第十一話 「逃げ道」
翌朝。
直人は会社へ向かう車の中で、何度もスマートフォンを確認した。
昨夜届いたメッセージ。
『断るなら、昨日の荷物について警察に話す』
消してはいない。
証拠として残しておこうと思った。
しかし、証拠が残っていること自体が怖かった。
「……俺は、何も知らなかった」
また同じ言葉を呟く。
だが今度は、自分自身がその言葉を信じられなかった。
◆
昼休み。
直人の前に、友人が現れた。
「昨日は悪かったな」
「……何が?」
「怖がらせたこと」
直人は顔を上げた。
「じゃあ、あれは嘘だったのか?」
「何が?」
「警察に話すって」
友人は笑った。
「そんなに怖かった?」
「当たり前だろ」
「だったら、もう忘れろよ」
「……」
「俺たち仲間だろ?」
直人は拳を握った。
「もう、俺を巻き込むな」
「巻き込む?」
友人は首を傾げた。
「俺たちは一緒にやってるだけだろ」
「俺は犯罪なんてしたくない」
友人の表情が変わった。
「犯罪?」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気まで冷たくなったように感じた。
「お前、何言ってんの?」
「……」
「昨日のことだって、ただ荷物を運んだだけだろ」
「でも……」
「中身を知らなかったんだろ?」
「……そうだけど」
「じゃあ問題ないじゃん」
友人は笑った。
「考えすぎだって」
◆
仕事を終えた直人は、真っ直ぐ家へ帰った。
今日は何も起こらない。
そう思っていた。
しかし、玄関を開けた瞬間。
床に封筒が落ちていた。
「……何だ?」
拾い上げる。
差出人はない。
中には写真が数枚入っていた。
昨夜の倉庫。
直人がバッグを運んでいる姿。
はっきりと顔が写っている。
「……」
手から写真が落ちた。
「誰が……」
スマートフォンが鳴った。
『写真、見た?』
友人からだった。
「……お前か?」
『誰が撮ったかなんてどうでもいいだろ』
「消してくれ」
『無理』
「頼む」
『じゃあ、もう一つ頼みを聞いて』
直人は黙った。
『今度は簡単だ』
「何をする?」
『金を受け取って、指定した場所に持っていくだけ』
「嫌だ」
『写真、どうする?』
「……」
『警察に見せてもいいけど』
直人は目を閉じた。
「……分かった」
『さすが直人』
電話の向こうで笑う。
『やっぱり男気あるな』
電話が切れた。
◆
その夜。
直人は写真を一枚ずつ見つめていた。
自分が写っている。
確かに自分だ。
自分の手でバッグを運んでいる。
中身を知らなかった。
それでも――
写真だけを見れば、何をしていた人間なのか分からない。
直人は写真を裏返した。
そこには黒い汚れが付いていた。
「……?」
指で擦る。
汚れではなかった。
小さな虫だった。
一匹。
写真の裏から這い出してきた。
直人が後ずさる。
虫は写真の上を歩き、直人の顔写真のところで止まった。
そして、その身体が二つに裂けた。
二匹になった。
「……やめろ」
さらに三匹。
四匹。
八匹。
写真の上を埋め尽くしていく。
直人は写真を床へ落とした。
すると虫たちは一斉に写真から離れた。
そして――
直人のスマートフォンへ向かった。
画面が勝手に点灯する。
表示された文字。
『男気を見せろ』
直人はスマートフォンを床へ投げつけた。
「ふざけるな!」
画面が割れる。
しかし表示は消えない。
『逃げるな』
『仲間を見捨てるな』
『責任を取れ』
次々と文字が現れる。
「俺は……」
直人の声が震える。
「俺は、ただ幸せになりたかっただけなのに……」
画面が暗くなる。
最後に一言だけ表示された。
『ならば、金が必要だ』
◆
翌日。
直人は指定された場所へ向かった。
封筒を受け取る。
中には現金。
かなりの額だった。
「これを運ぶだけ……」
直人はそう呟いた。
しかし今回は、前回とは違った。
封筒を受け取った瞬間から、背後に人の気配を感じる。
振り返る。
誰もいない。
もう一度見る。
誰もいない。
だが、道路の端に黒い虫がいた。
一匹。
その後ろに、さらに一匹。
また一匹。
虫たちは直人の進む方向へ、列を作って這っている。
まるで道案内をしているようだった。
直人はその後を歩いた。
◆
指定された場所に到着する。
そこには友人たちがいた。
「お疲れ」
直人は封筒を渡した。
「これで終わりだよな?」
「もちろん」
友人は封筒を受け取った。
そして、その場にいた全員で笑った。
「ありがとう」
「助かった」
「さすが直人」
「男気あるよな」
直人は無理に笑った。
そのとき、一人の男が直人の肩を叩いた。
「また頼むわ」
「……また?」
「もちろん」
直人は顔を上げた。
「俺はもう――」
言葉が止まった。
男の背後。
そこに黒い虫がいた。
一匹ではない。
十匹。
二十匹。
数えきれない。
男たちの身体から這い出し、互いに集まり、巨大な黒い塊になっている。
直人には、それが一つの生き物に見えた。
人間の形をしている。
笑っている。
そして、無数の口が開く。
「仲間だろ?」
直人は後ずさった。
「……違う」
「男気を見せろ」
「違う……」
「もっと」
声が重なる。
「もっと男気を見せろ」
直人は逃げ出した。
走った。
振り返らない。
だが、耳元にはいつまでも声が残っていた。
そして直人は、まだ知らなかった。
今夜運んだ金が、
彼自身の借金を返すための金ではなかったことを。
それは、彼の知らないところでさらに別の人間へ流れ、
その人間たちを新しい「仲間」にするための金だった。
直人が一人助けるたびに、
寄生する人間が一人増える。
そして――
逃げれば逃げるほど、直人には「責任」という名の鎖が増えていった。




