第十話 「ただ運ぶだけ」
午前一時。
直人は指定された場所に向かっていた。
車の中は静かだった。
ラジオもつけていない。
ただエンジンの音だけが響いている。
引き返そう。
何度もそう思った。
しかし、そのたびにスマートフォンへ届いた言葉が頭に浮かぶ。
『仲間が困っている』
『お前なら助けてくれる』
『男気を見せろ』
直人はハンドルを強く握った。
「……荷物を運ぶだけだ」
自分に言い聞かせる。
「それだけなら、犯罪じゃない」
その言葉が、妙に空しく響いた。
◆
指定された場所は、人気のない倉庫だった。
車を停めると、友人が現れた。
「遅かったな」
「何を運ぶんだ?」
「これ」
友人が指差した。
黒いバッグが三つ。
かなり重そうだった。
「どこに持っていく?」
「別の車に積むだけ」
「中身は?」
「知らなくていい」
直人はバッグを見つめた。
「……嫌な感じがする」
「考えすぎ」
友人が笑う。
「ただの荷物だよ」
直人はバッグを持ち上げた。
ずしりと重い。
その瞬間。
バッグの隙間から――
黒い虫が一匹這い出した。
「……!」
直人は手を離しかけた。
「どうした?」
「今、虫が……」
「こんなところだからいるだろ」
友人は気にしない。
直人はもう一度バッグを持った。
何も考えない。
ただ運ぶ。
それだけだ。
◆
数分後。
バッグを車に積み終えた。
「これでいい?」
「ああ」
「じゃあ帰る」
直人が車へ向かう。
すると友人が呼び止めた。
「直人」
「何?」
「助かったよ」
直人は振り返る。
「……本当にこれだけ?」
「うん」
「なら、もうこういうのはやめよう」
「分かった」
友人は笑った。
「ありがとな」
その笑顔を見て、直人は少し安心した。
自分は大したことをしていない。
そう思った。
◆
翌朝。
直人のスマートフォンに電話がかかってきた。
『昨日の荷物、ちゃんと運んだ?』
「うん」
『中身、見てないよな?』
「見てない」
『ならいい』
「何だったんだ?」
電話の向こうが少し沈黙した。
『知らない方がいい』
直人の胸がざわついた。
「……お前、何か隠してるだろ」
『直人』
「何?」
『俺たち仲間だろ?』
また、その言葉。
直人は黙った。
『仲間なら、余計なことを聞かない』
「……」
『それが男気だろ?』
電話が切れた。
直人はスマートフォンを見つめた。
嫌な予感がする。
◆
その日の夕方。
ニュースを見て、直人は凍りついた。
『昨夜、市内の倉庫から大量の違法薬物が押収され――』
画面に映った倉庫。
見覚えがあった。
昨夜、自分が行った場所。
「……嘘だろ」
直人はテレビに近づいた。
ニュースでは、押収された荷物の映像が流れている。
黒いバッグ。
直人が運んだものと同じだった。
「……俺……」
手が震えた。
「俺が運んだ……?」
その瞬間。
玄関の外で物音がした。
直人は息を止めた。
ピンポーン。
チャイム。
もう一度。
ピンポーン。
「……誰?」
返事はない。
直人は恐る恐る覗き穴を見る。
誰もいない。
ドアを開けない。
すると、足元から、
カサ……
という音がした。
見ると、黒い虫が一匹いた。
それは玄関のドアへ向かって這っている。
「……」
直人はドアから離れた。
そのときスマートフォンが鳴った。
友人からだった。
『ニュース見た?』
直人の指が震える。
『あれ、俺たちが運んだ荷物じゃないから』
「……え?」
『似てただけ』
「本当に?」
『もちろん』
「……」
『信じてくれよ』
直人は答えられなかった。
すると友人が笑った。
『疑うなんて、らしくないな』
「……」
『男気見せろよ』
電話が切れた。
◆
その夜。
直人は眠れなかった。
もし自分が運んだものが違法なものだったら。
もし警察に知られたら。
もし逮捕されたら。
頭の中を恐ろしい想像が駆け巡る。
しかし、一番怖かったのは――
自分が、
「知らなかった」
という理由だけで安心しようとしていることだった。
直人は布団の中で震えた。
「俺は……何も知らなかった」
何度も繰り返す。
「何も知らなかったんだ……」
すると、部屋の隅から声がした。
「だから、次もできる」
「……」
「知らなければいい」
直人は耳を塞いだ。
「仲間なら」
「やめろ……」
「男気を見せろ」
部屋の床が、黒く見えた。
無数の虫。
壁。
床。
天井。
家具の隙間。
どこからともなく這い出してくる。
直人は叫び声を上げた。
「来るな!」
虫たちは直人には近づかなかった。
ただ、玄関に向かって並んでいる。
そして、その先には――
スマートフォン。
画面には新しいメッセージ。
『明日、もう一つ頼みたい』
直人は首を横に振った。
「……嫌だ」
返信しない。
既読もつけない。
しかし数分後。
別の番号からメッセージが届いた。
『断るなら、昨日の荷物について警察に話す』
直人の呼吸が止まった。
さらに一通。
『お前が運んだんだからな』
そして最後に――
『男気を見せろ』
直人はスマートフォンを握りしめた。
もう、これはお願いではない。
脅迫だった。
そして直人は、初めて理解した。
自分は「仲間」という言葉で、
逃げ道を一つずつ塞がれていた。
床では黒い虫たちが、
まるで笑うように蠢いていた。




