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『男気の虫』  作者: こうた


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12/20

第十二話 「金を生む男」



 それから一か月。


 直人の生活は、完全に変わっていた。


 朝は仕事。


 昼も仕事。


 そして夜になると、誰かから連絡が来る。


『直人、頼みがある』


『今日だけお願い』


『お前なら助けてくれる』


『仲間だろ?』


 その言葉を聞くたびに、胸が苦しくなった。


 断ればいい。


 頭では分かっている。


 しかし断ると、必ず何かが起こった。


 昔の写真。


 借金の督促。


 意味の分からない脅し。


 そして――


 黒い虫。


     ◆


 ある夜。


 直人は自宅のテーブルに大量の紙を並べていた。


 借金の明細。


 返済予定。


 博打で使った金。


 友人たちへ渡した金。


 数字を書き出していく。


「……減ってない」


 必死に働いている。


 金も渡している。


 博打で勝った日もある。


 なのに、借金は減らない。


 むしろ増えている。


「何で……」


 直人は頭を抱えた。


 そのとき。


 テーブルの上の電卓が勝手に動いた。


 数字が一つずつ表示されていく。


 ――10。


 ――20。


 ――30。


 ――50。


 そして最後に、


100


 と表示された。


「……」


 直人は電卓を落とした。


 電卓の液晶には、数字ではなく文字が浮かんでいた。


「男気の価値」


 直人は息を止めた。


     ◆


 翌日。


 友人から電話が来た。


「直人、今度さ」


「もう無理だ」


「まだ何も言ってないじゃん」


「金だろ?」


「……まあな」


「俺にはもう無理だよ」


 直人は初めて、強い口調で言った。


「俺だって生活があるんだ」


 電話の向こうが沈黙した。


「俺は、お前らのために働いてるんじゃない」


 友人が小さく笑った。


「……そうか」


「うん」


「分かった」


 電話が切れた。


 直人は大きく息を吐いた。


 これでいい。


 そう思った。


     ◆


 その日の夜。


 直人が帰宅すると、玄関の前に一人の女性が立っていた。


「直人さんですか?」


「……はい」


「話し聞きました」


 女性は困った顔をしている。


「お金を貸してもらえるって」


「……え?」


「十万円だけでいいんです」


「いや、俺はそんな約束――」


「でも、」


 女性の目に涙が浮かんだ。


「直人さんなら助けてくれるって……」


「……」


 直人は何も言えなかった。


「主人が病気で……」


「……」


「本当に困ってるんです」


 直人の胸が痛くなる。


 この人は、これまでの奴らとは違うのかもしれない。


 本当に困っているのかもしれない。


 そう思った瞬間。


 女性の肩に黒い虫が一匹いるのが見えた。


「……!」


 虫は女性の首筋へ這っていく。


 女性は気づかない。


「どうしたんですか?」


 直人は一歩後ずさった。


「……すみません」


「え?」


「俺には、もう無理です」


 女性は泣きそうな顔をした。


「そうですか……」


 そして去っていった。


 直人は玄関を閉めた。


 背中をドアに預ける。


「これでいいんだ」


 自分に言い聞かせる。


「これで……」


     ◆


 その夜。


 直人のスマートフォンに、一枚の写真が送られてきた。


 先ほどの女性だった。


 直人の家の前に立っている姿。


 そして次の写真。


 女性が一人で歩いている姿。


 さらに次。


 女性の自宅。


 そして最後に――


 黒い虫が大量に写った写真。


 メッセージが届く。


『助けなかったな』


 直人は震えた。


『男気ないな』


 さらに一通。


『あの人、本当に困ってたのに』


 直人はスマートフォンを握りしめる。


「……やめろ」


『お前が助ければ済んだ話だ』


「俺には金がない」


『借りればいい』


「もう借りられない」


『じゃあ、勝てばいい』


「……」


『博打なら金を作れる』


 直人は画面を見つめた。


 そして最後のメッセージ。


『男気のある男は、金を作れる』


 直人の指が震える。


 その夜。


 直人は再び、博打へ向かった。


     ◆


 最初の勝負。


 勝った。


 二回目。


 勝った。


 三回目。


 負けた。


 直人はさらに賭ける。


 勝った。


「……!」


 金が増えていく。


 久しぶりの感覚だった。


 しかし、周囲の人間たちが次々と寄ってくる。


「直人、貸してくれよ」


「ちょっとだけ」


「勝ったんだからいいだろ?」


「俺にも頼む」


「こっちも」


 直人は驚いた。


「待ってくれ……」


 人が増えていく。


 一人。


 二人。


 三人。


 五人。


 十人。


 いつの間にか、直人の周囲は人で埋め尽くされていた。


 全員が笑っている。


 全員が手を伸ばしている。


「直人なら貸してくれる」


「男気あるもんな」


「仲間だろ?」


 そして――


 直人には見えた。


 その全員の身体から、黒い虫が這い出している。


 服の中。


 首筋。


 耳。


 口元。


 無数の虫が、人間たちに寄生している。


 そして虫たちは、直人へ向かって触手のような足を伸ばしていた。


「……来るな」


 直人が後ずさる。


 しかし人間たちは近づいてくる。


「金」


「金をくれ」


「助けてくれ」


「男気を見せろ」


 直人は叫んだ。


「俺だって困ってるんだ!」


 一瞬、全員が黙った。


 そして――


 笑った。


「知ってるよ」


「だから頼んでるんだ」


「お前なら何とかできるだろ?」


「男気あるんだから」


 直人はその場に崩れ落ちた。


 勝っても吸われる。


 負けても借金になる。


 働いても追いつかない。


 断れば責められる。


 逃げれば脅される。


 そして、助ければまた新しい人間が寄ってくる。


 直人はようやく理解した。


 自分は人間たちに囲まれているのではない。


寄生虫に囲まれている。


 そして、その中心にいるのは――


 他でもない。


 自分自身だった。


 その夜、直人は帰宅すると鏡を見た。


 自分の首筋に、黒い虫が一匹いた。


 今まで見たことのないほど大きい。


 直人は手で払おうとした。


 しかし虫は皮膚に食い込んでいた。


「……いつから?」


 虫が動く。


 そして耳元で囁いた。


「お前が男気を見せる限り、俺たちは生きられる」


 直人の顔から血の気が引いた。


 虫は笑った。


「だから、もっと金を作れ」


 直人は鏡の中の自分を見つめた。


 その顔には、もう以前の優しい青年の面影はなかった。


 疲れ切った目。


 震える唇。


 そして首筋には――


一匹ではなく、三匹の虫が蠢いていた。

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