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魔王様の仕立て屋  作者: 森紬
第三章 森と布と、好きなもの

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第一節 森を見る目

朝の光が、セアドール村の家々を少しずつ照らし始めていた。

夜露の残る草の上を、風が静かに渡っていく。


「お父さん、今日は森に行かないの?」


朝食を終えたルリエナが、ガルドを見上げた。


「今日は家の周りだ」


ガルドはいつもの採取袋を持っていなかった。

代わりに手にしているのは、小さな籠だけだった。


「家の周り?」


「ああ」


「何するの?」


「見る」


「見る?」


「見るだけだ」


ルリエナは少し考えた。


「・・・つまらない?」


ガルドが娘を見る。


「いや」


「面白い?」


「面白い」


短い答えだった。

ルリエナの顔がぱっと明るくなる。


「じゃあ、行く!」


ガルドは何も言わず、先に戸口へ向かった。


「待ってー!」


ルリエナも慌てて後を追う。

家の裏手へ回ると、村の家々の間に小さな草地が広がっていた。

畑に使われている場所もあれば、誰も手を入れず、そのまま草が伸びている場所もある。

遠くには森が見える。

いつもならそこへ向かう父が、今日はその手前で足を止めた。


「まず、これ」


ガルドが地面を指差した。


「葉っぱ?」


「ああ」


落ちていたのは、一枚の葉だった。

ルリエナはしゃがみ込み、拾い上げる。


乾いている。


端が丸まり、ところどころ茶色く変色していた。

少し湿った土の上には、別の葉が落ちている。

こちらはまだ色が残っていた。


「こっちは?」


「まだ使える」


「これは?」


「もう土になる」


「葉っぱなのに?」


「土に戻る」


ルリエナは葉をじっと見た。


「じゃあ、死んじゃったの?」


ガルドは少しだけ黙った。


「・・・そうだな」


「かわいそう?」


「そういうものだ」


ルリエナは葉を見つめたまま、しばらく考えていた。

やがて、そっと地面へ戻す。


「じゃあ、ここに置いとく」


ガルドは何も言わなかった。

ただ、ほんの少しだけ口元を緩めた。


二人はまた歩き始めた。


ガルドは何かを見つけるたびに足を止める。


小さなきのこ

草の芽

木から自然に剥がれ落ちた樹皮

虫の通った跡


ルリエナには、どれも似たようなものに見えた。

けれど、ガルドは一つひとつを確かめている。


「これは食べられる」


「これは?」


ルリエナが別のきのこを指差した。


「食べられない」


「どうして?」


「食べるものじゃないからだ」


「おいしくないの?」


「そういうこともある」


ガルドはきのこに手を伸ばさなかった。

ルリエナも真似をして、手を引っ込める。


「じゃあ、触るのもダメ?」


「見るだけならいい」


「触ったら?」


「触らないほうがいい」


「どうして?」


ガルドはきのこを見た。


「食べられないものには、触らないほうがいいものもある」


「・・・分かった」


ルリエナは素直に頷いた。

ガルドは、それ以上は何も言わなかった。

知っていることを全部教える必要はない。


三歳の娘に今必要なのは、森にあるものにはそれぞれ違いがあり、知らないものを勝手に触ってはいけないということだった。


少し進んだところで、ルリエナが突然足を止めた。


「あっ」


「どうした?」


「あっち」


指差した先には、何もないように見える。


「何かあるのか?」


「・・・虫」


ガルドが目を細めた。

草の葉の上を、小さな虫が歩いている。


「よく見つけたな」


「動いたから」


「そうか」


それだけ言って、ガルドは歩き出した。

ルリエナもついていく。


しばらくすると、今度はガルドが足を止めた。


「ここは踏むな」


「どうして?」


「芽がある」


ルリエナは足元を見る。

何もないように見えた。

けれど、よく見ると、土の隙間から小さな緑色の芽が顔を出している。


「あった」


ルリエナはしゃがみ込んだ。


「小さいね」


「ああ」


「踏んだら?」


「折れる」


「じゃあ、こっち歩く」


ルリエナは自分で少し横へ移動した。

ガルドは何も言わなかった。

ただ、娘が芽を避けて歩いたことを覚えておく。


さらに歩く。

遠くから、鳥の声が聞こえてきた。

ルリエナが顔を上げる。


「鳥?」


「ああ」


「どこ?」


「見つけてごらん」


ルリエナは辺りを見回した。


木


草


屋根


空



どこにも鳥はいない。


「・・・あそこ?」


指差した先には、何もいなかった。


「違う」


「じゃあ、どこ?」


「声を聞け」


ルリエナは黙った。


鳥の声


風の音


葉が擦れる音


少し離れたところから聞こえる、誰かが薪を割る音


いろいろな音が重なっている。

その中から、もう一度、小さな鳥の声が聞こえた。


ルリエナが振り向く。


「・・・あっち」


今度は正しかった。

枝の奥から、一羽の小鳥が飛び立つ。


「いた!」


ルリエナが笑った。

ガルドも空を見上げる。


「よく聞こえたな」


「声がしたから」


「ああ」


ガルドは娘の頭を軽く撫でた。


家へ戻る途中だった。前から、村の男が歩いてくる。肩には薪が何本も担がれていた。

ルリエナは何気なく、その姿を見た。

男は普通に歩いている。

けれど――


「お父さん」


「なんだ?」


「あの人、重いの?」


ガルドが男を見る。


「薪か?」


「うん」


「重いだろうな」


「でも・・・」


ルリエナは男の足元を見る。


「こっちの足が変」


ガルドが黙った。


男は左足に少し体重を逃がしながら歩いていた。


右足をかばっている。

ガルドはしばらく男の歩き方を見ていた。

やがて娘を見る。


「・・・よく見てるな」


「だって、歩き方が違う」


ルリエナ自身には、それが特別なことには思えなかった。

ただ、そう見えた。

ガルドは男の歩いていった方向へ視線を向け、それから娘を見る。


「ルリエナ」


「なに?」


「人を見るときは、顔だけじゃない」


「?」


「歩き方を見るのもいい」


ルリエナは首を傾げた。


「どうして?」


ガルドは少し考えた。


「身体は、嘘をつかないからだ」


「うそ?」


「ああ」


ルリエナは自分の手を見た。

それから、さっきの男が歩いていった道を見る。

父親の言った意味は、まだよく分からない。


けれど――


人を見るときは、身体も見る。

その言葉だけは、小さな頭の中に残った。


「お父さん」


「なんだ?」


「明日も見る?」


ガルドは娘を見た。


「明日もだ」


「やった!」


ルリエナは笑った。


二人の影が、朝の光の中で並んで伸びていく。


森はまだ遠い。


けれど、その手前にも、見るものはたくさんあった。


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