第五節 顕(あらわ)しの儀
協会の中は、外から見るよりもずっと静かだった。
高い天井から差し込む光が床を照らし、その奥には簡素な祭壇がある。壁際には何人かの大人が座っており、同じように洗礼を受けに来た家族の姿も見えた。
ルリエナはフィーネの隣を歩きながら、きょろきょろと周囲を見回していた。
「ルリエナ、あまり離れないでね」
「うん」
やがて名前を呼ばれ、家族三人で前へ進む。
そこにいたのは、協会の司祭だった。
「本日はお子様の洗礼ですね」
「はい」
フィーネが答える。
司祭は穏やかな表情でルリエナを見ると、目線を合わせるように少し腰を落とした。
「怖くはありませんよ。今日することは、今まで知らなかったものを知るためのものです」
「知らなかったもの?」
「ええ。あなたの中には、あなた自身もまだ知らないものがあります」
その言葉に、ルリエナは少しだけ目を見開いた。
今日、何度も聞いた言葉だった。
魔法。
魔力。
自分の中にあるもの。
けれど、まだ実感はない。
司祭はルリエナの前に、小さな器を置いた。
「まずは、力を抜いてください」
言われた通りにする。
「目を閉じて、自分の身体の中を意識してみましょう」
ルリエナは目を閉じた。
呼吸の音が聞こえる。
服が肌に触れる感覚もある。
足の裏には床の硬さが伝わってくる。
その奥へ意識を向ける。
すると、昨日までとは少し違う感覚があった。
身体の内側に、何かがある。
はっきり形があるわけではない。
けれど、確かに感じる。
「・・・これ?」
「分かりましたか?」
「うん」
ルリエナが目を開ける。
司祭は小さく頷いた。
「それが魔力です」
言葉にされると、不思議だった。
今まで知らなかったものなのに、どこか自分の身体の一部のようにも感じる。
「それを、少しだけ動かしてみましょう」
「どうやって?」
「手を動かすときと同じです。動かそうと思ってみてください」
ルリエナは意識を集中した。
すると、身体の中で感じていたものが、ほんの少し動いた。
指先へ向かって流れるような感覚。
「・・・動いた」
ルリエナが呟く。
「ええ。それで十分です」
司祭は器を指した。
「次は、その魔力を器へ向けてみましょう」
ルリエナは器を見る。
水は入っていない。
「何が起きるの?」
「やってみれば分かります」
ルリエナは少し考えた。
水を出す。
さっき母から聞いた。
それが魔法だということも知った。
なら――。
ルリエナは魔力を意識し、器へ向けた。
次の瞬間。
器の底に、小さな水滴が落ちた。
「・・・水」
ほんの少し。
指先から落ちた程度の量だった。
それでも、ルリエナは目を丸くした。
「これが魔法・・・」
「そうです」
司祭は頷いた。
「今のが生活魔法の一つです。大きな力を使う必要はありません。まずは、自分の魔力がどのように働くのかを知ることが大切です」
ルリエナは器の中の水を見つめた。
たった一滴。
けれど、自分の意思で起こした現象だった。
不思議な感覚だった。
フィーネを見ると、母は嬉しそうに笑っている。
「できたわね」
「うん」
ルリエナも笑った。
その後、いくつか簡単な確認が行われた。
火を起こす。
小さな傷を塞ぐ。
魔力を意識して動かす。
どれも大きなことではない。
けれど、ルリエナにとっては初めて、自分の中にあるものを自分の意思で動かした経験だった。
やがて、司祭が静かに口を開いた。
「では、ここからが顕しの儀になります」
「顕しの儀?」
「はい。洗礼によって、自分の中にある魔力を知ることができましたね」
「うん」
「今度は、その魔力の奥にあるものを見ます」
司祭がそう言って、ルリエナの頭上へ静かに手をかざした。
「人には、生まれつき向いていることがあります。身体を動かすことが得意な人もいれば、物を作ることが得意な人もいる。いくつものことに適性を持つ人もいますし、はっきりとしたものが少ない人もいます」
「向いてること・・・?」
「ええ。それを、技能や適性として確認するのです」
ルリエナには、まだその意味がよく分からなかった。
司祭の手から、淡い光がこぼれる。
それは先ほど自分が使った魔法とは違い、触れることもできないほど静かなものだった。
しばらくすると、司祭の表情がわずかに変わった。
「・・・なるほど」
「どうしたの?」
「いくつかありますね」
司祭はルリエナを見ながら、静かに告げた。
「まず、《裁縫》の適性があります。それから・・・《料理》も」
「料理?」
思いがけない言葉に、ルリエナは目を丸くした。
「はい。ほかにも、素材を見分けたり扱ったりすることに関係する適性がいくつかあります。ただ、その中でも《裁縫》はかなり強く出ています」
