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魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第五章 知るということ

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第十二節 小さな魔法

洗礼を終えてから、ルリエナはときどき、自分の中にあるものを意識するようになった。


魔力。


人は生まれたときから持っているものだという。けれど、子どものうちは、それが何なのかを知ることも、思うように使うこともできない。

七歳になって洗礼を受けたことで、ようやく自分の中にあるものを意識し、生活魔法を使えるようになった。


とはいえ、魔力が目に見えるわけではない。

どこにあるのかと考えても、胸のあたりにあるような気もするし、腹の奥にあるような気もする。

身体の中を探そうとすればするほど、かえって分からなくなった。

ただ、意識を静かに向けていると、身体の奥に何かがあるような感覚だけは、少しずつ分かるようになってきた。


それが魔力なのだろう。


そう思っているだけで、本当にそうなのかは、まだルリエナにも分からなかった。

 

ある日の昼下がり。


ルリエナは母の隣で、洗った布を干していた。

陽の光を受けた布が、風に揺れている。

フィーネは桶の中の布をすすぎながら、片手で水をすくった。


すると、手のひらからこぼれ落ちる水が、ほんの少しだけ動きを変えた。

水滴がまとまり、桶の中へ落ちていく。


何気ない動作だった。


これまでにも、何度となく見てきた光景だ。家事の合間に母が生活魔法を使うのは珍しいことではなく、ルリエナにとっても当たり前の風景の一つだった。


けれど、洗礼を終えてからは、同じ光景を見ても、以前とは少し違うことを考えるようになっていた。


「・・・お母さん」


「なに?」


「今の、水を動かす生活魔法?」

 

フィーネは手を止めて、ルリエナを見た。


「そうよ。ほんの少しだけどね」


「そんなふうに使うんだね」


「水をまとめたり、こぼれた分を寄せたりね。毎日のことだから、いちいち意識しなくても使えるようになったわ」


フィーネはそう言って、また布をすすぎ始めた。

ルリエナは桶の中を覗き込んだ。水面が陽の光を反射して揺れている。


生活魔法。


これまで何度も見ていたものに、改めて名前をつけてみる。

そうすると、知っていたはずのものが、少しだけ違って見えた。


「・・・私も、同じようにできるかな」


「できるでしょう。洗礼を受けたんだもの。あとは、使い方に慣れることね」


フィーネは笑って、桶の前を空けた。

ルリエナはしゃがみ込み、水面を見つめた。


生活魔法の使い方なら、何となく知っている。

火を灯すときも、水を扱うときも、大人たちは特別な言葉を唱えたり、決まった動作をしたりしているようには見えなかった。

だからといって、ただ手を向ければいいというわけでもないのだろう。


ルリエナは右手を水へ向け、自分の中に意識を向けた。


身体の奥にあるもの。

魔力。


それを水へ伝えるつもりで、そっと意識を動かしてみる。


「・・・動いて」


水面は静かなままだった。


「・・・もう一度」


今度は目を閉じる。身体の中を探し回るのではなく、そこにあるものを感じようとしてみた。


すると、ほんのわずかに何かが揺れた。

気のせいかもしれない。

それでも、その感覚を逃さないように意識を向ける。


身体の奥から、手の先へ。そして、その先にある水へ。

 

