第十二話 「金を生む男」
それから一か月。
直人の生活は、完全に変わっていた。
朝は仕事。
昼も仕事。
そして夜になると、誰かから連絡が来る。
『直人、頼みがある』
『今日だけお願い』
『お前なら助けてくれる』
『仲間だろ?』
その言葉を聞くたびに、胸が苦しくなった。
断ればいい。
頭では分かっている。
しかし断ると、必ず何かが起こった。
昔の写真。
借金の督促。
意味の分からない脅し。
そして――
黒い虫。
◆
ある夜。
直人は自宅のテーブルに大量の紙を並べていた。
借金の明細。
返済予定。
博打で使った金。
友人たちへ渡した金。
数字を書き出していく。
「……減ってない」
必死に働いている。
金も渡している。
博打で勝った日もある。
なのに、借金は減らない。
むしろ増えている。
「何で……」
直人は頭を抱えた。
そのとき。
テーブルの上の電卓が勝手に動いた。
数字が一つずつ表示されていく。
――10。
――20。
――30。
――50。
そして最後に、
100
と表示された。
「……」
直人は電卓を落とした。
電卓の液晶には、数字ではなく文字が浮かんでいた。
「男気の価値」
直人は息を止めた。
◆
翌日。
友人から電話が来た。
「直人、今度さ」
「もう無理だ」
「まだ何も言ってないじゃん」
「金だろ?」
「……まあな」
「俺にはもう無理だよ」
直人は初めて、強い口調で言った。
「俺だって生活があるんだ」
電話の向こうが沈黙した。
「俺は、お前らのために働いてるんじゃない」
友人が小さく笑った。
「……そうか」
「うん」
「分かった」
電話が切れた。
直人は大きく息を吐いた。
これでいい。
そう思った。
◆
その日の夜。
直人が帰宅すると、玄関の前に一人の女性が立っていた。
「直人さんですか?」
「……はい」
「話し聞きました」
女性は困った顔をしている。
「お金を貸してもらえるって」
「……え?」
「十万円だけでいいんです」
「いや、俺はそんな約束――」
「でも、」
女性の目に涙が浮かんだ。
「直人さんなら助けてくれるって……」
「……」
直人は何も言えなかった。
「主人が病気で……」
「……」
「本当に困ってるんです」
直人の胸が痛くなる。
この人は、これまでの奴らとは違うのかもしれない。
本当に困っているのかもしれない。
そう思った瞬間。
女性の肩に黒い虫が一匹いるのが見えた。
「……!」
虫は女性の首筋へ這っていく。
女性は気づかない。
「どうしたんですか?」
直人は一歩後ずさった。
「……すみません」
「え?」
「俺には、もう無理です」
女性は泣きそうな顔をした。
「そうですか……」
そして去っていった。
直人は玄関を閉めた。
背中をドアに預ける。
「これでいいんだ」
自分に言い聞かせる。
「これで……」
◆
その夜。
直人のスマートフォンに、一枚の写真が送られてきた。
先ほどの女性だった。
直人の家の前に立っている姿。
そして次の写真。
女性が一人で歩いている姿。
さらに次。
女性の自宅。
そして最後に――
黒い虫が大量に写った写真。
メッセージが届く。
『助けなかったな』
直人は震えた。
『男気ないな』
さらに一通。
『あの人、本当に困ってたのに』
直人はスマートフォンを握りしめる。
「……やめろ」
『お前が助ければ済んだ話だ』
「俺には金がない」
『借りればいい』
「もう借りられない」
『じゃあ、勝てばいい』
「……」
『博打なら金を作れる』
直人は画面を見つめた。
そして最後のメッセージ。
『男気のある男は、金を作れる』
直人の指が震える。
その夜。
直人は再び、博打へ向かった。
◆
最初の勝負。
勝った。
二回目。
勝った。
三回目。
負けた。
直人はさらに賭ける。
勝った。
「……!」
金が増えていく。
久しぶりの感覚だった。
しかし、周囲の人間たちが次々と寄ってくる。
「直人、貸してくれよ」
「ちょっとだけ」
「勝ったんだからいいだろ?」
「俺にも頼む」
「こっちも」
直人は驚いた。
「待ってくれ……」
人が増えていく。
一人。
二人。
三人。
五人。
十人。
いつの間にか、直人の周囲は人で埋め尽くされていた。
全員が笑っている。
全員が手を伸ばしている。
「直人なら貸してくれる」
「男気あるもんな」
「仲間だろ?」
そして――
直人には見えた。
その全員の身体から、黒い虫が這い出している。
服の中。
首筋。
耳。
口元。
無数の虫が、人間たちに寄生している。
そして虫たちは、直人へ向かって触手のような足を伸ばしていた。
「……来るな」
直人が後ずさる。
しかし人間たちは近づいてくる。
「金」
「金をくれ」
「助けてくれ」
「男気を見せろ」
直人は叫んだ。
「俺だって困ってるんだ!」
一瞬、全員が黙った。
そして――
笑った。
「知ってるよ」
「だから頼んでるんだ」
「お前なら何とかできるだろ?」
「男気あるんだから」
直人はその場に崩れ落ちた。
勝っても吸われる。
負けても借金になる。
働いても追いつかない。
断れば責められる。
逃げれば脅される。
そして、助ければまた新しい人間が寄ってくる。
直人はようやく理解した。
自分は人間たちに囲まれているのではない。
寄生虫に囲まれている。
そして、その中心にいるのは――
他でもない。
自分自身だった。
その夜、直人は帰宅すると鏡を見た。
自分の首筋に、黒い虫が一匹いた。
今まで見たことのないほど大きい。
直人は手で払おうとした。
しかし虫は皮膚に食い込んでいた。
「……いつから?」
虫が動く。
そして耳元で囁いた。
「お前が男気を見せる限り、俺たちは生きられる」
直人の顔から血の気が引いた。
虫は笑った。
「だから、もっと金を作れ」
直人は鏡の中の自分を見つめた。
その顔には、もう以前の優しい青年の面影はなかった。
疲れ切った目。
震える唇。
そして首筋には――
一匹ではなく、三匹の虫が蠢いていた。




