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魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第三章 森と布と、好きなもの

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第六節 小さな巾着

季節が少しずつ変わっていった。


朝の草には白い露がつき、村を歩く人たちの服も、少しずつ厚くなっていく。

畑では収穫の終わったものが片づけられ、家の軒先には薪が積まれ始めていた。

森の木々も、少しずつ色を変えている。

ルリエナにとっては、毎日が少しずつ違って見えた。


朝、窓を開けたときの空気。

道を歩いたときの土の硬さ。

母の作業台に置かれる布の種類。

父が森から持ち帰るもの。

昨日と同じように見えるものでも、触ってみると少し違う。

それが、ルリエナには面白かった。


そんなある日の午後。


「お母さん」


「なあに?」


「これ、使っていい?」


ルリエナが持ってきたのは、何枚かの布の切れ端だった。


白っぽいもの。

茶色っぽいもの。

少し青みがかったもの。

どれも服を作るには小さすぎる布だった。


「何に使うの?」


「・・・まだ、ない」


フィーネが笑った。


「じゃあ、一緒に考えてみようか」


ルリエナは布を一枚ずつ並べた。

指先で触る。

つるつるした布。

少しざらざらした布。

薄いもの。

少し厚いもの。

同じような大きさに見えても、触った感じはそれぞれ違った。


ルリエナは一枚を持ち上げ、窓から入る光に透かしてみる。


「こっちは明るい」


「薄いからね」


フィーネが答える。

別の布を触る。


「こっちは、あったかい」


「少し厚いでしょう?」


「うん」


ルリエナはしばらく迷ってから、その中から一枚を選んだ。


淡い色の、柔らかな布だった。


「これ」


「これが好き?」


「うん」


ルリエナは布を頬に当てた。


「ふわふわ」


「じゃあ、それにしましょう」


「何を作る?」


フィーネに聞かれて、ルリエナはしばらく考えた。

作業台の上には、木の実や干した果物が少し置いてある。

森から持ち帰ったものだ。


「・・・袋」


「袋?」


「おやつ入れる」


フィーネが吹き出した。


「なるほど」


「だめ?」


「いいえ。とってもいいと思うわ」


フィーネは布を手に取った。


「じゃあ、小さな巾着にしましょう」


「きんちゃく?」


「紐を引っ張ると、口が閉じる袋よ」


「やる!」


ルリエナは作業台の前に座った。

フィーネが布の大きさを整え、端を折る。


「ここは私がやるわね」


「ルリエナは?」


「ここから」


フィーネが布を渡す。

ルリエナは教えてもらった通りに布を押さえた。


針を入れる。

糸を引く。

少し曲がる。


「曲がった」


「大丈夫」


フィーネが笑う。


「ちゃんと縫えてるわ」


「ほんと?」


「ええ」


ルリエナはもう一度針を動かした。

今度は少しだけまっすぐになった。

それでも、縫い目はまだ揃わない。

途中で糸が絡まり、フィーネにほどいてもらうこともあった。

ルリエナは絡まった糸をじっと見つめた。


「なんで、ぐるぐるするの?」


「糸が自由に動くからよ」


「自由?」


「ええ。だから、ルリエナがちゃんと道を作ってあげるの」


フィーネは絡まった糸を指先で少しずつほどいていく。


「ほら。こうすれば戻るでしょう?」


「・・・ほんとだ」


ルリエナは感心したように覗き込んだ。


「お母さん、すごーい」


「何度もやってきたからね」


ほどけた糸を渡される。


「じゃあ、もう一回」


「うん」


ルリエナは布を押さえ直した。

針を入れる。

糸を引く。

今度は、さっきよりゆっくりだった。

それでも、ルリエナは嫌にならなかった。


「もう一回」


「はい、もう一回」


何度も繰り返す。

少しずつ縫い目が増えていった。

曲がっているところもある。

間が広いところもある。

それでも、布の端には確かに小さな線が続いている。


「お母さん」


「なあに?」


「これ、ちゃんとくっついてる?」


ルリエナが両端を持って引っ張ってみる。


