第三話 「勝った男」
翌朝。
直人は、財布の中身を確認した。
昨夜勝った金は、ほとんど残っていなかった。
友人に貸したわけではない。
食事代を払っただけでもない。
昨夜のうちに、もう一度だけ――と思って勝負を続けた。
そして、負けた。
最初に勝ったときより、ずっと大きな金額を賭けた。
「次なら勝てる」
そう思った。
しかし、負けた。
さらに賭けた。
また負けた。
気づいたときには、財布の中は空になっていた。
それでも不思議と後悔はなかった。
頭の中に残っていたのは、
「次は勝てる」
という考えだけだった。
◆
月曜日。
昼休み。
「直人!」
同僚に肩を叩かれた。
「この前、博打で勝ったんだって?」
「え?」
「聞いたぞ」
「まあ……少しだけ」
「やっぱりな!」
周囲から笑い声が上がった。
「直人、意外と勝負強いんだな」
「俺だったら一瞬で使っちゃうわ」
直人は苦笑した。
誰かに褒められることなんて、あまりなかった。
だから、悪い気はしなかった。
その日の仕事帰り。
友人たちから連絡が来た。
「今日、飯行こうぜ」
「いいけど……」
「この前勝った金、まだあるだろ?」
直人は一瞬黙った。
もうない。
しかし、
「まあ、少しは」
と答えてしまった。
◆
店に入ると、いつの間にか人数が増えていた。
「お前ら、呼んだの?」
「いいじゃん、別に」
テーブルには料理が並んだ。
ビール。
肉。
高そうな料理。
直人は落ち着かなかった。
「これ、結構高くない?」
「大丈夫、大丈夫」
友人が笑う。
「今日は直人の勝利祝いだから」
「俺の?」
「そうそう」
そして会計。
伝票を渡された直人は目を疑った。
「……これ、俺が払うの?」
「もちろん」
「いや、みんなで割れば――」
「え?」
友人の顔から笑顔が消えた。
「男気見せてくれるんじゃないの?」
直人は黙った。
周囲の視線が集まる。
「このくらい払えるだろ?」
「……」
「せっかく勝ったんだし」
まただった。
耳元で、あの声が聞こえた。
――男気を見せろ。
直人は財布を出した。
「……分かったよ」
「さすが!」
拍手が起きる。
直人も笑った。
けれど、胸の奥には小さな違和感が残った。
◆
その帰り道。
直人は一人で歩いていた。
財布は軽い。
今日の給料日まで、まだ数日ある。
どう考えても苦しい。
「……やりすぎたな」
そのとき、後ろから声がした。
「直人!」
振り返る。
昼間一緒にいた友人だった。
「何?」
「ちょっと頼みがある」
「……また金?」
「違う違う」
友人は笑った。
「実はさ、今度ちょっと大きい勝負があるんだよ」
「俺はもうやめとくよ」
「なんで?」
「この前、結構負けたから」
「でも最初は勝っただろ?」
「それは偶然だよ」
「偶然じゃないって」
友人が直人の肩に手を置く。
「お前には才能がある」
「……ないよ」
「あるって」
そして、耳元で囁いた。
「男気あるところ、もう一回見せてくれよ」
直人の身体が固まった。
――男気。
その言葉を聞いた瞬間、心臓が強く鳴った。
「……いくら賭けるの?」
友人は笑った。
「そうこなくちゃ」
◆
その夜。
直人は眠れなかった。
天井を見つめながら考える。
明らかにおかしい。
自分は博打が好きなわけではない。
金だって余裕があるわけじゃない。
なのに、どうして断れないのか。
枕元のスマートフォンが震えた。
メッセージが一件。
『明日、絶対勝てる』
その下に、もう一件。
『男なら逃げるな』
直人は画面を閉じた。
部屋が暗くなる。
しばらくして。
ベッドの下から、
カサ……
と音がした。
「……?」
直人が起き上がる。
床を見る。
何もない。
しかし、暗闇の中から小さな黒い影が這い出してきた。
一匹。
二匹。
三匹。
虫だった。
直人は息を止めた。
虫たちは、まるで何かを探すように床を這い、やがて直人の財布の周囲に集まり始めた。
「……やめろ」
直人が財布を持ち上げる。
虫たちは一斉に動きを止めた。
そして――
直人の耳元で、何人もの声が重なった。
「男気を見せろ」
直人は布団を頭からかぶった。
朝まで眠ることはできなかった。
◆
翌日。
直人は、また勝負の場所へ向かった。
そのことを、
自分で決めたのだと思いながら。
まだ彼は知らない。
自分が勝負しているのは金ではない。
そして、彼の周囲に集まり始めた人間たちが――
金ではなく、直人そのものに寄生し始めていることを。