水面が、かすかに揺れた。


「・・・!」


ルリエナは目を開いた。

桶の中で、小さな波紋が広がっている。

風が吹いたわけではない。

母が桶に触れたわけでもなかった。


「今の、私がやったの?」


「そうよ。ちゃんと動いたわね」


フィーネが笑った。

ルリエナは水面を見つめたまま、しばらく動かなかった。


生活魔法そのものは、洗礼を受けてから使えるようになった。

けれど、今の感覚は、これまで母の動作を見ているだけでは分からなかったものだった。


自分の中にある何かを意識し、それを水へ伝えた。その結果、水が動いた。


本当にそうなのだろうか。


確かめるように、もう一度手を伸ばす。

今度は何も起こらなかった。


「あれ?」


「同じようにやっても、いつも同じ結果になるとは限らないわよ」


「でも、さっきは動いたのに」


「ええ。だから、もう一度やってみればいいじゃない」


ルリエナは考え込んだ。

さっきは、何かを感じた。その感覚を追っていったら、水が動いた。

けれど、今は同じようにしても何も起きない。


意識の向け方が違ったのだろうか。

それとも、魔力を動かしたときの感覚を、うまく捉えられなかったのだろうか。


もう一度試す。


やはり動かない。


少し休んでから、また試す。今度は水面がほんの少しだけ震えた。


「・・・今のも?」


「うん。ちゃんと動いたわ」


フィーネが頷く。


「上手くいったり、いかなかったりするのね」


「慣れるまでは、そんなものよ。毎日使っている私だって、何でも思い通りにできるわけじゃないもの」


ルリエナは頷いた。


不思議と、できないことが嫌ではなかった。

むしろ、どうしてできたりできなかったりするのかが気になった。


何が違うのだろう。


魔力を動かしたときの感覚か。

集中の仕方か。

それとも、水の量や状態にも関係があるのだろうか。


分からない。


だから、もう一度試してみたくなる。


「・・・面白い」


思わず口から出た言葉に、フィーネが笑った。


「ルリエナらしいわね」


その日の夕方。


ルリエナは今度、父のところへ向かった。

ガルドは家の外で薪を並べていた。

ルリエナが近づいていくと、ちょうど小さな火を灯したところだった。

薪の隙間に赤い光が生まれ、やがて炎がゆっくりと揺れ始める。


「お父さん」


「ん?」


「魔力って、どういうものなの?」


ガルドが顔を上げた。


「急にどうした?」


「お母さんが水を動かしていたから、私もやってみたの。少しだけ動いたんだけど、どうして動いたのか分からなくて」


「なるほどな」


ガルドは嬉しそうに笑った。


「生活魔法を試してみたのか。洗礼を受けてから、ずいぶん気になっていたんだな」


「うん。でも、魔力をどうやって水に伝えているのか、よく分からないの」


ガルドは少し考えてから、燃えている薪へ視線を向けた。


「魔力には、性質があるんだ」


「性質?」


「ああ。火を灯すのと、水を動かすのでは、起きる現象が違うだろう。どちらも魔力を使っているが、同じことをしているわけじゃない」


炎が小さく揺れる。

ルリエナは、その赤い色をじっと見つめた。


「魔力を使うと、火や水になるの?」


「魔力そのものが、そのまま火や水になるわけじゃない。魔力の性質に応じて、外に現れるものが変わるんだ」


「・・・じゃあ、魔力と、魔法で起きることは別なの?」


「そう考えていい。魔力は力のもとになるものだが、実際にどんな現象が起きるかは、それだけで決まるわけじゃない」


ガルドは薪を一本、火のそばへ寄せた。


「ただ、今のお前に、仕組みを全部理解するのは難しいだろうな。俺だって、何でも説明できるわけじゃない」


「・・・お父さんにも分からないことがあるの?」


「当たり前だ。使い方を知っていることと、仕組みを全部知っていることは違うからな」


その言葉に、ルリエナは今日、水を動かしたときの感覚を思い出した。


ほんの一瞬だった。


身体の奥にある何かが動いて、それが手の先を通り、水へ伝わったような感覚。

けれど、あれが本当に魔力の動きだったのか、どうして水が動いたのか、まだ確かなことは何一つ分かっていない。


「・・・使っていれば、分かるようになる?」


「少しずつな。何度も使っていれば、自分がどんなときに上手くできるのか、何が苦手なのかも分かってくる。仕組みを知りたければ、使うだけじゃなく、よく見て考えることも必要だ」


ルリエナは頷いた。

それなら、やることは決まっている。


「・・・もっと試してみたい」


「そうすればいい。ただし、無理はするな。魔力を使うのにも限りはある。疲れたときは、ちゃんと休め」


「分かった」


ルリエナはもう一度、炎を見つめた。

母が使った水の生活魔法も、父が灯した火も、これまで何度も目にしてきたものだった。

特別なものだとは思わず、家事や暮らしの中にある、ごく当たり前のこととして見ていた。


けれど、今はそこに新しい疑問が生まれている。

魔力には、どんな性質があるのか。

どうすれば、思うように動かせるのか。

水を動かしたときに感じたものは何だったのか。

火と水では、何が違うのか。


知らないことばかりだった。

けれど、それでいい。分からないからこそ、知りたかった。


ルリエナは小さく握った自分の手を見つめた。

材料も、人の身体も、まだ知らないことがある。

そして今度は、生活魔法もその一つになった。


知りたいと思う。

見てみたいと思う。

試してみたいと思う。


その気持ちは、いつも同じだった。

だからルリエナは、明日になったらまた試してみようと思った。


今度は、今日より少しだけ上手に。


小さな生活魔法の向こうにも、まだ知らない世界が広がっている。


そう思うと、明日が少しだけ楽しみになった。



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