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『男気の虫』  作者: こうた


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8/20

第八話 「仲間だろ?」


翌朝。


 直人は、昨夜の出来事を誰にも話さなかった。


 黒い虫。


 赤い文字。


 そして、突然届いたメッセージ。


 どれも現実とは思えなかった。


 スマートフォンを確認する。


 昨夜のメッセージは残っている。


『裏切るの?』


『仲間だろ?』


 しかし、電話をかけた友人に確認すると、


「そんなメッセージ送ってない」


 そう言われた。


「昨日、俺に電話した?」


「してないよ」


 直人は黙った。


 確かに電話した。


 声も聞いた。


 それなのに、相手は何も知らない。


「……疲れてるのかな」


 そう呟いて、仕事へ向かった。


     ◆


 昼休み。


 直人が一人で弁当を食べていると、背後から声をかけられた。


「直人」


 振り返る。


 博打に誘ってきた友人だった。


「久しぶりだな」


「……何か用?」


「最近、冷たくない?」


「別に」


「昨日も来なかっただろ」


「もう博打はやめる」


 友人は笑った。


「本気?」


「うん」


「借金、どうすんの?」


「働いて返す」


「何年かかると思ってる?」


「それでもいい」


 友人の顔から笑みが消えた。


「お前さ」


「何?」


「俺たちのこと、嫌いになった?」


「そういう話じゃない」


「じゃあ何?」


 直人は答えられない。


「俺たちはずっと一緒だったじゃん」


「……」


「困ったときは助け合う。それが仲間だろ?」


 直人の胸が苦しくなる。


 まただ。


 この言葉。


「俺だって、お前が困ってたから金を貸した」


「うん」


「勝負にも付き合った」


「……」


「飯も奢ってもらった」


「それは……」


「じゃあ今度は、お前が俺たちを助ける番だろ?」


 直人は立ち上がった。


「もう帰る」


 友人の声が追いかけてくる。


「直人」


 振り返らない。


「男気、なくなったな」


     ◆


 その日の夜。


 直人の家の前に、見覚えのない車が停まっていた。


 車の横に男が二人立っている。


「直人さん?」


「……誰ですか」


「借金の件で」


 直人の身体が固まった。


「何の話ですか?」


「話は聞いてます」


「……」


「今月中に返済お願いします」


「分かっています」


「無理でしょう?」


 直人は何も言えない。


 男は笑った。


「だから、方法を教えますよ」


「結構です」


「本当に?」


「はい」


「男気ありますね」


 その言葉を聞いた瞬間、直人の背中に冷たいものが走った。


 男の首元を見る。


 いた。


 黒い虫。


 シャツの襟から這い出し、皮膚の上をゆっくり動いている。


 直人は目を逸らした。


「……帰ってください」


「分かりました」


 男たちは車に乗り込んだ。


 車が見えなくなってから、直人は玄関の前に座り込んだ。


「どうして……」


 誰にも聞こえない声が漏れる。


「どうして俺なんだよ……」


     ◆


 翌日。


 直人の会社に、一本の電話が入った。


 友人からだった。


「直人、ちょっと大変なことになった」


「何?」


「俺の知り合いが金を失ってさ」


「俺には関係ないだろ」


「いや、関係ある」


「どうして?」


「お前なら助けてくれるって言っちゃった」


「……何で勝手にそんなこと言うんだよ!」


 初めて直人が怒鳴った。


 電話の向こうが沈黙する。


「直人?」


「俺はもう金なんてない!」


「でもさ……」


「もう無理なんだよ!」


 直人は電話を切った。


 息が荒い。


 手が震えている。


 そして――


 背後から声がした。


「直人さん?」


 振り返る。


 誰もいない。


 だが、机の上に黒い虫が一匹いた。


 その虫は、直人の財布へ向かって這っている。


「……やめろ」


 直人は財布を掴んだ。


 虫を払い落とす。


 しかし床に落ちた虫は死なない。


 ゆっくりと起き上がる。


 そして二匹に増えた。


「……」


 三匹。


 四匹。


 五匹。


 直人の足元に黒い虫が集まってくる。


 そして、そのすべてが同じ方向を向いた。


 直人の財布。


 直人は後ずさった。


「俺はもう何も持ってない」


 虫たちが動きを止める。


「金もない」


 沈黙。


「だから……俺から離れろよ」


 その瞬間。


 虫たちの奥から、無数の声が重なった。


「仲間だろ?」


 直人は耳を塞いだ。


「違う!」


「仲間だろ?」


「違う!」


「男気を見せろ」


「やめろ!」


 直人は叫んだ。


「もう俺を放っておいてくれ!」


 声が止まった。


 静寂。


 直人は荒い息を吐いた。


 助かった。


 そう思った。


 しかし――


 床に落ちたスマートフォンが光った。


 画面に一枚の写真が表示されている。


 それは、数年前の写真だった。


 学生時代。


 直人と友人たちが笑っている。


 懐かしい写真。


 しかし、その写真には一つだけおかしなものがあった。


 全員の首元に、


黒い虫が一匹ずつ写っていた。


「……嘘だろ」


 直人の手からスマートフォンが落ちる。


 写真の中の友人たちの笑顔は変わらない。


 だが、その虫だけが――


 ゆっくり動いていた。


     ◆


 その夜。


 直人は決意した。


 もう誰にも金を渡さない。


 博打もしない。


 借金は、自分で働いて返す。


 男気なんて必要ない。


 そう決めた。


 翌朝。


 会社へ向かう途中、スマートフォンが鳴った。


 知らない番号。


 無視する。


 また鳴る。


 無視する。


 さらに鳴る。


 直人はとうとう電源を切った。


 これでいい。


 そう思った。


 しかし会社に着くと、机の上に一枚の封筒が置かれていた。


 差出人はない。


 中には一枚の紙。


 そこには、たった一行。


「男気を見せなければならない」


 直人は紙を握り潰した。


 その瞬間、背後から声がした。


「直人」


 振り返る。


 そこには、かつて自分が助けた友人が立っていた。


 手には笑顔。


 そして、その首元には――


 黒い虫が、三匹いた。


「ちょっと頼みがあるんだけど」


 直人は答えなかった。


 友人が笑う。


「仲間だろ?」


 直人の背後で、


 カサ……


 と音がした。


 一匹。


 また一匹。


 黒い虫が、机の下から這い出してくる。


 直人はまだ知らない。


 これから現れる「仲間」の数だけ、


寄生虫も増えていくことを。

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