第一節 二人の役割
――まだ、セアドール村という名すら存在しなかった頃――
森の外れに、いくつもの荷車が並んでいた。
長い旅を終えた開拓団だった。
荷車には、食料や農具、木材、石材が積まれている。家を建てるための道具もあれば、畑を耕すための鍬や鋤もあった。
これから、この何もない土地に暮らしを作っていく。
荷車から荷物を下ろす者。
馬を休ませる者。
周囲の様子を確認する者。
旅の疲れを抱えながらも、誰もが忙しく動いていた。
「そっちは一度、こっちへ寄せてくれ! 道を空けておきたい!」
大きな声が響いた。
声の主はレイアスだった。
大柄な身体を動かしながら、荷物の位置を確認し、作業をしている者たちへ次々と指示を出している。
「食料はそっちだ。雨が降ったら濡れるぞ!」
「分かった!」
「木材は家を建てる場所の近くへ運んでくれ。あとでまた動かすのは面倒だからな!」
「了解!」
返事が飛び交う。
レイアスは荷物を運ぶ者の動きを見ながら、次に何が必要になるかを考えていた。
道がなければ荷車が動かない。
荷車が動かなければ、建築に必要な材料も運べない。
材料がなければ家も建たない。
ならば、最初にやるべきことは決まっている。
「まずは道だな・・・」
小さく呟いた、そのときだった。
「すみません」
背後から声がした。
振り返ると、見慣れない男が立っていた。
細身の身体に、使い込まれた荷物袋を背負っている。手には短い棒があり、足元の地面を見ながら歩いてきたようだった。
「何だ?」
「ここに水場があると聞いたんですが、知っていますか?」
「水場?」
「ええ。できれば、生活用水を確保できる場所を先に確認したいんです」
レイアスは男の顔を見た。
「俺は知らない。さっき着いたばかりだからな」
「そうですか」
男は周囲を見回した。
そして、森の方へ目を向ける。
「・・・なるほど」
「何か分かるのか?」
「まだ何とも。ただ、地面の傾斜を見る限り、雨が降れば水が集まりそうな場所はいくつかあります」
「地面を見ただけで分かるのか?」
「分かるというより、候補を絞っているだけです」
男はそう言って、地面にしゃがみ込んだ。
指先で土を少しすくう。
乾いている。
そのまま少し歩き、別の場所の土にも触れる。
「こっちは少し湿っていますね」
「・・・同じ場所なのに?」
「地面の高さが違うんでしょう。水が流れる場所には、それなりの跡が残ります」
レイアスは男の背中を見た。
何をしているのか、まだよく分からない。
だが、少なくとも遊んでいるわけではないらしい。
「名前は?」
「アルヴェリスです」
「俺はレイアスだ」
それが、二人の最初の顔合わせだった。
アルヴェリスは立ち上がると、再び森を見た。
目の前には、広大な森が広がっている。
木々は密集し、奥へ行くほど薄暗くなっていた。
風が吹くたび、枝葉が重なって音を立てる。
「・・・大きな森ですね」
「ああ」
レイアスも森を見る。
「木があれば、家も作れる。薪にもなる。畑を作るなら、切り開く必要もあるだろう」
「全部を切る必要はないと思います」
「そうなのか?」
「ええ」
アルヴェリスは森の足元へ目を向けた。
「木だけじゃありません。水もある。食べられる植物もある。動物もいる。土だってそうです」
「つまり?」
「まず、何があるのかを知るべきです」
レイアスは少し黙った。
自分なら、使える木を探して切り、道を作り、家を建てる。
だが、この男はその前に、土地そのものを見ようとしている。
「調べるのが仕事なのか?」
「そうですね。今回の開拓では、土地の調査を任されています」
「なるほどな」
レイアスは腕を組んだ。
「俺は人を動かす方が得意だ」
「では、ちょうどいいですね」
「何がだ?」
「私が調べて、あなたが動かす」
思いがけない言葉に、レイアスが目を瞬かせた。
アルヴェリスは淡々と続ける。
「どこに何があるか分かれば、作業もしやすくなるでしょう」
「・・・初対面の相手に、随分簡単に言うな」
「簡単だとは思っていません。ただ、役割が違うだけです」
レイアスはしばらくアルヴェリスを見た。
やがて、ふっと笑う。
「面白い奴だな」
「そうですか?」
「ああ。気に入った」
そう言って、レイアスは森を指差した。
「じゃあ、調べてくれ。俺たちは、その間に道を作る」
「分かりました」
アルヴェリスは頷いた。
だが、森へ向かおうとしたところで、足を止める。
「・・・ただし」
「ん?」
「森の中へ入るのは、もう少し後にした方がいいでしょう」
レイアスが森を見る。
「危ないのか?」
「分かりません」
「分からない?」
「だからです」
アルヴェリスは静かに答えた。
「何がいるのか分からない場所へ、準備もなく入るのは危険です」
レイアスは森を見つめた。
確かに、遠くから見るだけでも奥は暗い。
枝葉が重なり、地面まで見通せない。
「・・・分かった。まずは外からだな」
「はい」
二人は、それ以上は森へ近づかなかった。
その日、開拓団はまず寝る場所を決め、荷物を整理し、簡単な仮住まいを作り始めた。
道を作る者。
水場を探す者。
薪を集める者。
周囲を見張る者。
それぞれが、自分にできる仕事を始めていく。
夕方になる頃には、何もなかった土地にいくつもの焚き火が灯った。
人の声が聞こえる。
笑い声も聞こえる。
ここで暮らすための最初の一歩だった。
少し離れた場所では、アルヴェリスが一人、地面に印をつけていた。
その姿を見つけたレイアスが、声をかける。
「まだやってるのか?」
「もう少しだけ」
「飯ができるぞ」
「それは行きます」
アルヴェリスが立ち上がる。
レイアスは笑った。
「そこは迷わないんだな」
「食事は大切ですから」
二人は並んで歩き始めた。
まだ出会ったばかりだった。
互いのことも、ほとんど知らない。
それでも、この日を境に。
二人は同じ土地で、それぞれの役割を担っていくことになる。
そして、その土地のすぐそばには――。
まだ誰にも名を呼ばれることのない、深く暗い森が広がっていた。




