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魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第五章 知るということ

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第十六節 通り名

村の中を歩いていると、ときどき不思議な呼ばれ方をする人がいる。


名前を呼んでいるのに、名前とは別の言葉が一緒についている。

ルリエナがそれに気づいたのは、七歳になってしばらく経った頃だった。


「深森の、今日は森かい?」


村の広場で、荷物を運んでいた男が声をかけた。


「ああ。昼までには戻る」


父はいつものように答えて、そのまま歩いていく。

ルリエナは、その背中を見ながら首を傾げた。


「・・・お父さん」


「ん?」


「『深森』って、なに?」


ガルドが振り返る。


「何って?」


「みんな、お父さんのことを『深森のガルド』って呼んでるよね」


「ああ」


「ガルドだけじゃ駄目なの?」


ガルドは少し考えてから笑った。


「そう呼びたい人がいるなら、別にいいんじゃないか?」


「でも、名前じゃないんでしょう?」


「名前とは違うな。通り名っていうんだ」


「通り名?」


「その人の仕事とか、やってきたこととか、特徴なんかからつく名前だ。人によっては、名前より通り名のほうが知られてることもある」


ルリエナは少し考えた。


「じゃあ、お父さんは森にいるから『深森』?」


「まあ、そんなところだ」


なんとなく納得しかけたところで、家に帰ってから、今度は母にも聞いてみた。


「お母さん」


「なに?」


「お父さんの『深森』って、どうしてついたの?」


フィーネは手を止め、少しだけ考えるような顔をした。


「そうねえ・・・」


それからガルドのほうを見て、口元を緩める。


「森の奥の方で迷ったからじゃない?」


「・・・」


ガルドの手が止まった。


「おい」


「だって、深い森まで行って帰ってこないことがあるじゃない」


「迷ってるんじゃない。仕事で行ってるんだ」


フィーネは楽しそうに笑う。


「そうだったわね」


ルリエナは二人の顔を交互に見た。


「・・・本当に迷ったことはないの?」


「ない」


ガルドが即答する。


「一度も?」


「一度もだ」


「本当に?」


「本当だ」


そこまで言い切ったところで、フィーネが吹き出した。


ガルドは困ったように頭を掻く。


「・・・まあ、昔は道を間違えたことくらいはある」


「ほら」


「迷ったんじゃない。道を間違えただけだ」


「それを迷ったっていうんじゃない?」


「違う」


ルリエナは思わず笑った。


父が森で道を間違えたことがあるというだけで、なんだか少し意外だった。

いつも森を歩いているときのガルドは、どこへ行けばいいのか迷う様子など少しも見せない。

木の形を見て、足元の土を見て、風の向きを感じながら歩いていく。

そんな父でも、最初から森を知っていたわけではないのだろう。


「じゃあ、本当はどうして『深森』なの?」


ルリエナが改めて尋ねると、ガルドは少しだけ黙った。


「それは・・・」


そして、いつものように笑った。


「もう少し大きくなったら教えてやる」


「また?」


「今のお前には、まだ早い」


「知りたいのに」


「知りたいなら、いろんなことを知ってからだ」


ルリエナは少し頬を膨らませた。

けれど、それ以上は聞かなかった。

いつか分かることなら、そのときまで待てばいい。

そう思えるようになったのは、以前より少しだけ大人になったからかもしれない。


それから数日後。


今度はレオンと一緒に村を歩いていたとき、別の呼び方を耳にした。


「不倒(ふとう)のところの息子さんだろ?」


村の男がレオンに声をかけている。


「うん、そうだけど」


レオンが答える。


ルリエナはその言葉を聞いて、すぐに反応した。


「レオン」


「ん?」


「『不倒』ってなに?」


「え?」


「この前、お父さんに聞いたの。通り名なんだって」


「ああ、不倒か」


レオンは少し嬉しそうに胸を張った。


「俺の家のことだよ」


「家の?」


「うん。父さんも、じいちゃんも、ずっと『不倒』って呼ばれてる」


「どうして?」


レオンは一瞬考えた。


「倒れないから・・・かな?」


「それだけ?」


「たぶん」


ルリエナは首を傾げた。


「でも、レオンはよく転んでるじゃない」


「・・・」


レオンの顔が固まった。


「この前だって、走ってて転んだよね」


「・・・あれは転んだんじゃない」


「転んでたよ」


「転んだけど、すぐ起きた」


「うん」


「だから、不倒なんじゃないか?」


レオンは真剣な顔で言った。

ルリエナは少し考えてから、首を傾げる。


「転ばないんじゃなくて?」


「そう。倒れても起きる」


「それなら、レオンにぴったりかも」


「だろ?」


レオンは嬉しそうに胸を張った。


「父さんも言ってた。うちの『不倒』は、倒れても終わらないって」


「じゃあ、本当にそういう意味なのかな」


「たぶん」


「また、たぶんなんだ」


「だって、俺も詳しくは知らないし」


二人は顔を見合わせた。

レオンは少し考えてから、照れたように笑う。


「でも、俺は『不倒』って呼ばれるの、好きだぞ」


「どうして?」


「なんか、強そうだから」


「レオンらしいね」


「だろ?」


そう言って笑うレオンを見ながら、ルリエナは「不倒」という言葉を頭の中で繰り返した。


倒れない。


もしそれが本当なら、レオンがこれから剣を覚えていくうえでも、大切な名前になるのかもしれない。

けれど、その本当の意味は、まだ二人とも知らなかった。

 

 ――通り名。


それは、ただの別の名前ではないらしい。


その人が何をしてきたのか。

何を得意としているのか。

どんな家に生まれ、どんなものを受け継いできたのか。

そういうものが、名前の代わりに残ることがある。


そう考えると、「深森」も「不倒」も、ただの呼び方には思えなくなった。


父がなぜ「深森」と呼ばれるようになったのか。

レオンの家がなぜ「不倒」と呼ばれるのか。


まだ、ルリエナは知らない。


けれど、知らないなら知りたい。


その気持ちは、いつものことだった。


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