第十五話 「盗んだ金」
午前二時。
直人は、黒いバッグを抱えて歩いていた。
足が重い。
何度も立ち止まりそうになる。
バッグの中身を確認することはできなかった。
いや――
怖くて、できなかった。
「これを持っていくだけ……」
自分に言い聞かせる。
「これで借金が少し減る」
しかし、その言葉を口にするたびに、胸の奥が痛んだ。
これは盗んだ金だ。
そう分かっていた。
◆
指定された場所に着く。
そこには友人がいた。
「ご苦労さん」
直人はバッグを渡した。
「これで終わりだよな?」
「ああ」
「本当に?」
「もちろん」
友人はバッグを受け取った。
そして、中身を確認する。
「問題ない」
直人は安堵した。
「じゃあ、借金は?」
「少し待ってくれ」
「……約束と違うだろ」
「すぐ返すって」
友人は笑った。
「信用しろよ」
直人は何も言えなかった。
「じゃあ帰る」
背を向けた直人に、友人が声をかける。
「直人」
「……何?」
「助かったよ」
直人は振り返らない。
「本当に、お前がいてくれてよかった」
その言葉が、妙に胸に刺さった。
自分は誰かの役に立った。
そう思いたかった。
けれど――
役に立った代わりに、何を失った?
直人には分からなかった。
◆
翌朝。
ニュースを見て、直人は言葉を失った。
『昨夜、市内で窃盗事件が発生しました』
画面に映った建物。
直人が昨夜入った場所だった。
『現金などが盗まれ、警察は複数人が関与した可能性もあるとみて――』
直人の手からコップが落ちた。
「……俺……」
画面を消す。
しかし、耳の奥ではニュースの声が残っている。
窃盗。
複数人。
警察。
その三つの言葉が頭から離れない。
スマートフォンが鳴った。
『ニュース見た?』
友人からだった。
直人は電話に出なかった。
するとメッセージが届いた。
『大丈夫』
『お前の名前は出ない』
『俺たちが何とかする』
直人は画面を見つめた。
続いて――
『仲間だろ?』
直人の指が震えた。
◆
その日の夜。
直人は友人たちに会った。
「金は?」
「何?」
「俺に返すって言っただろ」
「もちろん」
友人は笑った。
「ちょっと待ってくれ」
「いつまで?」
「もうすぐ」
「いつ?」
「直人、焦るなよ」
直人は拳を握った。
「俺はもう犯罪までやったんだぞ」
「声が大きい」
「……」
「そんなこと言ったら、みんな困るだろ?」
直人は周囲を見る。
誰も助けてくれない。
誰も目を合わせない。
「……みんなでやったんだろ?」
直人が言う。
「そうだよ」
友人は答える。
「だったら、何で俺だけこんなに苦しいんだ?」
沈黙。
誰も答えない。
やがて、一人が呟いた。
「直人が一番動いてくれたからじゃない?」
「……」
「お前、男気あるし」
その瞬間。
直人の首筋が焼けるように痛んだ。
◆
その夜。
直人は自宅で、これまでの出来事を紙に書き出した。
借金。
博打。
送金。
荷物。
窃盗。
そして、自分の名前で作られた借金。
紙を見つめていると、ふと気づいた。
金額を書き足していく。
合計。
直人は計算を止めた。
「……増えてる」
窃盗をしても。
金を運んでも。
博打で勝っても。
借金は減らない。
むしろ増えている。
「どうして……」
そのとき。
机の下から黒い虫が這い出してきた。
一匹。
二匹。
三匹。
直人は虫を見つめた。
すると虫たちは、直人が書いた金額の周囲に集まっていく。
紙を食べ始める。
数字が消える。
そして――
新しい数字が浮かんだ。
「0」
「……ゼロ?」
直人は息を止めた。
さらに文字が浮かぶ。
「お前の利益」
その下に、
「0」
さらに――
「お前の責任」
その数字は、
「100」
直人は紙を握り潰した。
「ふざけるな……」
黒い虫たちが蠢く。
そして、耳元から声がした。
「利益は仲間へ」
「借金はお前へ」
「罪はお前へ」
直人は震えた。
「……そんな」
虫たちが一斉に這い上がる。
「それが男気だ」
◆
翌日。
警察が会社を訪れた。
「少しお話を伺いたいのですが」
直人の心臓が止まりそうになった。
「……何でしょうか」
「昨夜の窃盗事件についてです」
警察官が写真を見せる。
そこには――
直人の姿が写っていた。
黒いバッグを運んでいる。
「この人物をご存じですか?」
直人は言葉を失った。
写真の中の自分。
逃げられない証拠。
そして、友人たちは言っていた。
『お前の名前は出ない』
『俺たちが何とかする』
嘘だった。
最初から――
直人だけを残すつもりだったのかもしれない。
「……知りません」
直人は答えた。
警察官は直人を見つめた。
「本当に?」
「……」
「もう一度聞きます」
その瞬間。
直人の耳元で、
カサ……
と音がした。
そして、聞き慣れた声。
「男気を見せろ」
直人は目を閉じた。
ここで全部話せばいい。
そうすれば終わるかもしれない。
でも――
仲間を売れば、自分は「卑怯者」になる。
そんな恐怖が頭を支配した。
そして直人は、
「……何も知りません」
そう答えてしまった。
警察官が帰ったあと。
直人は机に突っ伏した。
もう、自分でも分からなかった。
誰を守っているのか。
何のために嘘をついているのか。
ただ一つ分かっていた。
自分の人生が、少しずつ壊れている。
その夜。
友人から一通だけメッセージが届いた。
『助かったよ』
その下に、
『次はもっと大きい仕事がある』
直人はスマートフォンを握りしめた。
画面の端から黒い虫が這い出す。
そして――
その虫は直人の指に噛みついた。
血が一滴、落ちた。
直人は痛みに顔を歪める。
しかし虫は離れない。
まるで、
「もう逃げられない」
と告げるように。




