第四節 仕立て屋さん
午後の陽が、窓から細く差し込んでいた。
フィーネはいつものように、作業台に向かって針を動かしている。
布を押さえる左手と、針を持つ右手。
針が布を抜けるたび、糸がすっと引かれていく。
ルリエナは、いつもとは違った大きさの布を持つフィーネの手元をじっと見ていた。
「お母さん、なに作ってるの?」
「これ?」
フィーネが手を止め、膝の上の服を見せる。
「近所の子の服よ。少し小さくなったから、直してるの」
「小さくなった?」
「うん。身体が大きくなったんでしょう?」
フィーネは服の脇を指でつまんだ。
「だから、ここを少し広げるの」
「ふーん・・・」
ルリエナは服を覗き込んだ。
しばらく眺めていると、ふと背中のあたりに目が止まった。
「お母さん」
「なあに?」
「ここ・・・」
小さな指が、肩の後ろを指す。
「腕を上げたら、ぎゅってなる」
フィーネが目を瞬かせた。
「ぎゅって?」
「うん。ここが、こうなるの」
ルリエナは自分の腕を上げてみせた。
肩が動くと、背中の布が引っ張られる。
フィーネは少し考えてから、服を手に取った。
「じゃあ、着せてみようか」
近くに置いてあった小さな人形に服を着せ、腕を上げさせる。
すると、ルリエナが指したあたりの布が、わずかに引っ張られた。
「あら・・・」
フィーネが服を脱がせ、肩の縫い目を指でなぞる。
「ルリエナ、よく見てたわね」
「そう?」
「ええ」
フィーネは笑いながら、縫い目を少しほどいた。
「ここを少し変えてみましょう」
布を広げ、形を整える。
ルリエナは、その手元を覗き込んだ。
「どう?」
「・・・こっちのほうが、いい」
「そうね」
フィーネは針を進めた。
今度は人形の腕を上げても、さっきほど布は引っ張られない。
ルリエナは嬉しそうに笑った。
「動く!」
「服も、一緒に動けるほうがいいものね」
その言葉を、ルリエナは何となく覚えていた。
服は、身体と一緒に動く。
そのことが、少し面白かった。
「ルリエナもやる?」
「やる!」
返事だけは早かった。
「じゃあ、これで練習してみようか」
フィーネが布を小さく折り、糸を通した針を見せる。
ルリエナは目を輝かせた。
「これ、持っていい?」
「針はまだ危ないから、今日は私と一緒にね」
「うん」
フィーネがルリエナの手を包むようにして、布を持たせる。
「まず、ここを押さえて」
「ここ?」
「そう。強く引っ張らなくていいの」
ルリエナが布をぎゅっと握る。
「そんなに力を入れなくても大丈夫よ」
「・・・これくらい?」
「うん、それくらい」
フィーネが針を動かす。
一針、二針。
ルリエナは隣からじっと見ていた。
「次、ルリエナがやってみる?」
「うん!」
小さな手が布を持つ。
けれど、いざやってみると、思うようにはいかなかった。
針を通したつもりが、糸が布の端に引っかかる。
「あれ?」
もう一度引っ張ると、今度は糸が絡まった。
「お母さん、へんになった」
「見せて」
フィーネが糸をほどく。
「急がなくていいのよ」
「急いでないよ」
「そうね」
フィーネが笑った。
「でも、ルリエナの手が急いでるわ」
ルリエナは自分の手を見る。
小さな指が、忙しそうに布をつまんだり離したりしている。
「・・・手が?」
「うん。手は、ちゃんと見てあげないとね」
フィーネはそう言って、ルリエナの指をゆっくり動かした。
「布を押さえて、針を入れて。それから、糸を引く」
「ゆっくり?」
「そう。ゆっくりでいいの」
今度は、少しだけうまくいった。
糸が布を通り、細い線が一つできる。
「・・・できた!」
ルリエナが顔を上げる。
「できたね」
「もう一回!」
「ふふ。いいわよ」
フィーネは新しい糸を渡した。
ルリエナは小さな手で布を握り、もう一度針を動かす。
今度も少し曲がった。
けれど、さっきよりはまっすぐだった。
「お母さん!」
「なあに?」
「見て!」
「ちゃんと見てるわよ」
フィーネが笑う。
その声を聞きながら、ルリエナも笑った。
何度か繰り返しているうちに、布には小さな縫い目がいくつか並んだ。
曲がっているものもあれば、途中で間が空いているものもある。
それでもルリエナには、それがきれいに見えた。
「これ、服になる?」
「まだまだね」
「じゃあ、もっとやる」
「そうね。少しずつ上手になるわ」
フィーネはそう言って、縫い目を指先でそっと撫でた。
夕方になって、ガルドが帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり!」
ルリエナが作業台から駆けてくる。
「見て!」
小さな布を両手で広げる。
「今日ね、これ作ったの!」
ガルドは布を受け取り、しばらく眺めた。
「・・・うん」
「どう?」
「いいんじゃないか」
「ほんと?」
「ああ」
短い返事だったが、ルリエナにはそれで十分だった。
嬉しそうに布を抱える。
フィーネがその様子を見ながら、ガルドに言った。
「今日は服の直すところも見つけたのよ」
「ほう」
「身体を動かしたとき、布が引っ張られるところをね」
ガルドはルリエナを見る。
ルリエナは、そんな二人の顔を交互に見ていた。
「服も動くんだよ」
「ああ」
「だから、動きやすくするの」
ガルドは少しだけ目を細めた。
「そうか」
それ以上は何も言わなかった。
ルリエナはまた布に目を落とす。
小さな手で縫った、少し曲がった糸。
まだ服にはなっていない。
きれいでもない。
けれど、それは初めてルリエナが、自分の手で作ったものだった。
その日から、作業台の端には、ルリエナ専用の小さな布が置かれるようになった。




