↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『男気の虫』  作者: こうた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/20

第十八話 「盗んだ罪」



 朝。


 直人はテレビを消した。


 ニュースを見ることができなかった。


 自分の顔が映っている。


 自分が「容疑者」と呼ばれている。


 それだけで、胃の奥が締め付けられた。


 テーブルには借金の明細。


 床には壊れたスマートフォン。


 そして――


 黒い虫。


 もう数えることもできない。


 直人の部屋には、虫が住み着いていた。


 壁の隙間。


 天井。


 カーテンの裏。


 ベッドの下。


 どこにでもいる。


 しかし、直人はもう追い払わなかった。


「……好きにしろよ」


 虫たちは動かない。


「俺には、もう何もない」


 その言葉に反応するように、一匹の虫が直人の手へ這い上がった。


 直人はそれを見つめた。


「お前たちが欲しかったのは、金じゃないんだろ?」


 虫が首筋へ向かって進む。


「俺の人生だ」


 直人は目を閉じた。


     ◆


 昼。


 警察が来た。


「直人さんですね」


「……はい」


「窃盗事件について、詳しくお話を伺いたいのですが」


 直人は黙っていた。


 逃げることもできる。


 嘘をつくこともできる。


 でも――


 もう疲れた。


「……俺がやりました」


 警察官が顔を上げる。


「詳しく話してください」


「荷物を運びました」


「誰から頼まれました?」


 直人は答えようとした。


 しかし、口から出たのは――


「……分かりません」


「分からない?」


「名前を言えません」


「なぜですか?」


 直人は俯いた。


「……仲間だから」


 警察官は黙って直人を見る。


「仲間をかばうということですか?」


「……はい」


 その瞬間。


 耳元で、あの声が聞こえた。


「男気を見せろ」


 直人は拳を握った。


 涙が落ちる。


「……俺が全部責任を取ります」


 警察官は静かに尋ねた。


「本当に、それでいいんですか?」


 直人は答えた。


「……はい」


     ◆


 取調室。


 直人は一人で座っていた。


 机の上に置かれた写真。


 自分がバッグを運んでいる。


 その写真を見ていると、不思議な感覚に襲われた。


 写真の中の自分が笑っている。


 いや。


 笑っているように見えただけだった。


 直人は目を細める。


 写真の背景。


 倉庫の壁。


 そこに黒い虫がびっしり張り付いている。


「……」


 直人は写真を手に取った。


 虫たちが動く。


 写真の中なのに。


 一匹。


 また一匹。


 そして、写真の中の直人の身体へ這い上がっていく。


「やめろ……」


 写真の中の直人が、ゆっくりこちらを見る。


 そして口を動かした。


「男気を見せろ」


 直人は写真を落とした。


 警察官が戻ってくる。


「どうしました?」


「……何でもありません」


     ◆


 取り調べは長時間続いた。


 直人は自分がやったことを話した。


 しかし、他の人間の名前は出さなかった。


 自分が金を運んだ。


 自分が荷物を運んだ。


 自分が現場にいた。


 それだけを話した。


 警察官は何度も確認した。


「本当に一人でやったんですか?」


「……はい」


「誰かに指示されたのでは?」


「違います」


「借金が原因ですか?」


「……」


 直人は答えなかった。


 警察官はため息をついた。


「分かりました」


     ◆


 その頃。


 別の場所では――


「これで大丈夫だな」


 友人たちが笑っていた。


「直人が全部かぶってくれた」


「助かった」


「本当にあいつ、最後まで男気あったな」


 テーブルの上には金。


 直人が運んだ金。


 直人が借金を背負って作った金。


 そして――


 それを取り囲むように、黒い虫が群がっていた。


 一人の男が虫を見つける。


「……何だこれ?」


 手で払う。


 虫は消えた。


「気のせいか」


 誰も気にしない。


 笑い声が続く。


「次は誰に頼む?」


「もう直人は使えないだろ」


「じゃあ、新しい奴探そうぜ」


 その瞬間。


 テーブルの下から黒い虫が一匹這い出した。


 そして、一人の男の耳へ入っていった。


 男は何も感じない。


 ただ笑っている。


     ◆


 数日後。


 直人のもとに正式な通知が届いた。


 窃盗事件についての容疑。


 自分一人が罪を背負うことになった。


 直人は紙を見つめた。


「……終わった」


 何もかも。


 仕事も。


 信用も。


 友人も。


 未来も。


 そして――


 幸せになるという夢も。


 直人は机に伏せた。


 涙が落ちる。


「俺は……何のために……」


 誰も答えない。


 しばらくすると、


 スマートフォンが鳴った。


 壊れているはずなのに。


 画面が点灯する。


 メッセージ。


『ありがとう』


 送り主は――


 「仲間」全員。


 次のメッセージ。


『お前のおかげで助かった』


 さらに。


『また頼むな』


 最後に――


『男気を見せてくれてありがとう』


 直人はスマートフォンを握り潰そうとした。


 しかし、できなかった。


 指に力が入らない。


 そのとき。


 首筋に激痛が走った。


「……っ!」


 鏡を見る。


 黒い虫。


 一匹。


 二匹。


 三匹。


 それどころではない。


 首から肩。


 肩から腕。


 腕から胸へ。


 無数の黒い虫が、皮膚の下を這っている。


「……やめろ」


 直人は鏡を叩いた。


「やめてくれ……」


 鏡が割れる。


 しかし、鏡の中の自分は消えない。


 そこには、


 黒い虫に覆われた直人が立っていた。


 そして鏡の中の直人が笑う。


「男気を見せたな」


 直人はその場に崩れ落ちた。


 もう抵抗する力はなかった。


     ◆


 夜。


 直人は一人で歩いた。


 街には人がいる。


 笑い声が聞こえる。


 家族連れ。


 恋人。


 友人同士。


 普通の幸せ。


 直人が欲しかったもの。


 しかし、自分にはもうない。


 横断歩道で立ち止まる。


 信号が赤。


 足元を見る。


 黒い虫が一匹いる。


 その虫が直人を見上げる。


 直人は笑った。


「……俺の人生、返してくれよ」


 虫は答えない。


 ただ、直人の足元へ集まってくる。


 一匹。


 二匹。


 十匹。


 百匹。


 やがて道路一面が黒く染まった。


 そして、その中から声が聞こえる。


「男気を見せろ」


 直人は目を閉じた。


 もう逃げなかった。


 もう叫ばなかった。


 ただ静かに呟いた。


「……俺は、最初からそんなもの欲しくなかった」


 信号が青に変わる。


 人々が歩き出す。


 直人だけが動かない。


 その背後で――


 黒い虫たちが、


 ゆっくりと人の形を作り始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。