第六話 「借りればいい」
月曜日。
直人は仕事中も、数字のことばかり考えていた。
借金。
返済期限。
足りない金。
そして、昨日送ったメッセージ。
『明日、勝負できる?』
自分から誘った。
その事実が、何より怖かった。
以前なら、博打に誘われても断っていた。
今は違う。
勝つことを考えている。
そして、勝った金で借金を返すことを考えている。
それなのに――
心のどこかでは、分かっていた。
博打で借金を返そうとしている時点で、もう正常ではない。
◆
仕事が終わると、友人から連絡が来た。
『いつもの場所』
短いメッセージだった。
直人はスマートフォンを握ったまま、しばらく動けなかった。
帰ることもできる。
スマートフォンを閉じるだけでいい。
しかし足は、勝負の場所へ向かっていた。
◆
「来たな」
店に入ると、友人たちはすでに集まっていた。
「今日は絶対勝つぞ」
直人は席に座った。
「……今日は十万円だけ」
「十万?」
「それ以上は無理」
「分かった」
友人は笑った。
「最初はな」
「……どういう意味?」
「勝てば増やせるだろ?」
直人は答えなかった。
勝負が始まる。
最初は負けた。
次も負けた。
直人は財布を開いた。
残りは少ない。
「もう終わりだ」
「まだ始まったばっかりじゃん」
「金がない」
「借りればいい」
直人は顔を上げた。
「……嫌だ」
「なんで?」
「これ以上借りたら、本当に返せなくなる」
友人は笑った。
「返せばいいじゃん」
「どうやって?」
「勝って」
「……」
「簡単だろ?」
直人は首を横に振った。
「そんな簡単じゃない」
「じゃあ、どうする?」
友人が直人の目を見る。
「借金から逃げるの?」
直人の胸が締め付けられる。
「……」
「男なら責任取れよ」
その瞬間。
耳元に、何匹もの虫が這うような音が聞こえた。
カサ。
カサカサ。
直人は耳を押さえた。
「……うるさい」
「何が?」
「……何でもない」
友人が笑う。
「じゃあ、借りようぜ」
◆
その日、直人は初めて自分の意思で借金を増やした。
金を受け取ったとき、手が震えた。
怖い。
それでも、賭けた。
そして――
勝った。
「……!」
一気に金が増えた。
友人たちが歓声を上げる。
「ほら!」
「やっぱり直人だ!」
「持ってるな!」
直人は震える手で金を数えた。
勝った。
本当に勝った。
「これで……」
借金を返せる。
そう思った。
だが、友人が言った。
「次だ」
「え?」
「ここでやめるの?」
「でも勝ったし……」
「もっと勝てる」
「いや、今日はもう――」
「直人」
友人の声が低くなる。
「せっかく勝ったのに?」
周囲の視線が集まる。
「男気見せろよ」
直人は黙った。
そして――
また賭けた。
◆
深夜。
直人は一人で帰宅した。
手元には、ほとんど金が残っていなかった。
勝った。
確かに勝った。
それなのに、借金は減っていない。
なぜなのか。
途中から、何に賭けたのかさえ曖昧だった。
財布を机に置く。
すると、財布の隙間から黒い虫が一匹這い出した。
「……またか」
直人は虫を睨んだ。
虫は逃げない。
じっと直人を見ているようだった。
「お前は何なんだよ」
虫が動いた。
直人の財布へ戻っていく。
そして、その瞬間。
直人のスマートフォンが鳴った。
友人からだった。
『明日も頼むな』
直人は返信しようとした。
しかし、別のメッセージが届いた。
『実はさ、俺も金が必要なんだ』
さらに別の友人。
『今月ちょっと苦しくて』
また別の友人。
『直人なら助けてくれるよな?』
次々と通知が届く。
直人は画面を見つめた。
自分の周囲には、いつの間にかこんなにも人間がいたのか。
しかし。
その全員が――
金の話をしていた。
直人の指が震える。
「俺……」
誰にも聞こえない声で呟いた。
「俺って、何なんだ?」
返事はなかった。
ただ、耳元で小さな声がした。
「男気を見せろ」
直人は目を閉じた。
その瞬間。
部屋中から、
カサ……
カサカサ……
カサカサカサ……
無数の虫の這う音が聞こえた。
目を開ける。
壁にはいない。
床にもいない。
天井にもいない。
しかし、スマートフォンの黒い画面には――
直人の背後に、
無数の黒い虫が群がっている姿が映っていた。
直人はゆっくり振り返った。
誰もいない。
ただ、机の上の財布だけが、
小さく震えていた。




