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『男気の虫』  作者: こうた


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2/20

第二話 「最初の勝負」



 十万円を貸してから、二週間が経った。


 友人からは、まだ返金されていない。


 直人は何度か連絡をしようと思った。


 だが、スマートフォンを手に取るたび、やめてしまう。


「来月には返すって言ってたし……」


 自分にそう言い聞かせた。


 問題は、それだけではなかった。


 三万円を貸した友人からも、返金の話は一度も出てこない。


 合計十三万円。


 社会人になってから少しずつ貯めてきた金だった。


 その金が、たった数週間で消えた。


 それでも直人は、誰かを責めることができなかった。


 ――困っていたんだから仕方ない。


 そう思うしかなかった。


     ◆


 金曜日の夜。


 仕事を終えた直人が会社を出ると、駐車場で声をかけられた。


「直人!」


 振り返る。


 先日の友人だった。


「今から飯行こうぜ」


「悪い。今日は帰るよ」


「いいじゃん。ちょっとだけ」


「明日も予定あるから」


 直人が断ると、友人は笑った。


「相変わらず真面目だな」


「そうかな」


「そうだよ。だからさ」


 友人は直人の肩を叩いた。


「一個、面白いことしようぜ」


「何?」


「勝負」


「……勝負?」


「博打」


 直人の顔が曇った。


「俺、そういうのやらないよ」


「知ってる」


「じゃあ、なんで誘うんだよ」


「だから面白いんじゃん」


 友人は笑った。


「今日だけ。ちょっと遊んで帰ろうぜ」


「いや、本当にいいって」


「怖いの?」


「そういう問題じゃない」


「じゃあ何?」


「金ないし」


 その瞬間、友人の笑顔が少しだけ変わった。


「この前、俺に十万貸してくれたじゃん」


「……それは関係ないだろ」


「いや、関係あるよ」


 友人は直人を見つめた。


「人のためには十万出せるのに、自分のためには一円も使わないの?」


「……」


「それってどうなの?」


 直人は答えられなかった。


「男ならさ」


 友人が笑う。


「一回くらい勝負しようぜ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 まただった。


 耳の奥で、あの声がした。


 ――男気を見せろ。


 直人は眉間を押さえた。


「……分かったよ」


「よし!」


     ◆


 店の奥にある小さな個室。


 直人は椅子に座り、目の前に置かれたカードを見つめていた。


 数千円だけ。


 本当にそれだけのつもりだった。


「これで最後にするからな」


「分かってるって」


 友人が笑う。


 最初は負けた。


 次も負けた。


 そして三回目。


 直人は勝った。


「……え?」


 予想以上の金が戻ってきた。


「すげえ!」


 友人が叫ぶ。


「直人、持ってるじゃん!」


「いや、偶然だろ」


「いやいや、才能あるって」


 次の勝負。


 また勝った。


 さらに次も。


 気づけば、最初に持っていた金の何倍もの金になっていた。


 直人の手が震えた。


「……こんなに勝つの?」


「だから言っただろ」


 友人が笑う。


「勝負って面白いだろ?」


 直人は笑ってしまった。


 胸の奥が熱くなる。


 金を失う怖さではない。


 勝つ快感だった。


「もう一回だけ」


 直人が言った。


「もちろん」


     ◆


 その夜。


 直人は大きく勝って店を出た。


 財布が重い。


 こんな感覚は久しぶりだった。


「なあ、直人」


「ん?」


「今日、勝った記念に奢ってくれよ」


「え?」


「いいじゃん。男気見せろよ」


 直人は少し考えた。


 だが、財布を見る。


「……まあ、いいか」


 店に入り、二人で食事をした。


 酒を飲む友人の隣で、直人はジュースを飲んでいた。


「直人って本当にいい奴だよな」


「そうかな」


「うん」


 友人は笑った。


「お前みたいな奴、俺は好きだよ」


 直人は少し照れた。


 その瞬間だった。


 友人の首元に、黒いものが見えた。


 小さな虫。


 一匹。


 直人の目の前で、それが皮膚の下へ潜り込んだ。


「……!」


 直人は椅子を引いた。


「どうした?」


「いや……」


 友人が首を触る。


「何かついてた?」


「……何もない」


 直人はそう答えた。


 見間違いだ。


 そう思おうとした。


 しかし。


 店のガラスに映った二人の姿を見たとき――


 直人の背後にも、黒い虫が一匹いた。


 肩に乗っている。


 そして、直人の耳元へ顔を近づけるように蠢いていた。


 直人は振り返った。


 誰もいない。


 もう一度ガラスを見る。


 虫は消えていた。


     ◆


 帰宅した直人は、財布の中の金を数えた。


「……これだけあれば」


 十三万円。


 貸した金のほとんどを取り戻せる。


 そう思った。


 しかし、スマートフォンが鳴った。


 最初に十万円を借りた友人からだった。


『直人、悪い』


「どうした?」


『もうちょっとだけ待ってくれ』


「……分かった」


『本当に助かるわ』


 電話を切った。


 今度は三万円を借りた友人。


『直人、今いい?』


「何?」


『ちょっと相談があるんだけど』


 嫌な予感がした。


『実はさ――』


 また金だった。


 直人は財布を見る。


 今日、勝った金。


 その金を見つめながら、直人は思った。


 ――どうせまた勝てばいい。


 その瞬間。


 部屋の隅から、かすかな声が聞こえた。


 誰かが笑っている。


 そして。


 「もう一回だけ」


 直人は、その声を聞いても不思議と怖くなかった。


 むしろ――


 安心した。


 それが、最初の勝負だった。

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