第八話 「仲間だろ?」
翌朝。
直人は、昨夜の出来事を誰にも話さなかった。
黒い虫。
赤い文字。
そして、突然届いたメッセージ。
どれも現実とは思えなかった。
スマートフォンを確認する。
昨夜のメッセージは残っている。
『裏切るの?』
『仲間だろ?』
しかし、電話をかけた友人に確認すると、
「そんなメッセージ送ってない」
そう言われた。
「昨日、俺に電話した?」
「してないよ」
直人は黙った。
確かに電話した。
声も聞いた。
それなのに、相手は何も知らない。
「……疲れてるのかな」
そう呟いて、仕事へ向かった。
◆
昼休み。
直人が一人で弁当を食べていると、背後から声をかけられた。
「直人」
振り返る。
博打に誘ってきた友人だった。
「久しぶりだな」
「……何か用?」
「最近、冷たくない?」
「別に」
「昨日も来なかっただろ」
「もう博打はやめる」
友人は笑った。
「本気?」
「うん」
「借金、どうすんの?」
「働いて返す」
「何年かかると思ってる?」
「それでもいい」
友人の顔から笑みが消えた。
「お前さ」
「何?」
「俺たちのこと、嫌いになった?」
「そういう話じゃない」
「じゃあ何?」
直人は答えられない。
「俺たちはずっと一緒だったじゃん」
「……」
「困ったときは助け合う。それが仲間だろ?」
直人の胸が苦しくなる。
まただ。
この言葉。
「俺だって、お前が困ってたから金を貸した」
「うん」
「勝負にも付き合った」
「……」
「飯も奢ってもらった」
「それは……」
「じゃあ今度は、お前が俺たちを助ける番だろ?」
直人は立ち上がった。
「もう帰る」
友人の声が追いかけてくる。
「直人」
振り返らない。
「男気、なくなったな」
◆
その日の夜。
直人の家の前に、見覚えのない車が停まっていた。
車の横に男が二人立っている。
「直人さん?」
「……誰ですか」
「借金の件で」
直人の身体が固まった。
「何の話ですか?」
「話は聞いてます」
「……」
「今月中に返済お願いします」
「分かっています」
「無理でしょう?」
直人は何も言えない。
男は笑った。
「だから、方法を教えますよ」
「結構です」
「本当に?」
「はい」
「男気ありますね」
その言葉を聞いた瞬間、直人の背中に冷たいものが走った。
男の首元を見る。
いた。
黒い虫。
シャツの襟から這い出し、皮膚の上をゆっくり動いている。
直人は目を逸らした。
「……帰ってください」
「分かりました」
男たちは車に乗り込んだ。
車が見えなくなってから、直人は玄関の前に座り込んだ。
「どうして……」
誰にも聞こえない声が漏れる。
「どうして俺なんだよ……」
◆
翌日。
直人の会社に、一本の電話が入った。
友人からだった。
「直人、ちょっと大変なことになった」
「何?」
「俺の知り合いが金を失ってさ」
「俺には関係ないだろ」
「いや、関係ある」
「どうして?」
「お前なら助けてくれるって言っちゃった」
「……何で勝手にそんなこと言うんだよ!」
初めて直人が怒鳴った。
電話の向こうが沈黙する。
「直人?」
「俺はもう金なんてない!」
「でもさ……」
「もう無理なんだよ!」
直人は電話を切った。
息が荒い。
手が震えている。
そして――
背後から声がした。
「直人さん?」
振り返る。
誰もいない。
だが、机の上に黒い虫が一匹いた。
その虫は、直人の財布へ向かって這っている。
「……やめろ」
直人は財布を掴んだ。
虫を払い落とす。
しかし床に落ちた虫は死なない。
ゆっくりと起き上がる。
そして二匹に増えた。
「……」
三匹。
四匹。
五匹。
直人の足元に黒い虫が集まってくる。
そして、そのすべてが同じ方向を向いた。
直人の財布。
直人は後ずさった。
「俺はもう何も持ってない」
虫たちが動きを止める。
「金もない」
沈黙。
「だから……俺から離れろよ」
その瞬間。
虫たちの奥から、無数の声が重なった。
「仲間だろ?」
直人は耳を塞いだ。
「違う!」
「仲間だろ?」
「違う!」
「男気を見せろ」
「やめろ!」
直人は叫んだ。
「もう俺を放っておいてくれ!」
声が止まった。
静寂。
直人は荒い息を吐いた。
助かった。
そう思った。
しかし――
床に落ちたスマートフォンが光った。
画面に一枚の写真が表示されている。
それは、数年前の写真だった。
学生時代。
直人と友人たちが笑っている。
懐かしい写真。
しかし、その写真には一つだけおかしなものがあった。
全員の首元に、
黒い虫が一匹ずつ写っていた。
「……嘘だろ」
直人の手からスマートフォンが落ちる。
写真の中の友人たちの笑顔は変わらない。
だが、その虫だけが――
ゆっくり動いていた。
◆
その夜。
直人は決意した。
もう誰にも金を渡さない。
博打もしない。
借金は、自分で働いて返す。
男気なんて必要ない。
そう決めた。
翌朝。
会社へ向かう途中、スマートフォンが鳴った。
知らない番号。
無視する。
また鳴る。
無視する。
さらに鳴る。
直人はとうとう電源を切った。
これでいい。
そう思った。
しかし会社に着くと、机の上に一枚の封筒が置かれていた。
差出人はない。
中には一枚の紙。
そこには、たった一行。
「男気を見せなければならない」
直人は紙を握り潰した。
その瞬間、背後から声がした。
「直人」
振り返る。
そこには、かつて自分が助けた友人が立っていた。
手には笑顔。
そして、その首元には――
黒い虫が、三匹いた。
「ちょっと頼みがあるんだけど」
直人は答えなかった。
友人が笑う。
「仲間だろ?」
直人の背後で、
カサ……
と音がした。
一匹。
また一匹。
黒い虫が、机の下から這い出してくる。
直人はまだ知らない。
これから現れる「仲間」の数だけ、
寄生虫も増えていくことを。




