第五節 暗い森の奥へ
それから、幾つもの季節が過ぎた。
ガルドは、相変わらずアルヴェリスと森へ入っていた。
ただ、いつの頃からか、父の後ろを歩くことは少なくなっていた。
採取する場所を決めるときも、まず自分で周囲を見回す。植物の生え方や地面の状態を確かめ、前に来たときとの違いがないかを考える。
アルヴェリスが何も言わなくても、ガルドは自然とそうするようになっていた。
「父さん」
「なんだ?」
「今日は、こっちから行ってみてもいい?」
ガルドが指差したのは、いつも使っている道から少し外れた場所だった。
木々の間に細い獣道が伸びている。
人が歩いた跡ではない。
けれど、何度か同じ場所を通った獣が残した道なのだろう。土がわずかに踏み固められ、低い枝には擦れた跡が残っている。
アルヴェリスは、その道を眺めた。
「何があると思う?」
「分からない」
「なら、どうして行ってみたい?」
ガルドは少し考えた。
「ここだけ草が少ないから。何かが通ってるなら、その先に水場があるかもしれない」
アルヴェリスは黙って息子を見る。
「・・・違うかもしれないけど」
「いや」
アルヴェリスは小さく笑った。
「行ってみる価値はある」
二人は獣道へ入った。
しばらく進むと、予想していた通り、小さな水溜まりが見つかった。そこには動物の足跡が残っていて、周囲には食べられた草もある。
ガルドはしゃがみ込み、足跡を眺めた。
「やっぱり、水を飲みに来てる」
「そうだな」
「じゃあ、この道を覚えておく」
「なぜ?」
「また使うかもしれないから」
アルヴェリスは頷いた。
それ以上、何も言わなかった。
けれど、その日の帰り道、ガルドは何度も後ろを振り返った。
森の中には、同じように見える木がいくつも並んでいる。
少し道を外れれば、さっきまで歩いていた場所さえ分からなくなりそうだった。
だからガルドは、木の形を覚えた。
根元の岩を覚えた。
曲がった枝や、倒れた木の位置も覚えた。
道だけを見るのではなく、その周りにあるものまで頭の中へ残していく。
その姿を見ていたアルヴェリスが、ふと口を開いた。
「ガルド」
「なに?」
「森では、来た道を覚えるだけでは足りない」
「どうして?」
「森は変わるからだ」
ガルドは父を見る。
「木が倒れることもある。雨が降れば川の流れも変わる。獣が道を作ることもあれば、草が伸びて消えることもある」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「道を覚えるんじゃない」
アルヴェリスは、周囲の木々を見回した。
「森を覚えろ」
その言葉が、ガルドの中に残った。
道だけではない。
木の並び。
地面の傾斜。
水の流れる方向。
風の通り方。
そこに生える植物。
生き物の気配。
そうしたものを一つずつ覚えていけば、たとえ道が消えても、自分がどこにいるのかを考えることができる。
ガルドは、黙って周囲を見た。
まだ七歳だった頃よりも、森はずっと広く見えていた。
知っていることが増えたからこそ、その先に知らない場所があることも分かるようになっていた。
アルヴェリスが何度歩いても踏み込まなかった場所もある。
木々がさらに密集し、昼間でも薄暗い奥。
村の人々が近づこうとしない場所。
古い記録にも、ほとんど何も残されていない場所。
ガルドは、そこへ目を向けた。
「父さん」
「なんだ?」
「この先には、何があるのかな」
アルヴェリスは、息子の視線の先を追った。
しばらく黙ってから、静かに答える。
「分からない」
ガルドは、その答えを聞いて笑った。
「じゃあ、いつか調べないとね」
「ああ」
アルヴェリスは頷いた。
「ただし、分からない場所へ行くなら、分からないことを忘れるな」
その言葉に、ガルドは頷いた。
「うん」
二人は、来た道を戻っていく。
その背中を、森は何も語らず見つめていた。
このときのガルドは、まだ知らない。
いつか自分が、この森を何度も歩くことになることも。
道のない場所で立ち止まり、木々の並びや岩の位置を確かめながら、少しずつ自分だけの道を見つけていくことも。
そして、その先にあるものを求めて、何年もの時間を森の中で過ごすことになることも。
ただ一つだけ、父から教わったことは、すでに身体の奥まで染み込んでいた。
分からないなら、考える。
考えても分からないなら、確かめる。
そして――自分で歩いてみる。
それが、後に人々から「深森のガルド」と呼ばれる男の、最初の一歩だった。




