていた。
木の枝を剣に見立てて振り回し、誰が一番強いかなどと言い合いながら、日が暮れるまで遊んでいたこともある。
けれど十二歳になった今では、二人が一緒に過ごす時間は少しずつ減っていた。
レオンは剣を振る時間が増え、ルリエナは仕立てに費やす時間が増えた。
それでも、幼馴染であることに変わりはない。
「そこだ!」
レオンが踏み込んだ。
木剣と木剣がぶつかり、乾いた音が響く。
相手の少年が横へ回り込もうとすると、レオンも身体をずらして追う。以前よりも足取りがしっかりしていた。
それでも、まだ子どもの剣術ごっこだ。
互いに本気で打ち込むことはなく、当たれば負け、転べば笑われる。それでもレオンは楽しそうだった。
「レオン、右!」
誰かが叫ぶ。
「分かってる!」
振り向いた瞬間、別の少年の木剣がレオンの肩に当たった。
「やった!」
「くそっ!」
悔しそうな声を上げながら、レオンも笑っている。
ルリエナは窓越しにその様子を眺めていた。
少し寂しいような気もする。
以前は、もっと近くにいた。
けれど、それが嫌だとは思わなかった。
レオンにはレオンの好きなことがあり、自分には自分の好きなことがある。
それぞれが自分の得意なものを見つけ始めているのだ。
村の子どもたちを見ていても、それは同じだった。
畑仕事を手伝うようになった子。
家の商売を覚え始めた子。
料理や家畜の世話を好む子。
まだ将来を決めたわけではない。それでも、七歳の頃とは違って、誰もが少しずつ「自分は何が得意なのか」を意識し始めていた。
レオンも、その一人なのだろう。
ルリエナがそんなことを考えていると、庭からレオンがこちらを見上げた。
「エナ!」
「なに?」
「あとでこれ、直してくれ!」
レオンが自分の服をつまんで見せる。
どうやら木剣で遊んでいるうちに、脇の辺りを破いたらしい。
ルリエナは思わず笑った。
「また?」
「ちょっとだけだ!」
「ついこの前も直したばかりじゃない」
「前とは違う!」
「同じところで破ってるように見えるけど」
「・・・そうか?」
レオンが服を覗き込む。
その様子を見て、ルリエナは笑いながら首を振った。
「持ってきて。あとで直してあげる」
「頼んだ!」
レオンはそう言うと、また仲間たちのところへ走っていった。
ルリエナはその背中を見送りながら、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
一緒に遊ぶ時間は減った。
けれど、こういうところは昔と変わらない。
レオンが破いた服を持ってきて、ルリエナがそれを直す。
それだけのことが、今の二人には残っている。
それでいいのだと思った。
昼を過ぎる頃には、ルリエナは工房の仕事を一度切り上げ、父のガルドと町へ向かう準備をしていた。
十二歳になってから、こうして父と一緒に町へ出る機会が増えている。
ガルドが採取した素材を売るためでもあり、必要な道具や材料を買うためでもある。
最初の頃は、ただ父について歩いているだけだった。
けれど今では、町へ行くことそのものが楽しみになっている。
特に、帰り道に買う蜂蜜が好きだった。
「お父さん、今日は蜂蜜ある?」
荷物をまとめていたガルドに尋ねると、ガルドは手を止めてルリエナを見る。
「買うか」
「うん」
「どれくらいだ」
「瓶、一つ」
ガルドは小さく頷いた。
「分かった」
それだけの会話だった。
けれどルリエナには、それで十分だった。
町では、村では見たことのない素材を見ることができる。
魔獣から採れた革や爪、植物から作られた繊維、職人たちが加工した道具。
それらを見ていると、仕立てに使えそうなものが次々と目に入ってくる。
そして帰りには蜂蜜を買う。
家に帰ってから、母と一緒に少しずつ味わうのが、最近のルリエナの小さな楽しみだった。
父と並んで村を出ながら、ルリエナは道の先を眺めた。
七歳の頃よりも、世界が広くなったような気がする。
自分の手でできることも増えた。
知らないものも増えた。
そして、知りたいことも増えている。
十二歳という年齢が、子どもと大人の間にあることを、ルリエナはまだはっきりとは理解していなかった。
ただ、少しずつ自分の世界が広がっていることだけは感じていた。
仕立てのこと。
素材のこと。
父と行く採取のこと。
町で見るもの。
レオンの剣。
そして、村にいる同年代の子どもたちが、それぞれの道へ歩き始めていること。
まだ何も決まってはいない。
けれど、いつか自分も、この村の外へ出ていく日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら、ルリエナは隣を歩く父を見上げた。
ガルドはいつものように黙って歩いている。
けれど、今日は町で何を見られるのかと思うと、ルリエナの足取りは自然と軽くなっていた。
十二歳の春は、そうして静かに始まった。