「うん。ちゃんと縫えてるわ」


「じゃあ、袋になる?」


「なるわよ」


その言葉を聞いて、ルリエナは嬉しそうに笑った。


フィーネが最後のところを整える。

それから、細い紐を通した。


「ほら」


紐を引くと、袋の口がきゅっと閉じる。


ルリエナの目が大きくなる。


「閉じた!」


「巾着だからね」


「すごい!」


ルリエナは袋を両手で持ち上げた。

少し形が歪んでいる。

縫い目も揃っていない。

けれど、ルリエナには、それがとても立派なものに見えた。


「おやつ、入れていい?」


「もちろん」


フィーネが干した果物を少し入れる。

ルリエナは袋の中を覗き込み、それから紐を引っ張った。


きゅっ。


今度は自分で閉じる。


「ルリエナの!」


「そうね」


フィーネは嬉しそうに笑った。


「大事にしてね」


「うん!」


ルリエナは巾着を胸に抱えた。


しばらくして、今度は腰に下げてみる。

歩くたびに、小さな巾着が揺れた。

ルリエナも一緒に身体を揺らしてみる。


「お母さん、動くよ」


「そうね」


「落ちない?」


「ちゃんと紐を結んであるから大丈夫」


ルリエナはもう一度歩いてみる。

巾着が腰で揺れる。

それが嬉しくて、家の中を何度も行ったり来たりした。


その日の夕方、ガルドが帰ってくると、ルリエナは玄関まで走っていった。


「お父さん!」


「どうした?」


「見て!」

小さな巾着を両手で掲げる。


「作ったの!」


ガルドは巾着を受け取り、表と裏を眺めた。


「・・・いいな」


「でしょ!」


「何が入ってる?」


「おやつ!」


ルリエナが胸を張る。


「そうか」


ガルドは巾着を返した。


「なくすなよ」


「なくさない!」


ルリエナは巾着を大事そうに抱えた。


ガルドが作業台のほうを見る。

そこには、今日使った布の切れ端と、短くなった糸が残っていた。


「自分で選んだのか?」


「うん!」


「そうか」


ガルドはそれだけ言って、ルリエナの頭を軽く撫でた。


その夜。


食事のあとも、ルリエナは巾着を手元に置いていた。

中には、昼間入れてもらった干した果物が少し残っている。


一つ取り出して口に入れる。


「おいしい」


「よかったわね」


フィーネが笑う。


ルリエナは巾着を撫でた。


柔らかな布。

少し曲がった縫い目。

細い紐。

どれも、自分の手で触ったものだった。


森で拾った木の皮を思い出す。

父と一緒に触った枝。

母と一緒に触った布。


どちらも、手に取ってみなければ分からないことがあった。


ルリエナは巾着を膝の上に置いたまま、しばらく考えていた。


「お母さん」


「なあに?」


「明日も縫っていい?」


「もちろん」


「お父さんと森も行きたい」


フィーネが笑う。


「欲張りね」


「だって、どっちも好き」


ルリエナはそう言って、巾着を抱えた。

フィーネは何も言わず、その頭を撫でた。


窓の外を見る。


夜の森は暗く、昼間よりずっと大きく見えた。

あの奥には、まだ知らないものがたくさんある。


木も。


葉も。


きのこも。


まだ触ったことのない布も。


ルリエナは、いつかもっと奥へ行ってみたいと思った。

けれど今は、母の隣で布に触り、父の隣で森を見る。


それで十分だった。


小さな巾着を抱えたまま、ルリエナは眠りについた。


翌朝。

村では冬を迎える支度が始まっていた。

軒先に積まれた薪。

保存される食べ物。

取り出された厚手の服。

家々からは、冬支度のために布を叩いたり、木を運んだりする音が聞こえてくる。


昨日まで土の匂いが強かった道にも、冷たい空気が混じっていた。


森の木々からは、葉が一枚、また一枚と落ちていく。


ルリエナは、母からもらった巾着を腰に下げた。

そして、家の外へ出る。


朝の空気は冷たかった。

巾着が腰の横で小さく揺れる。

ルリエナはそれを手で押さえながら、森を見た。


まだ知らないものが、あそこにはたくさんある。

そのことが、少しだけ嬉しかった。


父と歩いた森。

母と触った布。

自分で縫った小さな巾着。


その一つひとつが、ルリエナの小さな世界を少しずつ広げていた。


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