第七話 壊れた荷車と銀貨十四枚
霧雨が細く降り続いていた
灰色の空の下、壊れた荷車は街道の真ん中で斜めに傾いている
片輪は完全に砕け、車軸も曲がっていた 荷台から飛び出した木箱が泥の中へ散乱し、その横では倒れた岩馬が苦しそうに息を吐いている
湿った空気の中へ、獣の荒い呼吸音だけが響いていた
「……生きてるな」
ミナが低く呟く
短剣へ手を掛けたまま、慎重に周囲を見る
「襲撃跡っぽいけど、静かすぎる」
レインも荷車を止めたまま辺りを観察する
泥 車輪跡 崩れた地面
視線が細かく動く
「盗賊ではなさそうです」
「分かるのか?」
「荷が残ってるので」
ミナが散乱した木箱を見る
確かに、中身はほとんどそのままだった
盗賊なら真っ先に持っていく
つまり事故か、別の何か
ミナは倒れている人影へ近付く
濡れた外套 泥だらけの手 背中には小型の弩が括り付けられていた
「女か」
まだ若い
茶色の長髪が泥へ張り付き、頬には浅い切り傷が走っている
ミナがしゃがみ込み、首元へ手を当てた
「息はある」
「怪我は」
「……脚だな」
外套を少しめくる
右脚が不自然に腫れていた 恐らく荷車が横転した時に巻き込まれたのだろう
レインは壊れた荷車を見ていた
「車輪が先に壊れてますね」
「襲われたんじゃないのか?」
「多分違います」
レインは泥へ沈んだ轍を見る
「重量過多です」
散乱した木箱を見回す
金属部品 保存瓶 鉱石
かなり重い荷だ
「この状態の街道で積みすぎましたね」
ミナが呆れた顔になる
「アンタ本当にそこばっか見てんな……」
その時。
倒れていた女が小さく呻いた
「……ぅ」
ミナが顔を上げる
「おい、大丈夫か?」
女がゆっくり目を開く
ぼやけた視線が二人を見る
そして次の瞬間。
反射的に腰の短剣へ手を伸ばそうとして、激痛に顔を歪めた
「っ……!」
「動くなって」
ミナが慌てて押さえる
「脚やってる」
女は荒い息を吐きながら周囲を見る
壊れた荷車 散乱した荷 倒れた岩馬
そして、絶望したように呟いた
「……終わった」
雨音だけが響く
女は泥へ視線を落としたまま、小さく笑った
「全部、終わった……」
レインは木箱を持ち上げながら聞く
「契約荷ですか?」
女がゆっくり頷く
「王都行き……」
「納期は」
「今日の日没まで……」
ミナが顔をしかめる
「うわぁ……」
この街道で、それは厳しい
しかも荷車は壊れ、岩馬も倒れている
普通なら詰みだった
女は悔しそうに唇を噛む
「違約金で終わりだ……」
その声には、妙な実感があった
ミナは少し黙る
数日前までの自分と同じ顔だったからだ
返せない金 終わる仕事 消えていく生活
全部、知っている顔だった
「……レイン」
「なんです」
ミナがちらりと横を見る
レインは既に木箱の数を確認していた
「七箱……ですか」
「聞けよ」
「聞いてます」
レインは壊れた車輪を調べる
完全修復は無理 だが、荷を減らせば動かせる可能性はある
そして何より、王都方面へ向かう道は同じだった
「……なるほど」
ミナが嫌な顔をする
「あ、その顔またロクでもないこと考えてる」
「利益は出ますね」
「ほら来た」
倒れていた女が二人を見る
「……何の話」
レインは静かに帳簿を閉じた
「契約を手伝います」
「……え?」
「ただし、報酬は貰います」
霧雨の向こうで、岩馬が低く唸った
灰色の街道の上で。
また一つ、新しい仕事の匂いがしていた
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