第八節 父の仕事
翌朝、ガルドはいつもより早く支度をしていた。
腰には採取用の小さなナイフと袋を下げ、背負い袋には縄や布、いくつかの道具が収められている。
「今日は森へ行くぞ」
朝食を終えたルリエナに、ガルドが声をかけた。
「いつもの森?」
「ああ。少し奥まで行くが、危ないところには入らない」
「私も行っていい?」
ガルドは一瞬だけルリエナを見た。
「鑑定を覚えたばかりだったな」
「うん」
「なら、今日はそれも使ってみるか」
「うん!」
家を出ると、朝の空気はまだ少し冷たかった。
二人は村を抜け、いつもの道を森へ向かって歩いていく。
ルリエナにとって、この道はもう珍しいものではない。五歳の頃から何度も父についてきた場所であり、木々の間にどんな植物が生えているのかも、少しずつ覚えてきた。
けれど今日は、いつもと少しだけ見え方が違った。
目の前にある植物を見れば、鑑定を使ってみたくなる。
「お父さん、あれは?」
「あれは薬草だ」
「鑑定していい?」
「やってみろ」
ルリエナは植物に目を向けた。
「・・・鑑定」
頭の中に言葉が浮かぶ。
薬草。
植物。
「薬草だって」
「そうだな。これはバムの草。身体を温める作用がある」
ガルドはそのまま通り過ぎた。
「・・・採らないの?」
「これは採らない」
「鑑定で薬草だって分かったのに?」
「分かったことと、採ることは別だ」
ルリエナは足を止めた。
「別?」
ガルドは振り返り、少し離れたところに生えている別の植物を指差した。
「採取ってのは、見つけたものを何でも持って帰ればいいって仕事じゃない。必要なものを必要なだけ採る。まだ小さいものなら残すし、今は使わないものなら、そのままにしておく」
「・・・分かった」
ルリエナはもう一度、さっきの薬草を見る。
鑑定では「薬草」と分かった。
けれど、それだけでは「採る理由」までは分からない。
それが少し面白かった。
「じゃあ、今日は何を採るの?」
「それを探しに来たんだ」
ガルドは笑いながら先へ進んだ。
しばらく歩くと、ガルドが足を止めた。
倒木の根元に、小さな植物がまとまって生えている。
「これだ」
ルリエナもしゃがみ込んだ。
葉の形を見る。
茎の色を見る。
葉の裏側も確かめる。
以前なら父に名前を教えてもらうところだが、今日はまず自分で考えてみた。
「・・・鑑定」
結果が浮かぶ。
薬草。
ルリエナは首を傾げた。
「さっきのと同じ、バムの草?」
「同じ薬草だな」
「でも、こっちは採るの?」
「ああ」
「どうして?」
ガルドはしゃがみ込み、植物の根元を指で示した。
「こっちは十分に育ってる。それに、今必要な量もここで取れる」
ルリエナは植物を見る。
同じ「薬草」でも、育ち方が違う。
さっきのものはまだ小さかった。
こちらは葉も大きく、茎もしっかりしている。
「鑑定だけじゃ、そこまでは分からないんだね」
「そういうことだ」
ガルドはナイフを取り出した。
「鑑定は便利だ。でも、素材を扱う人間なら、それだけじゃ足りない」
根元を傷つけないように刃を入れ、必要な部分だけを切り取る。
「見ることも、触ることも、匂いを嗅ぐこともある。季節や場所も覚えておく。そういうのを全部合わせて、素材を見るんだ」
ルリエナは父の手元をじっと見つめた。
採る場所。
採る量。
育ち具合。
傷の有無。
同じ植物でも、一つ一つ違っている。
「私もやってみたい」
「じゃあ、やってみろ」
ガルドは別の株を指した。
「ただし、採る前にちゃんと見ろ」
ルリエナはその植物の前にしゃがみ込んだ。
葉を見て、茎を触る。
土の湿り気を確かめ、周囲に同じ植物がどれくらいあるのかも見る。
それから、鑑定を使った。
やはり薬草だった。
「これなら採っていい?」
「どうしてそう思った?」
「葉が大きくて、茎もしっかりしてる。それに、ここには同じのがたくさんあるから・・・一つ採っても大丈夫かなって」
ガルドは満足そうに頷いた。
「よく見たな」
ルリエナはナイフを受け取った。
教えられた通り、根を残して必要な部分だけを切り取る。
「できた」
「うん。上出来だ」
ルリエナは手の中の薬草を眺めた。
鑑定で名前を知る。
自分の目で状態を見る。
父に教えてもらったことと照らし合わせる。
そうすると、同じ「薬草」という言葉でも、少しずつ違うものが見えてくる。
さらに森の奥へ進むと、ガルドはいくつかの素材を見つけては、必要なものだけを採っていった。
ルリエナもそのたびに鑑定を使ったが、結果は思ったほど多くなかった。
薬草。
食用の実。
木の皮。
それぞれの名前が分かるだけで、どんな場所で育ち、いつ採るのがいいのかまでは教えてくれない。
それでも、鑑定が役に立たないとは思わなかった。
知らないものの正体を知るきっかけになる。
そこから先を知るには、自分で見る必要がある。
森を歩きながら、ルリエナはそのことを少しずつ理解していった。
昼近くになり、二人は開けた場所で休憩を取った。
ガルドが背負い袋から水筒を取り出す。
「どうだ?」
「何が?」
「鑑定を使ってみて」
ルリエナは少し考えた。
「便利だけど、思ってたより分からないことが多い」
「ははっ」
ガルドが笑う。
「そうだろうな」
「でも、分からないから面白いんだよね」
ルリエナがそう言うと、ガルドは少しだけ目を細めた。
「そうか」
「うん。分からないものがあったら、見て、触って、どうしてなのか考えればいいんだよね?」
「ああ」
ガルドは水筒をしまいながら答えた。
「知りたいと思うなら、いくらでも見るといい。ただし、森では分からないものに勝手に触るなよ」
「うん」
ルリエナは素直に頷いた。
帰り道、ルリエナは何度も立ち止まった。
道端の草を見て、木の皮を見て、落ちている枝を拾い上げる。
そのたびに鑑定を使うわけではない。
まず自分の目で見る。
それから、知りたければ鑑定する。
鑑定で分かったことと、自分で感じたことを比べてみる。
そんなことを繰り返しているうちに、村へ戻る頃には、朝よりもずっと多くのものを見たような気がしていた。
隣を歩く父の背負い袋には、今日採った素材が入っている。
ルリエナはそれを見ながら、ふと思った。
父は毎日、こうやって森を見ている。
名前を知っているだけではなく、季節を知り、場所を知り、素材の状態を知って、その中から必要なものを選んでいる。
それは、ただ物を採る仕事ではない。
森を知る仕事なのだ。
そう思うと、今まで何度も見てきた父の背中が、少し違って見えた。