ルリエナは、少しだけ考えた。
料理は、母の手伝いをすることもある。
けれど、布や糸を触っている時間の方がずっと長い。
革を触るのも好きだった。
素材を見て、どこに使えるのかを考えるのも好きだ。
言われてみれば、いくつか当てはまる。
「じゃあ、私にはいろんなものが向いてるの?」
「そういうことになります。ただし、適性があるからといって、何もしなくても上手にできるわけではありません。適性は、あくまでその人が伸ばしやすい方向を示すものです」
司祭はそこで一度言葉を切り、ルリエナの目を見た。
「どれを選び、どこまで伸ばすかは、あなた自身が決めることですよ」
ルリエナは、その言葉を聞いて少しだけ考えた。
料理も嫌いではない。
素材を集めることも面白い。
革を触るのも好きだ。
けれど――。
布を広げ、糸を選び、針を動かし、誰かが着るものを形にしていく。
それをしているときが、一番楽しかった。
「・・・私は、裁縫をやりたい」
口にすると、不思議と迷いはなかった。
「もっと上手になりたい」
フィーネが隣で微笑む。
司祭も頷いた。
「それなら、きっと良いでしょう。適性は道を示すものですが、その道を歩くのはあなたです」
ルリエナは、その言葉を胸の中で繰り返した。
自分の中には、いくつもの可能性がある。
その中から、自分で選ぶ。
それは、少し不思議で・・・けれど、嬉しいことだった。
「では、最後にもう一つだけ」
司祭が、今度は小さな木札を手に取った。
「これは何?」
「協会で使っている札ですか?」
「そうですね。では、これが何なのか、もっと詳しく知りたいと思ったら・・・どうしますか?」
ルリエナは木札を見つめた。
「もっと詳しく・・・?」
「ええ。洗礼を受けた者は、物を知るための技能を使えるようになります。それが《鑑定》です」
「鑑定?」
聞き慣れない言葉だった。
ルリエナが首を傾げると、司祭は木札を持ったまま説明を続けた。
「目で見るだけでは分からないことを、少しだけ知ることができます。もっとも、最初から何でも分かるわけではありません。まずは、この木札を見ながら使ってみましょう」
「どうやって?」
「知りたい、と思いながら意識してみてください」
ルリエナは言われた通り、木札へ視線を向けた。
木の色。
表面の傷。
削られた角。
見れば分かることを一つずつ確かめながら、頭の中で問いかける。
これが何なのか、知りたい。
「・・・鑑定」
その瞬間、頭の中にいくつかの言葉が浮かんだ。
木札。
木製。
協会の札。
「・・・見えた」
「何が分かりましたか?」
「木でできていることと・・・協会の札だって」
司祭は頷いた。
「それが初級鑑定です」
ルリエナはもう一度、木札を見つめた。
どれも目で見れば分かることだった。
けれど今は、それが頭の中に言葉として浮かんでいる。
「これが・・・鑑定」
「そうです。初級では、分かることはそれほど多くありません。それでも、使い続ければ、自分が見たり知ったりしたことをもとに、少しずつ分かることが増えていく人もいます」
ルリエナは木札を見ながら、その言葉を胸の中で繰り返した。
知っていることが増えれば、見えるものも変わる。
それは、仕立てをしているときにも感じていたことだった。
布を知れば、触っただけで違いが分かる。
革を知れば、厚みや硬さから使い道を考えられる。
人の身体を見れば、どこに余裕を持たせれば動きやすいのかが分かる。
鑑定というものも、もしかしたら同じなのかもしれない。
まだ今のルリエナには、その意味までは分からなかった。
ただ――今日、自分の中にある魔力を知り、初めて魔法を使い、自分がしてきたことに《裁縫》という名前があることを知った。
そして今度は、物を見るための新しい方法まで知った。
今日一日で、自分の知らなかったものがいくつも姿を現している。
それでも、まだ分からないことの方がずっと多い。
だからこそ、もっと知りたいと思った。
すべての儀式が終わると、ルリエナは協会の外へ出た。
昼の町は、来たときよりも少し賑やかになっている。
通りを行き交う人々の声に、荷車の車輪が石畳を擦る音、店先から聞こえてくる呼び声。村では見たことのない店や道具が、あちらこちらに並んでいる。
ルリエナは足を止め、目を輝かせた。
「ねえ、お父さん」
「ん?」
「町を見てから帰ろう」
ガルドがフィーネを見ると、フィーネは小さく笑った。
「いいんじゃない?」
「やった!」
ルリエナは二人の間を抜けるようにして、町の通りへ目を向けた。
今日は、自分の中にあるものを知った。
なら今度は――自分の知らない、この町を知ってみたい。
そう思いながら、ルリエナは両親と並んで歩き始めた。




