第三節 考える癖
それからしばらくの間、アルヴェリスとガルドは、何度もこの暗い森へ入った。
特別なことが毎日起こるわけではない。
朝、村を出て、森へ向かう。アルヴェリスが採取するものを探し、その傍らでガルドも小さな袋を抱えて歩く。見つけた植物を拾い、傷んでいれば捨て、使えそうなものは持ち帰る。昼を過ぎれば村へ戻り、採ってきたものを整理する。
そんな日々の繰り返しだった。
けれど、その中でガルドには少しずつ変化が現れていた。
以前なら、森で見慣れない植物を見つければ、すぐに父へ尋ねていた。
「父さん、これ何?」
今では、その言葉が出る前に、一度その植物を眺めるようになっていた。
葉の形を見る。
茎の太さを見る。
どんな場所に生えているのかを確かめ、周囲に同じ植物がないか探す。葉を傷つけたときに出る汁の色や匂いまで気にするようになった。
そして、それだけ調べてから、ようやく口を開く。
「父さん。これ、前に見たやつと同じだと思う」
「なぜそう思った?」
「葉の形が似てる。それと、昨日雨が降ったところには生えてなくて、少し高い場所にだけあるから」
アルヴェリスは植物を手に取り、葉の裏側を確かめた。
「よく見ているな」
「同じかな?」
「どうだろうな」
そう言って、アルヴェリスはすぐには答えなかった。
ガルドは少し考え、それから自分で葉を裏返した。
そこには、昨日見た植物にはなかった細かな斑点がある。
「・・・違うかもしれない」
「そう思った理由は?」
「葉っぱの裏が違う」
「なら、もう少し見てみろ」
ガルドは黙って植物を観察した。
やがて、二人の間に沈黙が落ちる。
以前のガルドなら、その沈黙に耐えられず、すぐに父へ答えを求めただろう。
けれど今は違った。
分からない。
だから、もう少し見る。
それでも分からなければ、別のものと比べてみる。
その考え方が、少しずつ身体に馴染んできていた。
「父さん」
「なんだ?」
「これ、葉っぱだけじゃなくて、茎も違う」
「そうだな」
「だから、たぶん別の植物だと思う」
アルヴェリスは頷いた。
「俺もそう思う」
その一言を聞いたガルドは、嬉しそうに植物を袋へ入れた。
答えを教えてもらったわけではない。
それでも、自分で考えて辿り着いたことが、少し嬉しかった。
森から戻ったあとも、それは続いた。
採取した植物を並べていると、ガルドは一つずつ手に取り、似たものを近くに置いていく。
「これは同じところに生えてた」
「こっちは水の近く」
「これは匂いが違う」
最初はただ思いついたことを口にしていただけだったが、アルヴェリスは何も急かさなかった。
間違っていれば、なぜそう思ったのかを尋ねる。
分からなければ、一緒に確かめる。
そして、分からないものは無理に答えを出さず、そのまま残しておく。
そんなことを繰り返すうちに、ガルドはいつしか、考えてから話すようになっていった。
ある日の夕方、アルヴェリスが採取した植物を整理していると、ガルドが黙ってその横に座った。
「どうした?」
「・・・別に」
「何か考えている顔だな」
ガルドは少し迷ったあと、口を開いた。
「父さんって、どうして何でも知ってるの?」
アルヴェリスの手が止まった。
「何でもは知らない」
「でも、僕が知らないことをいっぱい知ってる」
「長く生きているからな」
「それだけ?」
アルヴェリスは息子を見た。
七歳の子供が、そんなことを考えるようになったのかと思うと、少し可笑しかった。
「俺だって、知らないことはたくさんある」
「この森のことも?」
「ああ」
「魔獣のことも?」
「ああ」
「じゃあ、どうして調べるの?」
アルヴェリスはしばらく黙っていた。
窓の外では、夕暮れの光が森の向こうへ沈み始めている。
「気になるからだ」
「それだけ?」
「それだけで十分だろう」
ガルドは父の言葉を聞いて、少し考えた。
「・・・僕も、気になる」
「何が?」
「この森のこと」
アルヴェリスは笑った。
「なら、調べればいい」
簡単な言葉だった。
けれど、ガルドにとっては、それが大きな意味を持つ言葉になった。
知らないことは、恥ずかしいことではない。
分からないことは、そこで終わることでもない。
気になったなら、見ればいい。
考えればいい。
誰かが残した記録があるなら読めばいい。
それでも分からなければ、自分で確かめればいい。
その積み重ねが、いつか自分の知っていることになる。
ガルドはその夜、父から借りた古い記録を眺めながら、知らない文字を指でなぞっていた。
「父さん」
「なんだ?」
「これ、なんて読むの?」
「古い言葉だ。今の言葉とは少し違う」
「じゃあ、教えて」
「いいぞ。ただし――」
アルヴェリスは息子の隣に座り、紙に書かれた文字を指差した。
「意味を覚えるだけじゃなく、どうしてそう書かれたのかも考えてみろ」
ガルドは文字を見つめた。
すぐには答えが出てこない。
だから、考える。
父に教えられた言葉を、頭の中で何度も転がしながら。
その癖は、やがてガルドの中に根を張っていった。
何かを見れば考える。
何かを聞けば、すぐには答えず、一度頭の中で整理する。
自分が見たものと、誰かから聞いたものを分けて考える。
そして、分からないことは分からないまま覚えておく。
それが、ガルドにとって当たり前になっていった。
後に彼が、必要なことだけを静かに話す男になったのは、この頃からだった。




