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『男気の虫』  作者: こうた


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第九話 「もっと男気を」



直人は、机の上の封筒を見つめていた。


 指先が震えている。


 目の前にいる友人は、いつもと変わらない笑顔を浮かべていた。


「どうした?」


「……何でもない」


「顔色悪いぞ」


「寝不足なだけ」


「そうか」


 友人は椅子を引き、直人の向かいに座った。


「それでさ」


「……何?」


「頼みがある」


 やっぱり。


 直人は目を伏せた。


「金?」


「違う」


 一瞬だけ安心した。


「じゃあ何?」


「保証人になってほしい」


 直人の顔から血の気が引いた。


「……無理」


「まだ内容も聞いてないじゃん」


「保証人だけは無理だ」


「大丈夫だって」


「大丈夫じゃない」


「俺を信用できない?」


 直人は答えられなかった。


 友人は笑った。


「昔からの仲間だろ?」


 その瞬間、直人の耳元で、


 カサ……


 という音がした。


 机の下を見る。


 黒い虫が一匹、這っていた。


「……」


「直人?」


「何でもない」


「じゃあ、頼むよ」


「無理だ」


 今度ははっきり言った。


 友人の笑顔が消える。


「……男気ないな」


 直人の胸が締め付けられた。


 それでも首を横に振る。


「それでも無理だ」


 友人はしばらく直人を見つめていた。


 やがて立ち上がる。


「分かった」


 意外なほどあっさりしていた。


「じゃあ、いいよ」


 そのまま去っていく。


 直人は少しだけ安心した。


 これで終わった。


 そう思った。


     ◆


 しかし、その日の夜。


 知らない番号から電話がかかってきた。


「はい……」


『直人さんですか?』


「……誰ですか?」


『○○さんから聞いています』


 心臓が跳ねた。


『保証人の件ですが』


「え?」


『あなたが保証してくれると伺っています』


「違います! 俺は断りました!」


『そうですか』


 男の声は妙に穏やかだった。


『では、○○さんに確認します』


 電話が切れた。


 直人は呆然とスマートフォンを見つめた。


「……何なんだよ」


 数分後。


 今度は友人から電話が来た。


「もしもし!」


『悪い悪い』


「保証人のこと、俺は断っただろ!」


『ああ』


「じゃあ何で――」


『いや、まだ決まったわけじゃないだろ』


「決まってないって……」


『直人なら最後は助けてくれると思ってる』


「……」


『だって、お前はそういう奴だろ?』


 電話の向こうで笑い声がした。


「俺は……」


 言葉が出ない。


『明日、話そうぜ』


 電話が切れた。


 直人はスマートフォンを机に置いた。


 その瞬間。


 画面に自分の顔が映る。


 肩に黒い虫がいる。


 一匹。


 それが、ゆっくりと首元へ這っていく。


 直人は画面を伏せた。


     ◆


 翌日。


 会社から帰る途中、直人は偶然、昔の友人と会った。


「直人?」


「……久しぶり」


「どうしたんだよ、その顔」


「別に」


「なんかあった?」


 直人は迷った。


 そして、これまでのことを話した。


 借金。


 博打。


 金をせびってくる友人たち。


 保証人の話。


 黒い虫の幻覚まで。


 話し終えると、友人は黙っていた。


「……俺、おかしくなってるのかな」


「いや」


 友人は静かに答えた。


「お前は疲れてる」


「……」


「でも、もっと大事なことがある」


「何?」


「その人たちから離れろ」


 直人は目を伏せた。


「でも……」


「またそれか」


「……」


「直人」


 友人は強い口調で言った。


「お前は誰かを助けるために、自分を壊してる」


 直人は何も言えなかった。


「男気って何だ?」


「……分からない」


「誰かに金を渡すことか?」


「……」


「博打で負けた奴を助けることか?」


「……」


「犯罪までして仲間を守ることか?」


 直人の顔が強張る。


「犯罪なんてしてない」


 友人は直人を見つめた。


「今は、まだな」


     ◆


 その言葉が頭から離れなかった。


 家に帰っても、眠れない。


 午前二時。


 スマートフォンが鳴った。


『今から来れる?』


 友人からだった。


『急ぎなんだ』


 直人は返信しなかった。


 また鳴る。


『仲間が困ってる』


 さらに鳴る。


『男気見せてくれよ』


 直人はスマートフォンを投げた。


「もう嫌だ……」


 静かな部屋。


 返事はない。


 しばらくして、床から音がした。


 カサ。


 直人は恐る恐る目を向ける。


 黒い虫が一匹。


 その後ろから、二匹。


 三匹。


 十匹。


 数え切れないほどの虫が、部屋の隅から這い出してくる。


「……来るな」


 虫たちは直人には近づかなかった。


 ただ、スマートフォンを取り囲む。


 そして画面が勝手に点灯した。


 表示された文字。


『男気を見せなければならない』


「……違う」


 直人は首を振った。


「俺は、もうやらない」


 すると画面の文字が消えた。


 代わりに、新しいメッセージが表示される。


『ならば、誰が助ける?』


 直人は息を止めた。


 次のメッセージ。


『仲間が困っている』


 さらに――


『お前が助けなければならない』


 直人はスマートフォンから目を逸らした。


 その瞬間、電話が鳴る。


 友人だった。


「……もしもし」


『来てくれるよな?』


「……何があるんだ?」


『話は来てからする』


「俺、もう金ないぞ」


『知ってる』


「じゃあ何で……」


『金じゃない』


 友人が笑った。


『今回は、もっと簡単なことだ』


「……何?」


『荷物を運ぶだけ』


 直人は黙った。


『それくらいできるだろ?』


 耳元で、あの声。


「男気を見せろ」


 直人は目を閉じた。


 そして――


「……分かった」


 電話を切った。


 床にいた黒い虫たちが、一斉に動き始めた。


 直人の玄関へ向かっている。


 まるで、


次の場所へ主人を連れて行くように。


 その夜。


 直人はまだ知らなかった。


 「荷物を運ぶだけ」という簡単な頼みが、


 自分を犯罪へ近づける最初の一歩になることを。

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