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魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第五章 知るということ

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第二節 エナ!

春の陽射しが、村の畑をやわらかく照らしていた。


冬の間に乾いていた土も、雪解け水を吸って少しずつ色を濃くしている。畑の向こうでは、農家の人たちが鍬を手に動き回り、遠くから鳥の鳴き声が聞こえていた。

その声に混じって、聞き慣れた声が響く。


「エナ!」


振り返るより先に、誰なのか分かった。


七歳になったルリエナにとって、その呼び声はもう、特別なものではない。

村の中で、そう呼ぶのは一人だけだった。


「レオン!」


声のした方を見ると、赤い髪を揺らしながら、レオンがこちらへ走ってくる。

五歳の頃と比べると、身体つきも少し大きくなった。走る速さもずっと速い。

それでも、以前のように勢いだけで突っ込んでくることはなくなっていた。

足元の石を避け、地面の凹凸を見ながら走る。

そのままルリエナの前まで来たところで、足がわずかにもつれた。


「あっ」


思わず声が出る。

だが、レオンは倒れなかった。

身体を前へ丸めるようにして肩から地面へ触れ、そのまま一回転する。勢いを殺しながら立ち上がると、服についた土を手で払った。


「・・・今の、すごい」


ルリエナが目を丸くする。


「だろ?」


レオンは得意そうに胸を張った。


「前だったら、そのまま転んでたよね」


「俺だって、いつまでも転んでばっかじゃないぞ」


「でも、前はよく転んでた」


「・・・それは、そうだけど」


少しだけ言葉に詰まってから、レオンは頭を掻いた。

ルリエナはしゃがみ込み、レオンが転がった場所を見る。

土の上には、肩が触れた跡が薄く残っていた。


「どうやったの?」


「かあちゃんが教えてくれた」


「マレナおばさん?」


「うん」


レオンは頷いた。


「転ぶときは手をつくんじゃなくて、身体を丸めろって」


「へぇ・・・」


ルリエナは、もう一度さっきの動きを思い返した。

五歳の頃のレオンなら、転びそうになった瞬間に手を前へ出していた。膝をつき、身体を支えようとして、そのまま地面に滑り込んでていた。


けれど今は違う。


身体を丸めて、地面にぶつかる力を逃がしている。


「それで、起き上がるのも早くなったんだ」


「そう。転んでも、すぐ立てる」


レオンはそう言って、その場で軽く跳ねた。


「かあちゃんが言ってた。転ばないようにするのも大事だけど、転んだときにどうするかも大事だって」


「なるほど・・・」


ルリエナは頷きながら、レオンの足元を見る。

さっき転びかけたときも、足を完全に止めてはいなかった。

身体が傾いた瞬間に、次の動きへつなげていた。


転ばないようにする。

それだけではない。

転んでも、動きを止めない。

それは、以前自分が作った膝当てのことを、どこか思い出させた。


動かなくするのではなく、動いても邪魔にならないようにする。

身体の動きは、止めるよりも、その動きに合わせた方がいい。


「・・・なんか、服と似てるかも」


「何が?」


「ううん。なんでもない」


ルリエナは笑った。


まだ上手く言葉にはできない。


けれど、人が動くところを見ていると、服を作るときと同じように、気になるところが見えてくる。


袖が引っ張られる場所。

膝が曲がる場所。

身体をひねったときに、布が余る場所。

そして、今はレオンが身体を動かすときのことまで。


「エナは?」


「え?」


「何か教わってる?」


レオンが聞いた。


「私?」


「うん。俺はかあちゃんに教えてもらってる。エナは何を伸ばすんだ?」


「何を・・・」


ルリエナは少し考えた。


針を持つこと。

布を見ること。

革に触れること。

父と森へ行って、素材を見ること。

五歳の頃には分からなかったことが、今では少しずつ分かるようになっている。

けれど、それでもまだ知らないことの方が多い。


「・・・もっと、上手になりたい」


「何が?」


「仕立て」


答えると、レオンは嬉しそうに笑った。


「じゃあ、俺が手伝ってやるよ」


「何を?」


「服を着る係」


「それだけ?」


「あと、走る係」


「それも?」


「転ぶ係もできるぞ」


「もう転ばないんでしょ?」


「・・・たまには転ぶ」


そう言って、レオンは笑った。


ルリエナもつられて笑う。


二人の背丈は、まだ大人には遠く及ばない。

けれど、五歳の頃とは明らかに違っていた。

レオンは、自分の身体がどう動くのかを少しずつ知り始めている。

ルリエナもまた、布や革だけではなく、人の身体がどう動くのかを見つめるようになっていた。


「なあ、エナ」


「なに?」


「俺、これから何を伸ばせるんだろうな」


不意に、レオンがそんなことを言った。

ルリエナは隣に並んだレオンを見る。

レオンは森の方を眺めていた。

まだ遠く、木々の向こうに何があるのかは分からない。


「走るの、もっと速くなるんじゃない?」


「それだけ?」


「力も強くなると思う」


「じゃあ、もっと強くなる」


レオンは拳を握った。

けれど、すぐにその拳を開く。


「・・・それで、誰かを守れるようになりたい」


五歳の頃にも聞いた言葉だった。

あの頃は、父親のような冒険者になりたいと言っていた。

今も、その気持ちは変わっていないらしい。

ただ、あの頃よりも少しだけ、自分のことを考えるようになっていた。


「エナは?」


「私は・・・」


ルリエナは自分の手を見る。


小さな手。


その指には、針を持ったときにできた小さな跡がいくつか残っている。


「もっと、ちゃんと見られるようになりたい」


「見る?」


「人がどう動くのか。何が必要なのか。どんな服なら、その人が動きやすいのか」


レオンは少し考えてから、笑った。


「じゃあ、俺を見ればいいじゃん」


「いつも見てるよ」


「ほんと?」


「うん。よく転ぶから」


「だから、もうそんなに転ばないって!」


レオンの声が、村の中へ響いた。

ルリエナも笑った。

春の風が二人の間を抜けていく。


七歳。


まだ二人とも、自分が何になれるのかを知らない。

これから何を覚え、何を得て、何を失うのかも。

ただ、少しずつ身体を動かし、手を動かし、目で見て、考えている。

知らないことを知るたびに、また知らないことが増えていく。

その先に何があるのかは、まだ分からない。


けれど二人は、もう歩き始めていた。


それぞれの道を。


まだ名前のない未来へ向かって。


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