第五節 セア・ダール
木箱が見つかってから、数日が過ぎた。
アルヴェリスは、集落の一角にある小さな机に向かっていた。
机の上には、木箱から見つかった古い記録が並んでいる。
紙はところどころ傷み、文字が消えているものも多い。
それでも、アルヴェリスは一枚ずつ丁寧に確認していた。
「これは、古代語ですね」
向かいに座ったレイアスが、紙を覗き込む。
「読めるのか?」
「少しだけです」
アルヴェリスは苦笑した。
「昔、ほんの少し勉強したことがあるんです。簡単な単語なら分かりますが、これだけ古い文章になると、全部を読むのは無理ですね」
「じゃあ、何が書いてあるのか分からないのか?」
「何も分からないわけではありません」
アルヴェリスは紙を指で押さえた。
そこには、簡単な線で描かれた地形がある。
森を示すような大きな線。
いくつかの水場を示す印。
植物らしき絵。
「これは、水場でしょう」
「分かるのか?」
「この印と、別の紙にある言葉が似ています」
アルヴェリスは、紙の端に残された文字を指でなぞった。
「・・・オルート」
「オルート?」
「古代語です。水を意味します」
レイアスは地図と森を見比べた。
「昔の言葉で、水をオルートって呼ぶのか」
「ええ。少なくとも、私が昔学んだ範囲では」
アルヴェリスは別の記録へ目を移した。
「この印も、水に関係するものだと思います」
「なるほどな」
レイアスは感心したように頷いた。
「昔の勉強が役に立ったな」
「そうですね。まさか、こんなところで使うとは思いませんでした」
アルヴェリスは別の紙を手に取った。
そこには、いくつもの植物が描かれている。
葉の形。
実の色。
根の特徴。
食べられるものと、そうでないものを区別するような印もあった。
「この人も、森を調べていたんだな」
レイアスが言った。
「おそらく」
アルヴェリスは紙を見つめた。
「私たちより前に、この土地を歩いていた人がいたんでしょう」
「どんな奴だったんだろうな」
「分かりません」
アルヴェリスは少し笑った。
「でも、森をかなり細かく調べています」
ページをめくる。
雨の後に水が集まる場所。
日当たりの良い場所。
風の強い場所。
動物が通る道。
人が入るには危険な場所。
そして、森から得られるもの。
木の実。
きのこ。
薬草。
落ちた枝。
自然に剥がれた樹皮。
アルヴェリスは、何度も記録を読み返した。
「・・・この人は、森を壊していない」
「分かるのか?」
「記録を見る限りは」
アルヴェリスは一枚の紙を指で押さえた。
「必要なものだけを取っている。木を切った記録がほとんどありません」
「俺たちと同じだな」
「ええ」
二人はしばらく黙って記録を見つめた。
森は、何も変わらない。
そこにあるだけで、木の実を実らせ、きのこを生やし、水を蓄えている。
人が手を伸ばせば、必要なものを少しずつ与えてくれる。
そのことを、この古い記録を書いた人物も知っていたのだろう。
「・・・あ」
アルヴェリスの指が止まった。
「どうした?」
「この文字・・・」
一枚の木札を取り上げる。
文字はかなり薄くなっていた。
いくつかは欠けている。
それでも、二つだけ、比較的はっきり残っている言葉があった。
「セア・・・」
アルヴェリスが小さく呟く。
「セア?」
「はい」
その下に続く文字を追う。
「・・・ダール」
レイアスが首を傾げた。
「意味は分かるのか?」
「おそらく・・・」
アルヴェリスは考え込んだ。
「古代語では、『セア』は・・・与える、あるいは恵みという意味に近かったはずです」
「『ダール』は?」
「森です」
アルヴェリスは窓の外を見る。
その先には、いつもの森がある。
「合わせると・・・『与える森』。あるいは『恵みの森』でしょうか」
レイアスは森を見つめた。
これまで何度も、そこから木の実を拾った。
きのこを採った。
薬草を見つけた。
落ちた枝を薪にした。
水場も、森の近くで見つけることができた。
「・・・確かに、恵みの森だな」
レイアスが呟く。
アルヴェリスも頷いた。
「ええ」
「この名前、使えないかな」
アルヴェリスがレイアスを見る。
「何に?」
「土地の名前に」
レイアスは森の向こうに広がる土地を見た。
「俺たちが来る前から、ここを調べていた人間がいた。その人間が、そう呼んでいたなら・・・俺たちも使っていいだろ」
アルヴェリスは、もう一度木札を見る。
そこに残された二つの言葉。
古い時代の誰かが、この土地と森を見て残した名前。
「・・・いいと思います」
こうして、開拓団の中で、その土地は少しずつ「セア・ダール」と呼ばれるようになった。
最初のうちは、皆が二つの言葉を区切って発音していた。
「セア・ダールの畑」
「セア・ダールの森」
「セア・ダールへ道を伸ばそう」
だが、毎日の暮らしの中で何度も口にしているうちに、少しずつ呼び方が変わっていった。
「セアダールの畑」
「セアダールへ行ってくる」
言葉は、使う人間によって少しずつ変わる。
「セアドール」
いつしか、その呼び方が集落全体に広がっていった。
古い名前の意味を知らない者も増えていった。
それでも、その名前だけは残った。
セアドール。
森から与えられるものと共に、人々が暮らしていく土地の名前として。
そして――。
後に多くの人々が暮らすことになる、その村の名前だった。




