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魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第三章 森と布と、好きなもの

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第二節 母の仕事

昼下がり。

家の中には、針が布を通る小さな音が響いていた。


ちくり。

糸を引く。

また、ちくり。


ルリエナは、その音が好きだった。


「ルリエナ、ちょっとこっち来て」


「はーい」


呼ばれて、ルリエナは作業台へ駆けていった。


フィーネは椅子に座り、膝の上に一枚の布を広げている。


「これ、触ってみて」


「布?」


「そう」


ルリエナは両手を伸ばした。


指先が布に触れる。

柔らかい。

けれど、いつも触っている布とは少し違った。


ルリエナは指先で押してみる。


沈む。

離す。

元に戻る。

今度は端をつまんで引っ張った。

すうっと伸びる。


「・・・変」


「どこが?」


「分かんない」


フィーネは笑った。


「分からなくてもいいのよ」


そう言って、娘の小さな手に自分の手を重ねる。


「こうやって触ってみて」


布を横へ引く。


「伸びるでしょう?」


「うん」


「じゃあ、こっちは?」


今度は縦へ引く。


「・・・あんまり伸びない」


「そう」


フィーネは嬉しそうに頷いた。


「布にも、それぞれ癖があるの」


「癖?」


「そう。人と同じよ」


フィーネは布を撫でる。


「伸びる方向も違うし、柔らかさも違う。厚いところもあれば、薄いところもあるの」


ルリエナは、もう一度布を触った。

同じ布なのに、触る場所によって少し違う。


端をつまむ。

中央を押す。

指先で撫でる。


「・・・ほんとだね」


「でしょう?」


「じゃあ、こっちに切る?」


「どうして?」


「こっちのほうが伸びないから」


フィーネが目を丸くした。


「・・・まあ」


まだ三歳の娘の答えだった。

理屈があるわけではない。

ただ、触った感覚から、そう思っただけ。


「正解よ」


フィーネは笑った。


「でも、どうしてそう思ったの?」


ルリエナは困った顔をした。


「・・・分かんない」


「そうよね」


フィーネは娘の頭を撫でた。


「分からないけど、分かることってあるものね」


「変なの」


「そうね。ちょっと変ね」


二人で笑った。


その日の午後、フィーネは別のものを作業台へ持ってきた。


「今度はこれ」


茶色い革だった。


「お肉の皮?」


「そう。革ね」


ルリエナは両手で触った。

布とは違う。

硬い。

でも、完全に硬いわけではない。

指で押すと、ほんの少し沈む。

曲げると、ゆっくり形が変わる。

ルリエナは中央を押し、それから端を触った。


「これ、ここは硬い」


指先で中央を押す。


「こっちは柔らかい」


端を撫でる。


フィーネは革を裏返した。


「よく分かったわね」


「触ったら分かるよ?」


フィーネは一瞬、娘の顔を見た。

それから革を見る。


「・・・そう」


それ以上、何も言わなかった。

たまたまかもしれない。

三歳の子供が、触っただけで何かを正確に見分けられるはずがない。


そう思おうとした。


けれど、フィーネの指も、自然ともう一度革を撫でていた。


「同じ革でも、場所によって違うのよ」


「うん」


「だから、使う場所を考えないといけないの」


「どうして?」


「硬いところがいい場所もあるし、柔らかいところがいい場所もあるから」


「ふーん」


ルリエナは革を見つめる。


「じゃあ、布も?」


「そう」


「糸も?」


「糸もよ」


「針も?」


「針は・・・ちょっと違うかな」


「なんで?」


「針は硬いでしょう?」


「うん」


「でも、細いでしょう?」


「うん」


「だから、折らないようにするの」


フィーネは針を持ち上げて見せた。

細く、銀色に光っている。

ルリエナは目を輝かせた。


「きれい」


「そう?」


「うん」


「じゃあ、見るだけにしておきましょうね」


「触っちゃ駄目?」


「駄目」


「どうして?」


「痛いから」


「・・・分かった」


ルリエナは針から少し離れた。

フィーネが笑う。


「いい子ね」


それからまた、針を布へ戻した。


ちくり。

糸を引く。

ちくり。


ルリエナは、その手元をじっと見ていた。


針が入る場所。

布を押さえる指。

糸を引く強さ。

手首の動き。


どれも、昨日までと同じに見える。

けれど今日は、少し違って見えた。

母は布をただ縫っているわけではない。


布を見ている。

触っている。

考えている。

そして、その布に合わせて手を動かしている。


「お母さん」


「なあに?」


「お母さん、布が分かるの?」


フィーネの手が止まった。


「どういう意味?」


「・・・わかんない」


ルリエナは自分でも説明できなかった。

ただ、そう思った。

フィーネは少し考えてから笑った。


「そうね」


もう一度、針を動かす。


「長く触っていると、分かるようになるのよ」


「ルリも?」


「うん」


「分かるようになる?」


「きっとね」


ルリエナは嬉しそうに笑った。


「じゃあ、いっぱい触る」


「ふふっ」


フィーネも笑う。


「それなら、まずは端切れからね」


作業台の端に積まれていた布の切れ端を、ルリエナの前へ置く。


「好きなのを触ってごらんなさい」


「全部?」


「全部」


ルリエナは目を輝かせた。


一枚目。

柔らかい。


二枚目。

少し硬い。


三枚目。

薄い。


四枚目。

ざらざらしている。


ルリエナは一枚ずつ手に取った。


握る。

撫でる。

引っ張る。

頬に当ててみる。


「これは好き」


「どれ?」


「これ」


淡い色の布を差し出す。


「どうして?」


「柔らかいから」


「そう」


フィーネは笑って、その布を娘の前に残した。


針と糸の音が、また家の中に響く。


ルリエナはその隣で、布を触り続けていた。

まだ、それが何の役に立つのかは分からない。


けれど。


触るたびに、少しずつ違う。

その違いを見つけることが、ルリエナには面白かった。


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